2010年4月25日日曜日

出版社も流通大手もとっととなくなってしまえ

 日本ではさほど話題になっていないが、欧米では書籍通販のAmazonが電子ブックリーダーのKindleで業績を大幅に伸ばしている。電子ブックの売り上げは紙の書籍を上回ったとか。
 またiPhoneとラップトップの中間サイズでKindleのように電子ブックを読むのにちょうどいいiPadの発売で、さらに電子ブックのマーケットは拡大するだろう。

 紙の本が完全になくなるとはいわないが、電子ブックに取って代わられる書物は多いだろう。
 たとえば雑誌。速報性やビジュアル重視のものは、印刷物より電子ブックのほうが利便性が高い。
 たとえばコミック。どんどん大量に作られて大量に消費されていく。そういうものも電子ブックのほうが場所も取らないし、いい。
 ほかにもマニュアル本、ビジネス書、ハウツー本、読み捨て型の娯楽書などは、どんどん電子ブックに取って代わられていくことだろう。
 欧米の出版業界では、このような動きに対し期待が高まっていて、このところとかく現象傾向だった雑誌や新聞広告なども、電子ブックへの出稿を検討しているらしい。とにかく、新しいマーケットの拡大をこぞって歓迎している。

 一方、日本はといえば、電子出版に積極的な出版社は、業界内からのけもの扱いにされかねないという。げんに某大手ビジネス雑誌は、電子出版の特集を組もうとしたところ、社の上層部から圧力がかかって、特集は取りやめになったという。社の上層部は、いうまでもなく横並び他社の視線をおもんぱかったのであろう。
 先日、大手出版社が寄り集まって電子出版の「サークル」を作ったが、これもまた横並びの歩調合わせにすぎず、時代の流れを見越したビジネスの動きとはとうていいえない。
 こういう国内業界の遅々とした動きで損害をこうむるのは、当然ながら受益者である購読者であり、また本の書き手である。著者と読者が益を受けない商売は先細りになって消滅するだけであろう。
 私はそんな大手商業出版社はとっとと消えてしまえ、と思っている。彼らがいなくなっても私はとくに困ることはない。私がコツコツと書いたものは、こうやって自由に皆さんが読むことができるし、また検索エンジンによって特定個人のもとへ確実に届けられる。必要とあれば、そのテキストに個別に課金し、個人対個人で決済することもできる。
 寡占的流通会社も大手出版社も私にはいらないし、読者にもおなじことであろう。