東京都写真美術館まで映画「父をめぐる旅」を観に行ってきた。異才といわれた日本画家、中村正義の生涯を、実の娘の倫子が追うというドキュメンタリー映画だ。
キャッチ・コピーに「父・正義、あまりに過激。」とあったので、さぞや型破りで破天荒な人物像を想像していたのだが、実際には違った。
中村正義は異才というより、正統な日本画の緻密な才能を持った画家で、日本画という手法をもちいてどんなことでもできる天才といっていい。
ピカソのような抽象的な色面で構成したものも描くし、伝統的な花鳥風月的な日本画も描く。
浮世絵的なデザイン画のようなものも描くし、暗黒の内面をえぐりだすような人物画も描く。
52歳という若さで亡くなったが、長生きしていればどんな作品を残しただろうかという興味がわく。
日展という権威に戦いをいどみつづけ、そのために本来の画業がおろそかになるほど反権力にエネルギーを使った。
ある意味、現代の社会システムに反抗しつづけた人ともいえ、その点で強い共感をおぼえる。
晩年に近く、日展の本拠地である銀座三越で個展をひらいたとき、意表をつく美しい、静謐な風景画のみを出品した彼の心境は、どのようなものだったのだろうか。
スクリーンを通して見る風景画だったが、涙が出るほど胸を打たれるものだった。
制作クレジットに私の知り合いの名前をいくつか見つけることができた。
日本映画学校(いまは大学)関係のスタッフが中心に作られた、プロフェッショナルな匂いがただよう、非常にかっちりした作りの映画である。
ナレーションを担当しているのは岩崎聡子。
水城ゆうブログ
公式ウェブサイトはこちら ⇒ http://mizuki-u.com
記事へのコメント・メッセージはSNSにどうぞ。
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2013年1月18日金曜日
映像コンテンツ:水城ゆう音楽塾 第1回 配信スタートしました
水城ゆう音楽塾 第1回「音楽とはなにか、そのざっくりした歴史とともにかんがえる」を映像コンテンツとして配信スタートしました。
■本編はこちら。
■こちらから試聴できます。
2012年末からはじまって現在も大好評開催中の「水城ゆう音楽塾」。
学校では教わらなかった、そして音楽評論家や演奏者のだれもが教えてくれない音楽の本質に大胆に迫ります。
また、それを知り、水城式即興演奏法のエチュードを学ぶことで、まったく演奏経験のない人も即興演奏を楽しんだり、オリジナル曲を作れるようになる音楽塾。
これが映像コンテンツとして広くご利用いただけるようになりました。
第一回めの内容
好評を博した単行本『だれも教えてくれなかったジャズの聴き方』(ブックマン社)の著者であり、即興ピアニストでもある水城ゆうが、音楽全般についての歴史、聴き方、演奏法についておこなった「だれも教えてくれなかった」講義シリーズの第一弾。
そもそも音楽とはなにか、私たちはなぜ音楽を楽しむのか、私たちがいま聴いている音楽はどこからどのようにしてやってきたのか、といったことを大づかみに解説している。
なぜ人は音楽を聴くのか
音楽を聴くと心や身体が高揚するのはなぜか
音楽のざっくりした歴史
人の声帯の特殊な構造
歌とリズムから音楽が始まる
文明の発祥と音楽の発展
宗教と国家に支配された中世の音楽
ルネサンスからバロックへ音楽の爆発
対位法の行きづまりと和声の発見
メロディと和声が現代の大衆音楽
音楽で高揚する和音のしくみ
■音楽塾第1回の紹介とダウンロードはこちら。
■本編はこちら。
■こちらから試聴できます。
2012年末からはじまって現在も大好評開催中の「水城ゆう音楽塾」。
学校では教わらなかった、そして音楽評論家や演奏者のだれもが教えてくれない音楽の本質に大胆に迫ります。
また、それを知り、水城式即興演奏法のエチュードを学ぶことで、まったく演奏経験のない人も即興演奏を楽しんだり、オリジナル曲を作れるようになる音楽塾。
これが映像コンテンツとして広くご利用いただけるようになりました。
第一回めの内容
好評を博した単行本『だれも教えてくれなかったジャズの聴き方』(ブックマン社)の著者であり、即興ピアニストでもある水城ゆうが、音楽全般についての歴史、聴き方、演奏法についておこなった「だれも教えてくれなかった」講義シリーズの第一弾。
そもそも音楽とはなにか、私たちはなぜ音楽を楽しむのか、私たちがいま聴いている音楽はどこからどのようにしてやってきたのか、といったことを大づかみに解説している。
なぜ人は音楽を聴くのか
音楽を聴くと心や身体が高揚するのはなぜか
音楽のざっくりした歴史
人の声帯の特殊な構造
歌とリズムから音楽が始まる
文明の発祥と音楽の発展
宗教と国家に支配された中世の音楽
ルネサンスからバロックへ音楽の爆発
対位法の行きづまりと和声の発見
メロディと和声が現代の大衆音楽
音楽で高揚する和音のしくみ
■音楽塾第1回の紹介とダウンロードはこちら。
音読日めくり1月18日:梶井基次郎「蒼穹」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、梶井基次郎「蒼穹」です。
今日のフォトは金のなる木の鉢です。
ある家の外にきれいにならんでいました。
それにしても「金のなる木」なんてひどい名前をつけられてかわいそうな植物、と思うのは私だけでしょうか。
今日のフォトは金のなる木の鉢です。
ある家の外にきれいにならんでいました。
それにしても「金のなる木」なんてひどい名前をつけられてかわいそうな植物、と思うのは私だけでしょうか。
