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2010年9月30日木曜日
<NVC東京ワークショップ>と<NVC鴨川リトリート>のお知らせ
<NVC(Non Violent Communication, 非暴力コミュニケーション)公認トレーナーのフランソワ・ボーソレイユ氏の11月来日が決定!>
非暴力コミュニケーション(NVC)とは、相手とのつながりを保ち、強化しながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーション の方法です。
カール・ロジャ-ス博士の弟子のマーシャル・ローゼンバーグ博士によって体系付けられました。
ローゼンバーグ博士は、どんな困難な状況に 陥っても尊厳を失わない人たちが(近年なら、マザーテレサ、ガンジー、キング牧師……ら)どうしてその状況を乗り越えて来られたのか?について研究して次のような発見をしました。
彼らの使う言葉・話す言葉が他の人たちとは異なる!
そしてそれを誰でも使えるように体系付けました。
具体的なやり方は、観察(Observation)・感情(Feeling)・ニーズ(Needs)・リクエスト(Request)の4つの段階に分けて、コミュニケーションで起こっている問題・ズレを整理していきます。
アタマで判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳
を傾けて、今の感情(Feeling)・ニーズ(Needs)を明確にしていくことで、
お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴って コミュニケーションをすることを主眼にします。
あなたもNVCを学んで、あなたの世界をさらに素晴らしいものに変えませんか?
「次に発する言葉が、あなたの世界を変えることができる」マーシャル・ローゼンバーグ博士
<NVC東京ワークショップ>------------------------------
[1] NVCワークショップ 実践準備編〜思いやりのコミュニケーションを学ぼう
日時:11月2日(火)18時30分〜21時30分
参加費:5000円
※翌日の実践編にも参加される場合は、4000円になります。
[2] NVCワークショップ 実践編〜思いやりでコミュニケートする練習をしよう
日時: 11月3日(水・祝)10時〜18時
参加費: 15000〜25000円のスライディングスケール
※経済的に余裕がなくても学びのチャンスを! そんな方のために余裕のある方は少し多めにお願いしています。
会場(いずれも): 現代朗読協会羽根木の家(京王井の頭線新代田駅下車徒歩2分)
振込先: ゆうちょ/口座名)エヌブイシーワークショップウンエイイインカイ 10130-1986431
*詳細はお申込みをいただいた方に個別にお知らせします。
参加申し込み方法: 申し込みフォームから
または、(1)お名前(漢字+ローマ字)、(2)連絡先メールアドレス+携帯電話番号、(3)参加希望日、(4)このWSをどうやって知ったか、(5)参加動機・WSに期待すること、(6)質問・コメント(あれば)、を記入して、以下へお送りください。
メール⇒ nvcworkshop@gmail.com / FAX⇒ 03-6893-0595
<NVC鴨川リトリート>-----------------------------------
日時:11月5-7日 集合時間と場所:11月5日正午@安房鴨川駅ジャスコ前
場所:ハーモニクスライフセンター
定員:10名
参加費:5万5千円(±1.5万円:経済状況に合わせて4〜7万円の間でお支払い下さい)
振込先:ハーモニクスライフセンター 00110-1-144224
参加申し込み:メール⇒ nvc@harmonicslife.net
*申し込みのあった方に詳細情報を送ります。
非暴力コミュニケーション(NVC)とは、相手とのつながりを保ち、強化しながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーション の方法です。
カール・ロジャ-ス博士の弟子のマーシャル・ローゼンバーグ博士によって体系付けられました。
ローゼンバーグ博士は、どんな困難な状況に 陥っても尊厳を失わない人たちが(近年なら、マザーテレサ、ガンジー、キング牧師……ら)どうしてその状況を乗り越えて来られたのか?について研究して次のような発見をしました。
彼らの使う言葉・話す言葉が他の人たちとは異なる!
そしてそれを誰でも使えるように体系付けました。
具体的なやり方は、観察(Observation)・感情(Feeling)・ニーズ(Needs)・リクエスト(Request)の4つの段階に分けて、コミュニケーションで起こっている問題・ズレを整理していきます。
アタマで判断・批判・分析・取引などするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳
を傾けて、今の感情(Feeling)・ニーズ(Needs)を明確にしていくことで、
お互いの誤解や偏見からではなく、心からつながりながら共感を伴って コミュニケーションをすることを主眼にします。
あなたもNVCを学んで、あなたの世界をさらに素晴らしいものに変えませんか?
