2010年7月7日水曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.8

もともと子どもの時から本が好きで、たくさん読んでいた。書くことも好きだった。小説書きの真似事を始めたのは高校生のころだった。短い話を書いては同級生に見せていた。バンドマン生活のあり余る暇を利用して、私はかなり長いものを書きはじめていた。

中学以降、SF小説に熱中していたので、書くものもSFが多かった。とはいえ、いずれも習作で、完成にいたるほどのしっかりしたものは書けなかった。書き方もまったくわかっていなかった。が、いずれは自分の本が出せるといいな、ぐらいの漠然とした望みができてきていた。

バーテンダーの仕事に戻ると小説書きを続けられそうにはなかった。そこで私は、一大決心をした。思い切って生まれ故郷に帰ることにしたのだ。都落ちとはまさにこのことだが、私自身はそれほど深刻には感じていなかった。割合気楽に福井の田舎に帰ることを決めてしまった。

25歳の夏だったと思う。私は京都を引き上げ、福井の田舎に戻った。実家の隣がちょうど空き家になっていて、父にそこを買ってもらってそこに住むことになった。実家にあったピアノをそちらに運びこみ、家でピアノ教室をやることにしたが、なかなか生徒は集まらなかった。

しかし、田舎町にもピアノ教師は何人かいて、その人たちがお互いに生徒をやりくりするためのグループを作っていた。全員女性なので、産休とか育児とか、そういったときのために助けあったり、生徒募集を協力してしあったりといったことを、集まってやっていたのだ。

いまになって思えば、女性が作るコミュニティはすばらしい。私もそれに助けられたのだ。ピアノ教室を始めたらすぐに、その女性のピアノ教師グループから声をかけていただき、私もそれに参加することになった。そして、遠方への出張教室の仕事をもらうことになった。

いわゆる「僻地」の村にはピアノ教師がいないが、子どもにピアノを習わせたいという父母のニーズは高い。そこで、週に一度、村の商工会館の一室を借りて、まとめてピアノ教室をやるのだ。会館の一室には、そのためにかどうか、アップライトのピアノが備えつけてあった。

延べ30人近い生徒がいて、私はその子たちを一手に引きうけることになった。下は3、4歳の幼児から、上は高校生までを、丸一日かけてひとり30分ずつのレッスンをおこなうのだ。私は子どもが好きで、この仕事はハードだったが楽しかった。そして収入確保ができた。

そうやって田舎のピアノ教師生活でもなんとかやっていけるめどがついた私だったが、それだけではさすがに生活費には足りなかった。そこで、近所の本屋が副業としてやっていた学習塾のようなところへもアルバイトに出かけていった。こちらも子ども相手の仕事だった。

生活はまだまだ大変だったが、田舎の生活には余裕もあった。暇を見つけては、私は街歩きを楽しんだ。福井に〈Space B'〉という名の変わったギャラリーがあって、現代美術の展示を定期的にやっていた。物珍しくて、私は時々そこの展示を見に行っていた。

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2010年7月6日火曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.7

ベースの森くんとドラムスの野崎くんとのピアノトリオで、何度かリハーサルを重ね、ライブハウスにも出演するようになった。その頃はまだバンドの仕事がたくさんあった時期で、新しくオープンした店にいきなりバンドが「ハコ」で雇われることになった。

ソロ演奏の仕事も舞いこんできた。フィリピンの女性がホステスをやっている、いわゆる「フィリピンパブ」で、いまから思えばたぶん違法の店だったろう。そこでピアノの「先生」としてソロ演奏やホステスの歌伴をやったりした。ほかにもソロ演奏の仕事はちょくちょくあった。

私は次第に生活の糧をバーテンダーのアルバイトからバンドマンの仕事で得るようになっていった。バンドの仕事は拘束時間が短く、ギャラも高くて効率がよかった。仕事は夜なので、昼間は本を読んだり、バンド仲間と草野球をしたり、リハーサルをしたりしてすごした。

大学はもちろんまったく行ってなかった。単位は足りず、そのうち学費も親から打ち切られてしまったので、除籍になった。バーテンダーもやめ、バンドマン一本でやりはじめた。ピアノトリオはそれなりに活動していて、奈良のラテン音楽系の店で週一のハコをもらったりした。

ほかにもブラックコンテンポラリー系の大きなバンドに参加して、ディスコに出演したりもした。ピアノトリオではドラムスの野崎くんがフリー指向の強い人間だったので、私もフリージャズの魅力に取りつかれ、隙を見てはフリー演奏をして店から嫌がられたりした。

一見、順調にスタートしたバンドマン生活のようだったが、思いがけない落とし穴が待ち構えていた。それはカラオケブームの到来である。カラオケマシンというものが現れ、スナックなどでは導入する店が出てきているという話はちらほらと聞いていた。

気にも止めていなかったのだが、あれよあれよという間にカラオケマシンは京都の店にも普及していき、気がついたらバンドマンをクビにしてカラオケマシンを入れる店が増えていた。バンドマンの仕事がどんどん減っていった。とくに私のような駆け出しはきつかった。

あちこちにコネがある古手のバンドマンはまだしも、私のような新人はどんどん仕事をホサれていった。いくつも掛け持ちしていたハコの仕事がなくなり、歌伴やソロの仕事がなくなり、単発の営業仕事もなくなっていった。さらに追い打ちをかけられることが起こった。

ハコで入っていた店からクビを宣言されたはいいが、さらに給料をもらいにいったら、なんの前触れもなく閉店していたのだ。閉まったシャッターには「差し押さえ」の張り紙が張ってあった。しかもその店からは3か月分の給料が未配だったのだ。

とたんに生活に窮してしまった。その頃には結婚もしていた。バーテンダーの仕事に戻ろうかとも思ったが、拘束時間が長く体力的にもきつい仕事にはもう戻りたくなかった。というのも、バンドマン生活の昼間の長い余暇を利用して、私は小説書きに熱中しはじめていたからだ。

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2010年7月5日月曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.6

1977年、私は大学生になり、自由になるお金がほしくてアルバイトを始めた。いろいろなバイトをやったが、最終的に時給の高い夜の仕事に落ち着いた。祇園の店でのバーテンダーのバイトだ。そこにはグランドピアノが置いてあり、ピアノの練習ができるのが魅力だった。

その店はいまでもある。〈バードランド〉という名前で、もちろんニューヨークの有名なジャズクラブの名前をもじっている。マスターの中川氏はジャズファンで、ピアニストが毎晩やってきて、演奏した。私が店にはいったころはヨッさんというオルガン奏者が来ていた。

バードランドはまた、関西のジャズミュージシャンやバンドマンのたまり場のようにもなっていて、いろいろなミュージシャンが出入りした。バイトはきつかったが、彼らの話を聞けるのが魅力だった。また、彼らといっしょに来日ミュージシャンのコンサートに行ったりもした。

来日ミュージシャンのコンサートのなかで、私にとって最もインパクトがあったのはウェザー・リポートだった。高校生のときにエアチェックして何度も何度も繰り返し聴いていたグループが、目の前で生で演奏しているのだ。それは夢のような体験だった。

ジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーター、後にはジャコ・パストリアスという、超一流のプレーヤーが生で演奏しているのだ。夢中にならないわけがなかった。そうやって私の20歳の生活はますます音楽化していった。アルバイトの合間のピアノ練習にも熱がはいった。

高校生のときにはどうしても習得できなかったジャズの即興演奏だったが、ジャズにどっぷり浸かった生活のなかで徐々にコツがわかってきた。理論書も読んだし、店に出入りするジャズマンにいろいろ教えてもらったりもした。また、彼らのリハーサルに遊びに行ったりもした。

そのうち、プロミュージシャンのリハーサルなどでメンバーが足りないときに、補欠要員として時々弾かされるようになった。多少アドリブができるようになっていたのと、譜面が読めることとで、しだいに彼らの仲間入りをするようになっていった。

バンドに臨時の欠員が出たときに、補充メンバーとして出向くことを「トラ」という。エキストラの「トラ」なのだが、それに時々呼ばれるようになった。バンドマンは通常、「ハコ」と呼ばれる定期的に演奏する店を持って生活しているが、たまに抜けることがあった。

たいていは結婚式やパーティーなどでの演奏のアルバイトのためにハコの仕事を抜ける。アルバイトのほうがギャラがいいからなのだが、そういうときに代わりのメンバーを補充しなければならない。その仕事が「トラ」といって、遊んでいるバンドマンに回ってくるのだ。

そういった「トラ」の仕事が、ちょくちょく回ってくるようになった。バーテンダーのアルバイトを続けながら、バンドマンの仕事もやるようになっていった。また、ジャズの勉強をさらに深めたくて、若手のバンドマンに声をかけて自分でもバンドを組んだ。

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明日7月6日(火)はPignose「げろきょでないと」Vol.16

明日の夜は20時から、恒例の中野ピグノーズでのライブです。
毎月第一第三火曜日の夜にやっております。
毎回、どんな展開になるのか、なにが飛びだすのか、まったく予測がつかないままやっていますが、いつもなにかしらおもしろいことが起こります。
都合がつく方は遊びに来てくださいね。

詳細はこちら

2010年7月4日日曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.5

モダンジャズはバップスタイルからクールへと移行していく。それはごくざっくりといえば、ジャズ音楽の消費スタイルのライブから録音への移行だった。その後、モードジャズが発明され、ジャズは芸術音楽の域へと表現が高まっていった。それが1960年代までのこと。

1970年代にはいって、マイルス・デイビスなどが電子楽器を取りいれたロック音楽との融合をはかったり、ラテンアメリカの音楽のリズムを取り入れたりと、ジャズはフュージョン音楽の時代にはいっていく。まさにそのときに私はジャズを聴きはじめたのだった。

そして田舎住まいだったために、聴ける放送はNHK-FMのみ。クラシックからジャズへと鞍替えした私は、毎回の放送をかじりつくようにして聴いていた。そのころにはカセットテーブという録音媒体が気軽に手に入るようになっていた。

ラジオで放送される音楽をカセットテープに録音することを「エアチェック」と称していて、そのための専門雑誌まであったほどだ。私ももちろん熱心にエアチェックをした。番組ではアルバムを丸ごと一枚放送するようなこともしていたので、金のない高校生にはありがたかった。

高校時代をジャズ浸けですごしたが、サウンドソースがNHK-FMだけでジャズを聴く仲間は皆無だった。演奏するグループもなかったし、もちろん田舎町にジャズ喫茶やライブハウスもなかった。生まれて初めてジャズ喫茶にはいったのは、田舎を離れてからだった。

私は最初の大学受験で失敗し、京都で浪人生活をすごすことになった。北陸の田舎町から京都の移った。左京区の岡崎の、平安神宮や京都会館にほど近いなかなかよい立地の下宿に決まった。すぐ近くの丸太町通りに、〈YAMATOYA〉というジャズの店があった。

予備校通いもそこそこに、私はすぐにYAMATOYAに入りびたるようになった。なにしろ本格的なジャズ喫茶だ。いろいろなレコードがかかっている。夢のような世界だった。またライブ演奏もあった。ある夜私は意を決して、ひとりでライブ演奏を聴きに行ってみた。

出演メンバーを正確には覚えていないのだが、ベースが猪俣猛、ドラムスが日野元彦(故)、ギターに渡辺香津美がいたことは覚えている。6人くらいのジャムセッションだった。いまはすっかりメジャーになった渡辺香津美もまだ若く、ひどくへたくそだった記憶がある。

しかしとにかく、それは私が生まれて初めて接するナマのジャズ演奏であった。クラシックはオーケストラも室内楽もピアノ独奏や歌曲もナマで聴いたことがあったが、ジャズは初めてだった。そしてジャズという音楽の自由さを実感して、衝撃を受けたのだった。

浪人生にも関わらず、私はお金が許すかぎりライブハウスに通った。そのころ(1970年代なかば)の京都には、まだまだジャズ喫茶やライブハウスがたくさんあった。先のYAMATOYAのほかにも、しぁんくれーる、52番街、ZABO、インパルスなど、たくさんあった。

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2010年7月3日土曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.4

いつごろから私の生まれた田舎町でもFMラジオが聴けるようになったのかはわからない。が、私が聴きはじめたのはたしかに中学3年生のころで、それまではラジオといえばAM放送の何局かと、朝鮮語やロシア語の放送が日本海の向こう側から聴こえてくる程度だった。

FMラジオというすごく音質のいい放送があるらしい、ということはやはり父親が聴きこんできて、それが聴けるラジオを私は買ってもらったのだと思う。私はラジオを自分の部屋に持ちこみ、T字型のアンテナを自分で作ってFM放送を聴けるようにした。

たしかにFM放送は音質がクリアで、しかもステレオだった。もっとも、私の田舎町で聴けるFM放送はNHK-FMただ1局のみで、民間放送ははいらなかった。専用アンテナを立てれば名古屋のFM愛知が聴ける、という情報もあったが、なかなかそこまでは手が出せなかった。

最近はだいぶ変わったが、当時のNHK-FMはクラシック中心の選曲の番組がほとんどだった。そして私はそれらの番組を時間の許すかぎり聴きこんで、音楽知識を増やしていった。バロックや民族音楽、現代音楽といったものまで、片っ端から吸収していった。

そんななか、変わった番組があった。正確な名称は忘れてしまったが、「ジャズスポット」とかなんとか、つまりジャズを扱う週1の番組があったのだ。油井正一とか青木啓などのジャズ評論の人たちが担当していて、なかなか聴きこたえのある内容だった。

私はそこで初めて、ジャズという音楽に接したのだった。たしか金曜日の夜にやっていて、たまたまつけたら、聴いたこともない奇妙な音楽が流れてきたのだった。はっきりと覚えているが、そのとき私が耳にしたのはウェザー・リポートというグループの曲だった。

高校生になっていた。発売されたばかりの『ミステリアス・トラベラー』というアルバムの紹介をしていた。電子楽器を多用したサウンド、そして西洋音楽にはない民族的なテイストを持ったメロディやリズム。ジャズがちょうどフュージョンへと移行していくその時だった。

私が高校生だったのだから1975年ごろということになる。ウェザー・リポートの結成が1970年、マイルスの「ビッチェズ・ブリュー」が1970年、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエバーの結成が1972年。まだフュージョンはクロスオーバーと呼ばれていた。

1950年代から60年代にかけて、急速にスタイルの変遷をたどったモダンジャズは、すでに熟成期から早くも老年期を迎えようとしていた。私がジャズを聴きはじめたのは、まさにモダンジャズからフュージョンへと移行していく激動の時代だったといえる。

一瞬たりとも目/耳を離せないジャズ世界の変化だった。そもそもジャズは、1900年代初頭に発生し、ラグタイム、ディキシーランド、スイングジャズと変遷を経て、1040年代にビ・バップ革命が起こり、モダンジャズの時代にはいっていった。

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名前への疑念、文体への疑念

先生、私は迷っております。
もっとも、私には「先生」と呼べる方はおりませんので、架空な対象としての「先生」ですが。

私はここ数年、NVC(非暴力コミュニケーション)という考え方に出会い、勉強してきました。
そこでは人のコミュニケーションのあり方ばかりでなく、この世界のあり方についてのさまざまな考え方や私たちのふるまいについて、古くてあたらしい考え方が提示されています。
ひとりで、あるいは仲間たちと学ぶうち、多くの気づきに出会うことができました。
今日はそのなかのふたつのことを取りあげたいと思います。

20代の終わりに商業的娯楽小説家として本が出ることになったとき、編集者から「ペンネームをかんがえるように」といわれました。なぜなら、私の戸籍名が「娯楽小説家としていまいちだから」だったからです。
娯楽小説家としてふさわしい名前とは、
「人々に覚えてもらいやすい」
「書く内容とイメージが合っている」
そしてなにより、
「売れそうだ」
ということが喜ばれます。
そのときの私はとくになんというかんがえもなく、「水城雄」という名前を自分につけることにし、またその名前は編集者にも喜ばれました。
以来20年以上、私はとくに深いかんがえもなくその名前を使ってきましたし、また人々も私の名前がそれであることを違和感なく受け入れてくれていました。
ところが、いつごろからでしょう、たぶんNVCの勉強を始めたころから無意識内に生まれたのだろうと思いますが、私の名前に違和感を覚えはじめたのです。
違和感の原因がわからないまま、音楽や朗読演出方面のときは「MIZUKI」とローマ字表記にしてみたりしました。
そしてつい最近、違和感の理由がはっきりしたのです。

だれかにいわれたのでした。
「水城雄の「雄」というのは英雄の「雄」で、「オス」ということでしょう?」
NVCでは「男は男らしくするように、女は女らしくするように教育されながら人は育つ。その過程で多くの後天的な考え方や思いこみ、ふるまい方が身についていく」という分析があります。身についてしまった癖のような反応が、ときにある種の「暴力」をもたらすことがあるというのです。
そのとき、私は自分の名前が、性差の象徴のような名前であることに気づいたのです。
これからは「水城ゆう」とひらがな表記にしようかなあ、なんて悩んでいるんですが、どうでしょうね、先生。

もうひとつの迷いを聞いてください。
20代末から小説を書きながら生きてきた私は、なにを書くにしてもほとんどの場合「ですます」調ではなく、「だである」調を使ってきました。そのほうが思考が整理され、文体も切れがよく、よく伝わるように思っていたからです。
たしかにそのような面はあると思います。
ところが、最近、気づいたのです。
私は数年前から宮澤賢治の作品を使った朗読プログラムをいくつか作り、あちこちで上演していますが、賢治の文体はほとんどが「ですます」調です。
最近私は、賢治の作品を「非暴力」という観点から読みなおすことを始めています。すると、彼の「ではます」調の文体は、非暴力と関係があるのではないか、と思えはじめたのです。
かんがえてみると「だである」調は「言い切り」文体であり、断定的です。断定的なものの言い方は、たしかに多くの人を納得させるには有効です。
が、NVCでは「Judgement(評価)を手放す」というのです。人やものごとに対する評価、あるいは自分自身に対する評価、あらゆる場面で評価をくだしつづけているのが現代人だというのです。そのことが暴力的なコミュニケーションを生む一因になっています。
断定的なもの言いは、評価的でもあります。自分はこのことをこのように考えている、というよりも、自分このことをこう評価している、という価値判断の語り方となるのではないか。
私はそのことを懸念しているのです。
で、とりあえずはまず、この文章を「ですます」調で書いてみました。どうでしょうね、先生。

2010年7月2日金曜日

明日のライブの当日パンフに掲載する挨拶文

明日の夜、羽根木の家で開催されるライブ「トワイライト・ストーリーズ」の当日パンフレット(といっても簡単なものだが)に掲載するための挨拶文を書いた。

本日は現代朗読協会「羽根木の家」にお越しいただきありがとうございます。
今日のライブは5月からスタートした「朗読はライブだ!」ワークショップの参加者、ベーシックコースの参加者、そして入門クラスあらため朝ゼミのメンバーによる合同イベントです。3か月をかけて全6回で1期とする「朗読はライブだ!」ワークショップは、今回で第4期となりました。4期全部に参加した者も、今期のみの参加者もいます。今期のみの参加者は朗読はおろかライブ出演すら初めて、という者もおります。
朝ゼミメンバーは1年以上参加している者もいますが、それでも朗読経験の浅い者ばかりです。
そのような者がよいライブができるのか。それはご覧になっていただいて、皆さんがそれぞれ感じることでしょう。ただ、私がこのようなことをわざわざ書いているには理由があります。

現代朗読協会では、朗読に限らず、ひと前でなにかを表現するとき、これまでの表現とはまったく異なったやりかたを試みています。
私たちや皆さんも慣れしたしんでいる従来型のライブイベントでは、普通、出演者が練習によって獲得してきた技術や表現力、たび重なるリハーサルで仕組まれた複雑な段取りなどを見せようとすることがほとんどです。これはこれで素晴らしいパフォーマンスの発表方法であり、私もそれを否定するものではありませんが、ここにはどうしても出演者対観客の間に上下関係が生まれます。つまり、出演者は自分たちの技量やパフォーマンスを観客に誇示することでイベントを成立させるわけです。

そうではなく、ありのままの人同士が上下関係ではない共感関係を作ることで、なにかを共有する場を作ることはできないか。なにも特別な人だけが表現者になれるのではない。だれもが表現し、だれもが表現者として感動を生む場を作れるはずだ。
これが現代朗読協会の考え方です。
これはじつはまったく特別な考え方ではありません。20世紀に入ってから生まれたコンテンポラリーアート(現代芸術)の世界ではごく普通に受け入れられている考え方です。朗読の世界にもこの考え方を取りいれているのが、現代朗読のゆえんです。
今日のライブもそうですが、出演者はけっして自分の「技術」を誇示したり、決められた「段取り」を守ろうとはしません。じつはもっと難しいことに挑戦しています。それは、作られない、たくらまない、ありのままの自分を皆さんの前に提示し、共感を共有できないかという試みです。
なので皆さんは、技術を評価するのではなく、出演者の声や身体や心のありようそのままを感じてみてください。なにが読まれているのかではなく(いえ、もちろんそれも大事なんですけど)、どう読まれているのかに耳を傾けてみてください。そうすれば、出演者と皆さんが、いま、ここに、時間と空間を共有し、朗読という表現でなにかを共に感じ合う体験を、お互いに持つことができるかもしれません。
それが私たちの望みです。