2013年1月17日木曜日
ゼミ三昧、朗読三昧のげろきょデー、Ustream中継の準備
今日は朝から朝ゼミ、昼ゼミ、夜ゼミと、ゼミ三昧、朗読三昧のげろきょデー。朝ゼミでは日榮さんのリクエストで、「雪やこんこ」という歌を使ったエチュードの練習とか、唐ちゃんの昔話など。
昼食にぞろぞろと下北沢まで歩いて行く。
目当ての〈千草食堂〉がなんと木曜定休ということで、近くの担々麺屋〈天手鞠〉にはいる。
昼ゼミはてんトコロと山田みぞれのふたりで、月末31日にやるネットライブの稽古。
Ustream中継で使う機材の点検をかねて、実際にすこし中継してみる。
しばらく使っていなかったのでセッティングに時間がかかったが、なんとかうまくいった。
見たとおり、これだけのビデオカメラと中継用機材でUstreamが流せてしまう。
今年はこれを活用しよう。
月末のてん&みぞれネットライブの詳細はこちら。
夜ゼミはオーディオブックリーダー養成講座受講中の宮崎さんと身体性を意識した朗読についてやってみたり、佐藤くんが『それから』を読んだり、その流れでみぞれちゃんが「揺れ朗読」を試してみたり、さやかちゃんがグリム童話を読んだり、顎のゆがみを意識して読むことで表現の変化を確認したり、たるとさんが宮沢賢治のコラージュ作品を読んだり、卯妙さんが『阿部一族』をひさしぶりに読んだりと、バラエティに富んだ内容になった。
昼食にぞろぞろと下北沢まで歩いて行く。
目当ての〈千草食堂〉がなんと木曜定休ということで、近くの担々麺屋〈天手鞠〉にはいる。
昼ゼミはてんトコロと山田みぞれのふたりで、月末31日にやるネットライブの稽古。
Ustream中継で使う機材の点検をかねて、実際にすこし中継してみる。
しばらく使っていなかったのでセッティングに時間がかかったが、なんとかうまくいった。
見たとおり、これだけのビデオカメラと中継用機材でUstreamが流せてしまう。
今年はこれを活用しよう。
月末のてん&みぞれネットライブの詳細はこちら。
夜ゼミはオーディオブックリーダー養成講座受講中の宮崎さんと身体性を意識した朗読についてやってみたり、佐藤くんが『それから』を読んだり、その流れでみぞれちゃんが「揺れ朗読」を試してみたり、さやかちゃんがグリム童話を読んだり、顎のゆがみを意識して読むことで表現の変化を確認したり、たるとさんが宮沢賢治のコラージュ作品を読んだり、卯妙さんが『阿部一族』をひさしぶりに読んだりと、バラエティに富んだ内容になった。
音読日めくり1月17日:葛西善蔵「椎の若葉」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、葛西善蔵「椎の若葉」です。
今日のフォトはJRと井の頭線の接続通路から見た渋谷のスクランブル交差点です。
マークシティの下のところ、岡本太郎の「明日の神話」がかかっている通路から撮影しました。
今日のフォトはJRと井の頭線の接続通路から見た渋谷のスクランブル交差点です。
マークシティの下のところ、岡本太郎の「明日の神話」がかかっている通路から撮影しました。
2013年1月16日水曜日
共感的コミュニケーション勉強会(講師・水城ゆう)のお知らせ
リリースされたばかりの『共感的コミュニケーション〔入門編〕』(電子ブック&オンデマンド紙本)の著者である水城ゆうが、わかりやすく共感的コミュニケーションについて解説するとともに、実践的なワークを通してスキルを身につけていただくための勉強会を開催します。
◎日時 2013年1月16日(水)14:00〜16:00(昼の部)
同日19:00-21:00(夜の部)
◎場所 現代朗読協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 2,000円
※どなたも参加できます。
※主催・音読療法協会/協力・現代朗読協会
※ボイスセラピスト資格取得者は参加費500円。更新ポイント1点加算。
※お申し込みはこちら
共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に、水城ゆうが整理したものです。
職場、学校、家族、パートナーなど、あらゆる場面での人間関係の向上に役に立ちます。
また組織運営や紛争解決にも大きな力を発揮するでしょう。
共感的コミュニケーションのスキルを身につけることで、人間関係のストレスを取りのぞき、生きいきと人生の荒波を楽しめるようになります。
◎こんな人におすすめです
人間関係がうまくいかずに気分が落ちこむことがある
職場や家庭の人間関係でいらいらしたり悩むことがある
パートナーとより深いつながりを持ちたい
落ちこんでいる友だちの気持ちを楽にしてあげたい
ささいなことが気になって眠れない
あがり性を克服したい
ひと前に出るとうまく話せない
ひと前で話すことが多い職業についている
落ちついた話し方や態度を身につけたい
人の気持ちがわからないと感じることがある
◎日時 2013年1月16日(水)14:00〜16:00(昼の部)
同日19:00-21:00(夜の部)
◎場所 現代朗読協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 2,000円
※どなたも参加できます。
※主催・音読療法協会/協力・現代朗読協会
※ボイスセラピスト資格取得者は参加費500円。更新ポイント1点加算。
※お申し込みはこちら