「次に発する言葉が、あなたの世界を変えることができる」マーシャル・ローゼンバーグ博士
<NVC東京ワークショップ>------------------------------
[1] NVCワークショップ 実践準備編〜思いやりのコミュニケーションを学ぼう
日時:11月2日(火)18時30分〜21時30分
参加費:5000円
※翌日の実践編にも参加される場合は、4000円になります。
[2] NVCワークショップ 実践編〜思いやりでコミュニケートする練習をしよう
日時: 11月3日(水・祝)10時〜18時
参加費: 15000〜25000円のスライディングスケール
※経済的に余裕がなくても学びのチャンスを! そんな方のために余裕のある方は少し多めにお願いしています。
会場(いずれも): 現代朗読協会羽根木の家(京王井の頭線新代田駅下車徒歩2分)
振込先: ゆうちょ/口座名)エヌブイシーワークショップウンエイイインカイ 10130-1986431
*詳細はお申込みをいただいた方に個別にお知らせします。
参加申し込み方法: 申し込みフォームから
または、(1)お名前(漢字+ローマ字)、(2)連絡先メールアドレス+携帯電話番号、(3)参加希望日、(4)このWSをどうやって知ったか、(5)参加動機・WSに期待すること、(6)質問・コメント(あれば)、を記入して、以下へお送りください。
メール⇒ nvcworkshop@gmail.com / FAX⇒ 03-6893-0595
<NVC鴨川リトリート>-----------------------------------
日時:11月5-7日 集合時間と場所:11月5日正午@安房鴨川駅ジャスコ前
場所:ハーモニクスライフセンター
定員:10名
参加費:5万5千円(±1.5万円:経済状況に合わせて4〜7万円の間でお支払い下さい)
振込先:ハーモニクスライフセンター 00110-1-144224
参加申し込み:メール⇒ nvc@harmonicslife.net
*申し込みのあった方に詳細情報を送ります。
朗読の花束(花束を贈るような気持ちで朗読する)
現代朗読協会では、よく、
「やりたいことはやらなくていい」
「やりたいことだけやればいい」
「やらなければならないことはなにもない」
ということをいう。
しかし、現実の日常生活のなかには「ねばならない」が満ちていて、私たちは日々それと取り組んでいる。
表現の世界では「ねばならない」と思ってやることほどつまらないことはない。本当は日常の世界でもそうなのだが、急にいまの生活を変えるのは難しいので、まずは表現の世界でのできごとでそれを確認していくといいと思う。
子どものころのことを思い出してみてほしい。歌を歌ったり、絵を描いたり、だれかとかくれんぼをしたり、楽しくて楽しくてしかたがなかった経験はだれもがあるだろう。あれはなぜ楽しかったのだろう。
それは人には表現やコミュニケートを楽しむ性質があるからだ。
だれにも強制されなくても、子どもは自然に絵を描いたり、歌を歌ったり、本を読んだり、かくれんぼをしたりする。それを心から楽しむ。子どものころにはそのような自発的な喜びが満ちていた。それが次第にいろいろなことを強制されるようになっていく。
強制され、自分もそれを受け入れ、苦痛を耐えてそれを実行していくこと。それが大人になることであり、責任を果たすことであると思いこんでいく。それはまた、現代社会が作りだした社会システムという枠にはまりこむ行為でもある。自分がどんな形であれ。
社会生活をいとなむ大人になるためには、それはいったん必要なことなのかもしれない。
いったん社会システムを受け入れた個人が、次のステップとして自分らしさを取りもどしていくことはできないのだろうか。自分を自分らしく表現することは可能なのではないか。なにものにも強制されず、純粋な喜びのなかで自分を表現することはできないのだろうか。
私たちは人に贈り物をする。たとえば愛する人に花束を贈る。それはだれに強制されたものでもない。なかには義務的な贈り物もあるかもしれないが、それとは別の話をしている。
花束を贈る、相手が喜ぶとか喜ばないとかいう「結果」や「予想」以前に、純粋な喜びはないだろうか。
