2011年1月9日日曜日

山田正紀さんのこと

最近、作家の山田正紀さんがツイッターにいるのを発見し、さっそくフォローしている。
もちろん多くのファンがおられるだろうが、私にとっては個人的に思い入れの深い作家である。そのことを少し書いてみたい。

彼の作品を初めて読んだのは早川書房のSF月刊誌『SFマガジン』でのことだった。
たしか私は高校1年か2年だったと思う。「神狩り」という、短編としてはちょっと長い、長編というにはちょっと短い作品だったと思う。
初めて見る名前だったが、衝撃を受けた。頭をトンカチで殴られたような気がした。
私は小学校高学年のころから、割合系統立てて文学小説を読んできていた。とくに中学校に入ってからは日本や世界の文学全集を片っ端から読破し、ちっぽけな学校の図書館にはもう読むものがなくなった。
そこで、それまで「ゲテモノ」として手をつけていなかったSF全集にも手を出した。それがSFにハマるきっかけだった。
最初は翻訳ものがほとんどだった。ハインラインやアシモフなどの欧米のSFを片っ端から読みあさった。中学校の終わりごろには日本の作家にも手を出し始めた。
『SFマガジン』も毎月欠かさず買い、隅から隅まで熟読した。
そんななか、突然「神狩り」が現れたのだ。
学生運動と神の実在・不在をからめた非常に緊迫感のある小説で、文体も最初から完成されている感じがした。とても新人作家とは思えなかった。

そのころ私も、作家になろうなどと思っていたわけではなかったが、なんとなく小説の習作を始めていた。いまから思えば笑ってしまうのだが、山田正紀の登場を見て「これはかなわん」と、しばらくなにも書けなかったのを覚えている。
その後の彼の作品はもちろん全部追いかけた。
その後私は大学に入り、そして途中でやめ、京都でバンドマン生活を始めた。そうしながらも相変わらず小説の習作はつづけていた。
バンドマン生活に見切りをつけて生まれ故郷の福井に帰ることになったとき、生まれて初めて最後まで小説を一本書きあげた。山田正紀に見習ったわけではないが、中編小説で、原稿用紙で200枚くらいの中途半端な長さだった。それが私の職業作家デビュー作となった。
後日400枚の長編になって、徳間書店から刊行されることになる。「神狩り」から12年くらい経っていたと思う。

私もSF作家の仲間入りをし、大阪でおこなわれた日本SF大会に参加したりもした。そのときに私が夢中になって読んでいた日本のSF作家に紹介してもらい、天にものぼる気持ちだったのを覚えている。
山田正紀さんとは直接お話したことはないが、なにかの会合で何度かお見かけした。
もちろん山田正紀さんは私のことなど覚えておられないだろうが、いまこうやってツイッターのTLに流れる彼のつぶやきを見ていると、なんともいえない感興がわいてくるのを覚える。