共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に、水城ゆうが整理したものです。
職場、学校、家族、パートナーなど、あらゆる場面での人間関係の向上に役に立ちます。
また組織運営や紛争解決にも大きな力を発揮するでしょう。
共感的コミュニケーションのスキルを身につけることで、人間関係のストレスを取りのぞき、生きいきと人生の荒波を楽しめるようになります。
◎こんな人におすすめです
人間関係がうまくいかずに気分が落ちこむことがある
職場や家庭の人間関係でいらいらしたり悩むことがある
パートナーとより深いつながりを持ちたい
落ちこんでいる友だちの気持ちを楽にしてあげたい
ささいなことが気になって眠れない
あがり性を克服したい
ひと前に出るとうまく話せない
ひと前で話すことが多い職業についている
落ちついた話し方や態度を身につけたい
人の気持ちがわからないと感じることがある
2013年1月15日火曜日
雪で転倒首都圏480人怪我の日、整形外科に行く
寒中にもかかわらず、けなげに完全に開花したカトレアがきれいでかわいい。日に何度もじっくりながめては、うれしくなっている。
去年はこの花が咲いている状態のものを購入したのだが、その後花が終わったときにたぶん切り落としてしまったのだった。
今年はドライにしたいのだが、どうすればいいだろうか。
まったくわからない。
15年くらい前に手術した右膝の調子がいまいちよろしくないので、整形外科に行くことにした。
冬になると、長いあいだ座っていたあとに疼痛が起こったり、歩きはじめたときに差しこむような痛みが出たりするので、ひどくならないうちにその原因を知っておきたかった。
下北沢病院の整形外科外来に行く。
昨日の雪がしっかり残っていて、凍結した路面はかなり危険。
転倒のけが人が続出とのニュース。
私は雪国生まれなので、雪道で転倒することなどありえないが、凍結路面はそれなりに緊張する。
平たい場所はツルーっとスケートみたいにひとりで遊びながら、下北沢まで歩く。
下北沢病院はこざっぱりした病院で、受付のお姉さんも感じがよろしい。
が、整形外科の診療は予約の人が優先とのことで、小一時間待たされた。
レントゲンを撮り、医師と話をする。
膝蓋骨の変形がひどく、膝蓋靭帯も骨化している、幸い大腿骨と脛骨の接合点は傷もなく体重を支えることには支障はない。
とにかく、大腿部の筋力をつけ、膝関節の柔軟性を保つ努力をつづけるしかない、とのこと。
風呂にはいってあたためてあと、ストレッチをするといいといわれたが、うちには風呂はないのよね。
プールにもっと行けるといいんだけど、なかなかその時間が取れない。
でも、年を取って歩けなくなってしまうのはいやだなあ。
『浸透記憶』のePub版電子書籍がアマゾンのKindleストアで販売公開された。
このストアでサウンド付き電子書籍を販売できないかと思って、ePubファイルにサウンドファイルを埋めこむテキストをいろいろやってみたが、思うような結果が得られない。
なにより、iPhoneやiPadでサウンドが再生できない。
この手のコンテンツはやはりアプリにするほうがいいのか?
デジタルコンテンツの試行錯誤はまだまだつづきそう。
いずれにしても、山のようにあるオリジナルコンテンツを、片っ端からネットコンテンツ化していって、有効に活用したい。
埋もれさせてしまうのはあまりに残念。
いまは「音楽塾」のビデオコンテンツを編集中。
これもどうやってネット公開するか。
映像コンテンツも山のようにあるし、あらたに作りたいコンテンツ企画もある。
去年はこの花が咲いている状態のものを購入したのだが、その後花が終わったときにたぶん切り落としてしまったのだった。
今年はドライにしたいのだが、どうすればいいだろうか。
まったくわからない。
15年くらい前に手術した右膝の調子がいまいちよろしくないので、整形外科に行くことにした。
冬になると、長いあいだ座っていたあとに疼痛が起こったり、歩きはじめたときに差しこむような痛みが出たりするので、ひどくならないうちにその原因を知っておきたかった。
下北沢病院の整形外科外来に行く。
昨日の雪がしっかり残っていて、凍結した路面はかなり危険。
転倒のけが人が続出とのニュース。
私は雪国生まれなので、雪道で転倒することなどありえないが、凍結路面はそれなりに緊張する。
平たい場所はツルーっとスケートみたいにひとりで遊びながら、下北沢まで歩く。
下北沢病院はこざっぱりした病院で、受付のお姉さんも感じがよろしい。
が、整形外科の診療は予約の人が優先とのことで、小一時間待たされた。
レントゲンを撮り、医師と話をする。
膝蓋骨の変形がひどく、膝蓋靭帯も骨化している、幸い大腿骨と脛骨の接合点は傷もなく体重を支えることには支障はない。
とにかく、大腿部の筋力をつけ、膝関節の柔軟性を保つ努力をつづけるしかない、とのこと。
風呂にはいってあたためてあと、ストレッチをするといいといわれたが、うちには風呂はないのよね。
プールにもっと行けるといいんだけど、なかなかその時間が取れない。
でも、年を取って歩けなくなってしまうのはいやだなあ。
『浸透記憶』のePub版電子書籍がアマゾンのKindleストアで販売公開された。
このストアでサウンド付き電子書籍を販売できないかと思って、ePubファイルにサウンドファイルを埋めこむテキストをいろいろやってみたが、思うような結果が得られない。
なにより、iPhoneやiPadでサウンドが再生できない。
この手のコンテンツはやはりアプリにするほうがいいのか?
