2020年3月31日火曜日

ラストメッセージ(6)キックボードで半世紀前にタイムスリップ

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフするⅢ〕

数日前にボイスパフォーマーの徳久ウイリアムくんとMariの3人でお昼ご飯を食べに行こうということになって、近所の店まで歩いて行った。
距離にして300メートルもないくらいの、ごく近所のイタリアンレストランだった。
そんな近距離にも関わらず、このところ痛み止めの薬の効きめが悪くなっていた私にとっては、歩いて行くにはかなり遠く感じられる距離だった。

杖をついて、というより杖に体重を預けてぶらさがるようにしてよろよろと歩く。
かなりのお年寄りの姿だ。

ひさしぶりに会った徳久くんも、私の急な変化にびっくりしたようだった。
私も情けない思いがある。
そのとき思いついたのが、キックボードだった。
このあたりでも子どもがよくキックボードを蹴りながらすいすいと移動している姿を見かける。
私も子どものころはそれでよく遊んでいた。

10年くらい前にキックボードがはやったことがあって、大人もずいぶん乗っている姿を見かけたものだが、最近はすたれたのかめったに見ない。
それでもネットで検索してみると、大人用のキックボードはいまでもいろいろ売られているようだ。

徳久くんとMariも「キックボードはいいんじゃない?」という意見になって、ご飯のあと時間があったのでさっそく3人で自転車屋に行ってみることになった。

府中の自転車屋には置いてなく、立川の自転車屋には子ども用のもの1種類しかなかったが、試乗できた。

キックボードに乗るのはたぶん、50年(半世紀)ぶりくらいだが、乗った瞬間に身体がおぼえている感覚が一瞬にしてよみがえってきた。
思いだしたというより、私の身体が半世紀前にタイムスリップしたような感覚だった。
なんの不自由もなくすいすいと乗れる。
もともとそう難しい乗り物ではないけれど、この乗り物を扱うための運動神経系が瞬時に活性化する感じは、びっくりしつつも気持ちいいものだった。

この店では購入せず、家に帰ってからネットであれこれ検索して、イギリス製の「フレンジースクーター」を通信販売で注文した。

それが今日の午後、届いた。
組み立てて乗ってみると、これこれ、この感じ。
すいすいと乗れて気持ちがいい。

そのままちょうど薬を処方してもらう必要があった近所の病院まで乗っていく。
杖をついてよたよたと5分くらいかかって行っていたのだが、今日はあっというまに30秒くらいで到着してしまった。
これなら、病院にかぎらず、近所のコンビニや本屋や喫茶店などにも気楽に出かけられる(新型コロナウイルスには気をつけなければならないが)。
そして薬は医療用麻薬のオキシコンチンを15ミリグラムから20ミリグラムに増量して処方してもらった。

痛みがなくなり、移動も気楽になって、快適な時間が増えるといいのだが。


A few days ago, voice performer Tokuhisa William, Mari and I went out for lunch and walked to a nearby restaurant.
It was a very close Italian restaurant, less than 300 meters away.
Despite the short distance, for me, the effectiveness of my painkillers has been getting worse, so it was a pretty long distance to walk.

I staggered with my cane, or rather with my weight on it.
I look quite old.

Tokuhisa, whom I hadn't seen for a long time, seemed surprised at my sudden change.
I also feel sorry.
Then he thought of a kickboard.
Then I thought of a kickboard.
I often see children moving smoothly by kicking a board around here.
I used to play with it when I was a child.

There was a Kickboard fad about 10 years ago, and I saw a lot of adults on it, but it's rare to see it go out of fashion these days.
Still, a search on the Internet shows that there are still plenty of adult scooters available.

Tokuhisa and Mari agreed, "How about a kickboard?" and as we had time after dinner, the 3 of us decided to go to the bicycle shop.

Bicycle shops in Fuchu didn't sell them, and those in Tachikawa had only one type for children, but I was able to test drive it.

It's probably the first time I’ve been on a kickboard in 50 years (half-century), but the moment I get on it, the feeling that my body remembers comes back in an instant.
It was more like my body slipped half a century ago.
I can ride smoothly without any inconvenience.
It's not exactly a difficult ride, but the feeling that the motor nervous system is instantly activated to handle it was amazing and refreshing.

I didn't buy it at this store, but after I got home, I searched this and that on the Internet and ordered "French scooter" made in England by mail order.

It arrived this afternoon.
When I put it together and got on, it was like this, this, this.
It feels good to ride smoothly.

Just like that, I go to the nearby hospital where I needed to get prescribed medicine.
It took me about 5 minutes to wobble with my cane, but today I arrived in about 30 seconds.
With this, you can easily go not only to the hospital, but also to nearby convenience stores, bookstores and coffee shops (We have to be careful of new coronaviruses.).
The drug was prescribed with an increased dose of the medical drug oxycontin, from 15 to 20 milligrams.

I hope the pain will go away, I'll be able to travel more easily, and I'll have more comfortable time.

2020年3月30日月曜日

新刊『私という現象 末期ガンをサーフするⅡ』(Kindle)

新刊『事象の地平線 末期ガンをサーフする』が、アマゾンの電子書籍・Kindleで配信スタートしました。

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食道ガンのステージⅣ(末期ガン)で余命数か月とされた著者が、幸福な終末の日々を送る現在にいたる道すじや経験と、いま現在の日々を記録した長い自己紹介(プロフィール)としての随筆。ブログ連載を経て、書籍化にあたって大幅に加筆修正したものをあらたにリリースしました。
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ダウンロード価格100円です。
Kindle unlimited(読み放題/無料)にも登録しています。
こちらからどうぞ。

2020年3月26日木曜日

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「春分」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で配信中の「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の最新更新のお知らせです。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「春分」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

アクセスはこちら

現代朗読ゼミはオンラインでもやれるのだ

この週末、東京都に外出自粛の要請が出た。
首都封鎖すなわちロックダウンという事態を回避するための要請だという。
やむをえない事態だろうと思う。
日本はまだ踏みとどまっているが、世界に目を移せば大変な事態になっている国が多い。
海外在住の友人らからの生の声を聞く機会もあるが、いずれもかなり深刻な事態になっているように思う。
日本もそのような事態を避けられないかもしれないが、回避するための対策は必要だろう。

もっとも、そのことで大きな犠牲を払わなければならないことも事実で、こちらも諸外国のように政治が手当を覚悟しているのかどうかというと、なんだかあやしい感じがして信用できない。
ただちに困窮におちいる人もおおぜいいるのではないか。
そのための喫緊の手当が迅速になされているのか。

それはともかく、週末には私も現代朗読ゼミとひよめき塾のイベントがふたつ開催予定だ。
ひよめき塾はほぼオンラインのみで開催しているので、これまでどおり開催できるが、朗読ゼミは国立の会場まで身を運んでもらうのが基本なので、これをどうするかという問題がある。

現代朗読は朗読を身体表現ととらえ、基礎トレーニングも武術でいうところの「体認」のエチュードを用いることが特徴といえるが、アプローチはそればかりではない。
もともとオーディオブックの収録やネット回線を使った朗読ライブからスタートした活動だったこともあって、オンラインでもやれる練習はたくさんあるし、また練習にかぎらず実際のライブパフォーマンスや音声収録、さらには映像収録にいたる活動まで広い間口を持っている。
これを機会に、今後しばらくはこのような切口も活動の柱に据えていきたいと思っている。

国立まで来れる人はもちろん歓迎するが、来れない人、来ることがためらわれる人は、この機会にぜひともオンラインで参加してみてほしい。
まずは単発の体験参加のみも歓迎する。