いま読んでいる本:現代人は救われ得るか

まずタイトルに驚いた。このような強い問いで本が成り立つのか?
帯はもっとすごい。
「暴力によって、犯罪によってしか、現代人は結びあえないのか」
いま、NVC(非暴力コミュニケーション)というものを勉強しているところなので気になったというのもある。
また、帯にはこうも書かれている。
「昭和天皇大喪の礼から『1Q84』まで、平成の現実(リアリティ)感覚を根底から問う批評の冒険!」

まだほんの冒頭部分しか読んでいないが、こんな文言があった。

昭和から平成になってさまざまなことが次々と終焉を迎えたことを指摘しながら、
「すべて「終わり」でしかなかった。海外はともかく、すくなくともわが国では何もはじまりはしなかった。無邪気に、無自覚に、降り注いでくる、様々な終わりを眺めながら打ち興じていた。それは、現在も変わっていない。
文芸において、その空虚さは、最も深刻であるように思われる」

昨日、直木賞と芥川賞の候補作品が発表された。

『現代人は救われ得るか』福田和也/新潮社

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.3

いつしか私はクラシック音楽の魅力にどっぷりとはまっていた。父が買ってきたレコードをすりきれるまで繰り返し聴いたし、福井の楽器店に行ってオーケストラのスコア(総譜)を買ってきて、それを見ながら聴いたりもしたので、交響曲がどのように作られているのかわかった。

ピアノ協奏曲のスコアも買ってきた。これはピアノパートがあるので、自分も弾いてみることができる。それが楽しくて、またピアノに向かうようになっていた。ある程度弾けたので、難しい協奏曲にもどんどん挑戦し、しかも先生に怒られることもないので楽しくてしかたがない。

レッスンに通っていないので、弾けようが弾けまいが、弾きたい曲だけ弾けばいいし、いくら難しい曲にもどんどん挑戦したりもする。そうやって私のクラシック音楽の知識はどんどん増えていった。バロックから現代曲まで、実際に弾いて曲構造を確かめていたようなものだ。

とくに私のお気に入りは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」だった。ラヴェルが編曲した交響楽バージョンが有名だが、もともとはピアノ曲だ。しかも相当の難物だった。左手がオクターブで激しくスケールを鳴らしたりする部分もあったりして、そのままではとても弾けない。

そこで私は勝手に曲を簡単に弾けるように書きかえ、しかしちゃんと元の曲の雰囲気は壊さないようにして、家や学校で弾いてみせてみんなを驚かせていた。それが快感になっていた。ブラスバンドはやめたが、中2からは合唱団の伴奏をするようにもなっていた。

合唱の伴奏は、ひとりで好き勝手にピアノを弾くのとはまた違ったおもしろさがあった。合唱伴奏は結局、中高を通して続けたのだが、団員は女の子しかいない事実上の女性合唱団だった。男は伴奏の私ひとりという、なんともくすぐったい感じだったが、これは楽しかった。

ほとんどのアンサンブル音楽がそうであるように、合唱もコミュニケーションといっていい。とくに伴奏者にはそれが求められる。この経験を通して、私は音楽でコミュニケートすることの楽しさを覚えたのだと思う。また、音楽を作ることのおもしろさも知った。

合唱団の伴奏だけでなく、クラス対抗の合唱コンクールのときの伴奏も、6年間を通じてやった。中学は7クラス、高校は8クラスあったので、コンクールはけっこうにぎやかで、各クラスとも力がはいった。課題曲と自由曲があり、私たちは自由曲に工夫をこらした。

難曲を勝手に書きかえたり、我流で器楽曲をピアノで弾いたりしていたので、自然に曲のアレンジができるようになっていた私は、合唱用にもいろいろな曲をアレンジして、クラスに提供し、コンクールに臨んだ。その結果、私のクラスは何度も優勝をかっさらった。

そうやって私は自由に音楽すること、自分で音楽を作ることの楽しさを覚えていったのだった。そんな思春期のまっただなか、私はジャズという音楽に出会うことになる。そのころの私の音楽試聴はもっぱらLPレコードが中心だった。そしてFMラジオの存在を知った。

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2010年7月1日木曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.2

私はもともと手先が器用なところがあり(それは洋裁/和裁をこなす母親からの遺伝だ)、女の子に混じってのピアノレッスンもめきめきと上達し、あっという間にソナチネ、ソナタまで進んでいった。小学6年生のころにはベートーベンのピアノソナタを弾いていた。

もちろん音楽がわかっていたわけではない。ただ技術的に指を小器用に動かして、楽譜に書いてあるとおりにピアノを弾いていただけだ。音楽そのものが楽しいわけではなかったのと、次第に思春期に近づいてきたこともあって、私のピアノに対する気持ちは変化してきた。

女の子ばかりのピアノ教室に男ひとりで通っていることが、だんだん気恥ずかしくなってきたのだ。やんちゃ盛りのガキ仲間を尻目に、レッスンバッグをさげてピアノを習いに行くことが恥ずかしかった。また、そのことをからかわれたりもした。

とくに嫌だったのが発表会だった。高学年になると、相当弾けるようになっていた私は、プログラムの終わりのほうで演奏するようになった。当然注目が集まるわけで、男の子がひとり、難しい曲を発表会で演奏すると、いろいろな人からいろいろなことをいわれた。

ピアノレッスンに通うことが嫌でいやでたまらなくなった私は、両親に頼みこんでなんとかやめさせてもらうことにした。両親は、中学生になったらやめてもいい、という条件で、それを許してくれた。中学生になると私はピアノをやめ、代わりにブラスバンド部に入った。

いずれにしても音楽からは離れなかったわけだ。ブラスバンド部では花形のトランペットを選んだ。目立ちたがりだったことは認める。が、私には決定的に不得意なことがあった。それは集団行動ができない、ということだった。ペットはそこそこ吹けるようになったのだが。

団体の構成員のひとりとして人と足並みをそろえてなにかをやる、ということに決定的な適正を欠いていた私は、せっかくトランペットが多少吹けるようになったのに、ブラスバンドが嫌になって、中学2年生になる前にやめてしまった。そのかわり、音楽を聴くようになっていた。

中学に入ったとき、まさか策略ではないとは思うのだが、音楽好きの父親がレコードを聴くためにステレオセットを買った。当時はまだまだ一般家庭にステレオセットは普及しておらず、珍しいものだったと思う。そして私にも聴いてもいいと、LPレコードも何枚か買った。

レコードはポピュラーなクラシック曲ばかりで、たとえばカラヤン指揮・ベートーベンの交響曲第5番、ベーム指揮・チャイコフスキーの悲愴協奏曲やピアノ協奏曲、安川加寿子のピアノ小品集といったものだった。それしかないものだから、繰り返し繰り返し聴くのだ。

ピアノを習っていた小学生のころには、音楽のことなどなにもわからなかったけれど、いったんレッスンから離れてみると、音楽のおもしろさがなんとなくわかりかけてきていた。ブラスバンドでいろいろなピアノ以外の曲に接したこともよかったのかもしれない。

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2010年6月30日水曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.1

アイ文庫twitterでは、現在、水城雄によるドキュメント「朗読の快楽/響き合う表現」を連続配信中です。ハッシュタグが「#roudoku」で、通しナンバーがついてます。
すでに配信を終えたものを BLOG にも掲載します。


「朗読の快楽/響き合う表現」の連載をスタートします。創造と共感の場である「現代朗読協会」がいまの形になるまでの経緯を、私の思考過程の変遷をたどりながら正直に、誠実にたどってみたいと思っています。おつきあいいただければ幸いです。

私(水城)はときおり、現代朗読協会のいまのありようを「奇跡のようだ」と表現することがあるけれど、その理由はこのドキュメントを読んでいただければわかると思う。次世代のアートコミュニティのありかたのひとつを提示しているのではないだろうか。

私はいま、小説家/音楽家と名乗っている。が、活字出版のための、とくに商業出版のための小説はもう書いていない。書いているのはケータイの公式サイト「どこでも読書」での連載長編(しばらく中断しているが)と、朗読のためのショートストーリー、そして詩だ。

音楽についても、単独の活動はほとんどおこなっていない。朗読との共演、語りのサポート、オーディオブックのための音楽、たまに演奏でライブをやることがあるが、それも自分主体ではない。20代初期のころは自分のバンドを持っていたし、演奏で生活していたこともある。

こういう者が、なぜいま朗読に関わることが自分の表現の中心となっていったのか。そして、私の意志とは関係なく自然発生的に生まれて育ってきた現代朗読協会というコミュニティについて、できるだけ時系列を追いながら振りかえってみたい。

私は1957年に福井県の山間部にある勝山市というところに生まれた。私的なことだが、しかしこれは現在の状況を語るためにどうしても必要な基本情報なので、明らかにしておかなければならない。この田舎で生まれ育ったということが重要なファクターとなっているからだ。

学校といういわば被保護の立場から、社会と直接関わるようになった最初の仕事は、祇園のバーテンダーとしてであった。そこはいまもあるが〈バードランド〉という名前のジャズバーで、京都を中心とする関西のバンドマンがマスターの人柄を慕って集まってくる店だった。

私は彼らに刺激を受け、独学でジャズ演奏を学び、やがてバンドマンの仲間入りをしつつ、自分のピアノトリオを結成してライブハウスなどにも出演するようになった。このような道すじは、私が田舎で生まれ育ったことと無関係ではないのである。

私の父親は高校教師であった。つまり、田舎のインテリ階級といってもいいだろう。そういう家庭だったので、私の4歳下の妹がまだ3、4歳のころから「音楽教室」とやらに通いはじめた。それからしばらくして、我が家にピアノがやってきた。私は8歳か9歳だったと思う。

妹がピアノを弾くのを見ていた私は、自分もやってみたいと思い、親に頼んでみた。するとあっさりと許可がおりたのだ。あとで聞いたことだが、父親は「男がピアノを弾く」という姿にあこがれを持っていたようなのだ。父は戦中に拓殖大学で学生時代をすごしている。

父は福井県の松岡町というところの出身で、学生時代は東京の福井県人会の寮に寄宿していた。その寮にピアノがあり、他大学の学生だったがときおりそこで演奏している姿を見て、父は非常に感銘を受けていたのだ。父も田舎者だったが、クラシック音楽を愛していた。

そんな父ゆえに、息子がピアノを習いたいといいだしたときには、しめしめと思ったに違いない。私が個人レッスンでピアノを習いはじめたのは、小学3年生のときだった。ピアノ教室はいまもそうかもしれないが、当時はさらに輪をかけて生徒は女の子ばかりだった。

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8月21日「特殊相対性の女」の予約受付窓口ができました

まだチラシもできていませんが、準備は着々と進んでいます。
8月21日の午後3時と7時からおこなわれる石村みか/野々宮卯妙/水城ゆうによる演劇と朗読と音楽のセッション「特殊相対性の女」の予約受付窓口ができました。
こちら
いまのうちからスケジュールをあけておいてくださいね〜、みなさん。

2010年6月29日火曜日

異次元空間への旅を何人かと共有できたように思う

10時、ホテルをチェックアウト。
バラさんと待ち合わせがてら、近くのデニーズでコーヒー。
バラさんにピックアップしてもらって、千種文化小劇場へ。外壁が木蔦で覆われたなかなかいい雰囲気の劇場。客席は円形になっている。
楽屋入りし、小道具で使う金魚を洗面所に運ぶ。
ウェルバ・アクトゥスWS メンバーの林ちゃんがスタッフで入っている。また、twitter でご挨拶した大栗さんともお会いする。
照明さんとごく簡単に打ち合わせ。

バラさんと近所のカフェに行き、昼食。グリーンカレー、大盛り。
本日のイベント「人 いのち 祈り/朗読・語りと音楽の会」が14時からスタート。私もバラさんと行儀よく会場で観覧。深澤さんもやってきた。
トップバッターは林ちゃんも参加している朗読教室の A班の人たちによるグループ朗読。皆さん、すごくたくさん練習した様子がありありとあって、大変上手であった。
理子さんが来ていたので、最初の演目が終わってからバラさんと3人で近所の喫茶店でコーヒー。

16時にもどると、坂野さんが来ていた。Twitter でフォローしてくれたタナカアリフミさんが、朗読の手塚さんといっしょに来てくれた。
ワークショップのコギソさんと麗子さんと撫子さん、岐阜の高橋さん、クセックのアトリエのオーナーの豊島さんと西山さん、森さん、ほかにも知り合いが何人か来てくれた。

17時半くらいから我々の「初恋」がスタートする。
暗転のなか、坂野さんのクラリネットのロングトーンからスタートして、ピアノがからむ。そこへバラさんが朗読でからんで始まる。途中何度かの暗転のなか、私と坂野さんは即興演奏でやりたい放題。バラさんもアドリブ連発。お客さんも反応がいい。
3度目の暗転のとき、完全な沈黙を作り、どこまで引っ張れるかと粘ったのだが、さすがに300人キャパの会場では何分も引っ張るのは難しく、1分強しか作れなかった。
それにしても、まあかなり濃密なパフォーマンスがやれたのではないかと思う。途中、私と坂野さんがとっさに連弾みたいな格好になり、ふたりでシンクロして演奏したり演技したりと、楽しいシーンも作ることができたし。
終わってから、西山さんから、
「なんか変なところへ連れて行かれる感じがして危なかった」
という感想をいただく。これは最高の言葉なのだ。そもそも、オーディエンスをどこか別の次元の感覚空間に連れていってその体験を共有することを目指してやっているのだから。

新幹線の時間が決まっていたので、終わってから麗子さんに名古屋駅まで車で送ってもらった。撫子さんもいっしょ。
撫子さんもとても楽しんでくれたみたいで、
「次になにが起こるかわからなくてドキドキした。朗読がこんなに楽しかったのは初めて」
といってくれた。
次はあなたがたがそれをやるんですよ。

2010年6月27日日曜日

今夜予定の「UBunko」は生ではなく収録になりました

先に予告していた UStream番組「UBunko」の今夜放送分ですが、窪田涼子をゲストに今夜生放送でお送りする予定でしたが、機材の都合で今夜収録し、後日あらためて放送することになりました。
楽しみにお待ちいただいていた方は申し訳ありません。
後日あらためて、放送日時をお知らせします。

2010年6月25日金曜日

名古屋「朗読・語りと音楽の会」に出演します

今月末6月29日と30日の両日、名古屋の千種文化小劇場(ちくさ座)にて、「人 いのち 祈り/朗読・語りと音楽の会」が開催されます。
私は29日の午後5時すぎから「初恋」という演目で出演します。

「初恋」は2007年に私がテキストを書き、榊原忠美とふたりで初演したものですが、今回は再演となります。
客演に作曲家の坂野嘉彦さんを迎えての、三つどもえの朗読&音楽セッションです。
相当に過激な内容ですので、「朗読」を期待する方は来場をご遠慮ください。また、前衛的なパフォーマンスに拒否感のある方も遠慮いただいたほうが無難かと存じます。
なにかあたらしいもの、見たこともないようなもの、どこ別次元の世界へ連れていかれてしまうことを拒否しない柔軟な感受性を保持している方にご覧いただけることを幸いとします。

■参加費 2,000円(一日通しチケット)
■問い合わせ 052-909-3755(鈴木)

私に直接お問い合わせていただいてもかまいません。

2010年6月24日木曜日

Ustream番組「UBunko」次回予告(ゲスト:窪田涼子)

初回に登場した大阪のナレーター・朗読者の窪田涼子が、ふたたび出演します。
今回は生出演です。
トークと、朗読と音楽によるセッションを、生でお送りする予定です。
なにが起こるか、予想できません。心臓の弱い方は視聴をご遠慮ください。

放送は27日(日)午後8時より。
視聴はこちらから。

2010年6月23日水曜日

アウンサンスーチー

 を〈水色文庫〉のほうに書きこみました。
⇒ こちら

「特殊相対性の女」チラシ用文言

8月21日(土)に下北沢の〈Com.Cafe 音倉〉でおこなうライブ公演「特殊相対性の女」のチラシのための文言を書いた。
午後3時と午後7時に2回公演。

(演劇+朗読)×音楽=「特殊相対性の女」
というコンセプトで、女優の石村みかと朗読の野々宮卯妙、そして私の三つどもえライブ。
さらに映像美術として写真の三木義一も参加。

(チラシの文言)
演劇が役者の身体による表現であることは異論のないところだと思うが、朗読もそうであることはあまり意識されていない。
私は朗読演出においても常に朗読者の身体性、時空性を意識し、また意識させてきたが、すぐれて鍛えぬかれた朗読者の身体性が鍛錬された役者の身体性とどこまで拮抗するのか、興味を持っていた。もちろん朗読者と役者との身体性は、その使用方法やあり方そのものが異質なものだが、それゆえおなじステージ上に存在したときにどのように拮抗するのか、あるいは拮抗しないのか、化学反応を起こすのか、起こさないのか、好奇心をかきたてられる。
野々宮卯妙といういわば現代朗読で純粋培養された朗読者と、石村みかというすぐれた身体感覚を持った役者とのぶつかりあい。見たこともないもの、聴いたことのない声、音、経験したことのない時空を経験したくて、このテキストを書いた。
アルバート・アインシュタインは、物質が光速度に近づいていけばいくほど時間と空間に非日常的な歪みが生まれることを証明した。彼の頭脳が高速(光速)回転していたとき、彼の身体はどんなイメージに包まれていたのだろうか。彼はまた音楽を愛する人でもあった。
私もピアノ弾きという立場でステージにいるのだが、ご来場の皆さんとともに異空間の目撃者、体験者としてそこにありたいと望んでいる。

UStream番組「UBunko」今夜20:00オンエア!