デジタルコンテンツの試行錯誤はまだまだつづきそう。
いずれにしても、山のようにあるオリジナルコンテンツを、片っ端からネットコンテンツ化していって、有効に活用したい。
埋もれさせてしまうのはあまりに残念。
いまは「音楽塾」のビデオコンテンツを編集中。
これもどうやってネット公開するか。
映像コンテンツも山のようにあるし、あらたに作りたいコンテンツ企画もある。
Kindleストアで『浸透記憶』1〜5が発売になった
移植医療を扱ったSFサスペンスであり、警察小説でもあり、推理・アクションでもあり、愛の物語でもある『浸透記憶』が、ePub3形式の電子書籍になりました。
iPhoneなどのスマートフォン、iPadなどのタブレットでは、ePub3を読めるアプリで読めます。
アマゾンのKindleストアからダウンロードできます。
各100円。
iPhoneなどのスマートフォン、iPadなどのタブレットでは、ePub3を読めるアプリで読めます。
アマゾンのKindleストアからダウンロードできます。
各100円。
音読日めくり1月15日:織田作之助「馬地獄」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、織田作之助「馬地獄」です。
今日のフォトは昨日の積雪の東京世田谷の風景です。
昼前からどんどん降りはじめて、とても東京とは思えない風景になりました。
今日のフォトは昨日の積雪の東京世田谷の風景です。
昼前からどんどん降りはじめて、とても東京とは思えない風景になりました。
2013年1月14日月曜日
「恥ずかしい」という感情
photo credit: Έλενα Λαγαρία via photopincc
なにか自分がやらかして「恥ずかしい」と消え入りたくなってしまったことはだれもが経験のあることだろう。あるいは、なにかやろうとしても「恥ずかしい」という感情が起こったせいで二の足を踏んでしまったこともあると思う。
いったいこの「恥ずかしい」という感情は、人の大切にしていることのなにを指し示しているのだろうか。
ひと前でなにかスピーチをしなければならない場面がやってきたとする。
会社での朝礼でのひとことスピーチでもいいし、友人の結婚式でのスピーチでもいい。
あるいは宴会での乾杯の音頭でもいい。
好きな人に告白する場面でもいい。
そのとき「恥ずかしい」という感情がにわかにわきおこり、顔が真っ赤になり、しどろもどろになってしまっていおうと思っていたことがうまくいえなくなってしまう。
「恥ずかしい」という感情は「自分自身の存在や行為を評価する基準が自分の外側に設定されているとき」に起こる。
日本は「恥の文化」だとよくいわれるが、これも「ひとさまに顔向けができないようなことはするな」と子どものときから教育されることでわかるように、評価の基準が自分ではなく他人、あるいは社会の規範にある。
電車に乗って騒いでいる子どもをしかるとき、「恥ずかしいことはやめなさい」「まわりの人に迷惑がかかるからやめなさい」と親はいう。
たしかに自分の子どもが公共の場で騒ぐと周囲に迷惑がかかる。
だから子どもに「迷惑がかかるから」という理由で騒ぐのをやめるように命じる。
それをもって「自分のしつけが悪かった」と責める気持ちまで起こってくる。
あるいは「しつけができない親だと思われたらどうしよう」とおろおろしてしまう。
これらはすべて外部の基準による判断であり行動だ。
共感的コミュニケーションでは次のようにかんがえる。
自分の子どもが騒いで周囲に迷惑をおよぼすことによって「自分の必要性」のなにがそこなわれるのだろうか。
自分は公共の場における秩序を大切にしているのだろうか。
子どもがちゃんと社会とルールのなかで共存していけることを望んでいるのだろうか。
自分がなにを必要としているのか、なにに価値をおいているのかがはっきりとわかれば、子どもに伝えることばも変わってくる。
「お母さんはあなたに、電車のなかでは静かにしていられて、まわりの人に迷惑をかけない人になってもらいたいのよ(子どもが社会のなかで多くの人と共存していけるように育ってほしいから)」
それを聞いた子どもはどのように反応するだろうか。
「恥ずかしい」という感情は、人の公共性に深く関係している。
社会的強調、調和、秩序、平和、公平さ、そういったことに結びついていて、それらがそこなわれたとき現れる感情だが、しばしばそれは自分の価値観というより、社会的規範として刷りこまれた形で現れてくる(教育によって)。
しかし、価値判断の基準を他人軸である社会的規範ではなく自分自身の価値基準においたとき、恥ずかしいという感情は別のものに変化する。
「まわりにどう思われるだろう」から「自分はどうしたい?」に変わったとき、恥ずかしいという感情が消え、確信を持った行動に移れる。
好きな人に告白するとき、その結果断られたり相手にばかにされたらどうしよう、恥ずかしい、という感情がいったん起こったとしても、自分が相手に気持ちを正直に伝え表現することが大切だと思えたとき、恥ずかしさの感情を乗りこえ、自分を大切にするために相手に告白するのだ、と具体的な行動に移ることができる。
その結果が残念なことになったとしても、それは自分の責任ではなく、恥ずべきことがらでもない。
たまたま自分が受け入れられる条件が相手の側にそろっていなかったからだ、と思えばいい。
なにかやらかしてしまって「恥ずかしい」と思ってしまったとしても、自分の行動の結果は自分のせいではなく、相手側の条件にゆだねられているから自分では責任を取る必要はないし、取ることもできないのだ、ということをしっかり理解しておきたい。