3月28日:臨時朗読ゼミ(水城ゼミ)
ゼミ生が個人レッスンを受けるタイミングで臨時の現代朗読ゼミを開催します。新型コロナウイルス対策を受けてオンラインでの参加も歓迎です。それなりの内容で開催します。3月28日(土)10時半から約2時間。

2020年3月25日水曜日

島田啓介さんとのロング対談その2(水城ゆうロングインタビュー Vol.4)マインドフルネス



ティク・ナット・ハン師の著書の翻訳者であり、日本におけるマインドフルネスイベントの第一人者としても知られるダーさんこと島田啓介さんとの対談、その2日めです。


いまここの自分と自分のまわりのことに「気づき」つづけることが大切だと説くマインドフルネスの心ですが、それはけっして「刹那的に生きる」こととは違います。
過去の失敗や後悔をいまこの瞬間の行動の質にどう生かすのか、またもともと我々が持っていた気づきの能力を、あらためて生活のなかでどのように復活させていくのか、2日めはちょっとまじめにマインドフルネスについて語りあってみました。

話 talk : 島田啓介 SHIMADA Keisuke
    水城ゆう MIZUKI Yuu

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月24日火曜日

島田啓介さんとのロング対談その1(水城ゆうロングインタビュー Vol.3)マインドフルネス



ティク・ナット・ハン師の著書の翻訳者であり、日本におけるマインドフルネスイベントの第一人者としても知られるダーさんこと島田啓介さんとの対談、その1日めです。


だれもが持っている過去の後悔の念、失敗の思い出、まだ起こってもいないことについての不安と、いまこの瞬間のマインドフルネスの質の関係について。
また、お互いにただただ受け取りあい、受け入れあうことができる人の関係性について。
そんなことを話しています。

話 talk : 島田啓介 SHIMADA Keisuke
    水城ゆう MIZUKI Yuu

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月23日月曜日

春野亭日乗 3月22日(日)桜のスケッチ、ホビット村から来てくれたみなさん、たらい舟

春分の日の金曜日に北陸の実家から国立・春野亭まで車で移動。
運転は支障なく健康時と変わりないと思っていたけれど、トイレ休憩以外に休みなしの500キロ近い運転はさすがに疲れる。
長距離運転はそろそろむずかしくなりつつあると自覚せざるをえない。

しかし夜は定量以上の薬を飲んでしっかりと眠り、土曜日には疲れが残っているようには感じなかった。
ただし薬の分量とタイミングがあいかわらずかみあっていないようで、まったく快適でない。
つまり、痛い。

土日は現代朗読ゼミをひさしぶりに2日間連続で開催した。
野々宮が西荻窪のほびっと村でおこなった瞑想の会や311の詩の会で現代朗読に興味を持ってくれた人が、それぞれ体験参加してくれてありがたかった。
現代朗読に興味を持って体験に来てくれる人はなかなかいなくて、どういう人たちにアピールすればいいんだろうといつも悩んでいるのだが、なるほど、ほびっと村ね。
ここにいたのね(笑)。

みなさん、いずれも感受性の柔らかな方ばかりで、現代朗読の理念をすぐに理解して基本トレーニングの体験も楽しんでおられた。
また遊びに来てくれるとうれしいな。

いろいろなことが重なって、気持ちはだいぶ沈みがちになっている。
不安定なたらいに乗って波間をただよっているような気分だが、自分が乗っているたらいをみずからひっくり返したくなっている。
マキさんのライブにも結局行けなかった。

2020年3月21日土曜日

池のクレソンのスケッチ

ひさしぶりに紙と絵の具でスケッチ、葉書サイズ。
というか、いただいたお手紙への返信用。

実家の裏庭の池のすみっこに、いつのまにかクレソンが生息していて、ちいさな花を咲かせている。

昨日、東京・国立にもどり、今朝は近所のさくら病院まで這うようにして行ってきた。
医者が薬の処方の分量をまちがえて、明日・日曜日の分が丸々足りないことに気づいたのだが、幸い今日診察をやってるというので、薬を処方してもらいに行ってきた。
これで金曜日まで安心。

それにしてもあいかわらず痛みのコントロールがうまくいってない。
あがったりさがったり。

2020年3月18日水曜日

Kindle本100均キャンペーンなう

べつに新型コロナウイルス騒ぎに便乗するわけではありませんが、在宅の機会が増えたり、本でも読んでみよう、この際なにか勉強してみるかな、とかんがえる人が多くなっているようなので、私のKindle本のなかでとくに読み物系のコンテンツをすべて一律100円(税込)に値下げしました。
この機会にお楽しみいただければ幸いです。

Kindle unlimited に登録している方はもともと無料で読めます。
以下のコンテンツが100均です。
これらの本のリンクはこちらにまとめてあります。


『事象の地平線 末期ガンをサーフする』
『雨降りだからピアノでも練習しよう』
『なぜ私はここに来たのか——ドイツ演奏旅行記』
『縁側の復権——共感的コミュニケーション2019』
『共感的コミュニケーション2018』
『共感的コミュニケーション2017』
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』
『祈る人5 舞踏病の女』
『祈る人4 青い空、白い雲』
『祈る人3 アンリ・マティスの七枚の音』
『祈る人2 今朝の蜜蜂は羽音低く飛ぶ』
『祈る人1 彼女が神様だった頃』
『秘密』
『桟橋』

2020年3月15日日曜日

ラストメッセージ(5)花粉症消滅の不思議

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

1月の終わりから2月にかけて、ちょっと鼻がぐずぐずしたり、目がかゆくなったりと、何度か「あれっ?」と思う瞬間があって、あらかじめ用意してあった抗アレルギー薬(アレグラ)を飲んだこともあるのだが、以来、今日にいたるまで本格的な症状はまったくといっていいほど出ていない。

先日、カルメン・マキさんが遊びに来てくれたとき、彼女も長年の花粉症に悩まされている人だったので、今年の症状の話になったのだが、彼女は早々とひどい症状に悩まされているという。
今年は出かける機会が少なかったので、花粉症について人と情報交換する機会が少なかったり、そもそも外で花粉を浴びる機会が少ないということもあって、症状が出にくいのかと思っていたのだが、花粉そのものは大量に飛んでいるらしい。
なぜか症状が出ない。
花粉症がなくなったとしか思えない。

私の場合、30年近く悩まされてきた覚えがある。
さまざまな対症療法や予防法をためしてきたが、どれも失敗に終わった。
それでもここ10年くらいは、アレグラという抗アレルギー薬が比較的体質にあっているようで(眠気も出ない)、初期症状のうちに飲むことで症状を軽微に抑えることができていて、助かっていた。
そのかわり、アレグラを手放せなかった。
ひどいときは日に2錠以上飲まないと抑えられなかったし、最悪のときはそれでも抑えきれないこともあった。

それなのに、今年はほぼ出ていない。
ガン末期の痛みに対処するために飲んでいる医療用麻薬のおかげだろうか。
そんな話は聞いたことがないけれど。

ほかに、いろいろな人から「これはガンにいい」といってさまざまな飲み物や薬が送られてきて、ひととおり試しているのだが、そのうちのどれかが効いているのかもしれない。
あまりにいろいろあるので、どれが効いているのかさっぱりわからないけど。

いずれにしても、花粉症もなく、ガン末期というわりには体力もあって、痛みのコントロールさえうまくできればさまざまなことが支障なくできていることはありがたい。
花粉症がないことが例年よりも快適なくらいだ。