今夜も放送します、「UBunko」。
URL が変わりました。ご注意ください。
2バイト文字がまぎれこんでいてクリックしてもジャンプできなかった URL だったので、チャンネル名を変更しました。今度はワンクリックでジャンプできるはずです。
こちら

今夜は、近くおこなう児童養護施設の子どもたちのための朗読プログラム「いちめんの菜の花に私はなりたい」の練習風景を交えながら、お送りする予定です。
20時スタートです。

「UBunko」の2回めをオンエア(使用機材・ソフトのまとめ)

昨夜20時から、UStream 番組「UBunko」を流した。
まりもちゃんとのトークと、そのあとに〈音倉〉オープンマイクでの野々宮卯妙と私のライブセッション「Bird Song」を放送。
今夜も20時からオンエア予定。
まだまだ視聴者は少ないが、なかなか興味深い。
とはいえ、放送できるようになるまでにちょっと苦労したので、これからやってみたいという人の参考のために、まとめておきたい。

まず、使用機材。

・MacBookPro 15インチ

これだけ。ほかにもなにも必要なし。
MacBook がネットにつながっていれば(うちは無線LAN)、放送可能。
MacBook は iSight というカメラが画面の上にくっついているので、追加機材は必要なし。
ただし、あらかじめ録画したものを流す場合は、そのための収録機材や編集ソフトが必要になることはいうまでもない。

次に使用ソフト。
基本的に UStream の公式サイトに接続できれば、特別なソフトはなにもいらない。ユーザー登録をして(無料)、サイト内で必要な設定さえすませれば、そのまま自分のコンピューターから放送できる。ただし、説明は英語。
ちなみに iPhone を使えば実に簡単に実況中継ができる。
「USTREAM Broadcaster」という APP をダウンロードすれば可能。これも無料。

ただ、公式サイトだけでいろいろな設定をするのはちょっと面倒なので、より使いやすいインターフェースを持った「UStream Producer」というソフトを使っている。
これは無料版と有料版があって、有料版だと複数のカメラを使ったスイッチングでテレビスタジオみたいな放送ができるようだが、そこまで必要ないので私は無料版を使っている。
UST Producer を使えば、あらかじめ録画・編集した動画ファイルを流しながら、ライブ映像を並行して流したり、画面の片隅にライブ映像を見せておいたりと、いろいろできる。

UStream Producer

ひとつ問題があって、それは動画ファイルとライブの音声をミックスして流せないということ。
それをやりたければ、音声を内部的にミックスするためのソフトが必要になる。
私が使っているのは次のもの。

Soundflower
LadioCast

私はまだうまくミックスしての放送ができていない。今夜、再挑戦してみよう。

次世代オーディオブック・リーダー養成講座受講生募集(第三期)

新しい声のジャンル、“オーディオブックリーダー”養成のための実践的集中講座! 最終オーディションを突破してプロReaderを目指しましょう。第三期生7月19日スタートです。
ハイクォリティなオーディオブックを制作しているアイ文庫が、次世代のオーディオブックリーダー養成集中講座を開催しています。
当講座には、オーディオブック販売のことのは出版とNPO法人現代朗読協会の全面的バックアップを得ています。

主催:アイ文庫
協力:ことのは出版
   現代朗読協会

■次世代オーディオブック・リーダー養成講座
 声優/ナレーター/朗読者のためのステップアップ講座
 申込みはこちら

【概要】

オーディオブックの読みや収録についてのノウハウとトレーニング法を一日で集中講義します。
その後1~2か月のトレーニング期間をおいて最終オーディション(収録)をおこないます。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。

【詳細】

(1)集中講座

以下の日程で開催される一日集中講義を受講していただきます。

 日時:2010年7月19日(月)10:00~19:00
 場所:アイ文庫(世田谷区/京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
 受講料:33,000円

(2)トレーニング

収録用の作品を選び、(1)の内容の習得と(3)にむけての1~2か月間のトレーニング期間を設けます。
期間中は、メールによる指導と面談(またはスカイプ、希望者のみ)で習得状況をチェックします。質問等も自由です。
理解度や技術レベルによっては現代朗読協会のワークショップに参加していだくこともあります(参加費免除)。

(3)オーディション

アイ文庫のスタジオにて収録をおこないます。
収録後、数日以内に合否を決定します。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。
すでに第一期生と第二期生が実際の収録に向けて動きはじめています。

【本講座の特徴】

オーディオブックリーダー(朗読者)は、ナレーターでもアナウンサーでもなく、声優でもない、新しい声のジャンルです。
オーディオブックの朗読にチャレンジしてみたいと思っている人が多いなか、その読みや収録についてのノウハウをしっかりとアドバイスしてくれる場所はそう多くありません。
そんななかで、アイ文庫は、今後も長くネットコンテンツとして流通していくに耐えるクオリティを持ったオーディオブックの制作とリーダーの育成にあたっています。
単なる音読コンテンツではなく、「朗読作品」としてのオーディオブックを読める人を育てることが目的です。

文芸朗読、詩曲集、教科書朗読、英語朗読などで業界随一のクオリティと実績を持つアイ文庫のオーディオブック・ディレクターが指導にあたります。
ただ読むだけではない、情報伝達のみにとどまらない、「表現」の域にまで踏みこんだクオリティの高いオーディオブック収録ができるハイレベルなリーダー(朗読者)の育成をめざします。数多くの実践的なノウハウを盛りこんだプログラムで予定しています。

【本講座開講の背景】

オーディオブック市場にも多くの作品が登場し、iPodやiPhoneほか携帯プレーヤーの普及によりオーディオブックを楽しむ人が急速に増えつつあります。しかし、日本の現状は欧米各国に比べるとまだまだ普及が遅れているといわざるをえません。
しかし、KindleやiPadなど、オーディオブックも聴ける電子書籍リーダーが一気に登場してくるにともなって、日本でもオーディオブック市場に大きな期待感があります。
現在、オーディオブックコンテンツはパブリックドメインの文芸ものか、ビジネス書や自己啓発書、ラジオ番組や外国語教材、落語などの二次利用コンテンツが大部分を占めていますが、今後は現代文芸小説や教科書など、より朗読者の力量を問われるものが増えていくと予想されます。また、出版社や著者からは、朗読者に対して現状を上回ったクオリティの高さを求める声が直接寄せられています。
こういったコンテンツは、朗読者の「テキストを読む力(読解力)」や「表現力」が要求されることはいうまでもありませんが、このような朗読者を育てる場所はこれまであまりありませんでした。
そこで、時代の要求と将来展望にもとづいて、本講座が開講されることになりました。

◎ドキュメント「オーディオブックの真実」

日本のオーディオブックの現状や経緯を詳しく書いたドキュメントを、講師の水城が配信しました。
こちらからその全文が読めます。
アイ文庫のツイッターも参考にしてください。

2010年6月22日火曜日

iPhone の画面の回転を止める(iOS4)

今日の未明のことだが、iPhone のあたらしい OS「iOS4」がリリースされた。
盛りだくさんの機能追加で、iPhone がますます使いやすくなったのではないだろうか。
この新 OS は iPhone 4 の発売に合わせてリリースされたものだが、それ以前の iPhone 3G や 3GS にもインストールできる。iPod touch にすらインストールできる。

さて、寝転んでメールや twitter を読んだり書いたりするときに不評だった「勝手に画面が回転する機能」が、選択的にロックできるようになった。
たぶん、新 OS をインストールした私の知合いから、「その機能はどこにあるの?」と質問されると思うので、先回りして解説しておく。
キャプチャー画面の左下隅にあるアイコンがそれだ。タップすれば画面の回転を止めることができる。
この画面はどうやって出すかというと、ホームボタンのダブルタップ。その後に出てくる一番下のホームトレイを右にスライドさせれば出てくる。

「系列」にはいるということ、独立を保つということ

えちぜん鉄道という田舎の単線に時々乗る。
まことにのんびりしていてよろしい。九頭竜川添いの扇状地を抜けて走る車窓からの景色は、とくにこの季節、大変気持ちがいい。ほかの季節ももちろんすばらしい。そして冬は雪景色がいい。
第三セクターの経営だが、かつては京福鉄道という会社がやっていた。経営が行き詰まり、しかし電車をなくすのは困るという地元の声でなんとか残ったのだ。
運転手のほかに、車掌のかわりにキャビンアテンダントと称する若い女性がひとり乗っていて、愛嬌を振りまいている。なかなか感じがいい。
先日乗ったら、なぜか彼女はいつもの制服ではなく、野球のユニフォームのようなものを着ている。よく見たら、ジャイアンツのユニフォームを模したものだった。
なんでこんな田舎でジャイアンツ?
会社から支給されたものだろう。いくら彼女がジャイアンツファンだからといって、そんなものを制服の代わりに着て仕事ができるわけはない。
しばらく考えて、ようやくわかった。えちぜん鉄道という第三セクターには、大口出資者として福井新聞社がいる。福井新聞社は福井放送(FBC)という地方テレビ局の株主でもある。福井放送は日テレ系列のテレビ局である。日テレといえば読売新聞であり、ジャイアンツである。
つまり、読売新聞、日テレ、福井放送、福井新聞、えつぜん鉄道、という系列に添ってジャイアンツを応援せよという命題が下賜され、その見える結果のひとつがえつぜん鉄道のキャビンアテンダントがジャイアンツのユニフォームを着て乗務する、ということになっているわけだ。
これがつまり「系列」にはいる、ということだ。

日本社会はいくつかの系列で成り立っている。ひょっとしてこれらの系列は、元をたどればひとつに収束するのかもしれないが、我々の目には大きないくつかの流れが見えている。
経済の系列や利権の系列など、その性格で分けられるものもあるが、たいていは重複している。
この系列に乗れば仕事にあぶれないし、食うには困らない。一生安泰というやつだ。まれにへまをして系列からはじかれる者もいるが、他のものはそれを見て、自分はそうならないように息をこらして生きている。
生まれつきこの系列に乗ってしまっている者もいる。たとえば鳩山前首相のような人。あるいは多くの財閥や大企業の二代め以降。有名タレントのジュニア。
そうでない者は、一生楽して暮らしていくために、若いときからこの系列にはいるために必死になる。
たとえば就活であり、受験勉強である。
系列に乗れれば食うには困らないが、阪神ファンなのに巨人のユニフォームを着させられることもある。そもそも、阪神ファンであることすら忘れてしまうように飼いならされるだろう。
DoCoMo の社員で iPhone を使いたい人はどうするのだろう。
ま、余計なお世話ではある。

自分のことを振り返ってみたい。
私はこの「系列にはいる」ことができなかった人間である。一時、小説家としてデビューし、商業出版という経済系列(このなかにもさまざまな系列が存在するのではあるが)に乗るチャンスがあったのに、乗れなかった。
世間ではこういう人間を「負け組」という分類に入れる。
理由は簡単である。小説が売れなかったからだ。あるいは、売れそうな小説を書かなかったからだ。
そのために金銭面では大変な苦労をしたし、いまも苦労している。しかし、その苦労のおかげで、「系列外にいる」という立場を獲得することができている。この歳になってそのすばらしさ、貴重さがしみじみとわかってきた。
私はアイ文庫という会社に関わっている。また、現代朗読協会という NPO法人にも関わっている。いずれもどこの系列にも属していない。
「独立系」という言葉があるが、まさにそれのビュアな一例であろう。こういう組織は、運営や経済的な苦労と引き換えに、活動の自由を得ている。まったくもって貴重で、ありがたいことだと思う。
極端ないいかただが、どこかの系列に吸収されて食うに困らなくなる代わりに自由を失うのだとしたら、私は自由なまま餓死するほうを選ぶ。
しかし、現実には、家族がいたり、ともに働くパートナーがいたり、仲間がいたり、私ひとりの問題ではない。
勝手きままにふるまって、私のみならず彼らをも餓死の道連れにするわけにはいかない。
そこのかねあいが難しく、苦しく、そしてまたおもしろいのである。

もうひとつ風呂敷を広げれば、私はこの苦しい状況がいつまでもつづくとは思っていない。経済状況の変化、人々の価値観や生活スタイルの変化、そういったものを注意深く観察していると、渦巻きのような流れが見えてくる。その流れは「独立系」の人間にとって悪いものではない。
また、ただ座して流れが変わるのをながめているつもりはない。流れの変化そのものを私たちの活動によって起こしたいと考えている。
そのためのツールはすでに手に入れている。「現代朗読」であり、NVC(非暴力コミュニケーション)である。

Ustream番組「UBunko」今夜20:00オンエア!

今夜20時から第二弾をお送りします。
今夜はオーディオブックの初収録に挑戦したまりもちゃんがゲストのトーク。
新美南吉の「ごん狐」を収録したんですが、本当にすばらしかったのです。直後の感想など、たっぷり語ります。
視聴はこちらから。

2010年6月18日金曜日

下北沢〈Com.Cafe 音倉〉のオープンマイクに出ます

先月、デリヘイとの「祈る人」ライブをおこなった下北沢のライブカフェ〈音倉〉では、毎月オープンマイクをやっています。
今月は明日の夜です。
それに朗読の野々宮卯妙と出演します。
まだなにをやるかは決まってません。
出演者のほかはとくにチャージのようなものは必要ないみたいです。飲食代のみで楽しめるようなので、みなさん気軽に遊びに来てください。
私たちは8時半くらいの枠をもらってます。

〈Com.Cafe 音倉〉のサイトはこちら

名古屋ウェルバ・アクトゥス第二回公演のためのワークショップ参加者募集

 を〈ウェルバ・アクトゥス2010〉のほうに書きこみました。
⇒ こちら

2010年6月17日木曜日

Ustream新番組「UBunko」今夜20:00スタート!

いきなり始めます。
初回は大阪のナレーターでアイ文庫オーディオブックの朗読者、そして現代朗読協会正会員である窪田涼子とみずきゆうとのスペシャル・オープニング対談の中継です。
視聴はこちらから。

今後、しばらくは不定期に、いずれは定期配信をめざしていきます。
トーク、音楽、朗読、ライブ中継など、盛りだくさんな内容を予定していますので、どうぞご注目を。

デリヘイ Soulful Live が京都で

先日、下北沢〈音倉〉で、そして名古屋〈あうん〉と〈メーテル八事ハウジング〉で私とライブをおこなった馬頭琴奏者のデリヘイが、今度は京都でライブをおこないます。
私は出ませんが、ご案内します。
お近くの方はどうぞ。

2010年6月11日金曜日

北陸=名古屋〈あうん〉

5時、起床。晴。
葡萄棚の作りを少し修正する。

9時半、家を出て、福井経由、名古屋に向かう。

13時半、名古屋駅でデリヘイと位里ちゃんに拾ってもらって、車で〈あうん〉に向かう。途中、楽器屋に寄って、キーボードスタンドを借りる。

あうんでセッティング。明後日の八事ハウジングの野外ステージで音響をやってくれる尾嶋さんが来てくれて、セッティングを手伝ってくれる。大変助かった。
リハーサルをざっとやる。東京で一度やっているので、スムーズに進んだ。曲目を一部変更したが、大きな問題はなし。
上の平野さんのテキスタイル工房で時間をつぶす。長い待ち時間だと思っていたがみんなで話をしていたらあっという間だった。
お客さんたちはもういらしていて、食事組が食事中。それが終わって8時すぎからライブ本番の予定。さて、どうなりますやら。




6月のワークショップと金星演劇祭参加

 を〈ウェルバ・アクトゥス2010〉のほうに書きこみました。
⇒ こちら

2010年6月7日月曜日

2010年6月6日日曜日

2010年6月5日土曜日

身体のなかを蝶が飛ぶ

 を〈水色文庫〉のほうに書きこみました。
⇒ こちら

読み聞かせ:聞いてくれない子をどうすればいいか

mixiの知人の日記にこのような書きこみがあった。
小学校で読み聞かせのボランティアをやっている方の日記。その一部を勝手に引用させていただく。

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朝の授業前の10分間、こどもたちは机を後ろに押し詰めて 空いた床に体操座りして
聞いてくれます。
どのクラスにも一人や二人、みんなの輪からはみだして 後ろや端っこに座る子がいますが、
そのこたちが おはなしがすすむにつれて、ずりずりとお尻を動かし 近づいてくるのをみると、しめしめ と思います。

でも、木曜日は 一人のおんなのこ 後ろに下げた机に座って こっちを向こうともしなかったわ。 
チュー先生が せっかく治療してあげたおおかみに食べられちゃうんじゃないか!って
前に座った子たちは真剣な顔してページをみつめているのに 
そのこは そっちのほうをみてあくびしてました。

絵本 きらい? おばちゃん きらい?  ともだち きらい?

でもね やっぱり 前においでよ。  と 言いたいんです。
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この方の残念な気持ちは痛いほどわかる。
私も現代朗読協会で小中学校を訪問し、似たような状況に直面することがよくある。
こういうとき、こちら側・大人はどう対処すればいいのだろう。

内田樹氏なども主張しているが、現代の子どもたちがそのような態度を見せるにはそれなりの理由がある。
詳しくは割愛するが、近代以降の効率主義、経済主義、報酬主義的なシステムで「経営」されている学校や家庭生活のなかで、子どもたちがそのような「かったりー」という態度を示すのは当然のことなのだ。
子どもに限らないことだが、そのような「高効率が最大目的」とされる社会においては、当然のことながら「最小労力で最大の効率をあげる」ことが良しとされる。
これは、「なんの目的も報酬もない」ことについては労力を割いてはならない、という、裏返せばそういう価値観でもある。
「読み聞かせ」とか、「洗い物などの家事手伝い」といった、目的も報酬も得られないことに対して子どもたちは、
「自分はほかに高目的で高報酬のためにやるべきことがあるんだよね。だからこういうのはかったりーんだよねー」
というせいいっぱいの抵抗姿勢を見せることになる。親や教師も、そういわれればそのとおりで、自分たちもそのように子どもを教育してきたものだから、反論はできず、ただ沈黙するのみなのだ。
「いいから黙ってやれ」
というかつての親や教師の言葉は、現代の子どもたちには通用しない。目的と報酬を示さなければ彼らは動かないし、そのようにしたのは親や教師にほかならない。もっといえば、資本主義というシステムそのものでもある。

では、読み聞かせのときにふてくされた態度でこちらを無視し、お話を聞いてくれない子どもがいたら、どう対処すべきか。
彼女はおそらく、せいいっぱいの「演技」で、自分は「読み聞かせなどには関心がない」というメッセージをこちら側に送ってきているのだ。
一所懸命に聞いている子どもたちに勝るとも劣らない強いメッセージを、こちらに送ってきていると理解したい。
そういう子どもに対しては、こちらから声をかけたり、引っぱりこもうとするのは逆効果である。こちらがとるべき態度は、「なにもしない。しかしきちんと存在を認めてやり、見守っておく」である。
こちら側のその態度は、かならず彼女にも伝わっている。
彼女が「読み聞かせ」に参加してくれるようになるかどうかはわからないが、こちらが彼女のありようをしっかりと見守って認めつづけている、ということへの認識が、彼女を救うだろう。

2010年6月4日金曜日

「朗読の快楽/響き合う表現」連載スタート

新連載スタートのお知らせです。
アイ文庫twitterにてタイトルのドキュメントの連続配信します。

創造と共感の場である「現代朗読協会」がいまの形になるまでの経緯を、私の思考過程の変遷をたどりながら正直に、誠実にたどってみたいと思っています。
おつきあいいただければ幸い。
ハッシュタグは「#roudoku」で、通しナンバーをつけます。

幸せになるための音楽再入門講座——もう一度楽しみたい人たちへ

『水城式ピアノの弾き方』(山海堂)や『水城式ジャズの聴き方』(ブックマン社)などの著書があり、小説講座、文章講座、朗読やオーディオブック講座などの名講義(迷講義?)で定評のある水城雄が、こんどは音楽講座をやります。

◎日時 2010年6月6日(日)14:00-16:00
◎場所 羽根木の家(世田谷区羽根木1-20-17)
◎参加費 一般1,000円/会員500円(要予約)
◎参加申込み 私または現代朗読協会に直接お願いします

◎当講座のねらい
 本来音楽はとても自由なもの。ところが、私たちの耳は西洋音楽や商業音楽で矯正され、聴くほうも演奏するほうもとても不自由な世界に閉じこめられてしまっています。それにすら気づいていない人がほとんどですが、そんな閉塞した耳を音に向かってもう一度解放してやりましょう。
 自由な耳を取りもどすには、もう一度音楽の原点に立ちもどってみる必要があります。作曲法でがちがちに構築された世界を嫌ったジョン・ケージが「沈黙」にもどってみたように。
 音楽とはなにか。私たちが聴いている音楽はどのような成り立ちを持っているのか。音楽と音楽以外のジャンルとはどのような関わりがあるのか。
 耳の自由を取りもどしたとき、私たちはふたたび広々とした音の世界で遊ぶことが可能になります。リスナーもプレイヤーも。

◎こんな方におすすめです。
・人と音楽の関わりについて、ジャンルを横断して学びたい人。
・最近の曲をうるさく感じてたまらないという人。それを「歳のせい」だと思いこんでいる人。
・なじみのないジャンルの曲を聴くと、どの曲もおなじように聴こえてしまう人。
・本来好きなのに、なぜか最近あまり音楽を聴きたくなくなってきた人。
・朗読に音楽をつけたいけれど、曲選びで途方に暮れてしまう人。
・現代音楽がわからない/楽しめないという人。
・たくさん練習をしたはずなのに自由に楽器を弾けない人。
・一度ならずレッスンを挫折したことがあって、それがトラウマになっている人。
・これからなにか楽器をやってみたいと思っている人。
・その他、音楽についての知識を深めたいと思っている人。

◎こんなことをやります
・西洋音楽/非西洋音楽の両方から音楽と人の関わりを解説。
・音楽の発展(あるいは退化)の歴史を実際の音を聴きながら解説。
・現代社会にあふれている商業音楽の成り立ちについて解説。
・音楽と他ジャンルの芸術の関わりについて解説。
・即興演奏の方法について、実際の演奏例をまじえて解説。
・現在から未来に向かうなかでの音楽/音声表現の方向性と可能性を検証。
・質疑応答
・ミニレッスン

自転車をこぐ

 を〈水色文庫〉のほうに書きこみました。
こちら

2010年6月2日水曜日

Mobile Writing Style の追求

iPad が日本でも発売になり、予約分があっという間に売り切れとなった。
私もほしいと思ったが、これまで初期ロット不良に何度か泣かされた経験があったので、買うなら次のロットにしようと決めていた。

店頭でちょっと触ってみたが、印象はなかなかよかった。
意外に小さくて軽いと感じたのと、スクリーンタッチのレスポンスのよさが印象に残った。
が、動いているのは iPad 専用アプリで、iPhone アプリとおなじものが大きな画面で動いているだけ、という感じもあった。

もちろん iPad でしか動かないアプリはある。
Keynote や Pages など、iWork 系アプリがそうだ。
しかし、Mac のアプリケーションがそのまま動くわけでは、もちろんない。
あくまで iPhone OS で動いている。

iPhone 自体は非常に気にいって使いこんでいる。
なにより、小さいのがいい。
なにしろ携帯電話なのだから。
それに加えて、さまざまなアプリによって日々機能を自分好みに進化させていくこともできる。

私の場合、音楽アプリをたくさん導入した。
なかには実際のライブ演奏で使用しているものもあるし、音楽製作に使っているものもある。

iPhone アプリのいいところは、コンピューターに張りついていなくても、いつでもどこでも使えることだ。
しかし、欠点もある。画面が小さくて入力が面倒だ。
その点、iPad なら画面が大きくて、そこそこ持ち運びやすい。
しかし、買ったという人たちの書きこみをしばらくながめていて、ちょっと思いなおした。