・1月16日(水)に開催する共感的コミュニケーション勉強会の詳細はこちら。
・水城ゆう著『共感的コミュニケーション〔入門編〕』発売中。
なにか自分がやらかして「恥ずかしい」と消え入りたくなってしまったことはだれもが経験のあることだろう。あるいは、なにかやろうとしても「恥ずかしい」という感情が起こったせいで二の足を踏んでしまったこともあると思う。
いったいこの「恥ずかしい」という感情は、人の大切にしていることのなにを指し示しているのだろうか。
ひと前でなにかスピーチをしなければならない場面がやってきたとする。
会社での朝礼でのひとことスピーチでもいいし、友人の結婚式でのスピーチでもいい。
あるいは宴会での乾杯の音頭でもいい。
好きな人に告白する場面でもいい。
そのとき「恥ずかしい」という感情がにわかにわきおこり、顔が真っ赤になり、しどろもどろになってしまっていおうと思っていたことがうまくいえなくなってしまう。
「恥ずかしい」という感情は「自分自身の存在や行為を評価する基準が自分の外側に設定されているとき」に起こる。
日本は「恥の文化」だとよくいわれるが、これも「ひとさまに顔向けができないようなことはするな」と子どものときから教育されることでわかるように、評価の基準が自分ではなく他人、あるいは社会の規範にある。
電車に乗って騒いでいる子どもをしかるとき、「恥ずかしいことはやめなさい」「まわりの人に迷惑がかかるからやめなさい」と親はいう。
たしかに自分の子どもが公共の場で騒ぐと周囲に迷惑がかかる。
だから子どもに「迷惑がかかるから」という理由で騒ぐのをやめるように命じる。
それをもって「自分のしつけが悪かった」と責める気持ちまで起こってくる。
あるいは「しつけができない親だと思われたらどうしよう」とおろおろしてしまう。
これらはすべて外部の基準による判断であり行動だ。
共感的コミュニケーションでは次のようにかんがえる。
自分の子どもが騒いで周囲に迷惑をおよぼすことによって「自分の必要性」のなにがそこなわれるのだろうか。
自分は公共の場における秩序を大切にしているのだろうか。
子どもがちゃんと社会とルールのなかで共存していけることを望んでいるのだろうか。
自分がなにを必要としているのか、なにに価値をおいているのかがはっきりとわかれば、子どもに伝えることばも変わってくる。
「お母さんはあなたに、電車のなかでは静かにしていられて、まわりの人に迷惑をかけない人になってもらいたいのよ(子どもが社会のなかで多くの人と共存していけるように育ってほしいから)」
それを聞いた子どもはどのように反応するだろうか。
「恥ずかしい」という感情は、人の公共性に深く関係している。
社会的強調、調和、秩序、平和、公平さ、そういったことに結びついていて、それらがそこなわれたとき現れる感情だが、しばしばそれは自分の価値観というより、社会的規範として刷りこまれた形で現れてくる(教育によって)。
しかし、価値判断の基準を他人軸である社会的規範ではなく自分自身の価値基準においたとき、恥ずかしいという感情は別のものに変化する。
「まわりにどう思われるだろう」から「自分はどうしたい?」に変わったとき、恥ずかしいという感情が消え、確信を持った行動に移れる。
好きな人に告白するとき、その結果断られたり相手にばかにされたらどうしよう、恥ずかしい、という感情がいったん起こったとしても、自分が相手に気持ちを正直に伝え表現することが大切だと思えたとき、恥ずかしさの感情を乗りこえ、自分を大切にするために相手に告白するのだ、と具体的な行動に移ることができる。
その結果が残念なことになったとしても、それは自分の責任ではなく、恥ずべきことがらでもない。
たまたま自分が受け入れられる条件が相手の側にそろっていなかったからだ、と思えばいい。
なにかやらかしてしまって「恥ずかしい」と思ってしまったとしても、自分の行動の結果は自分のせいではなく、相手側の条件にゆだねられているから自分では責任を取る必要はないし、取ることもできないのだ、ということをしっかり理解しておきたい。
・1月16日(水)に開催する共感的コミュニケーション勉強会の詳細はこちら。
・水城ゆう著『共感的コミュニケーション〔入門編〕』発売中。
カトレア、大雪、1級ボイスセラピスト講座、ピピカレー
数日前に蕾がほころびはじめたカトレアが、今朝はほぼ完全に開花した。かわいい。
うれしいなあ。
去年は花が終わったらそのまま切って捨ててしまったのだが、今年はPlacerのやりかたにならって保存してみようと思う。
未明から降っていた雨が雪に変わりはじめた。
羽根木の家に行くころにはうっすらと積もりはじめた。
丸さんが来て、マキさんのPCを見てくれた。
どうやら液晶のバックライト切れらしく、本体は正常に動いているようだ。
お持ち帰りとなった。
1級ボイスセラピスト講座。
つくばと辻堂という遠方からそれぞれ来た人、世田谷区内から来た人。
いずれにしても、庭にどんどん積もっていく雪を見て、だんだん不安になってくる。
そんななか、講座。
共感的コミュニケーションを使ったグループワークのファシリテーション法や、音読エチュードのいくつかのパターン、呼吸法、発声法の復習など。
近所のパン屋が休みだったので、ピピカレーまで昼食に出かける。
吹雪といっていいほどの雪で、環七もかなり積もって車はのろのろ運転。
それでも走っていることは走っている。
電車も遅延しながらも動いているようだ。
ピピカレーからもどって、遠方の人が帰りが心配なので、早めに講座を切り上げることにした。