私に会いに来てくれた友人たちはほぼ例外なく、
「思ったより元気で安心した」
という。
放射線治療中も体力を維持するための努力をつづけていたしね。
とにかく体重を落とさないことに留意して、カロリーの高いものとたんぱく質をがんばってとっていた。
脂濃いものが体質的に平気なのも幸いだった。

「グレタさんに怒られる」といいながら、ステーキや揚げ物などの脂濃いものや、アイスクリームなどの乳製品や菓子類をせっせと食べていた。
なにが身体にいいとか、健康的だとかより、まずは体重を落とさないこと。
おかげで昨日は東京から北陸の実家まで、500キロ近くをひとりで、ほぼトイレ休憩をのぞいてノンストップで、とくにいつも以上の疲れもなく運転できた。

体力があって、痛みがコントロールできれば、自分のやりたいことができる。
その結果がどう出るかはわからないが、いまこの瞬間が気分よく、充実して生きていられるという事実が、私にはなにより大切なことなのだ。


From the end of January to February, I felt a little itchy, and there were a few moments when I thought, "Huh?" and I took an anti-allergic drug (Allegra) that I had prepared beforehand. But to this day, I have hardly had any serious symptoms.

When Carmen Maki came to visit the other day, she was also suffering from hay fever for many years, so we talked about her symptoms this year, but she said she was suffering from severe symptoms soon.
I didn't have many opportunities to go out this year, so I didn't have many opportunities to exchange information with people about hay fever, and I didn't have many opportunities to be exposed to pollen in the first place, so I thought it was difficult for the symptoms to appear, but the pollen itself seems to be flying in large quantities.
For some reason, I don't have any symptoms.
I can only think that hay fever is gone.

For me, it's been almost 30 years.
We have tried various symptomatic treatments and preventive measures, but all have failed.
Even so, for the past 10 years or so, Allegra, an antiallergic drug, seems to be relatively in my constitution (not get sleepy), and I have been able to control the symptoms to a slight degree by taking it during the initial symptoms, and it has been very helpful.
Instead, he couldn't let go of Allegra.
In the worst case, I had to take more than two pills a day to control it, and in the worst case, I still couldn't control it.

However, it has hardly been released this year.
Maybe it's because of the medical drugs he takes to cope with the pain of terminal cancer.
I've never heard of such a story.

Other people have sent me various drinks and medicines saying "This is good for cancer." and I've tried them all, but one of them may be working.
There are so many that I have no idea which one is working.

In any case, she doesn't have hay fever, and despite being in the final stages of cancer, she has a lot of physical strength, so if she can control her pain well, I'm glad she can do many things without any problems.
The absence of hay fever is more comfortable than usual.

My friends who came to see me almost without exception,
"I am relieved that he is healthier than I thought."
he said.
I will continue my efforts to maintain my physical strength during radiation therapy.
I tried to eat high-calorie foods and protein, keeping in mind that I wouldn't lose weight.
It was also fortunate that fatty foods were not bad for him.

He said, "Greta gets mad at me." but he was busy eating fatty foods such as steaks and fried foods, and dairy products and sweets such as ice cream.
First of all, don't lose weight, rather than trying to figure out what's good for you or what's healthy.
Thanks to this, I was able to drive by myself from Tokyo to my parents' house in Hokuriku, which was about 500 kilometers away, almost nonstop, except for a rest room, and I didn't feel any more tired than usual.

If you have strength and can control the pain, you can do what you want.
I don't know how it will turn out, but the fact that this is the moment when I can feel good and live a fulfilling life is more important to me than anything else.

2020年3月14日土曜日

水城ゆうロングインタビュー Vol.2 現代朗読基礎訓練は天才メーカーの段階へ



ピアニスト/小説家で朗読演出家でもある水城ゆうのロングインタビュー、その第二弾。

インタビュワーは野々宮卯妙。

現代朗読ゼミではすべての表現の基礎となる体認トレーニングを毎回おこなっていますが、なぜ水城はそれにいっしょに参加しないのか、という問いからはじまって、表現者がさらなる高みへと向かうためのトレーニング方法について可能性を見つけた話をしています。
体認、マインドフルネス、フロー、ゾーン。すべての人が「達人」になる道としての表現トレーニングを、近くはじめることになるでしょう。

話 talk : 水城ゆう MIZUKI Yuu
聴き手 interview : 野々宮卯妙 NONOMIYA Utae

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月13日金曜日

ラストメッセージ(4)ガンと闘うな、痛みと仲良くなれ

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

ステージⅣの食道ガンが見つかって10か月がたとうとしている。
先日は市役所に出すための介護保険の申請書を書いたが、病名を「末期ガン」と記入した。
「末期」である。
このあとはない、ということだ。

担当医とも当初から「根治をめざさない」という方針で同意し、そういう方向で治療をすすめてきた。
治療といっても、ガン根治が目的ではなく、日常生活ができるかぎり快適にすごせるようにするための治療である。

私のニーズは「生きのびる」ことではなく、「ガンを根治する」ことでもなく、「できるだけ生活のクオリティを落とすことなく毎日を快適にすごし、日々の時間をじっくりと味わいながら、やりたいことを心おきなくやりつくすこと」である。
「死ぬときまでできるだけ生き生きと生きること」である。
そのことは複数いる担当医も合意してくれている。

合意に至る前の、セカンドオピニオンをもらった医師のなかには、従来のような暴力的で強圧的な「あんた、のんきなこといってると死ぬよ。なんとしてでも生きぬく、その意欲を示してもらわないと、医者もそれに応えられないんだよ」と迫った者もいる。
その医師の熱意はありがたかったし、ある意味では職業倫理の深いすばらしい医師なのかもしれなかったが、いまの私には同意できない。

私はガンと闘わないことを選択した。
ガンと闘うことを選択するというのは、まずは抗ガン剤、そして放射線治療、摘出手術、さらに重ねて抗ガン剤という標準治療といわれる手順=ベルトコンベアに乗ることだ。
私はそれを選ばなかった。
近代的な専門病院や専門医は、そんな患者の意志を最大限尊重してくれることもわかった。

根治を目的としなくなったとき、治療が目的の消化器外科や化学療法科や放射線科といった病院の治療部門は、やることがなくなる。
ガンがどの程度進行しているのか、お願いすれば検査くらいはしてくれるかもしれないが、そもそも治療をしないので一見かなり冷たい対応となる。
しかし、こちらにはまだ気がかりがあって、快適に日常生活をいとなむには、たとえば痛みの問題があったり、食事や排泄に支障があればそれに対処したかったりする。

私の場合、食道にガンがあって、それがしだいに肥大して食道をふさいでいった。
食べたり飲んだりしたものが食道を通りぬけにくくなってきたのだ。
そのため、抗ガン剤による治療はおこなわず、また摘出手術もしなかったが、放射線照射治療はおこなった。
医師が食道閉塞には効果的だろうという判断をしたからで、私もそれに同意した。

食道のガン部位への放射線照射治療は全部で30回おこなった。
その結果、ガン部位はかなり縮小して、飲食にはほとんど支障がないほどまでに回復した。
これはありがたかった。
なにもしなければ食道はやがて完全にふさがり、水も通らなくなっただろう。
胃瘻をおこなうか、ステントを入れて強制的に通り道を確保するしかない。
あとは栄養失調で死にいたる。

