小田急線の千歳船橋〈APOCシアター〉まで金野泰史くんの舞踊公演というか、舞台、を観に行ってきた。
以下、論評ではなく、あくまで私の個人的な印象記であることを、まずおことわりしておく。
金野くんと最初に知り合ったのは、彼が私の共感的コミュニケーションの勉強会に来てくれたときだった。
2年半くらい前になるだろうか。
私がまだ世田谷の羽根木の家に住んでいたとき、そこに来てくれたのだ。
その後、何度か勉強会にも来てくれたが、私がおこなっている朗読との即興パフォーマンスにも興味を持ってくれて、去年の3月、東日本大震災からちょうど5年ということで彼が開催したイベントに、パフォーマーとして私と野々宮卯妙を呼んでもらった。
そのとき初めて、私は彼の踊りを見た。
すばらしいインパクトがあったと記憶している。
ダンサーとしての肉体造形もすばらしく、彼はおそらくそのことを意識して、生活の糧として肉体労働を選びとっている。
また彼は私が稽古に取りくんでいた韓氏意拳にも興味をしめして、講習会に体験に来たあと、すぐに入会し、いまでも韓氏意拳の稽古仲間である。
そんな関係だが、ソロ公演を観るのは今回が最初だ。
演劇公演に何度か客演として出ていて、案内ももらっていたが、タイミングが合わなかったのと、劇作のコマとしての彼に積極的に興味が持てなかったということもある。
APOCは小さなハコで、客席は満席になっていた。
客は若い女性が多く、男性もいたけれどだいたいは中年より若い層で、スタッフの上原くん他をのぞいて知り合いは見事にひとりもいなかった(と思う)。
そんなのかんけーねーとステージに注目した。
ステージは意味ありげに客席とのあいだに紗幕が吊るされ、その奥にはテレビで金野くんのこれまでの公演映像の抜粋が流されている。
開演時間になると、上原くんともうひとりの男性が紗幕の両脇に陣取り、ことさら紗幕のほうを向いて視線を固定したまますわった。
スモークがたかれる音と匂い。
それから音響が変化し、金野くんが登場。
上手のほうにかしこまって、
「本日は……」
みたいなあらたまった挨拶。
声、出すのかよ、みたいな、ちょっとおかしくなったのをこらえていると、照明と音響が変化して、踊りが始まった。
現代音楽風のドローンのような音響のなかで、金野くんが声を発する。
またもや、声、出すのかよ、と思ったけれど、あとは最後まで発声はなかった。
そこから始まった踊り。
仕込みの音響、両サイドからの照明、天井からのプロジェクター投影、紗幕、これまでの集大成といわんばかりのいくつかのタイプのダンスが音響とともに切りかわっていく構成。
そういった記号的な仕掛けのなかで、しかし、まぎれもなく金野泰史というかよわい生命存在の痛々しさが、観客に提示されていく。
見るからに筋骨隆々で、うらやましいくらいたくましく、上背も立派な金野くんという肉体存在が、自分自身の生命のあやうさと迷いを無防備にさらけだす瞬間が何度かあって、私は心を打たれた。
なぜ心を打たれたかというと、私は彼ほど立派な肉体を持ってはいないけれど、本質的には似たような繊細で、か弱く、あやうい、すぐに生きまどう生命を自分のなかに抱え、またそこからどうしても逃れられない運命を生きているからだろう。
およそ1時間の公演中、私はずっと心を動かされつづけ、目を離すことができず、まわりの若いオーディエンスたちとのギャップのことも忘れ、居心地の悪い座席に耐えて座っていた。
よいものを見せてもらった。
金野くんからの、命の贈りものとして、私は受け取った。
ありがとう、金野泰史くん。