そしてたったいま、無事帰宅、というメールがとどいて、ちょっとほっとした。
明日はゴミ収集車が動くだろうか。
今日は郵便や宅配便の一部、ピザの宅配などは動かなかったようだ。
うれしいなあ。
去年は花が終わったらそのまま切って捨ててしまったのだが、今年はPlacerのやりかたにならって保存してみようと思う。
未明から降っていた雨が雪に変わりはじめた。
羽根木の家に行くころにはうっすらと積もりはじめた。
丸さんが来て、マキさんのPCを見てくれた。
どうやら液晶のバックライト切れらしく、本体は正常に動いているようだ。
お持ち帰りとなった。
1級ボイスセラピスト講座。
つくばと辻堂という遠方からそれぞれ来た人、世田谷区内から来た人。
いずれにしても、庭にどんどん積もっていく雪を見て、だんだん不安になってくる。
そんななか、講座。
共感的コミュニケーションを使ったグループワークのファシリテーション法や、音読エチュードのいくつかのパターン、呼吸法、発声法の復習など。
近所のパン屋が休みだったので、ピピカレーまで昼食に出かける。
吹雪といっていいほどの雪で、環七もかなり積もって車はのろのろ運転。
それでも走っていることは走っている。
電車も遅延しながらも動いているようだ。
ピピカレーからもどって、遠方の人が帰りが心配なので、早めに講座を切り上げることにした。
そしてたったいま、無事帰宅、というメールがとどいて、ちょっとほっとした。
明日はゴミ収集車が動くだろうか。
今日は郵便や宅配便の一部、ピザの宅配などは動かなかったようだ。
2013年1月13日日曜日
「照れる」とは
photo credit: memsahib 313 via photopincc
人からほめられたりしたとき、つい「照れる」という態度を取ってしまうことがある。
これはいったいどういう心理なのだろうか。
なにか自分が能力を発揮したときに、人からほめられる。
私自身の体験をもとに具体例をあげてみる。
私はピアノを弾くので、その体験をふりかえってみよう。
人から「なにか弾いて」といわれて、「なにがいい?」と訊き、リクエストをされる。
たとえば「春の小川」を弾いてといわれて、それを弾く。
ただ弾くのはつまらないので、自分なりに工夫しアレンジを加えた「春の小川」を弾く。
すると「すごーい。そんなふうにピアノが弾けるのはうらやましい」といわれたとする。
私はとたん「照れ」て、「いやいや、そんなにたいしたことないよ」と逃げる。
そのときの私のニーズはなんだろうか、ということだ。
自分はそんなにたいしたことをやってないのに、それほどほめられるのは気恥ずかしい、ということだろうか。
過大評価されたことについての謙虚さからくる照れだろうか。
ということは、過大評価ではなく、正当に評価されたいという気持ちがあるということだろうか。
だとしたら、ピアノを弾いたときに、どのようにいわれれば照れずにすんだのだろうか。
ピアノを弾いたあとになにもいわれなかったらどうだろう。
あるいは「ふーん」程度の反応だったら?
それはそれできっとさびしい気持になるに違いない。
では、なぜ評価されたことにたいして照れるという反応で返してしまうのか。
「自分はあなたの評価がほしくて演奏したわけではないんですよ」ということを表明しているのだろうか。
評価がほしくて演奏したのでなければ、なぜ演奏したのだろう。
そこに答えがある。
私はおそらく、評価してもらいたいのではなく、ただ私の演奏を受け入れてもらいたくて、いっしょに楽しみたくて弾いたのだ。
「すごい」だの「うまい」だの「うらやましい」だの、そんな言葉を聞きたかったわけではない。
ただ「弾いてくれてありがとう。楽しいね」ということをいってもらいたかったのだ。
私が「春の小川」を弾き、それを受け入れてもらい、そしてお互いのつながりを音楽によって深めることができた、そういった関係性を望んでいたのだ。
「照れる」という態度は、そのような関係性が微妙にずれてしまったことにたいするとまどいの意思表示かもしれない。
「なんとなくずれてるよ」という。
なにかで照れている態度の人がいたとき、その人が本当に求めているのはどういう完成性なんだろう、ということをあらためて見つめなおしてあげるといいかもしれない。
人からほめられたりしたとき、つい「照れる」という態度を取ってしまうことがある。
これはいったいどういう心理なのだろうか。
なにか自分が能力を発揮したときに、人からほめられる。
私自身の体験をもとに具体例をあげてみる。
私はピアノを弾くので、その体験をふりかえってみよう。
人から「なにか弾いて」といわれて、「なにがいい?」と訊き、リクエストをされる。
たとえば「春の小川」を弾いてといわれて、それを弾く。
ただ弾くのはつまらないので、自分なりに工夫しアレンジを加えた「春の小川」を弾く。
すると「すごーい。そんなふうにピアノが弾けるのはうらやましい」といわれたとする。
私はとたん「照れ」て、「いやいや、そんなにたいしたことないよ」と逃げる。
そのときの私のニーズはなんだろうか、ということだ。
自分はそんなにたいしたことをやってないのに、それほどほめられるのは気恥ずかしい、ということだろうか。
過大評価されたことについての謙虚さからくる照れだろうか。
ということは、過大評価ではなく、正当に評価されたいという気持ちがあるということだろうか。
だとしたら、ピアノを弾いたときに、どのようにいわれれば照れずにすんだのだろうか。
ピアノを弾いたあとになにもいわれなかったらどうだろう。
あるいは「ふーん」程度の反応だったら?