ツイッターやブログ記事を読んでいると、圧倒的に iPad のすばらしさを絶賛しているものが多い。
ほとんどがそうだといっていい。
完成度の高さを示すものだろう。
iPhone にしてもそうだ。
アンドロイド携帯が出てきているが、いずれも iPhone を超えているものはない。
最初のiPhone が出てからもう2年も経つというのに、どのメーカーも超えられないというのは不思議なことではある。
iPhone の相当な先進性を示すものだろう。
が、なかにいくつか気になる記事があった。

ひとつは、iPad をひと前で出して使うにはなかなか勇気がいる、というもの。
外出先の無線LAN環境で試してみようと思ってマクドナルドへ行ったはいいが、気後れしてついに一度も iPad をカバンから出せなかった、という人がいた。
かなり気が小さい人なのかなとも思うけれど、気持ちはわかる。
マクドナルドでなくても、混雑した電車のなかであれを出して操作するのは、かなり気がひけそうだ。

あるいは、意外に重い、という感想の人もいた。
とっかかりがないので、するっと落としてしまいそうだ、という。
なるほど。
だから、保護ケースが売れているのだろう。
しかし、私は保護ケースのたぐいが嫌いだ。
iPhone も裸のまま使っている。

もうひとつ、iPhone も MacBook も持っているという人が、iPad を買ったのだが、使う場面がない、というもの。
外出先では iPhone を使ってきたし、家や仕事場では MacBook を使っている。
私もそうだ。
どういう場面で iPad でなければならないか、と考えると、私もわからなくなる。
あえていえば、音楽ライブのときだろうか。
あるいはワークショップの講師や講演で話者をやるようなとき。

ちょっとふざけたメッセージも見かけた。
iPad は持っていないが、iPad mini を持っている、という人があれこれ書きこんだりしていた。
「mini だけど、電話もできるんだぜ」
みたいに。
いわれてみれば、iPad でできることで iPhone でできないことはほとんどない。
音楽アプリも、画面が小さくて操作はしづらいが、しっかりと動く。

もっとおもしろいことを知人から聞いた。
アメリカ人のある新聞記者が、海外に取材で出かけなければならなくなった。
その際、いつもは重いラップトップやら電源アダプタやらをスーツケースに詰めこんで行くのだが、思いきって iPad と Bluetooth キーボードだけを持って行った、というのだ。
なにひとつ不自由しなかったという。
彼の仕事について想像してみた。
新聞記者だから、記事を書くことがまず第一だろう。
さすがに iPad の画面に表示されるソフトキーボードは、いくら画面が大きいとはいえ、使いにくそうだ。
だから、キーボードを持っていったのだ。
で、打った記事をメールで送ったり、あるいはネットにつないで調べものをしたり、メールの返信ができればいいわけだ。
iPad でなに不自由なくできるのは当然のことだろう。
重いラップトップを持っていく必要はどこにもない。

そこで私はふと思いついた。
この記者とおなじようなことは「iPad mini」でできるんじゃないかと。
iPhone の最大の弱点は入力インターフェースの貧弱さにある。
だから、これにキーボードを接続できれば問題は解決する。
なにも iPad である必要はない。
むしろ、もっとコンパクトで軽快になる。

私のやりたいことを整理してみる。
ブログや原稿の執筆。
メールの返信。
ブログの更新。
ネットの閲覧。
やはりキーボードさえあればすべて解決できることがわかった。
ただし、残念ながら、iPhone にはそのままではキーボードを接続できない。

iPhone でキーボードを使う方法は、ふたつある。
もっとあるのかもしれないが、私がすぐに知ることができた方法はふたつ。
ひとつは Jailbreak する方法。
もうひとつは、Apple に 年間約1万円を払って iPhone の開発者登録をし、iPhone OS4.0 を入手すること。
私は開発者登録をしていたので、OS4.0を iPhone にインストールする方法を選んだ。
そして、Mac の Wireless keyboard を入手した。

Bluetooth での iPhone と Wireless keyboard との接続は実に簡単だった。
あっという間にペアリングが終わり、キーボードから iPhone にテキストを入力できるようになった。
メールの返信や原稿の執筆が普通にできる。
ブログの更新は、iPhone 用のブログ更新アプリをインストールして、それもできるようになった。
いま、ちょっとこれ以上の mobile writing style は思いつかない。

2010年6月1日火曜日

『だれも教えてくれなかったジャズの聴き方』がまだ生きている件

 ブックマン社というところから何年か前に出した本だが、てっきり版切れになっているとばかり思っていた。なぜなら、アマゾンで注文しようとしても、古本の在庫しか出てこず、新刊書としての扱いがなかったからだ。
 それなら、自分で電子ブックにしてみようと思って、版元にいちおう確認を入れてみたところ、まだ生きているという。アマゾンでは古い本は版が生きていても新刊の扱いからはずされてしまうのだそうだ。Web2.0はどこへ行った。
 いまはこちらのブックマン社直販サイトから買える。送料コミで1,955円。

 ついでに、さらにその前に山海堂から出した『水城式ピアノの弾き方』のことも調べてみた。
 こちらもいまだに「欲しい」というリクエストが時々あって、わざわざアマゾンで古本を取り寄せてその値段で売ってあげたりしているくらいだ。
 この本こそ電子ブックにしてもいいかもしれない。
 と思ったら、なんと山海堂は2007年に業務停止に陥っていたのだった。
 それならそうと、早くいってくれよー。
 このところの(何度めかの)大人のためのピアノレッスンブームもあることだし、いま再版もしくは改版すれば、ある程度は売れるんじゃないだろうか。
 どこか出したい出版社はありませんか? なくても電子ブックにするけど。

榊原忠美との朗読セッション「初恋」再演(名古屋6/29)

 2007年12月に西荻窪〈遊空間がざびぃ〉で初演された前衛朗読「初恋」が、姿を変えて再演されます。
「初恋」は水城雄によるオリジナル作品です。ツルゲェーネフではありません。
 場所は千種文化小劇場(ちくさ座)、いわゆる円形劇場です。
 榊原忠美(朗読)と私・水城(ピアノ)に加えて、現代音楽作曲家の坂野嘉彦さん(クラリネット)も参加しての、トリオセッションです。
 2007年の初演のときには、終演後(上演中は完全暗転のためドアがロックされていた)「こんなの朗読じゃない」と怒って帰ってしまった人が出たほどの前衛的な内容でしたが、今回はさらにそれに輪をかけるでしょう。
 お近くの方は覚悟を決めていらしてください。

・日時 2010年6月29日(火)17:00-18:30ごろ
・場所 名古屋市千種文化小劇場(ちくさ座) TEL : 052-745-6235
・料金 2,000円(全席自由)

・問い合わせ 052-909-3755(鈴木)

 このセッションは、6月29日(火)と30日(水)両日にわたっておこなわれる「人 いのち 祈り 朗読・語りと音楽の会」の一部としておこなわれます。
 会は午後2時から7時すぎまで、さまざまな演目が連続で上演されるもので、「初恋」のほかにもオーソドックスな朗読、朗読劇、ダンスと音楽など、盛りだくさんです。

2010年5月30日日曜日

オーディオブックの真実 目次

 アイ文庫のツイッターで「オーディオブックの真実」というドキュメントを連載しました(ハッシュタグは「#ABdoc」)。それをBLOGのほうでもまとめて読めるようにしました。

 朗読本/オーディオブックの制作会社であるアイ文庫が、どのような経緯でスタートしたのか。そしていまのようなハイクオリティのオーディオブックを作るようになったのか。また、日本のオーディオブック業界の特殊事情を、制作現場からの生の声です。

Vol.18 2010年5月19日配信分
Vol.17 2010年5月18日配信分
Vol.16 2010年5月17日配信分
Vol.15 2010年5月16日配信分
Vol.14 2010年5月15日配信分
Vol.13 2010年5月14日配信分
Vol.12 2010年5月13日配信分
Vol.11 2010年5月12日配信分
Vol.10 2010年5月11日配信分
Vol.9 2010年5月10日配信分
Vol.8 2010年5月9日配信分
Vol.7 2010年5月8日配信分
Vol.6 2010年5月7日配信分
Vol.5 2010年5月6日配信分
Vol.4 2010年5月5日配信分
Vol.3 2010年5月4日配信分
Vol.2 2010年5月3日配信分
Vol.1 2010年5月1,2日配信分

オーディオブックの真実 Vol.18(終)

アップル社の iTunes Music Store が日本に上陸し、本格的にオーディオブックマーケットの展開が始まって5年が経った。その間、iPodなどのメモリプレーヤーが爆発的に普及し、携帯電話の機能もさまざまに増えた。ユーザーの選択肢は圧倒的に増えた。

ケータイ市場も着うたを中心に音楽が、コミックを中心に電子ブックが、急速に売り上げを伸ばしてきた。一方、オーディオブックは、と見ると、確かにコンテンツの数は増えた。が、マーケット規模は実際に予測されたほどには成長していない。ベンチャーは苦戦を強いられている。

最初に述べたように、クオリティの高いオーディオブックの制作にはかなりの制作費がかかる。が、いまだにその制作費を回収できるほどの売り上げは確保するのが難しいし、朗読者も安価なギャラやわずかなロイヤリティでハードワークを強いられている。

魅力あるコンテンツも多くはない。とくに新刊書籍がすぐにオーディオブックになるケースはまだまだ少ない。実用書ではそのようなケースが増えてきたが、文芸書では皆無といっていい。文芸ものはいまだに著作権フリーのものを中心に展開しているのが事実だ。

著作権処理をして音声化される文芸ものもあるにはある。ことのは出版が出している筒井康隆や浅田次郎、川端康成などがそうだが、著作権処理にも先行して資金が必要になる。それだけの資金を回収するのが現状ではまだまだ難しいといえる。

その間にも、iPhoneが出てスマートフォンが普及しはじめ、またKindleやiPadなどの電子ブックが読める(オーディオブックも聴ける)端末が人気を呼んでいる。環境は充分にととのってきているといえるが、マーケットが育っていないのはコンテンツのせいだろう。

コンテンツ不足、コンテンツの魅力不足。オーディオブックというコンテンツは、はじめに述べたように、大きく分けてふたつの側面がある。ひとつは情報性を重視する実用書や講演録、語学レッスンなど。もうひとつは文学的味わいや朗読そのものを楽しむための文芸もの。

両方ともしっかりなければマーケットとしての魅力に欠けるのはいうまでもない。が、現時点では実用書や語学ものが圧倒的に作られ、買われている。オーディオブックは活字書籍と同様、文化的側面が大きいし、大事だと私は考えている。

よい内容のオーディオブックを、子どもも学生も若者も、通勤中の人も主婦もお年寄りも、なにかを「獲得する」ためでなく、豊かなマインドのために楽しむ。実用書や学習ものももちろん大事だが、即座になにかの役に立つわけではないものを楽しむ生活。

書籍や音楽、映画がそうであるように、オーディオブックもそのような楽しみ方をされればいいと思う。そのためには、やはりまだまだ文芸ものが足りないし、その表現クオリティに気を配ったものも少ない。アイ文庫はこのような考えで制作をつづけている。

最後に、オーディオブックの読み手の育成についての、アイ文庫の取り組みを紹介しておく。これはことのは出版にも全面的に協力してもらっているのだが、不定期に「次世代オーディオブック・リーダー育成講座」というものを開催している。

オーディオブックがたんなる「活字本を読みあげただけ」のものではない、すぐれた音声表現作品になるよう、優秀な読み手を育成することを目的としている。興味のある方はこちらをご覧いただきたい。

(おわり)

※この項はTwitterで連載したものです 。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。

2010年5月28日金曜日

オーディオブックの真実 Vol.17

このように、音声コンテンツとしての朗読の収録や、表現としての朗読の研究をつづけていくうちに、かなりオリジナリティのあるノウハウが蓄積されてきていることに、みんなが気づきはじめた。朗読表現についてのノウハウである。私たちはどの団体にも所属していなかった。

アイ文庫という会社も、私自身も、ナレーターや声優や朗読者の団体や系列、事務所などとは一切無縁であり、ノウハウはすべて独学で積み上げ、また実践によって検証してきたものだ。この方法は非常に回りくどくて時間はかかるが、大きな利点もある。

ノウハウをどこからもだれからも受け継いでいないので、既成の思いこみとか慣習的手法から一切離れている。業界内ではあたりまえで標準的だとされている方法が、実際にはとてもおかしなことをやっている、というようなことが、私からはよく見通すことができた。

このオリジナルな方法が意味のない無駄なトレーニングを排し、朗読の上達を早めるのに大変有効であることがわかってきた。また、そもそも「朗読とはなにか」、さまざまある表現ジャンルのなかでどのような位置づけにあるのか、といった原理的なことも考えるようになった。

私は朗読の表現行為の可能性をさぐるために、現代表現(コンテンポラリーアート)の勉強を始めるとともに、オーディオブックという商業コンテンツのみを目的としない、より大きな「朗読表現」のためのグループを、朗読ゼミの延長線上に作れないかと考えはじめた。

こうやって生まれたのが「NPO法人現代朗読協会」である。この話は本稿とは別に、あらためて現代朗読協会のtwitter(@roudokuorg)のほうで書くことにする。その前に、P社へのオーディオブック提供とP社を通じてiTMSでのダウンロード販売が始まった。

夏目漱石、芥川龍之介、太宰治などの、長短編を交えての文芸作品や、私の長編小説などオリジナル作品が次々とiTMSのトップ100にランクインし、さらに上位に顔を出すようになった。とくに人気を博したのが、私の著書『ジャズの聴き方』だった。

これは長らくランキング上位にとどまり、いま確認してみたところ150位くらいにまだ顔を出している。オーディオブックという特徴を生かし、音楽入りになっているところが作るにあたって苦心した。このようなオリジナル作品がたくさん出てくれば活況を呈することだろう。

アイ文庫では、また、「詩曲集」というものを得意としている。これは詩と音楽のセッションで、詩の世界と朗読表現、そして音楽が一体となって音声作品を作っている。これらがiTMSの初期にランクインしていたが、やがて「ことのは出版」が現れた。

ことのは出版は、当時唯一のオーディオブック専門の制作配信会社で、自社でも企画制作するし、また他社作品を預かっていろいろなダウンロードサイトに配信をする。ダウンロードサイトもiTMS以外に、mora、Listen Japan、OnGenなどたくさんできてきた。

これらのサイトといちいち個別に契約し、個別に配信作業をおこなっていくのは、膨大な手間がかかる。ことのは出版のような会社の出現はアイ文庫にとって大変ありがたいものだった。自社コンテンツを預けて配信してもらうほか、依頼を受けての制作も行なうようになった。

このようにことのは出版とタッグを組んでのオーディオブックの企画、制作、販売体勢がスタートし、それは現在まで続いている。これがアイ文庫の進んできた概略である。最後にオーディオブックについて、現状を踏まえたうえで概略を押さえておきたい。

※この項はTwitterで連載したものです ⇒ http://twitter.com/iBunko
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。

2010年5月27日木曜日

デリヘイ&水城ユニット、次は名古屋611〈あうん〉

 好評を博した下北沢〈Com. Cafe 音倉〉でのライブ「デリヘイ 祈る人—ここへと続く道ー」につづいて、名古屋でのライブのお知らせです。
 すでにメーテレ八事ハウジング野外ステージでのライブについてはお知らせしましたが、その二日前に下北沢の構成をベースにした、ちょっと大人の雰囲気のライブを名古屋〈あうん〉でおこないます。
 6月11日(金)19:00に「あうん」でお目にかかりましょう。

◎メニューが2コースあります。
 ゆっくりお食事を楽しみたい方は、19:00〜 お食事+フリードリンク付きのコース。
 残業の方は、20:15〜 フリードリンク付きのコース
 演奏時間は、70分くらいを予定しています。

◎ご予約はお早めに: delehei.01@gmail.com でも承ります。

オーディオブックの真実 Vol.16

アイ文庫オリジナル作品もあった。たとえば私がケータイ小説サイト「どこでも読書」で連載したSFサスペンス小説『浸透記憶』を音声化したもの。これは活字化されるより先に音声化されたのが(自分では)画期的だと思う。朗読は坂野亜沙美で、当時弱冠21歳だった。

『浸透記憶』収録のためのオーディションをおこない、そこで選ばれた声優の卵だが、この小説のムードに非常に合う雰囲気の読みができる人で、長尺の収録にもよく持ちこたえていい作品を残してくれた。iTunes Store などでぜひサンプルを聴いてみてほしい。

『浸透記憶』がオーディオブックに先立って連載されていた「どこでも読書」というケータイ小説サイトだが、私はここでいくつか長編小説を発表している。最初に発表したのが『BODY』という小説だったが、これは画期的な試みがなされた。ただし音声化はされていない。

『BODY』が連載されたとき、「どこでも読書」はAUのEZ-webでも配信をスタートさせた。配信ファイルの特徴として、テキストだけでなく音声も同梱して配信できた。そこで、小説を読みながら音楽も聴けるようにと「小説音楽」も付けることにしたのだ。

映画音楽ならぬ「小説音楽」である。『BODY』という小説に合ったテーマ曲(歌入り)や、章ごとの小説音楽を、配信の区切りごとにつけて出した。なかなか斬新な試みだと思ったのだが、実際にはあまり注目されなかったのは残念だ。しかし、いまでも読むことができる。

AUケータイを持っている人は、ぜひダウンロードして読んで(聴いて)みてほしい。このような「小説音楽」付きの配信という形態は『浸透記憶』でもおこなわれた。その結果、いくつかの曲が生まれた。その曲とテキストを使って、音楽と朗読のライブをやったりもした。

恵比寿の〈天窓スイッチ〉というライブハウスで「浸透記憶ライブ」がおこなわれた。音楽と朗読のライブなので、歌手陣が4人、朗読陣が4人、そして全員が女性という、とても華やかなライブだった。小説/朗読コンテンがそんなポテンシャルを持っていることを確信できた。

ネットライブというものもスタートした。livedoorのラジオ担当者と知り合いになり、アイ文庫のライブのために専用チャンネルを一本用意してもらうことになった。毎週、決まった曜日の夜、朗読研究会(その頃にはゼミと呼んでいた)のメンバーに集まってもらった。

ネットライブではそれぞれが読む作品を決め、あらかじめ「ゼミ」で研究しあったり、演出を受けておいたものを持ちよる。いまでは珍しくはないネット放送で、ただし音声だけのラジオだった。当時はもちろんUStreamのようなサービスはまだなかった。

曜日と時間を決めておいて、その時間になるとリアルタイムでネット放送をスタート。私はピアノを担当し、朗読の合間や、ときには朗読と共演して、内容を盛りあげる役。司会進行も私がおこなった。その様子はオンエアされるだけでなく、同時に録音もしておいた。

それらの録音からおもしろいものを切りだして、「アイ文庫オーディオブック・ライブ」として何作品かダウンロード配信されている。たとえば、野々宮卯妙が読んだ有島武郎「一房の葡萄」や夢野久作「縊死体」、窪田涼子が読んだ芥川龍之介「桃太郎」など。

一発勝負の朗読ライブではあるけれど、実力のある朗読者が読んだものはそのままオーディオブックにできるだけのクオリティがある。また、スタジオできちんと収録したものとは違ったライブ感/ドライブ感があって、音声作品としても聴き応えのあるものになっている。

このネットライブは朗読者にとっても大変な勉強とトレーニングになったのではないかと思われる。アイ文庫の朗読ゼミに参加している者はどんどん実力をつけ、ほとんど無名にも関わらず有名声優やアナウンサーの朗読にひけを取らないものがとれるようになっていった。

※この項はTwitterで連載したものです。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。

2010年5月26日水曜日

次は名古屋でデリヘイとのライブふたつ

 日曜日に行なった下北沢〈Com. Cafe 音倉〉でのデリヘイとのライブの模様を、おいでいただいた人形作家のPonneさんがブログに書いてくれています。
 こちら

 次のデリヘイとのライブは、6月11日夜に名古屋〈あうん〉にて。
 さらに6月13日にも、名古屋メーテレ八事ハウジングセンター野外ステージで午後2時からあります。こちらは無料。
 お近くの方はおいでください。

オーディオブックの真実 Vol.15

そもそもどのくらい売れるかまったくわからない、あるいは売れたとしてもたいした数ではないことがわかっているオーディオブックの場合、アイ文庫を除いてはたいていの制作会社がギャランティー方式を採用しているようだ。一本あたりいくら、という決まった額で読んでもらう。

アイ文庫ではあまりそういう方式は取っていない。第一の要因としては、先行して多額の制作費を確保できるような資金力がない、ということがある。まだ売れてもいない(作ってもいない)コンテンツのギャランティーを朗読者に支払うほどの財力はない、というのが正直なところだ。

もうひとつは、アイ文庫では会社側と朗読者が「恊働してひとつの音声作品を作りたい」という気持ちが強いことがある。完成したオーディオブックはたしかに「商業コンテンツ」ではあるが、小説や絵画などと同様、音声表現作品であると考えている。

「作品」は制作会社のものである以上に、朗読者のものでもあり、またリスナーのものでもある。そういう考えで、朗読者の権利を「買い取る」ということはなるべくやりたくないと思っている。そこで、どのようにするかというと、ロイヤリティ=印税方式を採用している。

M社はクオリティの高さと権利関係の問題から、アイ文庫の朗読コンテンツを開発中の医療機器に使ってくれることになった。M社だけでなく、このような問い合わせがこのころからぽつぽつと入ってくるようになった。たいていが予算が合わず、商談は流れてしまったが。

そして残念なことに、M社の医療機器開発の計画も、その後さまざまな事情で流れてしまった。アイ文庫の朗読コンテンツが乗った医療機器が世に出回ることはなかったが、それからしばらくして、今度はやはりあるIT機器メーカー(P社としておく)からコンタクトがあった。

P社はハードウェアや、それに付属するソフトウェアを開発している中堅のメーカーだったが、オーディオブックも自社コンテンツとして扱おうとしていた。その際、さまざまなコンテンツ制作会社をあたった結果、M社と同様の事情でアイ文庫にコンタクトしてきたわけだ。

P社は朗読コンテンツそのものをダウンロード販売したい、という意向を持っていた。自社サイトでも販売展開するが、別のダウンロードサイトでも自社製品として売りたい、といってきた。その他社サイトに、ちょうど上陸したばかりの iTunes Store が入っていた。

上陸当初は「iTunes Music Store(iTMS)」といっていたが、Apple社のミュージックストアとしてすでに欧米では大きなシェアを占め、成功を収めていた。だから日本にも鳴り物入りで上陸して感があった。ここにコンテンツを出すにはどうしたらいいか。

ミュージックストアで「オーディオブック」というジャンルがあるのは、iTMSだけだった。そしてこのジャンルは、オーディブル・インクというアメリカの会社がアップルと組んでコンテンツ提供と管理をしているらしい。ここに朗読コンテンツを出すにはどうしたらいい?