私はあるような気がする。子どものころ、だれにも強制されずに走り回ったりも、絵を描いたりした、あの純粋な喜びである。大人になっても持っているはずなのだ。
朗読もそんな気持ちでやれないだろうか。
できるだろうと思う。相手に花束を贈るような気持ちで、ただ表現する喜びのなかで朗読をおこなう。そこには強制も義務もない。「これをしてはいけない」とか「こうしなければならない」というものもない。
そのとき、贈り手と受け取り手の間にはなにが起こるだろうか。
本当は朗読だけでなく、私たちの日々の生活もそのようであればどんなにいいだろうと思うのだが。
「やりたいことはやらなくていい」
「やりたいことだけやればいい」
「やらなければならないことはなにもない」
ということをいう。
しかし、現実の日常生活のなかには「ねばならない」が満ちていて、私たちは日々それと取り組んでいる。
表現の世界では「ねばならない」と思ってやることほどつまらないことはない。本当は日常の世界でもそうなのだが、急にいまの生活を変えるのは難しいので、まずは表現の世界でのできごとでそれを確認していくといいと思う。
子どものころのことを思い出してみてほしい。歌を歌ったり、絵を描いたり、だれかとかくれんぼをしたり、楽しくて楽しくてしかたがなかった経験はだれもがあるだろう。あれはなぜ楽しかったのだろう。
それは人には表現やコミュニケートを楽しむ性質があるからだ。
だれにも強制されなくても、子どもは自然に絵を描いたり、歌を歌ったり、本を読んだり、かくれんぼをしたりする。それを心から楽しむ。子どものころにはそのような自発的な喜びが満ちていた。それが次第にいろいろなことを強制されるようになっていく。
強制され、自分もそれを受け入れ、苦痛を耐えてそれを実行していくこと。それが大人になることであり、責任を果たすことであると思いこんでいく。それはまた、現代社会が作りだした社会システムという枠にはまりこむ行為でもある。自分がどんな形であれ。
社会生活をいとなむ大人になるためには、それはいったん必要なことなのかもしれない。
いったん社会システムを受け入れた個人が、次のステップとして自分らしさを取りもどしていくことはできないのだろうか。自分を自分らしく表現することは可能なのではないか。なにものにも強制されず、純粋な喜びのなかで自分を表現することはできないのだろうか。
私たちは人に贈り物をする。たとえば愛する人に花束を贈る。それはだれに強制されたものでもない。なかには義務的な贈り物もあるかもしれないが、それとは別の話をしている。
花束を贈る、相手が喜ぶとか喜ばないとかいう「結果」や「予想」以前に、純粋な喜びはないだろうか。
私はあるような気がする。子どものころ、だれにも強制されずに走り回ったりも、絵を描いたりした、あの純粋な喜びである。大人になっても持っているはずなのだ。
朗読もそんな気持ちでやれないだろうか。
できるだろうと思う。相手に花束を贈るような気持ちで、ただ表現する喜びのなかで朗読をおこなう。そこには強制も義務もない。「これをしてはいけない」とか「こうしなければならない」というものもない。
そのとき、贈り手と受け取り手の間にはなにが起こるだろうか。
本当は朗読だけでなく、私たちの日々の生活もそのようであればどんなにいいだろうと思うのだが。
2010年9月29日水曜日
新作オーディオブック・新美南吉「ごんぎつね」
2010年9月28日火曜日
名古屋ウェルバ・アクトゥス公演「Ginga」のシナリオが完成した
朝から雨。昼前にはかなり強い雨となり、雷も鳴りはじめた。
午後は弱まり、雨はあがった。
今日は一日、プラムハウスで原稿書き。
世田谷区の広報を見た、といって11月7日の「Kenji」公演を予約してきたおじさんがいる。これはライブワークショップの一環の公演で、最終発表ライブという位置づけだが、世田谷芸術百華というイベントにも参加している。11月7日、下北沢〈音倉〉にて、昼夜2回の公演。
ずっとしつこくやっていた名古屋ウェルバ・アクトゥス公演「Ginga - 宮澤賢治・時と地と星 - 」のシナリオ全編が、ようやく完成した。全550行。原稿用紙にして40枚くらいか。
かなり壮大な仕掛けがある。とても「朗読」公演の規模ではないな。そもそも朗読だけの公演ではないけれど。