食道への放射線治療はうまくいったが、今度は腰と下腹部への痛みが出てきた。
腹部大動脈の脇にあるリンパ節に転移があって、そちらが増大化・肥大化しているらしいが、痛みはそれが原因かどうかよくわからないという。
たしかに、腰とか下腹部はリンパ節から離れているような気がする。
医者も首をひねっている。
が、効果があるかもしれないということで、腹部への放射線照射治療を10回だけおこなうことになった。

現在、その治療が終わって10日ほどたつのだが、目立って効果が出たようには感じない。
つまり、痛みは相変わらずあるし、むしろ強まっているような気もする。
(ゆっくりとでもいいので効果が現れてくれるとうれしいのだが)

やれることは全部やったので(放射線治療はおなじ箇所には二度とできない)、あとは対症療法で毎日が快適にすごせるように工夫するのみ。

もっかのところ、最大の問題は痛みだ。
痛みがあると集中力もなくなるし、そもそもやる気がいちじるしくそがれる。
なにもやる気になれない。
ご飯もおいしくないし、ただじっとしているだけでもしんどい。

幸い、近年の医療は緩和ケアが進んでいて、さまざまなペイン・コントロールの方法や薬が出ている。
私は医療用麻薬のオキシコンチンを処方してもらって、最初は5ミリグラムを日に2回飲んでいたが、昨日から10ミリに増量した。

麻薬というとなんとなく聞こえが悪いのだが、痛みは緩和されるし、思ったほど副作用は強くない。
それほど眠くもならない。
集中力はそがれないし、感覚も鈍くならない。
鈍くなるのは痛みだけで、その他の感覚はいつもどおりというか、むしろ鋭敏になるくらいに思える。

完全な健康体とおなじ快適さとまではいえないが、ある程度快適な状態で私はやりたいことができる。

さて、ペイン・コントロールがある程度できて、ほかにはとくにやるべきことがないという状況のいま、私はなにをやりたいのか。
なにができるのか、そしてそれは本当にやりたいことなのかどうか、残り時間がどのくらいなのかわからないが、あまり多くはないかもしれない時間を使ってやるだけの価値が自分にとってあることなのかどうか。
私の生命が欲している本当のニーズはなんなのか。

これから私はそのことについて、自分の存在そのもの——とくに身体——とじっくり対話を重ねてみようと思っている。
いったい私自身はどんなことを望んでいるというのか、身体はどんなふうに答えてくれるのだろうか。

それを実行した結果、私にはどんなことが起こるのだろうか。
ガンは変化するのだろうか。


It has been 10 months since stage IV esophageal cancer was found.
Recently I wrote an application for nursing care insurance to submit to the city office. The name of the disease was as "terminal cancer".
“Terminal stage".
There is no more.

From the beginning, the doctor in charge agreed to the policy of "have no cure" and recommended treatment in that direction.
The goal of treatment is not to cure cancer, but to make the quality of  life as comfortable as possible.

My need is "To spend every day comfortably without deteriorating the quality of life as much as possible, and to do what you want to do without minding, while enjoying the time of each day.” Is not "survive" or "eradicate cancer".
“The act of living as vividly as possible until one's death".
Several doctors agreed.

One of the doctors who received a second opinion before reaching an agreement urged them to "You're going to die if you take it easy. You can survive by any means, and if you don't show your willingness, the doctor won't be able to respond." as violent and coercive as before.
The doctor's enthusiasm was appreciated, and in a way, he might be a great doctor with a deep professional ethics, but I cannot agree with him now.

I chose NOT to fight against cancer.
The choice to fight cancer is to go on a conveyor belt, a standard treatment regimen known as anticancer drugs, followed by radiation therapy, surgery to remove the cancer, and then finally anticancer drugs.
I didn't choose that.
It was also found that modern specialized hospitals and medical specialists respect the will of such patients as much as possible.

When curative intent ceases to exist, hospital treatment departments such as gastroenterology, chemotherapy, and radiology will have nothing to do.
They may be able to test how advanced the cancer is, if you ask them, but since they don't treat it in the first place, it's pretty cold.
However, I am still concerned, and in order to enjoy my daily life comfortably, I want to deal with problems such as pain, or problems with eating and excrement.


In my case, I had cancer of the esophagus which gradually enlarged and blocked it.
It became harder for food and drink to pass through the esophagus.
Therefore, the patient was not treated with anticancer drugs and did not undergo surgery, but was treated with irradiation.
The doctor decided it would be effective for esophageal obstruction, and I agreed.

A total of 30 radiation treatments were performed at the cancer site in the esophagus.
As a result, the area of the cancer has shrunk to the point where it hardly interferes with eating and drinking.
If nothing had been done, the esophagus would soon have become completely blocked and no longer able to pass water.
Gastrostomy or stenting to force access is the only option.
The rest die from malnutrition.

Radiation therapy to the esophagus was successful, but she now has pain in her lower back and lower abdomen.
The lymph nodes on the side of the abdominal aorta appear to be enlarged and enlarged, but it is not clear whether this is the cause of the pain.
Indeed, the lower back and lower abdomen seem to be separated from the lymph nodes.
The doctor is also twisting his neck.
But the potential benefit led to 10 doses of radiation to the abdomen.

Now, about 10 days have passed since the treatment was completed, but I don't feel it has been noticeably effective.
In other words, the pain is still there, and it seems to be getting stronger.
(I would be happy if the effect appeared slowly.)

I did everything I could (Radiation therapy can never be done in the same place again.), so all I have to do now is to use symptomatic treatment to make my life comfortable.

The biggest problem is pain.
When I'm in pain, I lose my concentration and motivation.
I don't feel like doing anything.
The food is not delicious, and just sitting still is tiring.

Fortunately, palliative care has advanced in recent years, and a variety of pain control methods and drugs are available.
I was prescribed oxycontin, a medical drug, and at first I took 5 milligrams twice a day, but from yesterday I increased it to 10 milligrams.

Drugs don't sound good, but they relieve pain and have fewer side effects than you might think.
I'm not that sleepy.
I can't lose my concentration, nor can I lose my sense.
It is only the pain that dulls it, and the rest of the sensation seems to be the same or more acute.

If it's quite as comfortable as a perfectly healthy body, what do I want to do in some comfort.

Now that I have some pain control and nothing else to do, what do I want to do?
I don't know what I can do, and I don't know if it's really what I want to do, or how much time I have left, but I don't know if it's worth it for me to spend time that may not be too much.
What is the real need of my life?

From now on, I'm going to talk about it with my very being, especially my body.
How will my body respond to what I want?

What will happen to me as a result of that?
How does cancer change?