それはそれできっとさびしい気持になるに違いない。
では、なぜ評価されたことにたいして照れるという反応で返してしまうのか。
「自分はあなたの評価がほしくて演奏したわけではないんですよ」ということを表明しているのだろうか。
評価がほしくて演奏したのでなければ、なぜ演奏したのだろう。
そこに答えがある。
私はおそらく、評価してもらいたいのではなく、ただ私の演奏を受け入れてもらいたくて、いっしょに楽しみたくて弾いたのだ。
「すごい」だの「うまい」だの「うらやましい」だの、そんな言葉を聞きたかったわけではない。
ただ「弾いてくれてありがとう。楽しいね」ということをいってもらいたかったのだ。
私が「春の小川」を弾き、それを受け入れてもらい、そしてお互いのつながりを音楽によって深めることができた、そういった関係性を望んでいたのだ。
「照れる」という態度は、そのような関係性が微妙にずれてしまったことにたいするとまどいの意思表示かもしれない。
「なんとなくずれてるよ」という。
なにかで照れている態度の人がいたとき、その人が本当に求めているのはどういう完成性なんだろう、ということをあらためて見つめなおしてあげるといいかもしれない。
水城ゆう音楽塾、1月の開催日時のお知らせ
好評をいただいている音楽塾、2013年1月の開催日です。
どなたも気楽にご参加ください。
音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大で習う音楽でもなく、ジャズスクールで習う即興でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。
同時に、特別な訓練を受けていない人も音楽を楽しんだり、オリジナルな即興演奏をできるようにする道筋を示します。
◎日時 1月13日、20日、27日
いずれも日曜日、午後5時から6時まで
◎場所 羽根木の家
世田谷区羽根木1-20-17
◎方式 グループレッスン
◎参加費 月額5,000円(ゼミ生無料)
◎お申し込みはこちら、または水城に直接どうぞ
お子さん連れの参加も歓迎。親子でひとり分のカウントです。
即興演奏法の個人レッスンも受け付けています。
こんな方におすすめです。
・耳覚えのある好きな曲をすぐに弾けるようになりたい。
・歌の伴奏をその場でつけられるようになりたい。
・朗読と即興セッションをやりたい。
・アンサンブルを楽しみたい。
・知っている曲を自分なりにアレンジしてみたい。
・オリジナル曲を作ってみたい。
・音楽について理解を深めたい。
どなたも気楽にご参加ください。
音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大で習う音楽でもなく、ジャズスクールで習う即興でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。
同時に、特別な訓練を受けていない人も音楽を楽しんだり、オリジナルな即興演奏をできるようにする道筋を示します。
◎日時 1月13日、20日、27日
いずれも日曜日、午後5時から6時まで
◎場所 羽根木の家
世田谷区羽根木1-20-17
◎方式 グループレッスン
◎参加費 月額5,000円(ゼミ生無料)
◎お申し込みはこちら、または水城に直接どうぞ
お子さん連れの参加も歓迎。親子でひとり分のカウントです。
即興演奏法の個人レッスンも受け付けています。
こんな方におすすめです。
・耳覚えのある好きな曲をすぐに弾けるようになりたい。
・歌の伴奏をその場でつけられるようになりたい。
・朗読と即興セッションをやりたい。
・アンサンブルを楽しみたい。
・知っている曲を自分なりにアレンジしてみたい。
・オリジナル曲を作ってみたい。
・音楽について理解を深めたい。
【RadioU】2013年新春インタビュー新ゼミ生・瀬戸まゆ子
2013年の初ラジオは、昨年末にあたらしく現代朗読協会のゼミ生に参加した瀬戸まゆ子にインタビューをしました。
瀬戸さんは朗読その他表現の経験はまったくなかった人ですが、ある朝めざめたら急に「朗読」という言葉が頭に浮かんできて、それでネット検索をし、そのまま現代朗読協会にやってきたそうです。
いきおいよくそのままゼミ生になって、いまにいたります。
そのあたりの話を聞いてみました。
ケロログ「RadioU」で配信中。
瀬戸さんは朗読その他表現の経験はまったくなかった人ですが、ある朝めざめたら急に「朗読」という言葉が頭に浮かんできて、それでネット検索をし、そのまま現代朗読協会にやってきたそうです。
いきおいよくそのままゼミ生になって、いまにいたります。
そのあたりの話を聞いてみました。
ケロログ「RadioU」で配信中。
即興演奏のエチュード「どちらの音が高いか」
photo credit: photophilde via photopincc
即興演奏のエチュード No.2「どちらの音が高いか」
ピアノを弾く人をひとり決めます。
残りの人は音を聴きます。
ピアノに向かった人は、任意の鍵盤をひとつえらび、音を鳴らします。
残りの人はその音を身体にしみこませるようにじっくりと聴きます。
音が完全に消え、なおもしばらく時間をおいてから、ピアノの人はもうひとつの任意の鍵盤(前の鍵盤よりすこし離れた場所)をえらび、音を鳴らします。