この公演用のオリジナル音楽と歌曲を何曲か書く必要が出てきた。
シナリオをさっそくPDF化して名古屋に送ったら、すぐにナオスケさんからねぎらいの電話が。ほっとした。
午後は弱まり、雨はあがった。
今日は一日、プラムハウスで原稿書き。
世田谷区の広報を見た、といって11月7日の「Kenji」公演を予約してきたおじさんがいる。これはライブワークショップの一環の公演で、最終発表ライブという位置づけだが、世田谷芸術百華というイベントにも参加している。11月7日、下北沢〈音倉〉にて、昼夜2回の公演。
ずっとしつこくやっていた名古屋ウェルバ・アクトゥス公演「Ginga - 宮澤賢治・時と地と星 - 」のシナリオ全編が、ようやく完成した。全550行。原稿用紙にして40枚くらいか。
かなり壮大な仕掛けがある。とても「朗読」公演の規模ではないな。そもそも朗読だけの公演ではないけれど。
この公演用のオリジナル音楽と歌曲を何曲か書く必要が出てきた。
シナリオをさっそくPDF化して名古屋に送ったら、すぐにナオスケさんからねぎらいの電話が。ほっとした。
新作オーディオブック・宮沢賢治「めくらぶどうと虹」
2010年9月27日月曜日
共感と感心
演劇、朗読、音楽や絵画など、なにか人の表現を観に行ったとき、心を動かされることがあります。「感動した」などといいます。
そのときの心の動き方には二種類あるように思います。私はそれを「共感」と「感心」に分けています。
自分にできないすぐれた技術や技能を見せられたとき、人は「感心」します。その心の動きを「感動」といっていえないことはないかもしれません。サーカスを観に行ったとき、空中ブランコの妙技を見て、自分にはとてもできないと感心し、演技者に拍手を送ります。
スポーツ選手に惜しみない拍手を送るのも、おなじ心の動きです。自分にはできないが、彼はおそらく大変な努力をしてあそこまで到達したのだろう、すばらしい。
囲碁や将棋や、あるいは落語、歌舞伎といった芸能に対してもそういう敬意の表し方があります。
芸術表現の分野でも、音楽、演劇、舞踊、美術などのすばらしい表現技術に対して拍手を送ります。自分ができないことをできる人に敬意を表す、あるいはその行為に対価を支払う、というのは、人間の自然な行為のように思えます。
しかしそれが高じると、金銭的評価や人気だけがその表現行為の価値基準にようになってしまうことがあります。現代社会では「技能」を追求するあまり、ほとんど「びっくり人間大賞」のようになってしまった表現ジャンルすらあります。
また「感心」させることを目的に技能を磨かれた表現は、どうしても表現者とオーディエンスの間に上下関係を作ってしまいます。つまり、表現する側は「優れている/えらい」わけで、オーディエンスはそれをお金を払ってありがたく拝見する、という関係です。
上下関係を作らないのが「共感」をめざす表現です。
表現者は、自分が相手よりすぐれたことを提示するのではなく、ただありのまま誠実に、正直に、自分の行為、思考、イメージ、そして身体的状況を「表現の場」に投入します。オーディエンスもその場に立ちます。
表現者とオーディエンスの間には上下関係はなく、そのおなじ場に立ちます。おなじ空間と時間のなかにあります。その場のなかで、表現がおこなわれます。表現は表現者とオーディエンスが共有します。
最初は表現者からオーディエンスに向かってベクトルが向かいます。オーディエンスが表現者からのベクトルを受け取ったとき、オーディエンスにはなんらかの反応が起こります。ロボットでないかぎり、かならずなにかが動きます。それは目に見えないものかもしれませんし、ましてや声にしてはっきりと返ってくるものではありません。しかし、優れた表現者はオーディエンスのその微細な変化を、受容体としての自分の身体で受け止めます。
この二者のあいだで情報の交流と共有が進んでいきます。このときどんなことが起こるのかは、多くの人がすでに経験していることでしょう。
友だちが自分のつらい体験を正直に話してくれたとき、あなたもまた涙を流したことがありませんか? 何人かでひとつの目的に向かって心を合わせてがんばったとき、言葉にはできない充実感や満足を感じたことはありませんか?