2020年3月10日火曜日

右目失明? びっくりした

昨日はかなりびっくりした。
キッチンで栄養補助剤の空缶をゆすいでいたら、急に視界がおかしくなって、あたりの景色がぼやけだした。
おかしくなったのは右目だけだったので、ゴミでもはいったのかと手でこすったり、布巾でふいたり、水で洗ったりしてみたのだが、改善しないばかりか、ますますおかしくなっていく。

明暗ははっきりわかるのだが、明暗がない部分のものの輪郭がまったくわからない。
文字は読めないし、人の顔も判別できなくなった。
全体に極端なポスタライゼーション効果をかけた画像みたいな感じで、窓など明るい部分はまぶしいくらいに明るく、暗い部分は真っ暗につぶれてしまってなにもわからない。
(いそいで視界の感じをスケッチしてみた)

しばらく待っても改善しないので、医者に行くしかないと思って、診察時間を待った。
朝の8時すぎのことだった。

鎮痛剤をたくさん飲んでいるので、それの副作用かとも思ったが、わからない。
左目はなんの不具合もなく見えているので、文字を読んだり歩いたり、なにか作業をするにはほとんど支障はない。

歩いて近所の眼科がある病院に行った。
しかし、時間がたつにつれ症状は徐々に改善していって、発症から小一時間たっただろうか、予備検査のために呼ばれた時間にはほとんど視界異常はなくなってしまった。

予備検査では、これまでのように右目は若干の乱視があるものの、1.2以上のクリアな視力。
やや弱かった左も0.9以上のまずまずな視力。
ほかにもとくに異常はなし。

医師の診察でも、白内障や緑内障、その他の異常は見られず、視力異常の原因ははっきりとはわからなかった。
が、時折ある症例らしいが、眼底の血管が痙攣を起こしたりして一時的に血流がとどこおったとき、神経が麻痺してそのような症状が出ることがあるらしい。
これが頻繁に起こるようなら対処しなければならないが、いまのところとくに心配はないとのことで、薬もでなかった。

家に帰って、たまたまこの日個人レッスンだったゼミ生の矢澤ちゃんにその話をしたら、彼女もまったくおなじ症状で眼科にかかったことがあるという。
そのときの診断では「閃輝暗点」という病名がついたらしい。
調べてみると、なるほどこれだ。
そしてたしかに、あまり心配する必要はないらしい。

けっしてありふれた症状ではないと思うが、たまたまその日会う最初の矢澤ちゃんがまったくおなじ体験をしていたというのは、奇妙な偶然だった。
それにしても、さすがにちょっとあわてた。
このまま失明したらどうしよう、というようなことも頭をよぎった。
いやいや、失明したとしても、あれとこれはまだできるぞ、これは不便になるかな、なんてことを、頭の片隅にどこか妙に冷静な部分があってかんがえていることに気づいたりした。

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「啓蟄」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の配信がスタートしています。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「啓蟄」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

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2020年3月9日月曜日

水城ゆうロングインタビュー Vol.1 自分を愛するということについて



ピアニスト/小説家で朗読演出家/オーディオブックプロデューサーでもある水城ゆうのロングインタビュー、その第一弾。

インタビュワーは栗山のぞみ。

「自分をなんのジャッジもなしに愛する」ということの難しさについての問いかけに応じ、水城の経験やかんがえていることを述べています。

話 talk : 水城ゆう MIZUKI Yuu
聴き手 interview : 栗山のぞみ KURIYAMA Nozomi

制作 produce : アイ文庫 iBunko
編集 edit : ジューシーラボ Juicy Lab.

2020年3月8日日曜日

ラストメッセージ(3)命の祭は解脱(げだつ)の対極にある

(English at the bottom)

〔末期ガンをサーフする3〕

多くの人がいまの時代や社会情勢に不安や生きづらさを覚えている。
それを解消するためのさまざまな講座やワークショップ、合宿が多く開催されていて、どれも人気だ。
そういうイベントにやってくる人はなにをもとめているのだろうか。

私の経験では、多くの人が「心の平安」「動じない強さ」「怒りや不安のコントロール」といったことを求めているような気がする。

私が末期ガンを告げられ、余命をかぎられたなかで平然とすごしている(ように見える)のを見て、多くの人が、
「どうしたらそんなふうに落ち着いていられるんですか」
と訊いてくる。

いやいや、そんなことはありません。
それはそういうふうに見えるだけです。
たしかに表面的には取り乱しているようには見えないし、死を前にして決然とした覚悟で落ち着いているように見えるかもしれない。
が、私の内側では「お祭り」が開催されている。

人にはさまざまなニーズがあり、生きているとそれは刻一刻と変化し、現れては消え、また消えては現れる。
ニーズは自分の努力や人のたすけによって満たされることもあれば、どうにも満たされないこともある。
しかし、さまざまなニーズが現れたり消えたり、存在を主張したり、そのあげくに「おれはここにいるぞ」とばかりに大声を出したり踊ったりしてみせているのが、生命の自然な現象であろうと思う。

それがあまりに騒々しい、わずわらしい、苦しいと感じて、静まりたい、落ち着きたい、解脱したいと、人はしばしば願いすぎることがある。
その願いが強すぎると、平安や解脱を求めてある種の宗教に走ったり、スピリチュアルな癒やしを求める儀式にはまったりする。

それはそれで自然な願いであろう。
私も自分のかぎられた命の時間を思うとき、できるだけ平安に、平穏に、静かにすごしたいと願うこともあるし、その気持ちはよくわかる。
一方で非暴力コミュニケーションで自分自身に共感してみて、さまざまなニーズがやかましく自己主張をくりかえしているのを見ると、まあそれもいとおしく、自然なことなのだろうとも思う。

私の命は日々刻々とニーズカーニバルをやっている。
それは解脱とは対極にある騒々しくにぎやかな世界で、ときに疲れてしまうこともあるが、それが私の命の現象なのだからしかたがない。
ならば私もその山車に乗って踊ってみよう。

私のニーズたちは満たされれば「お祝いしようぜ!」といって盛大に騒ぎたてるし、満たされなければ「嘆きたい!」といって盛大に残念がる。
いずれにしても祭だ。
それが私の命の現象であり、生きているということだ。

ニーズが満たされるか満たされないかは、究極のところどちらでもいい。
解脱とかくそくらえ(汚いことばで失礼!)。
私は死ぬまで祭と付き合い、それを楽しむのだ。


Many people feel insecure and difficult to live in the present age and social situation.
Various courses, workshops and training camps are held to solve this problem, and all of them are popular.
What do people who come to such events want?

In my experience, a lot of people want "peace of mind" "unshaken strength" and "Controlling anger and anxiety".

When I was told that I had terminal cancer and I was living with my life expectancy cut, many people saw that (look like)
"How can you be so calm?"
he asked.

No, not at all.
It just looks that way.
On the surface, he doesn't seem distraught, and he may seem composed in the face of death.
But inside of me, "festival" is being held.

People have various needs, and when they are alive, they change from moment to moment, and appear, disappear, and appear.
Needs may or may not be satisfied by your efforts and help.
However, I think it is a natural phenomenon of life that various needs appear and disappear, claim their existence, and then shout and dance as if to say, "I'm here.".

People often wish it too loud, too quiet, too painful, too quiet, too calm, too liberated.
If their wishes are too strong, they may choose to go to a certain religion in search of peace and liberation, or they may settle for a ritual of spiritual healing.

That would be a natural wish.
When I think of my limited time for life, I sometimes wish to live as peacefully, peacefully and quietly as possible, and I understand that feeling.
On the other hand, if you empathize with yourself through nonviolent communication and see the various needs clamoring and repeating themselves, I think it's kind of lovely and natural.

My life is doing Needs Carnival day by day.
It is a noisy, bustling world opposite to gedatsu, and I sometimes get tired of it, but I have no choice because it is a phenomenon of my life.
Then I'll try dancing on the float.

If my needs are met, I make a big fuss, saying, "Let's celebrate!" If not, I make a big fuss, saying, "I want to cry!".
Anyway, it's a festival.
That is the phenomenon of my life and that I am alive.

Ultimately, it doesn't matter whether your needs are met or not.
Gedatsu and shite (Excuse me for my dirty words!).
I'm going to spend the rest of my life with the festival and enjoy it.

