知念さんが来るというので、仲間が何人か集まって、リア充の身体文章塾(笑)と宴会になった。
知念さんの作品『七十一年目の帰郷』は大変話題になっていて、Kindleでも配信されているので、こちらから読むことができる
私は他人の作品を何千、何万と読んできた、いわば読み手のプロを自認している者で、人の作品を客観的に読むことにかけてはちょっとした自身がある。
しかし、『七十一年目の帰郷』については、不覚にも涙してしまったおぼえがある。
油断していたら出会い頭にえらい作品にぶつかってしまった感じだった。
本当に油断していた。
文章表現の技術とか、描写力とか、構成とか、いわゆる小説作法でいえばけっして完璧ではない。
というよりむしろ、瑕疵は多い。
しかし、そういうものを超える魅力があって、すべてを圧倒してこちらにインパクトを与えてくる。
ちょうどいま、山田風太郎の『甲賀忍法帖』という長編小説のオーディオブックを作っていたところだったのだが、この小説もストーリーも文章も破綻だらけで、いま読み返してみるとよくこんなものが出版されたものだとあきれる部分が多々ある。
が、いまなおこれが読まれつづけているにはわけがある。
破綻や瑕疵を超えて、圧倒的に山田風太郎という人の「文体力」が光をはなっていて、読む者はぐいぐいと引きつけられるのだ。
そういったテキストの魅力はどこから来るのだろうか。
それはテキストの持つ「存在感」であり、オリジナリティであろう。
では、テキストのオリジナリティはどこから来るのか。
ごく乱暴にいえば、そのことばのつらなり、チョイス、ストーリーが、書く人の「身体」から生まれているかどうかだろうと思う。
では、どうやればテキストに自分自身の「身体」やら「存在感」やら「生命活動」を「乗せる」ことができるのだろう。
そういうことを身体文章塾では探りつづけているし、また単発イベントの「テキストライティング」ワークショップでもさまざまなエチュードを用いて試みている。
まさに「頭」にばかり注意がのぼってしまった表現活動を、もう一度身体に取りもどし、足元まで注意を降下させて全体性を回復していく作業といっていい。
こういったことに興味がある方は、定期開催の身体文章塾もしくは単発のテキストライティング・
ワークショップに、一度参加してみてほしい。
◎自分とつながるテキストライティングWS(9.30)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを9月30日(土)に国立およびオンラインで6時間にわたって、じっくりとおこないます。