人は共感を求める動物です。
私が推奨している「現代朗読」では、オーディエンスに「感心」してもらうためにではなく、「共感の場」を作るために朗読をおこないます。自分がよりすぐれていることをけっして誇示はしないのです。それより、その場を共有していることに焦点をあてます。
ここに朗読するためのテキストがある。私はこれをどう読んだのか。いま、どう読みたいのか。私のいまの気持ちはどういうものなのか。私のいまのコンディションはどうなのか。それらを全部正直に聴き手に提示します。あらかじめたくらまれたものはありません。
自分を開き、その場に提示します。相手を感じ、受け入れ、コミュニケートします。
私は何度も、朗読を始めてほんの数ヶ月の朗読者が、聴衆を思いがけず感動させたり涙させてしまう場面を見てきました。共感にはなにも特別な技術はいらないのです。なぜならそれは、いつも私たちが普通にやっていることなんですから。その「普通にやっていること」を表現の場でできるようになることがどんなに難しいことか。
私たちがいつも普通の私たちであるための方法を、私と現代朗読協会は研究しています。
そのときの心の動き方には二種類あるように思います。私はそれを「共感」と「感心」に分けています。
自分にできないすぐれた技術や技能を見せられたとき、人は「感心」します。その心の動きを「感動」といっていえないことはないかもしれません。サーカスを観に行ったとき、空中ブランコの妙技を見て、自分にはとてもできないと感心し、演技者に拍手を送ります。
スポーツ選手に惜しみない拍手を送るのも、おなじ心の動きです。自分にはできないが、彼はおそらく大変な努力をしてあそこまで到達したのだろう、すばらしい。
囲碁や将棋や、あるいは落語、歌舞伎といった芸能に対してもそういう敬意の表し方があります。
芸術表現の分野でも、音楽、演劇、舞踊、美術などのすばらしい表現技術に対して拍手を送ります。自分ができないことをできる人に敬意を表す、あるいはその行為に対価を支払う、というのは、人間の自然な行為のように思えます。
しかしそれが高じると、金銭的評価や人気だけがその表現行為の価値基準にようになってしまうことがあります。現代社会では「技能」を追求するあまり、ほとんど「びっくり人間大賞」のようになってしまった表現ジャンルすらあります。
また「感心」させることを目的に技能を磨かれた表現は、どうしても表現者とオーディエンスの間に上下関係を作ってしまいます。つまり、表現する側は「優れている/えらい」わけで、オーディエンスはそれをお金を払ってありがたく拝見する、という関係です。
上下関係を作らないのが「共感」をめざす表現です。
表現者は、自分が相手よりすぐれたことを提示するのではなく、ただありのまま誠実に、正直に、自分の行為、思考、イメージ、そして身体的状況を「表現の場」に投入します。オーディエンスもその場に立ちます。
表現者とオーディエンスの間には上下関係はなく、そのおなじ場に立ちます。おなじ空間と時間のなかにあります。その場のなかで、表現がおこなわれます。表現は表現者とオーディエンスが共有します。
最初は表現者からオーディエンスに向かってベクトルが向かいます。オーディエンスが表現者からのベクトルを受け取ったとき、オーディエンスにはなんらかの反応が起こります。ロボットでないかぎり、かならずなにかが動きます。それは目に見えないものかもしれませんし、ましてや声にしてはっきりと返ってくるものではありません。しかし、優れた表現者はオーディエンスのその微細な変化を、受容体としての自分の身体で受け止めます。
この二者のあいだで情報の交流と共有が進んでいきます。このときどんなことが起こるのかは、多くの人がすでに経験していることでしょう。
友だちが自分のつらい体験を正直に話してくれたとき、あなたもまた涙を流したことがありませんか? 何人かでひとつの目的に向かって心を合わせてがんばったとき、言葉にはできない充実感や満足を感じたことはありませんか?
人は共感を求める動物です。
私が推奨している「現代朗読」では、オーディエンスに「感心」してもらうためにではなく、「共感の場」を作るために朗読をおこないます。自分がよりすぐれていることをけっして誇示はしないのです。それより、その場を共有していることに焦点をあてます。
ここに朗読するためのテキストがある。私はこれをどう読んだのか。いま、どう読みたいのか。私のいまの気持ちはどういうものなのか。私のいまのコンディションはどうなのか。それらを全部正直に聴き手に提示します。あらかじめたくらまれたものはありません。
自分を開き、その場に提示します。相手を感じ、受け入れ、コミュニケートします。
私は何度も、朗読を始めてほんの数ヶ月の朗読者が、聴衆を思いがけず感動させたり涙させてしまう場面を見てきました。共感にはなにも特別な技術はいらないのです。なぜならそれは、いつも私たちが普通にやっていることなんですから。その「普通にやっていること」を表現の場でできるようになることがどんなに難しいことか。
私たちがいつも普通の私たちであるための方法を、私と現代朗読協会は研究しています。
2010年9月26日日曜日
国境なきアーティスト in ハイチ チャリティーコンサートのお知らせ
私の友人でNGO「国境なきアーティスト」を主宰しているエクトル・シエラさんから案内をいただいたので、ご紹介します。
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10年間以上、ハイチへの援助を続けてきたハイチの会・セスラは私がハイチの子どもたちと会えるようにコンサートを企画してくれました。
時間がありましたら、是非お越しください。
国境なきアーティスト in ハイチ チャリティーコンサート
テノール & PIANO 詩の朗読
エクトル・シエラの日本語の詩
さわやかな美声テノールのカンツォーネ
コロンビアの作曲家L.A.カルボのピアノ曲など
日時 2010年9月28日 (火)
18:30 開場
19:00 開演
会場 横浜イギリス館
横浜市中区山手町115-3
Tel: 045-623-7812
みなとみらい線「元町・中華街」駅5番出口より徒歩約8分(約500m)
入場料 2,500円(お茶&お菓子付き)
出演(順不同)
滝沢健作(テノール)
齊木佳奈(ピアノ)
エクトル・シエラ(詩と朗読)
ご予約およびお問合せ先 090-3451-7464(高岡)
主催 国境なきアーティスト & オペラ喫茶よこはま
協力 ハイチの会セスラ & 国際協力ゆめプロジェクト
国境なきアーティストをハイチへ!