2020年3月6日金曜日

自分ができることの限界が見えてくるとき

一昨日から昨日にかけてかなり体調がわるく、ほとんどなにもできなかった。
私のものではないけどアウトドア用のリクライニングチェアがあるので、それを貸してもらってほとんど寝ているような状態で座っていることはできる。
ベッドにはいっても腰をのばした状態で仰向けでいることはできないので、横向きになっているしかないのだが、この椅子だと仰向けでいられるので、手仕事ができる。
編物とか、タブレットやパソコンの画面を見たり、文字入力もできないことはない。

早めに介護保険の申請をしなきゃと思っているのに、こちらの手続きもなかなかできない。
介護ベッドなら起きたり横になったりも楽そうだけど。

すこし体調が回復すると椅子に座った作業もできる。
食事は朝以外はほとんどする気になれない。
気持ちわるくて飲み物以外、胃が受け付けない。
……という気がするだけで、実際にはすこしは食べられるが、食欲はまったくない。

医者に処方してもらった栄養補給ドリンクの「エンシュア」は喉を通るので助かる。
これは意外においしく工夫されている。
胃瘻の人などもこれを直接胃に入れるのだろうと思う。

まだ編物ができるのがありがたい。
これは楽しい作業だし、ひたすら単純作業をしながらいろいろなことをかんがえることもできる。
たくさんのことを、あれこれ、そして深くかんがえる。
これまでこれほどものごとをたくさん、深くかんがえたことはないんじゃないだろうか、というほど、たっぷりとかんがえる時間がいまはある。

なにかが形をとって結晶していくような感じがすることもあって、これまでの経験や知識が小さな核を中心にひとつのまとまったかんがえに成長していく。
真珠貝のなかでゴミを中心に真珠玉が育っていくようなイメージだ。

かんがえがまとまったり、おもしろいアイディアが出てきたら、身体を起こしてラップトップかタブレットを引きよせ、メモしておく。
音声入力も便利だ。

音声入力といえば、先日インタビューしてもらってとりとめもなく話をしてみたら、これが意外におもしろかった。
シリーズでやってみようと思っている。
これも体調がわるいときでもできることのひとつだ。

放射線治療が終わったばかりだからしかたがないと思うが、いまは体調が底を打っている感じがある。
すこしは回復するといいけど。
すくなくとも歩けるようになるまで回復したい。
いまはほとんど出かけることができない。
駅までの300メートルがつらい。

今夜は駅前のライブハウス〈地球屋〉でカルメン・マキさんのライブがある。
そこまで行けても、大勢のお客さんに混じって長時間ライブを聴きつづけることはできそうもない。
マキさんがライブ前にうちに立ちよってくれるというので、それを楽しみにしている。

2020年3月4日水曜日

春野亭日乗 3月3日(火)放射線治療2クールめ終了、焼肉、手帳術、音読ミーティング

放射線治療のシーズン2全10回が今日で終了。
シーズン1では食道ガン本体を叩くということで、全30回おこなって、後半はかなりきつかったのだが、今回は10回にもかかわらず最初からけっこうきつかった。
腹部大動脈リンパ節への転移ガンを叩くということで、目的はそれを消すことではなく、痛みの緩和。
しかし、治療中にはあまり効果はあらわれず、腹部の痛みは相変わらず。
治療中に痛み止め薬の種類を変えて、医療用麻薬にグレードアップしたりして、いろいろと工夫してみた。

後半は痛みのコントロールはすこしできるようになったのだが、昨日はその副作用か、胃痛が出て苦しかった。
とくに夜遅くなるととたんに厳しくなる。

昨日は午前中に病院が終わったあと、立川まで行って、放射線治療の打ち上げの焼き肉。
その前にビックカメラに寄って、長年愛用していたSHULEのリュックサックを修理に出す。
が、メーカーサイトでもビックカメラで修理できると書いてあったし、念のために出かける前にビックカメラにも電話して修理を受け付けてもらえるかどうか確認したのに、行ってみたら「取り扱いがないので扱っていない」と受付をハネられた。
修理待ちで順番を1時間以上待ったのに、むかつく〜。

おいしい焼き肉で気分をリセット。
今日は食欲があまり落ちていなくて、しっかり食べられた。

ユザワヤに寄って、靴下用のあたらしい糸を買う。
帰ろうととしたら、駅前に〈島村楽器〉のあたらしい店舗が開店していたので、寄ってみる。
ここは以前〈イシバシ楽器〉がはいっていたのだが、しばらく前に閉店してしまっていたのだ。
ほぼ似たような品揃えとレイアウトで営業していた。
デジタルピアノの最新機種をちょっと触って、遊んできた。

国立駅に到着し、家に帰ろうとしたら、ロータリーのバス停のところでなにやら騒ぎがある。
近づいてみたら、年配のおじさんがベンチの脇に昏倒しているではないか。
婦警さんが駆けつけてきたりして、大騒ぎになっていたが、だれもどう対処していいかわからずただおろおろするばかり。
救急車は呼ばれたらしい。
AEDを持ってきたりしているが、見るからの心臓ではない。
呼吸もあり、意識もかろうじてある。
どう見ても心臓ではなく、脳梗塞とか脳出血ぽい。
「動かさないほうがいいですよ」
とりあえず呼吸が確保されているのを見て、声をかけた。
救急車もすぐに到着しそうだし、私ができることはとくになさそうだったので、その場を離れようとしたとき、見覚えのある顔が。

元ゼミ生のピリカさんだった。
国立の練習スタジオにバンドの練習に来て、その帰りだという。
時間があるというので、春野亭でお茶でも、と誘った。

ひさしぶりにピリカさんと近況などの話。
彼女もこちらのことが気になっていて、来るタイミングをはかっていたところだったらしい。
偶然だが会えてよかった。

夜は共感手帳術の仲間たちのオンラインミーティング。
参加者12人とにぎやかだった。
ご参加いただいたみなさん、ありがとう、お疲れ様でした。

そのあと引きつづき、音読トレーナーの定例ミーティング。
今回はひさしぶりにドイツ・フライブルクのなおみさんが参加してくれて楽しかった。
去年のいまごろ、かの地でたくさんお世話になったことを思い出した。
あれも楽しかったなあ。

思いがけないこともいろいろあった1日、さすがに疲れて、お腹の痛みもひどくなってきたので、バタンキューと休む。
日付が変わらないうちに休めてよかった。

水城ゆうロングインタビュー Vol.0 パイロット版



ピアニスト/小説家で朗読演出家/オーディオブックプロデューサーでもある水城ゆうのロングインタビュー、そのパイロット版です。

表現行為とそのステージが20世紀から21世紀にかけ、とくにインターネットの普及や収録機材、コンピューターアプリケーションの低価格化と高性能化によって劇的に変化してきたことについて、作り手の立場から話しています。

2020年3月3日火曜日

ラストメッセージ(2)現代社会を生きる私に必要なもの

〔末期ガンをサーフする3〕

人が生きていくために必要なものやコトはたくさんあるけれど、ここでは末期ガン患者である私が個人的に切実に必要で大切であると判別したことを書いておきたい。
自分の生の限界が数か月後だと明らかになったとき、人はなにを大切に思うだろうか、という話だ。

いうまでもないけれど、モノなどどうでもいい。
モノや財産など、いくら持っていても、最後の日々はちっとも豊かにならないし、ましてや墓場に持っていけるものでもない。
と、かっこよくいいきりたいものだが、そうもいかない。
いま書いたのはタテマエである。

実際には最低限のモノがないと、寒いし、ひもじいし、不便だし、不安だし、おそろしい。
末期ガン患者である私のもっかの必要は、ガンの痛みを抑えることで、それは切実なものである。

