キッチンで栄養補助剤の空缶をゆすいでいたら、急に視界がおかしくなって、あたりの景色がぼやけだした。
おかしくなったのは右目だけだったので、ゴミでもはいったのかと手でこすったり、布巾でふいたり、水で洗ったりしてみたのだが、改善しないばかりか、ますますおかしくなっていく。
明暗ははっきりわかるのだが、明暗がない部分のものの輪郭がまったくわからない。
文字は読めないし、人の顔も判別できなくなった。
全体に極端なポスタライゼーション効果をかけた画像みたいな感じで、窓など明るい部分はまぶしいくらいに明るく、暗い部分は真っ暗につぶれてしまってなにもわからない。
しばらく待っても改善しないので、医者に行くしかないと思って、診察時間を待った。
朝の8時すぎのことだった。
鎮痛剤をたくさん飲んでいるので、それの副作用かとも思ったが、わからない。
左目はなんの不具合もなく見えているので、文字を読んだり歩いたり、なにか作業をするにはほとんど支障はない。
歩いて近所の眼科がある病院に行った。
しかし、時間がたつにつれ症状は徐々に改善していって、発症から小一時間たっただろうか、予備検査のために呼ばれた時間にはほとんど視界異常はなくなってしまった。
予備検査では、これまでのように右目は若干の乱視があるものの、1.2以上のクリアな視力。
やや弱かった左も0.9以上のまずまずな視力。
ほかにもとくに異常はなし。
医師の診察でも、白内障や緑内障、その他の異常は見られず、視力異常の原因ははっきりとはわからなかった。
が、時折ある症例らしいが、眼底の血管が痙攣を起こしたりして一時的に血流がとどこおったとき、神経が麻痺してそのような症状が出ることがあるらしい。
これが頻繁に起こるようなら対処しなければならないが、いまのところとくに心配はないとのことで、薬もでなかった。
家に帰って、たまたまこの日個人レッスンだったゼミ生の矢澤ちゃんにその話をしたら、彼女もまったくおなじ症状で眼科にかかったことがあるという。
そのときの診断では「閃輝暗点」という病名がついたらしい。
調べてみると、なるほどこれだ。
そしてたしかに、あまり心配する必要はないらしい。
けっしてありふれた症状ではないと思うが、たまたまその日会う最初の矢澤ちゃんがまったくおなじ体験をしていたというのは、奇妙な偶然だった。
それにしても、さすがにちょっとあわてた。
このまま失明したらどうしよう、というようなことも頭をよぎった。
いやいや、失明したとしても、あれとこれはまだできるぞ、これは不便になるかな、なんてことを、頭の片隅にどこか妙に冷静な部分があってかんがえていることに気づいたりした。