前の音より高い音、低い音、どちらでもかまいません。
聴いた人はその音が前の音より高いか低いかを判断します。
そして高いならどのくらい高いのか、低いならどのくらい低いのか、しっかりとイメージしてとらえます。
このエチュードは即興演奏にとって重要だ。
自分が鳴らした任意の音が、つぎにどこに行きたがっているのかを自分のなかでイメージするところから即興演奏は始まる。
高いところへ行きたがっているのか、低いところへ行きたがっているのか。
高いとしたらどのくらいの高さなのか、低いとしたらどのくらいの低さなのか。
それがイメージできるようになれば、もう即興演奏ができるようになるといって過言ではない。
即興演奏のエチュード No.2「どちらの音が高いか」
ピアノを弾く人をひとり決めます。
残りの人は音を聴きます。
ピアノに向かった人は、任意の鍵盤をひとつえらび、音を鳴らします。
残りの人はその音を身体にしみこませるようにじっくりと聴きます。
音が完全に消え、なおもしばらく時間をおいてから、ピアノの人はもうひとつの任意の鍵盤(前の鍵盤よりすこし離れた場所)をえらび、音を鳴らします。
前の音より高い音、低い音、どちらでもかまいません。
聴いた人はその音が前の音より高いか低いかを判断します。
そして高いならどのくらい高いのか、低いならどのくらい低いのか、しっかりとイメージしてとらえます。
このエチュードは即興演奏にとって重要だ。
自分が鳴らした任意の音が、つぎにどこに行きたがっているのかを自分のなかでイメージするところから即興演奏は始まる。
高いところへ行きたがっているのか、低いところへ行きたがっているのか。
高いとしたらどのくらいの高さなのか、低いとしたらどのくらいの低さなのか。
それがイメージできるようになれば、もう即興演奏ができるようになるといって過言ではない。
音読日めくり1月13日:小川未明「銀河の下の町」
「音読日めくり」を更新しました。今日の音読日めくりは、小川未明「銀河の下の町」です。
今日のフォトは冬の薔薇です。
薔薇の花の咲く時期っていつでしたっけ。けっこう冬でもけなげに咲いているのを見かけます。
今日のフォトは冬の薔薇です。
薔薇の花の咲く時期っていつでしたっけ。けっこう冬でもけなげに咲いているのを見かけます。
2013年1月12日土曜日
基礎講座、体験講座、テキストゼミ、カトレアが咲きはじめた
午前中、6回シリーズの現代朗読基礎講座の初回。参加者の半分がゼミ生だったせいか、リラックスして楽しくやれた。
現代朗読というものがいよいよしっかりと独自の立ち位置を確保しつつ、表現の世界で根を張っていっているなあという私のニーズを満たす喜びを感じながら。
午後は体験講座。
いつもそうだが、初めてげろきょにやってきた人は最初はとても緊張していたり、あやぶんでいたりするのだが、徐々にリラックスして表現が伸びやかになり、本来その人が持っている柔らかさが少しずつ垣間見えるようになっていく。
その過程が体験講座の醍醐味だといえる。
それにしても、いろいろ大変な思いをしながら生きている人が多い。
みんなげろきょに来れば楽になるのに、と思う。
夜は今年初のテキスト表現ゼミ。
あい子さんが大きいお腹を抱えてひさしぶりに来てくれた。
つわりがひどいと聞いていたが、いまはもう6か月でとても元気そうで安心した。
彼女が赤ちゃんを連れてゼミに来てくれる日がくるのが、本当に待ち遠しい。
幸せな気分で自分の家にもどったら、去年の暮れから花芽が伸びてつぼみがふくらみつつあったカトレアが、いきなりつぼみが割れて開花しはじめていた。
びっくり。
白い花だ。
去年の春、花をつけているものをネット通販で購入したものだが、その後も大事に育てていたので、また花が咲くのを見るのは本当にうれしい。
今年はいろいろなことが花開くといいなあ。
・水城ゆうの最新ライブ・公演・ワークショップなどのスケジュールはこちら。
・水城ゆうの本・最新刊はこちら。
現代朗読というものがいよいよしっかりと独自の立ち位置を確保しつつ、表現の世界で根を張っていっているなあという私のニーズを満たす喜びを感じながら。
午後は体験講座。
いつもそうだが、初めてげろきょにやってきた人は最初はとても緊張していたり、あやぶんでいたりするのだが、徐々にリラックスして表現が伸びやかになり、本来その人が持っている柔らかさが少しずつ垣間見えるようになっていく。
その過程が体験講座の醍醐味だといえる。
それにしても、いろいろ大変な思いをしながら生きている人が多い。
みんなげろきょに来れば楽になるのに、と思う。
夜は今年初のテキスト表現ゼミ。
あい子さんが大きいお腹を抱えてひさしぶりに来てくれた。
つわりがひどいと聞いていたが、いまはもう6か月でとても元気そうで安心した。
彼女が赤ちゃんを連れてゼミに来てくれる日がくるのが、本当に待ち遠しい。
幸せな気分で自分の家にもどったら、去年の暮れから花芽が伸びてつぼみがふくらみつつあったカトレアが、いきなりつぼみが割れて開花しはじめていた。
びっくり。
白い花だ。
去年の春、花をつけているものをネット通販で購入したものだが、その後も大事に育てていたので、また花が咲くのを見るのは本当にうれしい。
今年はいろいろなことが花開くといいなあ。
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