「痛みは身体の声で、なにか必要があって生まれているものです。痛みによりそい、敵視せず、その声をよく聞きましょう」
などという美しい言質を聞くことがあるが、耐えきれない痛みにさいなまれる当事者にとってはきれいごとにすぎない。

経験すると、痛みは生の質そのものをいちじるしく浸食することを思い知る。
いまいっているのは、一時的な痛みではない。
たとえ激痛であろうと、一時的な痛みならそれは耐えられる(こともある)。
激痛でなくても、じわじわと継続するいつ終わるとも知れぬ痛みは、生きていることにいやけをささせる。
痛みを消すか、自分を消すか、どちらかを選びたくなる。

まだ生きていたければ、痛みをなんとかしようということになる。
さいわい、医療は進歩していて、さまざまなペインコントロールの方法が提供されている。
私の場合、いくつかの薬を使っている。
なかには麻薬もある。
もちろん医療用ではあるが。

薬を処方してもらい、それを購入するには、お金がいる。
健康保険が使えるといっても、3割は負担しなければならない。
そもそも健康保険料だってけっして安くはない。
高額医療の還付を受けようとしたとき、健康保険料の未納があるとできないといわれた。
数万円の還付を受けるために、数十万円の未納金を完済しなければならないという現実があった。

お金は最低限のモノのひとつといわざるをえない。
ゆっくり休むための家や寝具や空調や、食べ物や水道や電気やガスや電話線なども必要で、それらにはいちいちお金がかかる。
ところが、切実にこういうものが必要な者にかぎって病気であったり、高齢であったりと、生産手段を持たずに収入が途絶している。

というようなことをいいたくてこれを書きはじめたのではなかった。
モノは最小限必要だけれど、その上でさらに大事なこともいくつかあって、それがないと心安らかに最後のときを迎えることは難しいだろう、という話をしようと思っていたのだった。

ひとり静かにすごせる場所。
学びと成長の時間。
安心と信頼を持てるつながりのある仲間。
自分が自分自身であること。
あるレベルの質がある生活。
表現すること。

こういったことを実現するために私に役立っていることは……
共感的コミュニケーション(NVC)。
マインドフルネス。
ピアノを弾くこと。
ものを書くこと。
インターネット。
武術。

2020年3月2日月曜日

ラストメッセージ(1)古井由吉を知っていますか?

〔末期ガンをサーフする3〕

筒井康隆先生の「偽文士日記」で知ったのだが、息子さんの筒井伸輔さんがこの二月に食道ガンで亡くなったそうだ。
大変気の毒なことだ。
筒井先生には私は小説家デビューのときに思いがけず恩を受けたことがあって、その後商業エンタテインメント小説の世界で大成できなかったことを申し訳なく感じている唯一の方だ。
もっとも、先生のほうでは私のことは覚えておられないだろうと思うが。

息子の伸輔さんのことは、エッセイなどで子どもの時分のエピソードが時々書かれていて、名前を存じあげていた。
去年の四月に食道ガンが見つかり、すでにステージⅣということで摘出手術もおこなわず、抗ガン剤や放射線治療を受けておられたそうだ。
私のステージⅣの食道ガンも五月に見つかっているので、ほぼおなじような状況だろうと思う。

ただ、私は三月になるいまも元気に活動しており、放射線治療は受けているが、抗ガン剤による治療はパスしている。
食事もふつうにとれている。
もちろん私も伸輔さんのように容態急変することもあるかもしれないが、まだほぼふつうに生活を送れていることはラッキーだと思う。

純文学作家の古井由吉さんの訃報もあった。
こちらは八十二歳、肝細胞ガンだった。
白状すれば、なぜか私は古井由吉の小説をほとんど読んでこなかった。
日本の文学小説を系統的に読んでいたのは中学生くらいのときで、そのころはリアルタイムで作品を発表していた現役の作家の小説が遠かった。
その後、日本の作家の作品をリアルタイムで追いかけはじめたのは、SF作家ばかりで、純文学といえば安部公房くらいだった。
安部公房も初期作品はSFの扱いをされていたように思う。

亡くなったと聞いたとき、その作品をほとんど知らないことにちょっと残念な気持ちがあったのだが、高橋源一郎がツイッターでつぶやいているのを読んで、ちょっと腑に落ちるものがあった。
高橋源一郎はたしか、
「亡くなったと聞いて残念だけれど、悲しくはない。なぜならいつでも読めるし、本のなかで古井さんに会えるからだ」
というようなことをつぶやいていた。

なるほど、そうだよな。
とくに作家という人種はそのような面がたしかにある。
ほんとうは作家でなくても、だれもがなにかを書きのこしたり、ビデオ映像が残っていたり、演奏や絵や造形や、手作り品が残っているとき、亡くなったあとでもそれを見ればいつでもその人に会えるような気がするものだ。
ただ、ふつうの人は意図してそういうものを自分の「分身/遺影」として残したりしない。
すればいいと思うけどね。

というようなことをつらつらかんがえていたら、私自身も「分身/遺影」としての作品を意図的に残していないことに気づいた。
もちろんたくさんの本をこれまで出してきたし、音楽やオーディオブックやライブ映像もネットでたくさん見ることができる。
私が亡くなったとき、結果的にそれらは私の「分身/遺影」として見られることもあるかもしれないが、私の意志でそのように出したものではない。

現在、私の意志のもと、いままさに生きている自分のメッセージとして伝えておくとしたら、どんなことばや音や映像になるだろうか。
これを書いておけば、だれかがまた私に会いたいと思ったとき、ここに来てこのメッセージを読めばふたたび会うことができる、そんなメッセージとはどんなものなのだろうか。
がぜん興味がわいてきた。

「ラストメッセージ」と題して、これからしばらく、さまざまなテーマについて私なりのことばで書きのこしてみたい。
文章だけでなく音や映像も用いるかもしれないし、あとどのくらい闊達でいられるかわからないけれど。

2020年3月1日日曜日

サイコーのガン治療の場「ひよめき塾」

ストレスを抑え、好きなことをしてすごすことが、ガンの治療法として相当効果的であることはたしからしい。
医学的エビデンスがどの程度あるものかは知らないが、ともかく、自分の好きなことをしてすごしたり、信頼できる仲間と楽しんだりすることは、まちがいなく気分がよく、体調も上昇することは実感できる。
とくにバカ話でだれに遠慮することなく笑いあったり、腹をかかえて爆笑するのは元気になるし、なによりまちがいなく楽しく、身体もこころもよろこぶ。
ガンが治癒するかどうかは別にしたとしても。

小説など創作文章の研究と学びと場である「ひよめき塾」では、毎回、お題を出して、それにそってごくみじかい文章を書いてきてもらっているが、常連メンバーはときに、あきらかに私をねらって「笑わせに」くることがある。
今回は最古参メンバーのひとりである奥田浩二にしてやられた。

以前から何度かいっていることだが、彼はライトノベルファンで、自分もライトノベル作家になりたいと思っているらしい。
が、長年、こつこつと「上」をめざして書きつづけてきた結果、標準的なライトノベルのレベルをはるかに凌駕し、ともすれば商業小説のプロでも彼ほど書けるものはいないのではないか、というくらい「書ける」ようになってきている。

この点に関しては、私は人——というより書き手——を見る目に自信がある。
かつてパソコン通信時代に、ニフティサーブの「本と雑誌フォーラム」で「小説工房」という小説修行の場を主宰していたとき、何百人というメンバーのなかかに何人か、これはもうプロでいいのではないか、ひょっとしてプロ以上なのではないか、編集者の目は節穴なのか、などと表明していた書き手がいた。
実際、そのうちの何人かはプロの作家やライターになったし、だれとはいわないけれどなかにはベストセラー作家になった者もいる。

