2010年7月15日木曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.14

そうやって自由に自分の小説を配信しはじめた私に、ある人からコンタクトがあった。ミトラスという、いまはもうないが、ネットコンテンツの制作会社の社長の山田氏からだった。彼は私のやっていることに注目し、なにか一緒にビジネスができないかと持ちかけてきたのだ。

携帯電話の世界ではDoCoMoがi-modeケータイを大々的に宣伝していた。メールマガジンをそんなケータイに配信することも可能で、事業化できないかという構想を練っていた。ユーザーが喜ぶ無料の読み物コンテンツと広告を組み合わせたメルマガを考えていた。

仕組みはこうだ。読み物満載の娯楽メールマガジンを無料で配信して、万単位の読者を集める。メルマガの末尾に数行の広告を掲載する。1配信につき数円の広告料を広告主からいただく。ビジネスモデルとしては完璧なはずだった。私は山田氏とアイ文庫という会社を立ちあげた。

134 アイ文庫が立ちあがると同時に、私は仕事場を東京に移した。そのころには福井での仕事はほとんどしていなかった。パソコン通信はもちろんのこと、テレビやラジオの仕事もほとんど断っていた。娯楽小説を書く商業出版の仕事もしていなかった。ほぼアイ文庫一本になっていた。

東京では世田谷の豪徳寺にワンルームマンションを借りた。小田急線で新宿から20分足らず。アイ文庫は山田氏がやっていた新宿区のミトラスという会社に間借りしていたので、便利がそこそこよかった。東京に出るとアイ文庫の仕事以外にもいくつかの仕事が舞いこんできた。

まず知り合いのアナウンサーでコミュニティFMの仕事をしている人がいた。フリーアナウンサーの高橋恵子さんで、私がラジオの仕事をしていたということから、いっしょに番組を作らないかという話が来た。ただし、コミュニティFMなのでギャラは出ない。むしろ持ち出しだ。

スポンサーはとりあえずアイ文庫1社で番組を制作することになった。局はFM世田谷で、収録はここのスタジオでおこなう。収録素材を私が自宅に持ちかえり、コンピューターを使って編集し、番組にする。それを局に納品し、オンエアしてもらう、という流れだった。

いまでもコミュニティラジオ局では残っていると思うが、収録やオンエアに使う素材はほとんどがMDだった。私と高橋さんはスタジオに行って、いちおう番組構成の時間軸に沿ってトークをMDに収録する。終わったらMDを自宅に持ってかえり、コンピューターに取り込む。

当時はSONYのMDウォークマンを使っていて、当時の最新機種はUSB経由で直接デジタルデータをコンピューターに取りこめて便利だった。データはWAVE形式で、それをDAWソフトで編集する。デジタル・オーディオ・ワークステーションという音楽編集ソフトだ。

当時はまだWindowsマシンを使っていて、SONARというDAWソフトを使って編集した。ラジオ番組の編集はFM福井時代によく見せてもらっていたが、もちろんアナログのテープ編集だった。が、原理はもちろん同じで、デジタルのほうがはるかに楽だった。

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