今年1月大地震が起こったハイチ、いまだ難民さながらのテント生活を送る子どもたちに、お金やモノではないはげましを届けたい!その思いをエクトル・シエラに託し、私たちは国境なきアーティストinハイチを応援します。
ハイチの会セスラ代表 高岡美智子
「国境なきアーティストたち」http://www.artwit.orgは、アーティストたちによる人道支援組織で、これまでに、コソヴォ、東ティモール、グルジア、アブハジア、チェチェン、ニューヨーク、アフガニスタン等で難民の子どもたちや戦争の被害を受けた子どもたちなどへ芸術を通じた心のケア活動を行ってきました。
出演者紹介
滝沢健作:
東京芸術大学卒業。G・Giacomini声楽マスタークラスに合格し受講。今までに中部日本管弦楽団等のオーケストラで「外套」「ジャンニ・スキッキ」「ボエーム」に主役主演。ドイツのRostock歌劇場共同制作あらかわバイロイト音楽祭「パルシファル」にソリストで出演(C.Hammar指揮)。川崎市主催にて「滝沢健作ソロコンサート」が好評をえてFM放送にて演奏が放送される。
齊木佳奈:
武蔵野音楽大学卒業。桐朋学園大学アンサンブル・ディプロマコース、英国ギルドホール音楽院アンサンブル科を修了。ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院マスタークラス、ローマ国際ピアノコンクールにてディプロマ受賞。ロンドンDaiwa Foundation主催によるソロ・リサイタルに於いて日本人現代作曲家の英国初演を行う。蓼科音楽祭・女神湖ミュージックキャンプ、イタリア・ピエディルーコ音楽祭のアシスタントピアニストを歴任。現在、国内各地および海外に於いて、様々な形での演奏活動を行っている。
エクトル・シエラ:
コロンビア出身旧ソ連キエフ大学映画監督学科卒。94年に来日し、日本大学芸術学部修士・博士課程に学ぶ。映像作家、絵本作家。コソヴォへのNATOの空爆をきっかけに、NGO「国境なきアーティストたち」を設立し、戦争被災地でのボランティア活動を開始。著作に「あの日のことを、かきました」(講談社)、「だっこして」(校成出版)、「国境なきアーティスト」(子供の未来社)などがある。
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10年間以上、ハイチへの援助を続けてきたハイチの会・セスラは私がハイチの子どもたちと会えるようにコンサートを企画してくれました。
時間がありましたら、是非お越しください。
国境なきアーティスト in ハイチ チャリティーコンサート
テノール & PIANO 詩の朗読
エクトル・シエラの日本語の詩
さわやかな美声テノールのカンツォーネ
コロンビアの作曲家L.A.カルボのピアノ曲など
日時 2010年9月28日 (火)
18:30 開場
19:00 開演
会場 横浜イギリス館
横浜市中区山手町115-3
Tel: 045-623-7812
みなとみらい線「元町・中華街」駅5番出口より徒歩約8分(約500m)
入場料 2,500円(お茶&お菓子付き)
出演(順不同)
滝沢健作(テノール)
齊木佳奈(ピアノ)
エクトル・シエラ(詩と朗読)
ご予約およびお問合せ先 090-3451-7464(高岡)
主催 国境なきアーティスト & オペラ喫茶よこはま
協力 ハイチの会セスラ & 国際協力ゆめプロジェクト
国境なきアーティストをハイチへ!
