2020年3月2日月曜日

ラストメッセージ(1)古井由吉を知っていますか?

〔末期ガンをサーフする3〕

筒井康隆先生の「偽文士日記」で知ったのだが、息子さんの筒井伸輔さんがこの二月に食道ガンで亡くなったそうだ。
大変気の毒なことだ。
筒井先生には私は小説家デビューのときに思いがけず恩を受けたことがあって、その後商業エンタテインメント小説の世界で大成できなかったことを申し訳なく感じている唯一の方だ。
もっとも、先生のほうでは私のことは覚えておられないだろうと思うが。

息子の伸輔さんのことは、エッセイなどで子どもの時分のエピソードが時々書かれていて、名前を存じあげていた。
去年の四月に食道ガンが見つかり、すでにステージⅣということで摘出手術もおこなわず、抗ガン剤や放射線治療を受けておられたそうだ。
私のステージⅣの食道ガンも五月に見つかっているので、ほぼおなじような状況だろうと思う。

ただ、私は三月になるいまも元気に活動しており、放射線治療は受けているが、抗ガン剤による治療はパスしている。
食事もふつうにとれている。
もちろん私も伸輔さんのように容態急変することもあるかもしれないが、まだほぼふつうに生活を送れていることはラッキーだと思う。

純文学作家の古井由吉さんの訃報もあった。
こちらは八十二歳、肝細胞ガンだった。
白状すれば、なぜか私は古井由吉の小説をほとんど読んでこなかった。
日本の文学小説を系統的に読んでいたのは中学生くらいのときで、そのころはリアルタイムで作品を発表していた現役の作家の小説が遠かった。
その後、日本の作家の作品をリアルタイムで追いかけはじめたのは、SF作家ばかりで、純文学といえば安部公房くらいだった。
安部公房も初期作品はSFの扱いをされていたように思う。

亡くなったと聞いたとき、その作品をほとんど知らないことにちょっと残念な気持ちがあったのだが、高橋源一郎がツイッターでつぶやいているのを読んで、ちょっと腑に落ちるものがあった。
高橋源一郎はたしか、
「亡くなったと聞いて残念だけれど、悲しくはない。なぜならいつでも読めるし、本のなかで古井さんに会えるからだ」
というようなことをつぶやいていた。

なるほど、そうだよな。
とくに作家という人種はそのような面がたしかにある。
ほんとうは作家でなくても、だれもがなにかを書きのこしたり、ビデオ映像が残っていたり、演奏や絵や造形や、手作り品が残っているとき、亡くなったあとでもそれを見ればいつでもその人に会えるような気がするものだ。
ただ、ふつうの人は意図してそういうものを自分の「分身/遺影」として残したりしない。
すればいいと思うけどね。

というようなことをつらつらかんがえていたら、私自身も「分身/遺影」としての作品を意図的に残していないことに気づいた。
もちろんたくさんの本をこれまで出してきたし、音楽やオーディオブックやライブ映像もネットでたくさん見ることができる。
私が亡くなったとき、結果的にそれらは私の「分身/遺影」として見られることもあるかもしれないが、私の意志でそのように出したものではない。

現在、私の意志のもと、いままさに生きている自分のメッセージとして伝えておくとしたら、どんなことばや音や映像になるだろうか。
これを書いておけば、だれかがまた私に会いたいと思ったとき、ここに来てこのメッセージを読めばふたたび会うことができる、そんなメッセージとはどんなものなのだろうか。
がぜん興味がわいてきた。

「ラストメッセージ」と題して、これからしばらく、さまざまなテーマについて私なりのことばで書きのこしてみたい。
文章だけでなく音や映像も用いるかもしれないし、あとどのくらい闊達でいられるかわからないけれど。