P社はここにパイプを持っていたのだ。P社はアップル製品、つまりMacにもハードやソフトを提供していて、太いパイプがあった。iTMSの日本上陸についても情報を持っており、オーディブル・インクの日本支社とも付き合いができていたのだ。

かくしてアイ文庫が作ったオーディオブックはiTMS上陸のかなり早い時期にコンテンツとしてならぶことになった。当初は本当に品揃えがおそまつで(いまでも立派とはまだまだいえないが。なにしろ村上春樹も大江健三郎もないのだから)、アイ文庫のものはかなり目立っていた。

オープン当初は語学と落語程度、ほかにはNHK番組の二次利用のコンテンツくらいしかなかったところへ、夏目漱石の長編だの、芥川龍之介の主要作品だの、太宰治だの、古典作品がいくつか、といった文芸作品が次々とならびはじめたのだ。いきなりランキング上位に次々と入った。

※この項はTwitterで連載したものです。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。

2010年5月25日火曜日

オーディオブックの真実 Vol.14

話をずっとさかのぼって元にもどす。iTunes Store 上陸以前まで。iTunes が現われるまでオーディオブックを扱う場所がなかったわけではない。アイ文庫はもともとテキスト配信からスタートした会社であり、テキストコンテンツもたくさん持っていた。

いまでいう電子ブックだが、パピレスという電子書店が業界を先行していた。当初は売り上げも伸びず、大変苦労していたようだ。いまはどうか知らないが、6、7年前は電子ブックといっても、グラビア写真集などのアダルト向け商品が主力だった。

テキストも官能小説が一番の売れ筋で、アダルトビデオなどの動画作品もそこに加わっていった。動画がオーケーなら音声もオーケーだろうと、オーディオブックもパピレスで売ってもらうことになった。PC向けのダウンロードサイトで、iPodはまだ発売されていなかった。

パビレスでオーディオブックを売りはじめたのだが、ほとんどまったくといっていいくらい売れなかった。同時に、オンデマンドでCD-Rの販売も自社サイトでおこなったが、こちらもビジネスとはいえない程度の売り上げしかなかった。月に数枚がやっとだった。

そんな折、ある電気メーカーからコンタクトがあり、アイ文庫のコンテンツに興味があるという。なんでもその会社では、医療用のある機器を開発していて、そこに朗読コンテンツを入れたいのだという。いろいろな条件やクオリティの点でアイ文庫が条件に適合したらしい。

そのM社はアイ文庫の朗読作品をある程度まとめて買ってくれることになった。買うといっても、データであるから、その使用権を支払ってもらうということになる。契約書を結び、何年間かにわたってアイ文庫の朗読作品を自由にその医療機器に使っていい、ということになる。

買ってもらうといっても、作品そのものは手元にそのまま残っているし、引き続きネットやオンデマンドで売ってもいいのだ(ほとんど売れないけれど)。大変ありがたい話だった。こういうとき「原盤権」も売ってしまうやり方と、「原盤権」は保持する方法がある。

原盤権も売ってしまった場合、アイ文庫にはもうその作品を売る権利は亡くなる。ネットで売っているオーディオブックの売り上げも、その会社のものになる。アイ文庫は原盤権は売らない契約をした。ここで簡単に「原盤権」という言葉について説明しておかなければならない。

「原盤権」の「原盤」とは、音楽がレコード盤で売られていた時代の名残の言葉である。レコードの作り方。昔々の話。スタジオでミュージシャンに演奏させ、その音をアルミ盤のような柔らかい金属に針で傷をつけて「録音」していた。螺旋状の溝を音で振動させながら掘るわけだ。

掘られた溝に、逆に針を落として盤を回転させれば、音が再生されるという仕組みで、これはエジソンが発明した。その元の柔らかい盤を、そのままでは傷みやすいのでなんらかの加工をして丈夫にしたものが「原盤」と呼ばれるもの。その盤を元にしてレコード盤を複製するのだ。

この「原盤」こそが、音楽制作社の権利の元だった。原盤を元にコピーを作って売ることが、レコードを売るという商売だった。原盤をコピーする権利のことを「コピーライト(copyright)」という。「マルC」マークである。いまはデジタルデータなので原盤は存在しない。

しかし「原盤」という考え方はいまだに残っている。音楽(音声)コンテンツにはまず、原盤権が設定される。売価の何パーセント、というような形だ。次に著作権(作曲著作権/作詞著作権)、その他必要に応じて各種の権利が設定される。プレイヤー印税などもそうだ。

プレイヤー/演奏者(朗読者)に印税を設定するか、あるいは1回限りのギャランティーを渡しておしまいにするかは、契約による。印税の場合、作品があまり売れなければ朗読者は微々たる報酬しか手にいれることができないが、逆にたくさん売れればそれに応じてたくさん入る。

※この項はTwitterで連載したものです。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。

2010年5月24日月曜日

名古屋メーテレ八事ハウジング「デリヘイ馬頭琴ライブ」のお知らせ

 5月23日に東京下北沢〈Com. Cafe 音倉〉で大評判となったライブが、今度は名古屋で開催されます。しかも今度は、野外ステージ。入場無料。
 お近くの方、ぜひともお越しください。会場でお会いしましょう。

・日時 2010年6月13日(日)14:00スタート
・会場 メーテレ八事ハウジング芝生広場
・入場無料

 デリヘイは馬頭琴や歌、私はシンセとピアノを弾きます。

下北沢〈音倉〉デリヘイライブレポート

 2010年5月23日、日曜日。
 朝から雨。強くはないが、しとしとと降りつづけていて、あがりそうにない。

 荷物があるので、電車で羽根木に向かう。新代田の駅で降りて、外へ出ようとしたら、デリヘイとばったり会った。昨夜は大宮のほうにいるモンゴル人の友だちのところに泊まったという。
 一緒に羽根木の家へ。
 すでに位里、野々宮、糟谷、裕貴が準備作業中。当日パンフやらアンケート用紙やら、物販CDの準備やら。私も機材準備をするが、昨夜、ほとんどすませておいたので、楽。
 11時にマルさんが車で来てくれる。今回も手伝ってもらって大助かり。機材と楽器を積み込み、私とデリヘイが乗りこんで、ライブ会場の下北沢〈Com. Cafe 音倉〉に向かう。といっても、歩いて10分の距離だから、あっという間についた。

 11時半、会場入り。すでに〈音倉〉のスタッフの方が来ている。ふなっちも手伝いで来てくれている。
 楽器と機材を搬入。すぐにステージでセッティングを始める。私は今回、midiキーボード兼用のシンセと、音源とシーケンサーとしてのMacBook、それとiPhoneを使う。それらをミニミキサーに束ねてPAに出す。
 セッティングは30分ほどで終わり、12時からPA調整を兼ねたリハーサル。ほぼ全曲、さらうことができた。
 照明のセッティング。これは糟谷くんにやってもらうことに。
 マルさんは記録用ビデオのセッティング。2台。
 朗読陣ほかは1時半ごろに会場入り。裕貴ちゃんがおにぎりを作って持ってきてくれた。腹ごしらえにいただく。

 午後2時、昼の部、開場。
 げろきょのみんなが続々と来てくれる。ありがたい。豊津さん、つきみちゃん、小梅さん、麻紀ちゃん、唐さん、槐さん、前野さん、ほかにも何人か。仕事で付き合いのある方も何人か。位里ちゃんが呼んだ広告関係の人たちも多い。
 満席となり、3時定刻に昼の部スタート。
 今回のセットリスト。

1. 草原
2. Earth Beat
3. Ancient Winds
4. ネリンホハ
5. 「感」のブルース
6. ゆりかごの歌
7. 祈る人/ここへとつづく道
8. Soul

 出だしからデリヘイワールドが炸裂。最初の曲から涙が出た、といってくれた人もいるほど、充実したパフォーマンスとなった。
「祈る人」は野々宮卯妙と菊地裕貴に朗読で出演してもらった。とてもいい感じだった。
 私もいわゆる「曲」としてのフォームがある音楽をひと前でやるのはひさしぶりだったのだが、デリヘイとのコミュニケーションを楽しんでやれた。ただ、集中していたせいか、終わってからかなりへろへろ。まだあと1セットあるのに。かなりきつい。

 5時にはお客さんも帰り、少し休む。
 するとおどろいたことに、〈音倉〉からまかない飯が出るという。私はロコモコを頼んだのだが、これがかなりおいしくて、スタッフ一同、感激。
   げろきょの旗揚げ公演「奥の細道異聞」のときに出演してくれた水谷友子が来てくれる。
 6時、夜の部、開場。
 東松原の〈スピリット・ブラザーズ〉で児童養護施設の子どもたちにボランティア朗読をやったとき、いっしょにマジックで出演した柿崎さんが来てくれる。柿崎さんとは、またボランティア朗読に出るほか、いっしょにマジック朗読の会をやる企画が進んでいる。げろきょ関係では、ライブワークショップに参加の鈴木さんのほか、外塚さんや小梨さんも来る。矢澤ちゃんも子どもを預けて駆けつけてくれた。役者の石村みかさん、フリー編集者の菊地さんにもおいでいただいた。位里ちゃんからは、博報堂とか朝日新聞とか業界の人を何人か紹介してもらった。
 夜の部も満席となり、定時の7時にスタート。
 セット内容は昼の部とおなじ。ただし、雰囲気はだいぶ変わった。〈音倉〉は地下にあるのだが、明かり取りがあって、客席の照明を消しても昼は明かりが残る。が、夜は真っ暗になる。それがかなり客席の雰囲気を変える。そして今回は、昼と夜とでは客層がかなり変わった。そのために、私たちの演奏もかなり変わった。
 いずれにしても、充実のパフォーマンスで、終わったらまたもやぐったり。しかも、夜の部には終わってからも拍手が鳴り止まず、アンコールとしてほとんど練習をしていない「荒城の月」を演奏したりした。

 夜は演奏終了後もお客さんの大半が残って談笑していた。私も何人かと話をしたあと、機材の片付け。
 9時半にまたマルさんの車で機材を運び、羽根木の家にもどる。
 10時すぎにはみんなも戻ってきて、軽く打ち上げ。いいライブになったと、一同、満足げだった。よかった。
 デリヘイとは次は名古屋で、6月11日に〈あうん〉、6月13日に八事のメーテレハウジングプラザの野外ステージ、とつづく。基本的に今回とおなじ曲目なので、だいぶ気は楽だ。

オーディオブックの真実 Vol.13

編集が終わり、ファイルが整ったら、最終的なマスタリング作業に入る。このマスタリングというものがまったくないがしろにされているのが、オーディオブック業界なのだ。この機会に私は、他のメーカーの方に「どうぞマスタリングをきちんと行なってください」とお願いしたい。

音楽コンテンツ、つまりJ-POPもロックもクラシック曲も、商業コンテンツとして出回っているものに最終的な「マスタリング」という工程を経ていないものはない。100パーセント、マスタリングしてある。もししてないものがあるとすれば、それはアマチュアのものだろう。

しかし、現状のオーディオブックの世界では、逆にマスタリングしてあるものを探すほうが大変だ。マスタリングはなぜ重要なのか。なぜ音楽の世界ではすべてマスタリングを必要とするのか。それには、マスタリングという工程でなにを行なっているのか理解してもらう必要がある。

電子的に録音された音というのは、そのまま再生しても、録音されたときのようには聴こえない。どんなにすぐれた再生システムがあっても不可能だ。録音されたときのように、あるいは朗読者が読んだときの雰囲気のように再生するためには、電子的な工夫を加えなければならない。

ピアノはピアノらしく、バイオリンはバイオリンらしく、オーケストラはオーケストラらしく、そして人の声は人の声らしくスピーカーから再生されるためには、電子的な加工がどうしても必要なのだ。なぜなら、そもそも最初に電子的な信号として録音されたものだから。

電子的に録音されたものを、良質な再生音とするために、最終的にマスタリングがおこなわれる。専門用語を並べてもしようがないので簡単に述べるが、イコライザー(EQ)、コンプレッサー、リミッター、時には空間系のイフェクトも使用しながら、最終的な仕上げをおこなう。

音楽の世界では、マスタリング・エンジニアが重要な役割を果たしていて、レーベルや演奏者は必ず優秀なエンジニアを使う。マスタリングの仕上がりで学曲の雰囲気がまったく変わってしまうこともある。古い曲を「リマスタリング」することで現代によみがえったりもする。

このようにして、音楽は商業コンテンツとしての地位を獲得してきた。つまり、商品としてのクオリティの確保。これがユーザー/リスナーに対する誠意であろう。その動機がマネーであろうとも。たんなる情報伝達を越えた「音声作品」としての提供にはなにが不可欠かということだ。

最終的なクオリティを軽視したマーケットは、必然的に縮小せざるをえない。ユーザーの安全性を軽視した自動車会社が利益を得られないように。欧米では膨大な既存オーディオブックの二次利用によっていきなり大きなマーケットが出現したが、日本では事情が違っていた。

ほとんどゼロからスタートしなければならなかったオーディオブック市場は、最初からクオリティの確保は重要な問題だったと考えている。たとえ手間と時間とお金がかかったとしても、良質のオーディオブックをこつこつと提供することでしかマーケットは育たないと確信していた。

そういう理念のもと、アイ文庫は作品のクオリティにこだわってきたし、いまでもそうであるのだ。現在のオーディオブックマーケットを、クオリティの観点からひとくくりにしてとらえることは不適切だ。繰り返すが「テキストデータ」と「音声作品」の両方の側面があるからだ。

本の内容、つまりテキストデータを視読するのではなく、なんらかの理由で聴読する目的であれば、言葉が明瞭に聞こえればいい。音声作品としてのクオリティは問題ではない。が、音楽と同様、朗読を音声作品として楽しむ目的であれば、クオリティは重要な問題となる。

オーディオブックマーケットの成長と成熟は、これらふたつの側面から進んでいくだろう。聴読データとしてオーディオブックは、今後おそらく読み上げソフトなどに取って替わられるだろうし、全部がそうはならないとしても、アイ文庫の業務ではないと思っている。

※この項はTwitterで連載したものです。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。

2010年5月23日日曜日

デリヘイ(馬頭琴/歌)と水城のデュオライブ(5/23)のお知らせ

■祈る人 デリヘイ――ここへとつづく道――
 5月23日(日)15:00/19:00(開場はそれぞれ1時間前)
 Com. Cafe 音倉(下北沢)/3,000円(ワンドリンク付)
 ゲスト:野々宮卯妙ほか現代朗読パフォーマー

 音楽のジャンルはもとより、表現の枠組をも超えてさまざまなコンテンポラリーなアーティストと共演してきた水城ですが、今回はモンゴル人の伝統音楽の歌い手であり馬頭琴(その他民族楽器)奏者であるデリヘイと、まったくあたらしい音世界を発信することになりました。
 日本人にとっては懐かしくもあり、また耳新しくもあるモンゴルの音楽。若手ながらその正統な担い手であるデリヘイが、ジャンルを超えた現代音楽の作り手である水城と出会い、しかも即興性の高いパフォーマンスを展開する。おそらくだれもが聴いたことのない、いわば「懐かしき未来」ともいうべきサウンドが生まれようとしています。
 今後、ブレークすることまちがいありません。
 その最初の目撃地が、下北沢〈音倉〉です。

 カフェ形式のライブハウス〈音倉〉は、気さくな雰囲気ながらしっかりした音響空間で、あたらしいサウンドを堪能していただくには最適なスペースです。
 また、音楽形式だけにこだわらず、水城のもう一方の本拠地である朗読ともからんだパフォーマンスもおこないます。
 皆さんのお越しをお待ちしてます。

・予約はこちら
Com. Cafe 音倉の地図
デリヘイの公式サイト

オーディオブックの真実 Vol.12

言葉を発音するその中にも、リップノイズが混入することがある。この頻度は朗読者によってまちまちで、頻度だけでなく強弱の差もある。リップノイズが多い人には、それを無くすためのトレーニングをしてもらうよう、その方法とともにアドバイスをしている。

朗読者にも、自分のリップノイズについて自覚のある人とない人がある。マイク収録の経験がある程度ある人は自覚がある場合が多いが、そうでない人はまったく自覚のないこともある。とにかく、実際に収録し、リップノイズをキャッチできる「耳を作る」ことが先決である。

このようにノイズカットは時間がかかる場合とかからない場合があるが、いずれにしても必要な編集作業のひとつだ。ほかに必要なものとしては、読みの間合いの調整などがあるが、これは収録時にディレクターがチェックするので、アイ文庫ではほとんど編集時にはやっていない。

読みのリズムや間合いは、収録時に整えたほうが、編集の恣意が働かない。なので、読み違いも収録時に止め、「パンチイン」という音楽製作では馴染みの手法で継ぎ目なく修正してしまう。編集時に間合いを動かすとすれば、タイトルと本文の間合い、タイミング程度だ。

編集の最後は、音声ファイルの整理だ。なんていう作品のどの部分なのかわかるように、決まったルールに従ってネーミングとナンバリングがおこなわれる。収録された原ファイルも、編集ずみのファイルも、すべて二重三重にバックアップを取っておくことはいうまでもない。

などと威張っているが、アイ文庫も初期のころはずいぶん大きな失敗をいくつかやらかした。いまでも強烈に覚えている失敗を開示しておく。まずは田中尋三と『吾輩は猫である』を収録しているときのことだった。何十回分もの編集前の原ファイルを、あやまって消失してしまった。

なにがどうなってそのようなことが起こったのか、いまとなっては思いだせないが、うっかりバックアップを取らないまま消去してしまったか、編集ソフトで変な操作をしてしまったか。とにかく、そのようなファイル消失事故は一、二回だけではすまなかった。

相原麻理衣の『坊っちゃん』のときも、神崎みゆきの『三四郎』のときも、岩崎さとこの『こころ』のときもあった。ほかにもあったかもしれない。何度も痛い教訓があり、いまはめったにそういう事故は起こさないようになった。しかし、油断はできないと、いつも戒めている。

※この項はTwitterで連載したものです。
 新連載「朗読の快楽/響き合う表現(仮)」は近日スタート。

2010年5月22日土曜日

オーディオブックの真実 Vol.11

収録の前段階のことは割愛し、実際の収録作業からのアイ文庫における工程。収録環境として、当初、先に書いたように、ワンルームマンションの一室、一軒家の一階部分の部屋、そして地下室と変遷してきたが、その後も二度引っ越しをして環境が変わっている。

酒屋の地下のあと、すぐ近所の、やはり地下にある音楽スタジオに移った。さらに現在は世田谷区羽根木にある古民家の一室に簡易ブースを設置して、そこを収録ブースとしている。ブース内にはAKGのコンデンサーマイクと、モニター&トークバック用のヘッドホンのみ。

ブース外にリードされたマイクシールドはマイクプリアンプを通してオーディオインターフェースに行っている。インターフェースはいろいろなものを使ってきたが、現在はYAMAHAとMOTUのものを使い、コンピューターはWindowsとMacの両方を使っている。