今年1月大地震が起こったハイチ、いまだ難民さながらのテント生活を送る子どもたちに、お金やモノではないはげましを届けたい!その思いをエクトル・シエラに託し、私たちは国境なきアーティストinハイチを応援します。
ハイチの会セスラ代表 高岡美智子
「国境なきアーティストたち」http://www.artwit.orgは、アーティストたちによる人道支援組織で、これまでに、コソヴォ、東ティモール、グルジア、アブハジア、チェチェン、ニューヨーク、アフガニスタン等で難民の子どもたちや戦争の被害を受けた子どもたちなどへ芸術を通じた心のケア活動を行ってきました。
出演者紹介
滝沢健作:
東京芸術大学卒業。G・Giacomini声楽マスタークラスに合格し受講。今までに中部日本管弦楽団等のオーケストラで「外套」「ジャンニ・スキッキ」「ボエーム」に主役主演。ドイツのRostock歌劇場共同制作あらかわバイロイト音楽祭「パルシファル」にソリストで出演(C.Hammar指揮)。川崎市主催にて「滝沢健作ソロコンサート」が好評をえてFM放送にて演奏が放送される。
齊木佳奈:
武蔵野音楽大学卒業。桐朋学園大学アンサンブル・ディプロマコース、英国ギルドホール音楽院アンサンブル科を修了。ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院マスタークラス、ローマ国際ピアノコンクールにてディプロマ受賞。ロンドンDaiwa Foundation主催によるソロ・リサイタルに於いて日本人現代作曲家の英国初演を行う。蓼科音楽祭・女神湖ミュージックキャンプ、イタリア・ピエディルーコ音楽祭のアシスタントピアニストを歴任。現在、国内各地および海外に於いて、様々な形での演奏活動を行っている。
エクトル・シエラ:
コロンビア出身旧ソ連キエフ大学映画監督学科卒。94年に来日し、日本大学芸術学部修士・博士課程に学ぶ。映像作家、絵本作家。コソヴォへのNATOの空爆をきっかけに、NGO「国境なきアーティストたち」を設立し、戦争被災地でのボランティア活動を開始。著作に「あの日のことを、かきました」(講談社)、「だっこして」(校成出版)、「国境なきアーティスト」(子供の未来社)などがある。
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2010年9月24日金曜日
NVC教育ワークショップ「平和の文化を教室に」
子ども中心でも大人中心でもない、規範優先でも自由放任でもない、第3の教育理念-パートナーシップ教育。
親・教師・生徒が対話によって互いを尊重するスキルを身につけ、非暴力な問題解決の方法を学び、日々の学習の中で実践して行く。
施設・カリキュラム・運営方針・・・全ての真ん中に平和の文化をおいて造られたテンバ・スクールの創立者キャサリン・キャデン氏から直接実践報告を聞き、教育における平和の文化を経験するワークショップ型セミナーです。
明日からの教育実践に活かせるスキルを身につけることを目的にしています。あらゆる立場で教育に関わる方たちの参加をお待ちしています。
■NVC教育ワークショップ概要■
日時:12月4日(土)9:30〜17:30&12月5日(日)10:00〜17:30
会場:神奈川あーすぷらざ(JR根岸線「本郷台」駅改札出て左へ徒歩2分)
講師:CNVC公認トレーナー キャサリン・キャデン&ジェシー・ヴィーンス
Catherine Cadden & Jesse Wiens(日本語逐次訳付き)
対象:教育に関心のある全ての方
*保育室&授乳室があります。利用方法については、個別にご相談ください。
参加費:15,000円(2日間)
初日のみの参加も可能。参加費:10,000円。 2日目のみは不可。
主催:NVCワークショップ委員会(担当:中川春野、レジーナ・スプリース)
お申し込みはこちら
■ワークショップ内容■
〇テンバ・スクール実践報告
〇パートナーシップ教育のスタイルを、「サークル」など様々なアクティビティを通して体験的に身につける。
〇「正しいか、間違いか」「良いか、悪いか」「自由か、規範か」の2項対立を「ニーズ」に照らして、より創造的で建設的な考え方に転換するスキルを学ぶ。
〇深いつながりと命を豊かにする関係をつくる「非暴力コミュニケーション」を学び、教育への活かし方を練習する。
■講師紹介■
キャサリン・カデン(CNVC公認トレーナー)