私の目はたしかなのだ。
といいたいところだけど、いまだにまったく世に出ていない人も何人もいる。
腕はたしかなのだ。
そのうちのひとりが奥田浩二だ。
ほかにも現ひよめき塾にはポテンシャルを秘めた書き手が何人もいる。

作者の許可は得ていないが、私を笑わせにきた昨日提出の奥田浩二作品を、ここにさらしておくことにする。
楽しんでいただければ幸いだ。
いっておくが、これは奥田浩二にしてみればほんの小手先の準備運動のような作品であり、このような作品は彼をはじめ、ひよめき塾にはごろごろ転がっていると豪語しておこう。

(ここから)
—————
「090」奥田浩二

 三回目の着信で相手側の本気度は十分に伝わってきたが、ここまでくると僕のほうもどんなテンションで応じればいいのかわからなくなってきていて、携帯電話の鳴動を餌のお預けをくったワンコの姿勢で眺めるしかないわけである。
 はやくでろよ。
 まったくもって正論である。ただし、世界は正論だけで成り立っているわけではない。正論はときにひとを傷つけるのだ。
 オーケー。わかっている。大きくいって誤魔化そうとしている。
 正直に言おう。僕は電話が嫌いなのである。
 だいたい090の着信は年に二、三回程度しかなく、その100%がバイト先からの、これがダメだ。あれが気に入らないというクレームなのだ。愛のささやきとかならまだしも、これでは受ける気にならないのは当然というものだ。
 四回目の着信が切れた。
 すぐさま五回目の着信が来た。
 なんてしつこい。こっちは家にいるのだ。その労力をクレーム処理の方に向ければいいのに。
 愛のささやきといえば昔、テレクラやダイヤルQ2というものがあった。あれはどういったサービスだったのだろうか。今となっては知る由もない。
 まだ切らない。ばっかだなー。
 そっちに用があってもこっちに用はないのだ。電話ってそういうところが嫌いだ。お会計の接客中に横あいから話しかけてくるおっさんくらい嫌いだ。並べよ、バカ。
 ちゃんと何時ごろにどんな用件で電話するよというアポイントメントを取るべきだとおもう。せめてLINEで「いま大丈夫?」くらいの気遣いはできないのだろうか? そうすればこちらも「いま忙しい」と返せるのに。
 まだ鳴ってる。
 一度ワン切りしたことがある。相手が一回鳴らせて切るというのではない。こっちが一回なった瞬間に通話終了を連打するのだ。
 めっちゃ怒られた。
 仕方がないから着信拒否をしたこともある。どうせ電話は年に三回くらいなのだ。もう電話はかかってこないとおもうと凄く快適だった。
 しかし、そういうときに限って相手は電話をかけているのだ。
「着拒してんじゃねーよ!」とバイト先に着くなり怒られた。
 そもそもスタッフに着拒されるバイト先って職場としてどうなんだろう。
 ここで僕は驚くべき発見をする。僕は成人する前までは、電話の応対は苦ではなかったということをだ。それが今はどうだ。電源ボタンを長押ししたい衝動を抑えるのがツライ。
 思い返してみよう。
 料金の節約で電話専用のガラケーとデーター通信専用のスマホの二台もちをしたことがある。しかし当時から着信は年に五回とかだったのだ。当然ガラケーは電池切れで放置され、結果電話が繋がらないということで文句を言われた。こちらとしてはいきなり電話をされても困るのだけれど、相手はそんなことお構いなしだ。映画とか芝居を見ているときにかぎって、電車に乗ってるときにかぎって、年に何回かの一回の着信でピーピーなるのだ。
 データー通信だけで生きていこうと決意したこともある。しかし今の世の中は、個人番号より電話番号の方が大事だったりする。おもわぬところで電話番号の記入を求められたりするし、SMSが認証に使われたりする。だから電話番号は手放せない。
 留守番電話にする?
 いやそれでも結局こちらから掛けなおさないといけない。格安回線だから基本料金は高いけど通話料は高いのだ。なんで高い金を払ってまであんなアホ女に電話をかけ直さなくてはならないのか。
 アホ女!
 ここでようやく僕は理解する。
 僕は電話が嫌いなのではない。バイト先が嫌いなのだ。まだ鳴っている。このあきらめない姿勢。もう病気だ。胃の周りがゾワゾワする。
※実話です。

(Manabi JAPAN)水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。「雨水」

まなびジャパン(Manabi JAPAN)で「水城ゆう二十四節気七十二候ピアノ語り。」の配信がスタートしています。

太陰暦の時代、春夏秋冬それぞれを6つに分けて24等分し、その区切りと区切られた期間の季節を表すために作られた二十四節気。七十二候はそれをさらに3つの項に細分して季節の移ろいを表したものです。些細な兆しからいつしか劇的な変化を遂げていく日本の四季を、水城ゆうがピアノで表現します。

今回は「雨水」の項です。
書き下ろしのショートエッセイも掲載されています。

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春野亭日乗 2月29日(土)医療用麻薬、朗読ゼミ、ひよめき塾

全10回の放射線照射治療の8回めが昨日で終わり、今日と明日は休み。
そして昨日の夜から痛み止めの薬をワンランク上の医療用麻薬「オキシコンチン」を飲んでいて、痛みが完全に消えるわけではないけれど、持続性はたしかにある。
これまで試したロキソニン(60mg)が3〜4時間、ボルタリン(50mg)が2〜3時間、トラマール(25mg×2)が1〜2時間だったのが、オキシコンチンは7〜8時間くらい効いているような気がする。
これはロキソニンと併用してもいいということで、ちょっと頼りがいがありそう。

朝からオンラインでの個人セッションひとり。

午前10時半から現代朗読ゼミ。
もう30年以上前からの知り合いで、いまは朗読の指導者をやっている黒原真理さんが、これも長い知り合いの弟の康一郎くんといっしょに遊びに来てくれた。
とくに康一郎くんとは、忘れていたことをたくさん思いださせてくれて、なつかしい気持ちになると同時に、かつてのテキスト表現仲間としてどことなく話がツーと通じる感じがあってうれしかった。

ほかに元ゼミ生のまりながひさしぶりに顔を見せてくれた。
聞けば4年ぶりだという。
まだ学生だったころにゼミ生だったので、まだ若い!

現ゼミ生のユウキさん、かなえさん、野々宮ほか、オンラインでの参加者もいたりして、そこそこにぎやかな集まりになった。
あらためて現代朗読の理念や基礎的なトレーニング方法を伝えられたのが楽しかったな。

終わってから時間のある人たちで近所の〈はるそうゆ〉に行って昼食。
大丈夫か、と心配になるくらい新鮮なネタをふんだんに使ったまぐろ丼や海鮮丼をいただく。
税込み900円はびっくり。
そして完食できた。

春野亭にもどり、ユウキさんにいつものグリグリをやってもらう。
そのあと、オンラインでひよめき塾。
これについては別項であらためて書きたい。

ひさしぶりにたくさん活動したので、夜はちょっと疲れが出て、しんどくなってきた。
オキシコンチンの夜の分を飲んで、早めに休む。
よく眠れて、夜中は1度トイレに起きただけだった。
みなさんとの交流が私の健康によい影響をあたえているのはまちがいない。
変な民間療法よりこちらのほうがよほど効果的だし、私もうれしい。
集まってくれるみなさんに感謝してもしきれない。
心からありがとう。