このような環境で、朗読者がブースに入り、オペレーターがコンピューターにつく。そして収録ディレクターが脇に控える。オペレーターがディレクターを兼ねることもあるが、できれば読みのチェックとディレクションに集中したいので、二人体制が望ましい。

ディレクターがおこなうのは、読み間違いやアクセント違い、ノイズなどの読みチェックだけではない。アイ文庫の場合、事前に朗読者と入念に打ち合わせした「解釈」や音声作品としての最終的な方向性もディレクターが確認しながら、適宜指示を出しながら慎重に収録していく。

収録には、たとえば仕上がりが60分のテキストがあるとすれば、その2倍から3倍はかかる。1時間程度のものを収録する場合、その前後1時間ずつ余裕を見て、3時間のスケジュールを朗読者には押さえてもらっている。この体制はアイ文庫のクオリティのために欠かせない。

朗読者にハンディレコーダーを「ほい」と渡し、収録ブースにひとりでこもってもらって丸一日で本一冊を読ませてしまうようなところもあると聞く。ブースならまだしも、「家で暇なときに読んどいて」というやり方もあるようだ。最近のレコーダーの性能はかなりいいのだ。

エディロールやズームなどの音楽練習用やフィールドレコーディング用のハンディレコーダーは、高性能のマイクを使っており、相当な高音質での録音が可能だ。だからといって、ディレクターのチェックが入らないような収録現場など、アイ文庫では考えられない。

ある高名な俳優で、多くの番組ナレーションにも起用されている人が、外国の人気長編小説をオーディオブックにしている。明らかに「暇なときにちょいちょい」読んだものであり、機材もハンディレコーダーどころか会議用のボイスレコーダーであることは明らかな音質だ。

当然ながらノイズも多く、編集も雑なばかりか、マスタリングなどまったくされていない。これでは耳のよいリスナーは耐えられないだろうし、そういうユーザーはオーディオブックという商業コンテンツから離れていってしまうのではないかと危惧される。

話を戻す。無事に収録が終わると、音声データがコンピューターのハードディスク上に残る。それを今度はオーディオ編集ソフトで編集していく。この工程もアイ文庫では、音のクオリティを確保するために、音楽編集と同等である。まずは単純なノイズカット作業。

これだけでもかなりの時間がかかる。収録時間の5倍くらいは見ておいたほうがいい。ノイズの多い読み手のものだと、さらに時間がかかる。カットすべきノイズの多くは「リップノイズ」と呼ばれる、朗読者の口内や呼吸・唇まわりから発生してしまう微細なものだ。

リスナーの多くはリップノイズなど気にしないのだが、放っておくと全体の印象が(無意識的に)汚れたものになる。きれいに磨きあげられていないガラス越しに外の風景を眺めるような感じ、といえばわかるだろうか。リップノイズは言葉の「間」にあれば簡単に除去できる。

※この項はTwitterで連載したものです。
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2010年5月21日金曜日

オーディオブックの真実 Vol.10

上陸当初は「iTunes Music Store」略称「iTMS」といっていた。このサイトの欧米での成功は日本にも知られていたので、日本上陸の際には大変な注目を浴びた。ストアジャンルのなかに「ミュージック」の次に「オーディオブック」という項目があった。

日本ではほとんど知られていない言葉/ジャンルだった。「これなんだろう」と思ってクリックしてみた人は多かっただろう。が、実際に開いてみると、そこにはほとんど売り物らしいコンテンツはなく、閑散としていた。しかし、その後、多くのコンテンツが一挙に参入してくる。

あとで詳しく述べるが、アイ文庫のコンテンツもiTMSで扱われるようになり、また、他社コンテンツもドッとばかりにならぶようになった。2006年以降のことだ。目立つところでは、NHKなどラジオ局/放送局がらみのもの、そして語学関係のコンテンツがならびはじめた。

いずれも番組で流した朗読などの二次利用だった。語学関係のものも、すでにカセットやCDブックとして流通したあとの二次利用である。当初は最初からオーディオブックとして作られたコンテンツは少なかった。そんななか、アイ文庫の文芸コンテンツはなかなか健闘した。

コンテンツが少なかったということもあるだろうが、無名の会社が作り、無名の新人が読んでいるオーディオブックが、売り上げの上位ランキングに食いこんでいた。いまでもベスト100には必ず入っているが、吉田早斗子朗読の『方丈記』が、公開と同時に上位に入った。

なにしろ古典文学である。著者は鴨長明である。そんな作品が売り上げ上位の10位以内にいきなり入ってきたのだ。ほかにも多くのアイ文庫製作コンテンツが上位にいくつも入った。そういう状況のなか、資本力のある会社が何社か、録音物の二次利用ではないものを出してきた。

つまり、自社制作のオリジナルコンテンツをiTMSに投入する会社が何社か現われた。これらの会社はもともとオーディオブックを作っていたわけではなく、ビジネスチャンスがあると見たマーケットにいきなり資本が投下され、誕生した新興の制作会社といっていい。

グーグルで「オーディオブック 制作」などと検索すると、アイ文庫以外にも多くの制作会社がヒットする。それらの会社の多くが、オーディオブックという音声コンテンツを作っていながら、音声編集の基本的な仕上げ方、つまりマスタリングというものを軽視している。

いろいろな人に話を聞いてわかったことだが、オーディオブック=朗読本などというものは、録音機さえあれば朗読者がちょこちょこと暇を見つけては本を朗読し、あとで多少切ったりつないだりして体裁を整えればできてしまうように思っている人がたくさんいるらしい。

実際にそのようにして作られたオーディオブックはたくさんあるし、ネットで出回っているアマチュアの方が趣味で読んでいるものはほとんどがそうであるばかりか、制作会社が作った商業コンテンツですらそのように安直に作られているコンテンツがたくさんある。

もちろん本の内容を「テキスト情報」としてとらえ、それをたんに耳から取れるように「音声化しただけ」というとらえかたなら、それで充分なのだ。言葉がはっきり聞き取れ、内容が理解できればいい。多少のノイズやら音声クオリティなんて気にはならない。

しかし、アイ文庫ではオーディオブックもあくまで音楽同様の「音声コンテンツ」あるいは「声による文芸作品の一種」ととらえている。またそうでなければなぜわざわざ朗読者という「ひとりの人間/個性」が本を長時間、苦労して読みあげる必要があるというのか。

そのため、ノイズや音声クオリティにはかなり気を使って作っている。ここでアイ文庫でのオーディオブックの製作過程を簡単に紹介しておこう。事前の企画段階のことや著作権処理、テキスト選定や朗読者との読解を含めた擦り合わせ作業については、割愛する。

※この項はTwitterで連載したものです。
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2010年5月20日木曜日

オーディオブックの真実 Vol.9

朗読ワークショップの告知はおもにネットでおこなった。自社サイトやメールマガジンなど。興味本意の冷やかし半分で来る参加者はお断り、という意味で、参加費はかなり高額だった。しかも丸二日間にわたってみっちり、収録実習も含めておこなうものだった。

ワーショップ参加者のなかから何人かのオーディオブックリーダー(朗読者)が生まれた。もちろん、そのまますぐに本収録に移行できる人はほとんどいなかったが、アイ文庫の制作姿勢に賛同し、食いついてくれた人には、引き続き継続的に来てもらうことをお願いした。

ワークショップ終了後も地下スタジオに通ってもらい、作品を決め、読み込みをすすめ、収録のための技術を磨いて、本収録へと持ちこむ。そういう人が何人も出てきた。アイ文庫の朗読者の層は厚くなっていった。ひとまず、ワークショップの開催は成功といえた。

文芸朗読だけでなく、音楽家としての私の特性を生かした作品もできた。JFNの「はなのある風景」や、世田谷FMの「ジューシー・ジャズカーゴ」を皮切りに、オリジナル作品も作りはじめた。たとえばそのひとつが、岩崎さとことおこなった中原中也の詩曲集。

岩崎さとこは富良野塾第二期生の女優であり、いまは亡き今村昌平監督の映画「楢山節考」や「女衒」などに高校生のときから出演もしていたキャリアを持つ。彼女の朗読を聴いたとき、声優やナレーターにはない奥の深い表現力があり、驚いた記憶がある。なにしろ女優だ。

116 地下スタジオでは収録だけでなく、広い静穏スペースを利用してライブもやるようになったのだが、その最初のライブも彼女にやってもらった。その話は置いておいて、ともかく表現力の豊かさから、さまざまなオーディオブックを読んでもらったほか、詩曲集も作った。

中原中也の有名な「汚れちまった悲しみに」をやりたいと岩崎さとこがいうので、それを含んだ詩集「みちこ」を、ピアノの即興演奏とともに収録することになった。彼女が詩を読み、私がピアノを弾く。ほとんど打ち合わせなしのぶっつけ本番で、緊張感があった。

ピアノを弾く私は、中原中也の「ことば」に触発されて即興を音を出していく。それを岩崎さとこが受け取り、表現を重ねていく。それを聴いてまた私が……というふうに、コミュニケーションの連鎖で音声作品ができていく。この手法からはさまざまなことを知ることになった。

詩曲集を作る過程において私たちが交わしたのは、言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションの両方だった。それは「朗読とはなにか」ということを深く考えるきっかけとなった。この「朗読にたいする熟考」が、NPO法人現代朗読協会設立のきっかけとなる。

話を「中原中也詩曲集」にもどす。岩崎さとことは数回にわたって収録をおこなった。収録後は編集/マスタリング作業となる。ヴォーカルトラック、ピアノトラックのそれぞれを編集し、プラグインを使って各トラックに適切なイフェクトを挿入し、細かく整える。

CDにするためにツートラックにミックスダウンし、最終的なマスタリングをおこなう。音楽製作ではあたりまえの作業であり、オーディオブックには私はこの作業工程を適用していた。知らない人が多いし、また一般ユーザーには必要もないことだが、特殊な工程があるのだ。

音声コンテンツ製作の過程でもっとも特殊な(一般人が知らない)工程は、最終の「マスタリング」と呼ばれる部分だろう。おそらく言葉すら聞いたことがないと思うが、しかし製作現場の者で知らないものはいない。ところが、オーディオブック業界では様子が違っているようだ。

オーディオブックを作っている会社の人でも「マスタリング」という作業はおろか、言葉すら知らない人がいるというのを知ったのは、数年前のことだ。Apple のミュージックストア「iTunes Store」が日本に上陸したのは2005年8月のことだった。

※この項はTwitterで連載したものです。
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2010年5月19日水曜日

「真実」Vol.8の内容を差し替えました

「オーディオブックの真実 Vol.8」がVol.7の内容と同じだ、というご指摘がありました。
 失礼しました。
 差し替えずみですので、お知らせします。

オーディオブックの真実 Vol.8

この地下室ではものすごくたくさんの収録とライブと音楽制作とワークショップをやった。なにしろ一日中、朝から晩までスタジオにいるわけだから、制作ペースは半端ではなかった。また、自前のスペースがあるということで、さまざまな企画が生まれ実行された。

オーディオブックも順調に収録できた。地下室の隅にこのビル全体の排水設備がある、私たちが「パイプ室」と呼んでいた小部屋があった。狭い部屋だったが、ここはさらに音響的にも完璧だった。吸音材やら毛布やらを壁にならべて、無反響の収録環境を作った。

小さなテーブルと椅子を置き、マイクを設置して、朗読者はそこに入る。壁に小さな穴をひとつあけ、マイクやトークバックのケーブルを通して、収録機材とオペレーターは小部屋の外、つまり地下室の広い場所のほうで作業する。大変快適になった。

機材も徐々にグレードアップしていった。機材自体も劇的に安くなってきたというのもあった。また編集ソフトも劇的な進化をとげつつあった。バージョンアップのたびに夢のような機能が安価で付加され、しばらく前のプロフェッショナルなスタジオ環境がほぼ実現できるほどだった。

そうやってどんどん制作を進めていくと、悩みがひとつ出てきた。朗読者がどうしても足りないのだ。初期の若手メンバーはそこそこ育ってきたし、彼らが連れてきた二次、三次メンバーもいたのだが、それでもより多彩にコンテンツを制作するには足りなかった。

アイ文庫主催で朗読ワークショップを始めたのは、オーディオブックの読み手がほしかったからだった。ワークショップはオーディションも兼ねていて(そのほうが人の集まりがよかった)、実力のある読み手はすぐにでも収録メンバーに加わってもらいたいと思っていた。

実際には、すぐに収録に使えるような人はほとんどいなかった。皆無といってよかった。「オーディション付き」にしていたせいか、ワークショップに参加するのは声優、ナレーター、フリーアナウンサー、司会者といった、すでに声の仕事にたずさわっている人がほとんどだった。

アイ文庫としても即戦力をおおいに期待した。実際、きれいでスムースな読みなら問題がない人は多かった。が、朗読をやってもらうとなると、どうやら別の話になるようだった。とくに文芸作品の朗読ということになると、初期の若手メンバーとおなじような状況が生まれた。

文章をただきれいに正しく読むだけなら、声優学校や養成所で数年訓練を受けた人ならだれでもできる。が、文学作品を読解し、その世界観を声で表現する、さらにいえば朗読者の個性を生かせる読みとなると、声の仕事をしている人でもまったく役に立たないことが多い。

平板で、魅力のない、薄っぺらい朗読。それではアイ文庫が作る意味はない。もちろんそういう読みのほうがいい、というリスナーはたくさんいたし、いまもいる。文字情報を耳から入れたいだけなら、余計なバイアスはかかっていないほうがいいからだ。

淡々とスムースに読んでくれたほうがいい。実際、実用書などのオーディオブックはそのほうがいいだろう。しかし、この用途なら、いずれ近いうちに機械音声に取って変わられるだろうと私は思っている。読み上げソフトはかなりいい線まで来ていて、年々進化している。

人間にしかできない読み。その人でなければ表現できない世界。文字をわざわざ人の声で読みあげることで成立するオーディオ作品。アイ文庫ではそういったものを作りたい、作っていきたいと、最初から考えていた。まるで一曲をさまざまなピアニストが演奏するように。

まだそこまで行っているとはとてもいえないが、オーディオブックのコンテンツマーケットが成熟してくると、音楽マーケットがそうであるように、たとえば「羅生門」をさまざまな朗読者が読み、リスナーをそれらを聴き比べて楽しむようになるのではないか。

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2010年5月18日火曜日

賢人を作るコミュニティ

 最近の日本人が思考停止に陥りがちなのは、リスクを必要以上に避けたがるゆえにあまりに横並び行動を取りすぎるから、などという説がある。たしかに、老若男女を問わず横並び行動を取ろうとするのは、もともとリスク回避のための行動だったかもしれない。
 企業行動など、集団の行動にもその傾向は強い。日本の企業はとくに横並びを重んじるといわれているが、たしかにそのとおりかもしれない。このところの電子ブックをめぐる著作権の問題で大手出版社が寄り集まってあれこれいっているのを見ていると、横並びを重んじるあまり時代の変化についていけず、思考停止に陥って、ついには恐竜のように滅びていくイメージが湧いてくる。
 それはともかく、そのような思考停止におちいった大衆のことを、ニーチェは「畜群」と呼んでさげすんだ。真の人間は、畜群から離れ、想像力をもって超越しなければならない、と説いた。超人思想である。それもどうかと思う極端な話だが、いわんとするところはまあわからないことはない。
 大衆が畜群化しているとなにかと都合がいいのは、資本主義社会だ。「これがいいよ」といえば全員ドッとばかりにそちらになだれを打ち、作られた流行を追ってものを買い、プレハブに毛の生えたような家を35年ものローンを組んで買い、ぴかぴかの車を一家に一台そろえたがる。資本家にとってこれほどおいしい話はない。
 いや、共産主義社会でも畜群は都合がいいだろう。同一思想を植えつけて統制するには、ひとりひとりが「判断力」や「想像力」を持っていてもらっては困る。
 ようするに、国家という制度にとって、国民は畜群であるほうが都合がいいのだ。

「国家」といったが、これは「近代国家」といいなおそう。
 私が子どものころ、「すばらしい世界旅行」という番組があった。この番組には、時代のせいもあったのだろうが、しばしば「未開民族」とか「裸族」が登場していた。取材班はアマゾンの奥地やニューギニアの高地に分けいり、まだ文明(西洋文明ね)と接触したことのない部族を取材するのだ(山口探検隊じゃないよ)。
 そして視聴者は知るのだ。未開文明といっても、彼らなりの秩序と文化があり、自然を崇拝しながら静かに暮らしている、ということを。「未開」とは失礼ないいかたではある。
 いまになって思えば、「未開民族」たちのなかには、思考停止に陥った愚民はただのひとりもいなかった。子どもは長老たちに教えられ、自然のなかで生きていくための知識と知恵を身につけながら育っていく。大人になれば、部族の調和を保ち、問題が起きれば部族全員で考え、力を合わせて対処する。そして子どもたちは部族全員にかわいがられながら大人になる。ひとりの子どもに、お父さんお母さんが何人もいる。
 ニーチェのいう「畜群」は、まさに近代国家が生んだものだ。国家の必要から、国家が恣意的に作りだしたものなのだ。
 どうやって?
 もちろん「教育」によって。
 想像力を奪い、身体と精神を拘束し、消費と競争に快楽を覚えるように教育する。その結果、国民は「畜群化」する。反乱も革命もデモもない、一見平和で穏やかな浪費国家である。

 私たちが畜群であらぬためには、国家を解体するのがてっとりばやいだろう。しかし、もちろんそんなことはできない。
 では、どうすればいいか。
 私なりの考えだが、人々がひとりひとり存在を尊重され、自由でいることを認められ、そして自分と全体のことを同時に考えられるような場=コミュニティをたくさん作っていけばいい。そのコミュニティは畜群ではない。未開部族がそうであったように、愚民もいない。それぞれが知恵をもって、自分の責任で、自分と全体のために考え、行動している。
 そういう、人が賢人となり、そしてまた賢人を作りだすミュニティを作ることは不可能だろうか。
 いや、じつはすでに、現代朗読協会という見本があるのですよ。これがいいたくて、長々と書いたのであります。

賢人を作るコミュニティ

 を〈MIZUKI's writing desk〉のほうに書きこみました。
⇒ こちら

オーディオブックの真実 Vol.7

非常に魅力的な物件だったが、指をくわえてみすごすほかはなさそうだった。ちょうどそのとき、JFNというラジオ制作会社から番組制作の依頼がはいってきた。「花のある風景」という衛星放送番組のサウンドトラック制作の依頼で、その制作費が月額20万円だった。

新番組の制作費が入ってくるからといって、それを全部スタジオの家賃にあてる余裕はなかった。が、どうしても静穏収録環境がほしかったので、熟考した結果、ワンルームマンションを引き払って私はスタジオに住むことにした。それが5年間にわたる地下生活の始まりであった。

地下室はそのまま収録スタジオとして使えたが、住むとなるといろいろ設備が必要だった。トイレはついていたが、風呂はなかった。まさかバスルームを作るわけにはいかないので、広すぎるトイレスペースをふたつに区切り、シャワールームを手前に作った。

キッチンもなかったので、中古の業務用設備を売っている店に行って、シンクとレンジ台を安く買ってきた。ほかに水回りの工事が必要で、そのためにやむなく借金した。がともあれ、地下スタジオに住める環境が整った。いまから考えるとなにかの法に抵触するかもしれない。

当時はそんなことは知らないし、思いつきもしなかった。可動式のクローゼットとソファベッドを持ちこんだ。昼間は収録スタジオや事務所、またはちょっとしたワークショップなどもやれるミーティングルームとして使い、夜になるとソファベッドを広げ、布団を出して寝る。

親しい人以外、私がそこに住んでいることをかなりの人は知らなかったのではないだろうか。ともかく広いので、朗読研究会もゆったりとできる。なにしろ静かだ。ちょっとしたライブもできそうな広さだ。そのうち収録だけでなく、ワークショップやライブも行なうようになった。

住まいとしても、案外快適だった。地下のどんづまりの部屋なので、だれかに押し入られたら逃げ場はない。が、完全密閉空間ではなく、ドライエリアに通じる明かり取りの窓がふたつあった。それを明けると外気もいくらか入ってきたので、普段は窓を開けていた。

夜になり、人がいなくなると、窓を閉め、ドアに鍵をかける。すると、ほぼ完全な沈黙の空間となる。照明を消すと完全暗転が実現できる。ライブをやるようになって、昼間でも完全暗転がほしくなったので、窓に段ボールで目張りをして、外光もつぶしてしまった。

真っ暗で完全な静寂のなか、ひとりでピアノを弾くのは快感だった。デジタルピアノしか持っていなかったが、YAMAHAの初期型のそれはけっこういい音で、演奏の練習ばかりでなくいろいろな音楽的試行錯誤を、暗闇のなかでああでもないこうでもないとやることができた。

