2012年1月19日木曜日

よい顔、醜い顔

最近はあまりいわれなくなったが、私が子どものころはよく、大人から「そんな顔をしてるとそんな顔になっちゃうぞ」と脅されたものだ。たとえば、なにかいやいややっていたり、口ごたえしたり、といったときに。
また「嘘をつくと嘘つきの顔になる」といわれて、本気でおそれた。
これは迷信だろうか。私はいちがいに迷信だとはいえないような気がするのだ。
なぜ最近、こういうことがあまりいわれなくなったのだろうか。「顔で人を判断する」ということになんとなく精神性を感じ、論理的・物理的・物質的な社会のなかでいいにくくなったような空気があるのではないか。
しかし、美人・不美人というような価値基準とはべつに、たしかに「いい顔、わるい顔」というものがあると思わないだろうか? 私は思う。
電車に乗って人々の顔を見ていると、欲のないお年寄りは本当におだやかな顔をしていて、見ているこちらもおだやかになる。赤ちゃんをあやしているお母さんの顔は本当に美しくて、こちらも暖かな気持ちになる。もちろん逆に険しく醜い顔つきの人も多くいる。
自分はどうなんだろう、と思う。もともとあまり穏やかな人間ではないと思うのだが、せめてイキイキと楽しんで生きている顔つきでありたい。