2010年8月18日水曜日

水の思い出

ひさしぶりにプールで泳いできたら、暑さが身体になじんだ気がした。
これこれ、この感じ。夏の感じ。夏休みの感じ。
この感じにはずいぶんなじみがある。子どものころからなじんだ感じだ。
生まれた家の前には九頭竜川という、すばらしい一級河川があった。まだダムはできていなかった。
いまは巨大なダムがいくつも上流にできてドブ川になってしまったが、かつては清流で、釣れる鮎の味も日本有数の最高の香りと味を誇っていた。
もちろんそれと引き換えの犠牲も払っていた。台風が来るたびに住宅や農業に大きな被害があった。それを理由に巨大ダムが作られた。
もしダムを作ることなく治水に成功していたら、いまごろ世界に誇る名河川となって、釣り客・観光客はもちろんのこと、流域に住みたい家族がたくさんやってきたことだろう。現在の技術をもってすれば、ダムを作らない治水は充分に可能だろう。しかし、もう遅い。

九頭竜川の上流で九頭竜ダムの工事が始まったのは昭和40年。私が小学校3年生のことだった。なので、私が幼いころはもちろんダムはまだなく、家の前には巨大な清流があった。
夏は水量が少なく、流れの穏やかなところをせきとめて大人たちが子どものために小さなプールを作ってくれた。
河原で素っ裸で遊ぶ白黒写真が、いまも残っている。
私はゼロ歳のときから九頭竜川で泳いでいた。しかし、それも小学校3年生までだった。ダム工事が始まると、川の水は激減し、夏は藻が繁殖し、また生活用水が流れこんでヘドロがたまり、泳ぐどころではなくなった。
小学校にはプールができた。が、いまのように近代的な設備はなく、ため池に毛の生えたような屋外プールだったため、夏休みもなかごろになるとアオコが繁茂して水は緑色になり、臭くなった。なので、私はプールより川で泳ぐほうが好きだった。
祖父が車を持っていたので、よく海に行った。
一番近い海は、三国の海水浴場で、ここはファミリー向けだ。いまでもある。また、そのすぐ西側に鷹巣海水浴場というものもある。さらに西南には越前海岸の岩場がつづいている。海岸線を東北になぞれば、塩屋海水浴場や加賀の海岸、そして石川の千里浜、能登とつづいていて、豊かな海がある。
しかし、海からそう近くはない山間部の我が家は、しばしば海に行くわけにはいかなかった。なので、山の渓流で泳ぐことになる。
こちらはまだまだ清流が残っていて、水は冷たいが岩場から飛びこんだり、魚を捕ったりして大変楽しかった。
大学に進学したとき、私はヨット部にはいった。

いまはない九頭竜川の風景を歌った故郷の曲を作った。
「青い空、白い雲」という曲で、こちらから聴くことができる。演奏はOeufs(うふ)。
歌いたい、演奏したいという方には楽譜を差し上げるので、連絡ください。