そういう環境のなかでできた作品群が「花のある風景」だ。先に書いたように、JFNというラジオ制作会社からの依頼で作ったサウンドトラックで、音楽に朗読が乗っている。タイトルでわかるように、季節の花にまつわる古今東西の文章を引用して朗読している。

番組自体は、有名なカメラマンが撮影した花の写真(静止画)をスライドショーのように動かし、それをハイビジョン映像にしたものだった。その番組の音をアイ文庫が作ったのだ。既成の曲もあるが、その合間に朗読とオリジナル音楽の作品をいくつか挿入した。

この朗読と音楽のシリーズ作品「花のある風景」は、近くアイ文庫からCD作品としてリリースする予定である。また、同様の作品をアイ文庫のシリーズとして継続して作りたいという望みも持っている。JFNの番組は2003年だったと思うが、4月から10月まで制作された。

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2010年5月17日月曜日

オーディオブックの真実 Vol.6

無料配信長編小説は、2作がほぼ同時に収録がスタートしたと記憶している。ともに夏目漱石で、『坊っちゃん』と『吾輩は猫である』だった。前者は相原麻里衣が、後者は田中尋三が朗読。これは現在もアイ文庫から販売されているほか、iTunes Store などでも買える。

『坊っちゃん』も『吾輩は猫である』も、ともに一回分の分量は5分前後。それを7、8回分、調子がよければ10回分くらい一度に収録する。相原麻理衣は住まいが近所ということや、作品自体が短めということもあって、『坊っちゃん』の全編収録は一ヶ月くらいで終わった。

その収録の合間に、やはりワンルームマンションの一室では録りにくい、ということで、もう少しましな収録場所を探していた。といって、資金がないので、防音室が完備したスタジオなど借りようもない。ワンルームより騒音問題が「まし」な貸し部屋を探した。

すると歩いて数分の近所(梅丘)に、一軒家の一階部分があいているのを見つけた。うまい具合に、二階部分も人が住んでおらず、大家の物置状態になっているようなのだ。これならけっこう静かな状態で収録作業ができるかもしれない。と、そこを借りることにした。

しかし、借りて使いはじめてみてわかったのだが、その一軒家はかなりの安普請で、外からの物音はほとんど筒抜けなのである。また、二階は物置にしか使っていないとはいえ、時々大家が荷物の出し入れのために出入りする。そのときの足音が一階を直撃するのだ。

そして立地は交差点のすぐ近く。バイクやトラックなど大きな音を立てる乗り物の通過や信号待ち、近所の犬のほえ声、道路での立ち話、カラスの鳴き声、そして大家が二階に出入りする音。そういったもので収録作業はしばしば中断させられるはめになる部屋だった。

それでも数ヶ月はだましすかし、がまんしながら使っていたろうか。その間に相原麻理衣による『坊っちゃん』の収録は全編を終えることができた。彼女は大変な努力の人で、滑舌や発声など日々の訓練をおこたらず、声優のなかでも突出した技術力を持っている人だ。

『坊っちゃん』の読みも、「きっぷのいい調子」で小気味よいテンポとなっている。収録のほうも、環境が最悪にも関わらず、予定より早く終わった。田中尋三による『吾輩は猫である』は、彼の住まいが遠方だったことや、テキストが大変長いということもあって、てこずった。

『坊っちゃん』の収録は終わったが『吾輩は猫である』がまだゆっくりと進んでいたとき、もうひとつの長編収録がスタートした。やはり夏目漱石の長編小説『三四郎』である。これは高橋恵子の教え子のひとりだった神崎みゆきに読んでもらうことにした。

長編朗読を収録する間にも、短編も収録しており、もちろんラジオ番組の制作もつづいていた。そして収録環境の「まし」な場所探しも。私の住んでいた豪徳寺のワンルームと梅丘の一軒家のあいだに、いまはもうないが、酒屋が一軒あった。よくそこで飲み物を買っていた。

ある日、酒屋のおばさんと話しているとき、この店の横に地下に通じる階段のようなものがあることに気づき、そのことについて聞いてみた。すると、地下はがらんとした倉庫のような地下室になっていて、いまはだれも使っていないのだという。借り手を探しているのだという。

さっそくその地下室を見せてもらうことになった。酒屋は1階が店舗、2階が貸し部屋、3階と4階が大家である酒屋一家が住んでいる住居となっているビルで、地下室は思ったより広かった。幅5メートルに奥行きが10メートル、それにトイレなどの突き出しスペースがあった。

地下室なので、入口のドアを閉め切れば地上の音はほとんど聞こえない。この広い空間全体を、完全な静穏スタジオとして使える。朗読だけでなく、音楽収録スタジオとしても使えるほどだった。問題は家賃だった。月額20万で、とてもそんな額を毎月払う余裕はなかった。

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2010年5月16日日曜日

オーディオブックの真実 Vol.5

オーディオブックというコンテンツは、基本的に朗読本であり、文章を人が読んだ音声データでできているものだが、私はそれだけではなんとなく寂しく、つまりラジオ番組のようにテーマ音楽とかジングルを入れたものにしたかった。幸い、私は曲も作ることができた。

ラジオ番組やオーディオブックと同様、というよりそれ以上に、コンピューターを使った音楽制作の世界は日進月歩で、大げさなスタジオがなくてもだれでもクオリティの高い音楽を作れるようになっていた。オーディオブックに使うテーマ音楽も、自分で作ることにした。

また私の妹は国立音楽大学の作曲科を出ていて、現在は名古屋の音大でコンピューター音楽を教えているので、彼女の作った曲もずいぶんいろいろとオーディオブックに使わせてもらった。そんなわけで、アイ文庫のコンテンツは当初から良質の音楽とともに提供されている。

こうやって作りはじめた朗読作品だが、クオリティの高いものについてはやはり発表したくなる。ケータイ広告事業は完全に失敗したアイ文庫だったが、幸いメールマガジンの読者はたくさんいる。この人たちに配信してはどうか、ということになった。無料で。

そのころはまだ「オーディオブック」という言葉はほとんど普及しておらず、日本の市場といえば新潮社など一部の出版社が出している「朗読カセット」や「朗読CD」か、視覚障碍者向けの図書館など公共機関を中心としたボランティアに近い朗読サービスくらいだった。

アイ文庫では新潮社のように朗読CDとして展開したかったが、もちろんそんな販路も広告資金もなかった。そこで、ネットで自社プロモーションをおこない、コンピューターで焼いたCD-Rにプリンターでプリントしたジャケットを付けて、オンデマンドで販売しようとした。

問題はどうやってアイ文庫の朗読CDの販売を多くの人に知ってもらうか、だった。そこでオーディオブックの無料配信をおこなうことにしたのだ。適当な長さ(5分前後)に分割したオーディオファイルをレンタルサーバーにUPし、そのURLをメールマガジンに張りつけて配信する。

5分というのは音楽だと1曲分くらいの長さだが、オーディオブックの場合、長さがまちまちなので、当然分割配信ということになる。田中尋三が朗読した夏目漱石の「文鳥」という作品は60分程度だが、メールで分割配信するとなると12回連続になる。

分割したオーディオブックのエンディング部分に音声広告をつけたり、メールマガジンで朗読CDの宣伝をしたりと、いろいろな工夫をして、無料配信と有料販売を結びつけようとした。が、世の中、なかなかそううまくいくものではない。いながらにしてもうかったりはしない。

決済方法の問題もあったかもしれない。いまでこそ個人ですらクレジットカード決済が利用できるようになったが(売り手側の話)、当時はかなり大きな信用のある会社でなければ利用できなかった。それに利用料金も高額だった。決済方法は銀行振込か着払いしかなかった。

なかなか銀行振込までして朗読CDを買ってくれるという人は少ない。これはいまでもおなじことだ。それに朗読は、音楽と違って、一度聴いてしまうと何度もCDを聴きなおすということは少ない。おなじ価格だと音楽CDに比べて割高感があるのだ。制作費はあまり変わらないのに。

というようなわけで、実際にはなかなか朗読CDの売り上げに結びつけることは難しかったが、オーディオブックの無料配信はかなりの反響があった。もちろん好意的な反応ばかりではなかった。イントネーションがどうの、漢字の読み方がどうの、重箱の隅を徹底的につつかれた。

それはそれで勉強になるものだったし、好意的な反応も多かった。励ましのお便りもいただいたりした。それらに元気づけられ、私たちは朗読研究会の内容を深めながら、さらに文芸朗読の収録を続けていった。やがて「長編小説も連続配信してはどうか」ということを思いついた。

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2010年5月15日土曜日

オーディオブックの真実 Vol.4

スタートした朗読研究会では、すべてをゼロから客観的/論理的にとらえなおすという姿勢で、声優たちには学校や養成所で習ってきたことをすべて捨ててもらうところから始めた。個別の問題をそれぞれ徹底的に洗いなおし、客観的な観測による対処法をひとりひとり考えていった。

それと並行して、テキストの扱い方・読み込み方の勉強もいっしょに始めた。これには私自身が小説家であるということが大いに役立ったように思う。文章を読むといっても、それまではただ漫然と繰り返し読み、せいぜい意味をとらえて文章になじんでいく程度だった。

ここに「書き手の視点」を持ちこむことによって、文章全体をかなり構造的にとらえられるようになる。この文章はどのように書かれているのか、なぜここにこの文章があるのか、この文章は全体の構造のなかでどのような位置づけを持って書かれているのか。

興味深いことに、このような視点で文章を構造的に読みこみ、理解を深めていくにつれ、読み手の「読み」も劇的に変化していったのだ。客観的に文章をつかまえるほど、主観(つまり読み手主体)との関係性が明確になり、読み手はその関係のなかに「表現」を持ちこめるようになる。

文章を客観的にとらえ距離を置くことと、読解によって徹底的に自分のものにすることとは矛盾しない。これができれば、読み手は自在にその文章を自分の表現材として使えるようになる。若手声優たちにはかなり難しい挑戦ではあったが、それでもおもしろい読み手が何人か出てきた。

先に書いたように、研究のためのテキストは私が書いたものではなく、古い文芸作品から選ぶことが多かった。古い作品の言葉にはなじみがなく、客観的な読解の勉強のためにはかえってよい材料だったからだ。そしてもうひとつ、著作権の問題があった。

著作権についても私たちは勉強を進めており、その扱いについては慎重になっていた。というのも、朗読の勉強が進むにつれ、せっかくだからその文章朗読を発表してみたいという気持ちが生まれてきたからだ。もちろん私が書いたものは番組内で定期的に発表していた。

それとは別に、夏目漱石や芥川龍之介などの有名な作品を、せっかくだからネットや朗読ライブで発表しようということになった。朗読研究会の初期メンバーは高橋恵子さんが紹介してくれた生徒数人だったが、その生徒がまた知り合いを連れてくる、というふうになっていた。

その初期メンバーのなかには、かなり読めるようになってきた者も出てきた。たとえば、相原麻理衣、田中尋三、神崎みゆき、大津千絵たちであり、ここにあとから窪田涼子、岩崎聡子、渡部龍朗なども加わっていく。最初の頃は短い時間で読み切れる短編を収録していた。

宮沢賢治や太宰治、梶井基次郎らのごく短いものを収録していた。田中尋三には夏目漱石の「文鳥」という短い作品を朗読してもらったりした。いまから思えば、どれも苦労しながら収録した、なつかしいものばかりである。最初は豪徳寺の私のワンルームで収録していたのだ。

収録機材はKORGのとてもちゃちな安いMTRと、Shureのダイナミックマイクを使っていた。その機材選定にしても、自分で調べた。使い方も苦労しながらの試行錯誤だった。半地下の比較的静かな部屋だったが、それでも普通のマンションの一室である。ノイズには悩まされた。

道路からの交通騒音が一番やっかいだった。とくにバイクやトラック、そして救急車。ほかにも犬やカラスの鳴き声、近くの部屋の話し声や物音。さまざまなものに収録を中断させられた。それでも静かな合間を縫っては、朗読の収録をしていた。

MTRに収録したものは、コンピューターに取りこむ。デジタルデータとして取りこむためには「AD/DAコンバータ」とか「USBキャプチャー」あるいは「オーディオインターフェース」と呼ばれる機械をかます必要があって、初期のころはYAMAHAのものを使っていた。

オーディオインターフェースを通してコンピューターに取りこんだ音声データは、音楽編集ソフト(当時使っていたのはSONAR)を使って編集する。微細なノイズをカットし、音量を調整し、不自然な間合いを詰めたり、あるいはのばしたりする。最後にはマスタリングである。

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2010年5月14日金曜日

オーディオブックの真実 Vol.3

榊原氏のような優れた朗読を、だれもができるようにはならないのだろうか。そういう疑問とともに、私には切迫した事情もあった。とにかくラジオ番組として聴くに耐える朗読を、若い声優たちにもやってもらわなければならない。こうして朗読研究会がスタートした。

有志の声優やナレーターの卵何人かに集まってもらってスタートしたプライベートな朗読研究会。場所は私の豪徳寺の自宅。ワンルームマンションの一室。最初は研究材料として、実際に番組で使う私の原稿を使っていたが、それではあまり勉強にならないことがすぐにわかった。

私の番組用スクリプトは、音声化を前提に書かれていた。原稿を書くとき、私の頭のなかでは朗読される声が聞こえている。なので、読むのにあまり苦労はない。それでは全然勉強にならないのだ。そこで朗読研究会で用いるのは、私のテキストではなく、昔の文芸作品にした。

昔の文芸作品は、若い朗読者にとってはなかなかの難物だった。まず読めない字がある。意味のわからない言葉がある、またイメージできない描写がある。文章の裏の意味がある。裏の裏の意味まである。つまりまずは読解の方法を学ばなければならなかった。

ただ書かれた文字を読むだけなら、小学生だってできる。音声読み上げソフトだってある。そうではなく、音声表現として文字情報以上のものを人に伝えるためにはなにが必要なのか。声優たちも勉強したが、私も徹底的に考え抜き、研究する日々がスタートした。

読解、日本語の発音発声の基礎、朗読表現。まったくの手探りだったが、私がもっとも心を砕いたのは、すべてのことについて可能なかぎり客観的・論理的にアプローチする、というものだった。というのも、声優の卵たちから聞いた声優学校での教育方法に大きな疑問を感じたからだ。

声優学校やタレントの養成所では、ほとんど「実演者」が指導をおこなっている。つまり、アナウンサー、ナレーター、声優などの経験者、現役の人たちが講師となって指導しているのだ。そういう指導は利点も多いが、限界もある。利点としては「よいお手本」をすぐに示せる。

生徒は先生のお手本を物まねすればすぐにうまい読みができるようになる。しかし、この方法には欠点もある。お手本を真似するので、どの生徒も似たような表現になってしまうことが多いのだ。実際にある事務所の養成所出身者には独特の癖があり、すぐそれとわかる人がいる。

声優学校にも固有の色があって、日ナレである、アナウンスアカデミーである、青二である、など、共通の癖がついてしまう人もいる。実演者が指導する際の問題点のひとつだ。もうひとつの問題点は、実演者は「自分の経験則」に従って生徒を指導しようとする、ということがある。

経験則は役に立つことも多いが、その「原理」を理解しないまま盲目的に教えたり教わったりすることには問題がある。ある人に役立った方法が、必ずしもほかの多くの人にも応用できるとは限らないからだ。とくに「読み」のような個人表現の場合、個性が重要になってくる。

経験則を超えるためには、原理を徹底的に理解する必要がある。日本語発音発声の場合、たとえば「滑舌」の問題。仮に「か行」が苦手、とくに鼻濁音が苦手、という話者がいたとする。その場合、まずやるべきは、彼がどのように「か行」を発音しているかの自身の観察であ。

おなじ「か行」といっても、人それぞれ身体の構造が違っている。「か行」に限らず、発音発声はすべて骨格と筋肉の動きのコントロールによっておこなわれている。コントロールをおこなっているのは感覚神経からの情報にもとづく運動神経である。

感覚神経、運動神経、筋肉、そして骨格は、人それぞれ全員、働きが違う。よくいわれることだが、運動神経が発達して人もいれば、にぶい人もいる。また筋肉が弱い人もいれば、骨格の構造は少しずつ違う。骨太の人もいれば、骨が細い人もいるのだ。顎の骨ひとつとってもそうだ。

「か」という発音をおこなうときにどのように骨格が動くのか。それを動かしている筋肉はどれなのか。そういった原理をしっかりと観察できていなければ、それぞれ微妙に違っている個人個人の発音をコントロールすることは難しい。原理を理解した個人が個別にやるしかないのだ。

2010年5月13日木曜日

次世代オーディオブック・リーダー養成講座受講生募集

新しい声のジャンル、“オーディオブックリーダー”養成のための実践的集中講座! 最終オーディションを突破してプロReaderを目指しましょう。6月14日スタートです。
ハイクォリティなオーディオブックを制作しているアイ文庫が、次世代のオーディオブックリーダー養成集中講座を開講します。
当講座には、オーディオブック販売のことのは出版と現代朗読協会の全面的バックアップを得ています。

主催:アイ文庫
協力:ことのは出版
   現代朗読協会

■次世代オーディオブック・リーダー養成講座
 声優/ナレーター/朗読者のためのステップアップ講座
 申込みはこちら

【概要】

オーディオブックの読みや収録についてのノウハウとトレーニング法を一日で集中講義します。
その後1~2か月のトレーニング期間をおいて最終オーディション(収録)をおこないます。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。

【詳細】

(1)集中講座

以下の日程で開催される一日集中講義を受講していただきます。

 日時:2010年6月14日(月)10:00~19:00
 場所:アイ文庫(世田谷区/京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
 受講料:33,000円

(2)トレーニング

収録用の作品を選び、(1)の内容の習得と(3)にむけての1~2か月間のトレーニング期間を設けます。
期間中は、メールによる指導と面談(またはスカイプ、希望者のみ)で習得状況をチェックします。質問等も自由です。
理解度や技術レベルによっては現代朗読協会のワークショップに参加していだくこともあります(参加費免除)。

(3)オーディション

アイ文庫のスタジオにて収録をおこないます。
収録後、数日以内に合否を決定します。
合格者は、ことのは出版(株)のオーディオブックリーダーとして登録され、商業コンテンツの収録に備えていただきます。
すでに第一期生が実際の収録に向けて動きはじめています。

【本講座の特徴】

オーディオブックリーダー(朗読者)は、ナレーターでもアナウンサーでもなく、声優でもない、新しい声のジャンルです。
オーディオブックの朗読にチャレンジしてみたいと思っている人が多いなか、その読みや収録についてのノウハウをしっかりとアドバイスしてくれる場所はそう多くありません。
そんななかで、アイ文庫は、今後も長くネットコンテンツとして流通していくに耐えるクオリティを持ったオーディオブックの制作とリーダーの育成にあたっています。

文芸朗読、詩曲集、教科書朗読、英語朗読などで業界随一のクオリティと実績を持つアイ文庫のオーディオブック・ディレクターが指導にあたります。
ただ読むだけではない、情報伝達のみにとどまらない、「表現」の域にまで踏みこんだクオリティの高いオーディオブック収録ができるハイレベルなリーダー(朗読者)の育成をめざします。数多くの実践的なノウハウを盛りこんだプログラムで予定しています。

【本講座開講の背景】

オーディオブック市場にも多くの作品が登場し、iPodやiPhoneほか携帯プレーヤーの普及によりオーディオブックを楽しむ人が急速に増えつつあります。しかし、日本の現状は欧米各国に比べるとまだまだ普及が遅れているといわざるをえません。
しかし、KindleやiPadなど、オーディオブックも聴ける電子書籍リーダーが一気に登場してくるにともなって、日本でもオーディオブック市場に大きな期待感があります。
現在、オーディオブックコンテンツはパブリックドメインの文芸ものか、ビジネス書や自己啓発書、ラジオ番組や外国語教材、落語などの二次利用コンテンツが大部分を占めていますが、今後は現代文芸小説や教科書など、より朗読者の力量を問われるものが増えていくと予想されます。また、出版社や著者からは、朗読者に対して現状を上回ったクオリティの高さを求める声が直接寄せられています。
こういったコンテンツは、朗読者の「テキストを読む力(読解力)」や「表現力」が要求されることはいうまでもありませんが、このような朗読者を育てる場所はこれまであまりありませんでした。
そこで、時代の要求と将来展望にもとづいて、本講座が開講されることになりました。

◎ツイッターで配信

ドキュメント「オーディオブックの真実」を配信しています。ハッシュタグは「#ABdoc」。
こちらも参考にしてください。

「オノマトペ」って?

