2013年7月23日火曜日

限られた時間をどう生きるか

まわりくどいもののいいかたや、行動は、もうやめよう。
やりたいことをためらうのは、もうやめよう。
攻撃されることをおそれて正直にものをいうのをためのうのも、もうやめよう。

やりたいことがたくさんある。
片付けてしまいたいことがいくつかある。
伝えておきたいことが山のようにある。

人はだれもが、天からあたえられた時間を生きている。
時間の使い方はそれぞれだが、それが有限な資源であることはわかっている。
自分が死んでも、あるいは生まれる前から、世界はつづいていて、そこにも私の存在はふくまれていた(いる)ことは確かだけれど、私がプライベートに使うことができる時間は限られている。
その時間があとどのくらい残されているのか、私には知るすべはない。
明日の朝、目をさまさないかもしれないし、あと30年生きるかもしれない。
それはかんがえてもしかたのないことで、知ることができない残り時間を最良に生きる方法は、いまこの瞬間を全身全霊で生きることだ。

他人のふるまいや評価を気にしたり、びくびくしている暇はない。
いまこの瞬間の自分のことをなすことに忙しい。
自分の全体がきちんと機能して、なにかをやれているかどうか。
本当に自分のやりたいことにこの瞬間ちゃんとつながれているかどうか。
それを体認していようとすると、自分の外側にあることにとらわれている余裕はない。

たぶん私は、これまで、本当の意味で力をつくしてなにかをなす、ということの意味を知らなかったのだろう。
そのつもりでなにかをやっていたつもりでも、半分も力をつくしていなかったような気がする。
残り半分はなにをしていたかというと、さぼっていたのだ。
半分以上かもしれない。
しかし、いまそのことを悔やんでもしかたがない。
すぎてしまった時間はもうここではない。
つまり、無である。
私の人生は過去にでもなく、未来にでもなく、いまここ、この瞬間がすべてである。
この瞬間瞬間を力をつくして生き、その時が来たらただ受けいれて宇宙に帰っていこう。