現代朗読リスニング協会(?)のダンディー宮本氏からの情報です。
放送は今夜ですね。

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「オノマトペ」という言葉をご存じだと思いますが、
日本語のオノマトペが、外国人にはどう聞こえるかについて特集した、
NHKの「みんなでニホンGO」という番組で、
司会の船越英一郎さんの後ろあたりに(黒いメガネをかけて)座っています。

「みんなでニホンGO」
NHK総合テレビ 5月13日22:00~22:48放送
NHK総合テレビ 5月20日01:30再放送
NHK BS2    5月20日11:00再放送
http://www.nhk.or.jp/nihongo/index.html

2010年5月12日水曜日

オーディオブックの真実 Vol.2

読者との交流もまめにやっていて、いただいたメールをメールマガジン内で紹介したり、コメントを返したりしていた。その様子を見ていたY氏がおもしろがってくれたようだ。私になにかいっしょにやりましょうといってきた。ちょうどその頃、i-mode携帯が出た。

私のやっているメールマガジンでの小説配信を、携帯電話向けにして、その末尾に広告をつけてはどうだろう、というアイディアがふたりで話し合われた。私はこのあたりからちょくちょく東京に出かけては、Y氏と新規事業の打ち合わせをするようになっていった。

アイディアがふくらんでいくにつれ、Y氏の力の入れようはかなりのものとなっていった。広告を掲載する飲食店などにも営業をかけ、クーポン広告を取ってきたり、街頭でのビラまき宣伝などもおこなうなど、新規事業としてもかなり本格的なものになっていった。

とうとうこの事業のための会社を作ることになった。資本金300万円の有限会社「アイ文庫」がこうやってスタートした。が、詳しい話ははしょるが、このケータイ広告事業はあっという間にうまくいかなくなり、アイ文庫の経営はたちまち行き詰まってしまった。

このとき、私はすでに福井から東京に仕事場を移していた。世田谷の豪徳寺にワンルームマンションを借り、仕事場兼住居としていた。ケータイ広告がうまくいかなかったとき、先にも書いたように私はラジオ番組の制作もおこなうようになっていた。

ラジオ番組の制作には福井時代からかなり関わっていた。FM福井という東京FM系列の地方局があり、そこでほぼ開局当初から番組の制作に関わっていたのだ。いわゆる放送作家というやつで、構成台本やナレーターが読むスクリプト(原稿)を書いたり、自分もときには出演した。

そんなわけでラジオ番組の作り方については熟知していたので、世田谷FMで番組制作の話が持ちあがったときはなんのためらいもなかった。世田谷FMはいわゆるコミュニティFMという、半分行政が出資する第三セクターのラジオ局で、阪神淡路大震災の後にたくさんできた。

フリーアナウンサーの高橋恵子さんといっしょに「ジューシー・ジャズカーゴ」というジャズ番組をやることになった。世田谷FMのスタジオがあいている時間を見つけて、高橋さんとふたりでトークをし、CDをかける。それをざっくりとMDで録音し、自宅に持ち帰って編集する。

MDウォークマンをコンピューターとつないで音を取りこみ、あとは音楽編集ソフトで編集。当時はWindowsマシンを使っていたので、編集ソフトはSONARだった。コンピューターのスペックがある程度必要だったが、自宅でラジオ番組が作れてしまうのは画期的だった。

「ジューシー・ジャズカーゴ」は55分番組だった。大半がジャズのCDを流し、新譜や名盤の紹介だったが、それだけだと間がもたない。というわけで、番組内コーナーを作ることになった。「ジューシー・ジャズストーリー」という朗読と音楽を組み合わせたコーナーだった。

朗読と音楽を組み合わせた番組はFM福井時代にも作っていたことがある。福井トヨタ提供の「EDアーバンクルージング」という番組で、そのときの朗読者は名古屋の俳優・榊原忠美氏だった。この番組の制作があまりに楽しかったので、世田谷FMでも似たことをやりたくなった。

「ジューシー・ジャズカーゴ」はスポンサーもつかず、完全に制作費持ち出し番組だったので、だれもギャラをもらえない。そこで高橋恵子さんに頼んで、声優学校の出身者で声優の卵をやっている若者を何人か紹介してもらい、原稿を朗読してもらうことになった。

ジャズの曲を聴き、それに触発されたストーリーを私が書く。曲を流しながら、その雰囲気で朗読してもらう。FM福井のときとおなじ方式だった。ところが、若手声優というせいもあったかもしれないが、読めないのだ。音楽やストーリーに乗せたしっかりとした読みができない。

FM福井ではあんなに自由に即興的に朗読と音楽がからんで楽しかった。こういうことは声優学校のような声の専門訓練を受けた者はだれでも軽々とやれるものだと思っていた。大きな間違いだった。榊原忠美氏がとてつもなく突出した表現者であることにようやく気付いたのだ。

オーディオブックの真実 Vol.1

アイ文庫という小さな会社でオーディオブックを10年近くコツコツと作りつづけてきた朗読演出/プロデューサーの水城雄です。ゼロからスタートしたこの事業のマーケットもほとんど存在していなかった頃からの話を、できるかぎり誠実に真実を尽くして語りたいと思う。

会社といったが、アイ文庫は構成員が役員だけの小さな有限会社で、まったくの独立系だ。つまり、どこかの系列とか資本提供を受けていない、個人設立の法人という意味である。

もともとはi-modeケータイ電話の普及に乗ってテキスト系広告を配信する事業を展開するために、紙器加工と印刷業をやっていた人と水城がふたりで作った会社だが、ケータイ広告がうまくいかなくなり大手代理店が軒並み撤退するなどアイ文庫もすぐに立ち行かなくなった。

会社を閉めてしまうことも考えたが、テキスト配信事業と同時進行で世田谷FMでフリーアナウンサーの高橋恵子さんと「ジューシー・ジャズカーゴ」というジャズ番組を始めていて、そのときに高橋さんの紹介で若手声優が出入りしはじめていた。世田谷のマンションの一室だった。

FM番組「ジャズカーゴ」のなかにストーリーと音楽で構成するコーナーがあった。そのストーリーを若手の声優たちに読んでもらっていたのだが、ナレーションや吹き替えと違い、ストーリー朗読があまりにできないことが判明、じゃあ勉強会をしようということになった。

朗読の勉強会を始めてみると、朗読という表現行為においては実にさまざまなことを考えなければならないことがわかってきた。ちょっとあわてながらも、わくわくした。なにか知らないこと、あたらしいことに直面するというのは、私にとってとてもうれしいことだったからである。

このとき私は40歳をいくらか越えた年齢であった。ごく大雑把にいえば、20歳代のときには音楽を、30歳代のときには職業小説家として生活の糧を得てきたが、40歳に差しかかる頃にはすっかり商業出版の世界に嫌気がさしていた。すっかり疲れてしまったともいえる。

いまもそうだが、商業出版とは「良い本」を出すことよりも「売れる本」を出すことが目的の世界である。編集者は私の書いたものを「良い内容かどうか」ではなく「売れるかどうか」という価値基準でしか判断しない。さらに「売るために」と称してさまざまな改稿を要求してくる。

もともとは好きで始めた小説書き、もの書きである。20代の頃、前半は京都の祇園でバンドマンをやっていた。夜のステージまで持てあましていた時間を、好きな本を読んだり小説を書いたりしてすごしていた。20代後半は福井でピアノ教師をやりながら、やはりものを書いていた。

その小説がたまたま出版社(徳間書店)に売れ、単行本を出すことになり、そこから職業小説家としての生活がスタートしたのだ。最初のころは好きなことを好きなように書いていればよかった。が、そのころ(1980年代の終わりごろ)から出版界の構造不況がはじまったのだ。

小説、とくにノベルスという分野の本が売れなくなった。また、出版社の社員である編集者は高給であり、毎月何十万という給料をもらい、高級マンションに住み、高級車に乗っている。一方作家のほうは収入が逼迫し、生活費もままならないという状況が出現した。

そんなこんなで、小説を書いて生活費を稼ぐという暮らしに嫌気がさしてきたのだ。つまり、好きな小説書きではあるが、自分が望んでもいないものはもはや書きたくないという気持ちが急速に大きくなってきたのだ。そこで、食うための手段を小説に依らなければいいと開きなおった。

小説はネットで発表すればいい。お金にはならないかもしれないけれど、自分の好きなように書いたものが、多くの人に読んでもらえる。また、読者からのリアクションもある。書き手と読み手がダイレクトにつながることができる。幸い私はコンピューターやネットに強かった。

田舎に住んでいたため、いまではあまり使われることもない「情報格差」という問題を感じていて、コンピューターやネットへの関心は強かった。NIFTY-ServeやPC-VANなどはサービススタート時からのユーザーだったので、ネットは当初から使い慣れていた。

80年代後半からの「パソコン通信」の普及から始まって、90年代後半にはいよいよインターネットが普及しはじめた。ネットのヘビーユーザーであり、またコンピューターを使って執筆もすれば音楽制作もするという、IT技術の発展を同時代的に経験する者だった。

私がネットに小説を発表しているのを見て、コンタクトしてきたのが、先に書いたアイ文庫の共同創設者となった紙器加工業/印刷業の経営者のY氏だった。Y氏は本業のほかにもネット事業を展開するための会社を立ちあげていて、私のやっていることに興味を持ってくれたのだ。

Y氏がコンタクトしてきたとき、私は「まぐまぐ」というメールマガジンのシステムを使って小説の無料配信をやっていた。けっこうな読者がついていて、とはいえまあ数千人程度ではあったが、その人たちが毎日私の小説を楽しみに読んでくれては、ときにはメールをくれたりした。

2010年5月10日月曜日

小林沙也佳ちゃんと出る「泉里津」というコンサート

◎場所 西宮市甲東ホール(西宮市甲東3-2-29 アプリ甲東4F)
◎日時 2010年5月29日(土) 13:00開場/13:30開演
◎料金 前売2,000円/当日2,500円

 絵本オペラと語りで綴るコンサート、とのことです。絵本オペラがどういうものなのか私も知らないので、楽しみです。
 私はいつものように、小林沙也佳ちゃんの語りのサポートでピアノの演奏をします。ほかにも「絵本オペラ」の人たちや、歌とピアノの人たちも出演します。
「音楽はことばと心をつなぐ渡し舟」とパンフレットにあります。うまい!

◎主催 ムジカマーノ
◎問い合わせ 090-6667-7471/E-mail : musicamano_h@yahoo.co.jp

 私に直接おたずねいただいてもかまいません。

知り合いからの告知3件

 興味のない方は読みとばしてください。

 スパニッシュギターの小林智詠さんと、フォルクローレ歌手の八木啓代さんのライブの案内。
 後ろのほうに、エコツミの案内。
 この三人とはずいぶん長らくお会いしてない。

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5月3日(月)  *とぽけろっちぇ ライブ

出演/会田桃子(vln)、山下”Topo”洋平(q/z)、智詠(g/vo)

草加/シュガーヒル (草加市住吉1-4-9)
http://sugarhilljazz.jp/
時間/開演19:00、20:30
チャージ/1set ¥2,000 : 2set通し¥3,000 (各1ドリンク付)
お問い合わせ/:048-927-7489(シュガーヒル) 4/29~
アクセス/東武伊勢崎線草加駅より徒歩3分

★草加のジャズバーにとぽけろっちぇが登場します!

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5月5日(水)  *昼下がりのファド Vol.3

出演/月田秀子(vo)、飯泉昌宏(ポルトガルギター)、智詠(g)

四谷/マヌエル・カーザ・デ・ファド(千代田区六番町 11-7)
http://www.manuely.jp/
時間/開場12:00、開演13:30
チャージ/¥2,500 ※要予約
お問い合わせ/03-5276-2432(マヌエル)
アクセス/四ツ谷駅より徒歩3分

★月田秀子さんのライブに参加します。
四ツ谷のすてきな雰囲気のポルトガル料理店での昼ライブです。

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5月6日(木)  *トリオ@サンジャック

出演/山下”Topo”洋平(q/z)、青木菜穂子(pf)、智詠(g/vo)

西荻窪/ビストロ・サンジャック (杉並区西荻南 3-12-1)
http://pomkn.cocolog-nifty.com/sanjakku/
時間/開場19:00、開演20:00 
チャージ/¥2,500(+1ドリンク)
お問い合わせ/03-3335-8787(サンジャック)
アクセス/中央線西荻窪駅より徒歩2分

★サンジャックで山下洋平さん、青木菜穂子さんとのトリオです。
どんな音楽になるか楽しみです。

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5月8日(土)  *アルゼンチン音楽とバンドネオンの世界

出演/早川純(bn)、智詠(g/vo)

東京・瑞穂/耕心館 (西多摩郡瑞穂町駒形富士山 317-1)
http://www.koshinkan.jp/
時間/開場18:00、開演18:30
料金/¥2,000 (定員70名・全席自由)
チケット販売/3/10より耕心館・スカイホール・西多摩新聞社・北沢タウンホー
ル(世田谷区北沢)
お問い合わせ/042-568-1505(耕心館)

★早川純さんと耕心館でのコンサートです。
和建築を改装したすてきなスペースで、アルゼンチン音楽をたっぷりとお楽しみ
ください。

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5月9日(日)  *銀座アフタヌーン・ミロンガ

ダンスゲスト/Sebastian&Mariana
ライブ/G Tango Trio [智詠(g)、早川純(bn)、熊本比呂志(perc.)]

銀座/MY HUMBLE HOUSE  (中央区銀座3-3-1 ZOE GINZA B1)
http://www.mhht.jp/
時間/初心者レッスン12:30、ミロンガ13:00~16:00
料金/予約¥4,000、当日¥5,000(1ドリンク付)
お問い合わせ/080-1019-*9998(GYU)、090-3040-*6029 (KATO)
アクセス/銀座駅より徒歩3分、有楽町駅より徒歩4分

★銀座アフタヌーン・ミロンガ5周年おめでとうございます!
タンゴのダンスに興味のある方ぜひ。

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5月10日(月)  *MAYA  コンサート2010 マロウドのはなし

出演/橋本仁(q)、岡田浩安(z)、寺澤むつみ(g)、TOYO草薙(ch)
ゲスト/智詠(g)、芹澤シゲキ(bs)、渡辺大輔(q)、勝野勉(z)

錦糸町/すみだトリフォニーホール (墨田区錦糸1-2-3)
http://www.triphony.com/
時間/開場18:30、開演19:00
料金/前売¥3,500、当日¥4,000
お問い合わせ・予約/090-3227-7362 (葦工房) 
メール予約 info@ashibue.com
アクセス/総武線、半蔵門線錦糸町駅より徒歩3分

★フォルクローレグループMAYA・活動20年の節目のコンサートに出演します!

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5月12日(水)  *八木啓代 ライブ&トーク in Tepito  

出演/八木啓代(vo)、智詠(g/vo)

下北沢/テピート (世田谷区北沢2-34-8 KMビル3F)
http://www.tepito.jp/
時間/開場18:00、開演19:45
チャージ/¥2,000
お問い合わせ/03-3460-1077テピート)
アクセス/下北沢駅北口より徒歩4分

★テピートで八木啓代さんとのライブ、
感動のメキシコ料理とともにお楽しみください。

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5月13日(金)  *赤坂 ランチタイムコンサート

出演/早川純(bn)、智詠(g)、熊本比呂志(perc.)

赤坂/フローラルプラザ エントランス (港区赤坂3-8-8) 
http://www.akasakafp.com/
時間/演奏12:20~13:00
料金/入場無料
アクセス/赤坂見附駅より徒歩2分

★赤坂のフローラルプラザでのランチタイムコンサート、
タンゴでお楽しみください。

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5月14日(金)  *Hicalucas × Chiei ライブ

出演/岩川光(q/z)、智詠(g/vo)

赤坂/カーサ・クラシカ (港区赤坂3-19-9) 
http://casa-classica.jp/top/home.html
時間/開場 18:00、開演19:00
チャージ/ ¥2,500 (+1ドリンク)
お問い合わせ/03-3505-8577(Casa Classica/17:00~) 
アクセス/赤坂見附駅より徒歩3分、千代田線赤坂駅より徒歩5分

★岩川光さんとのカーサ・クラシカでのライブです。響きのいい空間での熱い演
奏を。

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*沖仁 フラメンコギターの世界

出演/沖仁(g)、智詠(g)、石塚隆充(Palma, Cante)、伊集院史朗(Palma,
Baile)

5月18日(火)  
狭山/狭山市市民会館 (狭山市入間川2-33-1)
http://www.city.sayama.saitama.jp/kakuka/simin/sikaikan/
時間/開場18:00、開演18:30
料金/前売¥4,500(全席指定) 
チケット販売/チケットぴあ 0570-02-9999
/ローソンチケット 0570-08-4003
/イープラス
お問い合わせ/03-3226-9999(MIN-ONチケットセンター
アクセス/西武新宿線狭山市駅より徒歩8分


5月19日(水)
熊谷/熊谷文化創造館 さくらめいと (熊谷市拾六間111-1)
http://www.sakuramate.jp/index.html
時間/開場18:00、開演18:30
料金/前売¥4,500(全席指定) 
チケット販売/チケットぴあ 0570-02-9999
/ローソンチケット 0570-08-4003
/イープラス
お問い合わせ/03-3226-9999(MIN-ONチケットセンター
アクセス/高崎線籠原駅より徒歩15分


5月20日(木)
羽生/羽生市産業文化ホール (羽生市大字下羽生876)
http://www.zaidan-hanyu.or.jp/index2.html
時間/開場18:00、開演18:30
料金/前売¥4,500(全席指定) 
チケット販売/チケットぴあ 0570-02-9999
/ローソンチケット 0570-08-4003
/イープラス
お問い合わせ/03-3226-9999(MIN-ONチケットセンター)
アクセス/東武伊勢崎線・秩父鉄道羽生駅より徒歩20分

★沖仁さんの埼玉での3夜連続コンサートシリーズ(狭山、熊谷、羽生)に出演
します。

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5月23日(日)  *月田秀子きまぐれコンサート Vol.13

出演/月田秀子(vo)、牧田ゆき(acc.)、上川保(ポルトガルギター)、智詠
(g)

大阪/アゼリア大正ホール (大阪市大正区小林東3-3-25)
http://www.osaka-udce.or.jp/azalea/index.html
時間/開場17:30、開演19:00
料金/前売¥3,500、当時由¥3,800 (全席自由)
お問い合わせ/06-6552-7053(昼) 06-6552-3820 (夜)

★月田秀子さんと大阪でのコンサートに出演します。

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5月25日(火)  *TOPO × CHIEI ライブ

出演/山下"TOPO"洋平(q/z)、智詠(g/vo)

大塚/グレコ(豊島区北大塚1-34-18) 
http://www.greco.gr.jp/index/index.htm
時間/開場 19:00、開演 20:00
チャージ/ ¥3,000
お問い合わせ/03-3916-9551(グレコ) 
アクセス/大塚駅北口より徒歩5分

★山下”TOPO”洋平さんと大塚グレコでのライブです。
フォルクローレ、オリジナル、歌も登場予定です。

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5月27日(木)  *Tango Tinto ライブ

出演/小川紀美代(bn)、智詠(g/vo)

六本木/ノチェーロ (港区六本木6-7-9 川本ビルB1) 
http://www.nochero.com/index.htm
時間/開演19:30、20:45、22:00
料金/¥2,600(+1ドリンク)
お問い合わせ/03-3401-6801(ノチェーロ)
アクセス/六本木駅より徒歩2分

★レギュラーのノチェーロでの小川紀美代さんとのドゥオ。
タンゴ・フォルクローレをたっぷりと。

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5月29日(土)  *津南ラテンフェスティバル

出演/月田秀子(vo)、飯泉昌宏(ポルトガルギター)、智詠(g)

新潟・津南/ニュー・グリーンピア津南(中魚沼郡津南町秋成12300)
http://www.new-greenpia.com/page_top/top.html
時間/開演18:00
料金/¥16,000 (一泊二食、交流会あり)※要予約
お問い合わせ/025-765-4611 (ニュー・グリーンピア津南)

★グリーンピアでのイベントで月田さんのライブです。山菜の時期楽しみです。


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エコツミ劇場
「八尺瓊勾玉」
~知られざる月読語り~

5月15日(土)
18:30op/19:00st  於 恵比寿 天窓.switch
http://www.otonami.com/ebisu/map/index.htm
前売¥2500 /当日¥3000 +1D

あやかしの歌が響くとき、古の伝説が動き出す・・・ 
今まで誰にも語られなかった物語。
三種の神器‘勾玉’と三貴神‘ツクヨミノミコト’。 

すべての狭間 昼と夜の真ん中 夜と朝のすきま 
勾玉はそんな場所でうまれた・・・

ご予約はこちらから
http://www.ekotumi.jp/reservation.html

3月ダイジェスト(2’22) http://bit.ly/9sidIx
1月ダイジェスト(8’27)http://bit.ly/bA2MNQ
次回ライブは7月16日
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2010年5月1日土曜日

ツイッター連載スタート「オーディオブックの真実」

 今日からアイ文庫ツイッターで「オーディオブックの真実」というドキュメントを配信スタートする。
 ツイッターなので、1項目140文字以内。この制限がおもしろい。
 いったいどうなるやら、自分でもまったくわからない。

 皆さん、よければサインインしてフォローをお願いします。
 アイ文庫ツイッターはこちら