世界を変革するものは何か。それは、共感による繋がりを私達の行動の基盤にする意志である、と彼女は言う。1987年以来、彼女は米国の公立学校、モンテッソーリ、及びシュタイナー学校で働き、主流と「傍流」の両方において、人種差別、物質主義、無関心、疎外、及び暴力といった、教育システムの圧倒的な影響をじかに目撃してきた。
1997年、キャサリンは既存の教育システムから離れた。マハトマ・ガンジーとマーティン・ルサー・キングJr.博士に触発され、彼女は、共感、責任ある自主性、及び非暴力の理念に基づいて、幼稚園から中学までの学校を創設し、TEMBAスクールの扉を開いた。日々の課題に対処するために、彼女は机上の教育理論家よりも平和的仲裁の熟練者に、直接、アドバイスを求めた。ダライ・ラマ、ジャック・コーンフィールド、及びマーシャル・ローゼンバーグである。
11年間、年齢、人種、階級の垣根を本当の意味で取り払った学校運営を続けるうちに、TEMBAは地域の希望の導き手となった。親、生徒、そして及び教師が自らの可能性を花開かせる場所となったのだ。
TEMBAの卒業生は、高校や大学のリーダーとなり、野外教育プログラムを企画し、若者と警察の協力関係を作り上げ、仲間内の争いを解決した。いずれも、既存のシステム内で4.0の評定平均を取りながらである。
現在、キャサリンは、ジェシー・ワインスと共に、講演、ワークショップ、及び彼女の本”Peaceable Revolution Through Education” 「教育からの平和革命・未邦訳」を通して、より安全で喜びに溢れる平和な社会を作るための着想と実際的な知識を世界の人々の手にもたらそうとしている。詳しくはhttp://www.zenvc.org (英語)。
今回はキャサリンのパートナー、ジェシー・ヴィーンス氏も来日し、二人でワークショップをリードします。
■もっと知りたいあなたへ。本とサイトの紹介■
TEMBA Schoolについて:
”Peaceable Revolution Through Education” Catherine Cadden著 ア
マゾンで買えます!
NVCについて:
http://www.cnvc.org/(英語)
http://www.nvc-japan.com/modules/pico/(日本語)
お問い合わせは、こちらまで。
親・教師・生徒が対話によって互いを尊重するスキルを身につけ、非暴力な問題解決の方法を学び、日々の学習の中で実践して行く。
施設・カリキュラム・運営方針・・・全ての真ん中に平和の文化をおいて造られたテンバ・スクールの創立者キャサリン・キャデン氏から直接実践報告を聞き、教育における平和の文化を経験するワークショップ型セミナーです。
明日からの教育実践に活かせるスキルを身につけることを目的にしています。あらゆる立場で教育に関わる方たちの参加をお待ちしています。
■NVC教育ワークショップ概要■
日時:12月4日(土)9:30〜17:30&12月5日(日)10:00〜17:30
会場:神奈川あーすぷらざ(JR根岸線「本郷台」駅改札出て左へ徒歩2分)
講師:CNVC公認トレーナー キャサリン・キャデン&ジェシー・ヴィーンス
Catherine Cadden & Jesse Wiens(日本語逐次訳付き)
対象:教育に関心のある全ての方
*保育室&授乳室があります。利用方法については、個別にご相談ください。
参加費:15,000円(2日間)
初日のみの参加も可能。参加費:10,000円。 2日目のみは不可。
主催:NVCワークショップ委員会(担当:中川春野、レジーナ・スプリース)
お申し込みはこちら
■ワークショップ内容■
〇テンバ・スクール実践報告
〇パートナーシップ教育のスタイルを、「サークル」など様々なアクティビティを通して体験的に身につける。
〇「正しいか、間違いか」「良いか、悪いか」「自由か、規範か」の2項対立を「ニーズ」に照らして、より創造的で建設的な考え方に転換するスキルを学ぶ。
〇深いつながりと命を豊かにする関係をつくる「非暴力コミュニケーション」を学び、教育への活かし方を練習する。
■講師紹介■
キャサリン・カデン(CNVC公認トレーナー)
世界を変革するものは何か。それは、共感による繋がりを私達の行動の基盤にする意志である、と彼女は言う。1987年以来、彼女は米国の公立学校、モンテッソーリ、及びシュタイナー学校で働き、主流と「傍流」の両方において、人種差別、物質主義、無関心、疎外、及び暴力といった、教育システムの圧倒的な影響をじかに目撃してきた。
1997年、キャサリンは既存の教育システムから離れた。マハトマ・ガンジーとマーティン・ルサー・キングJr.博士に触発され、彼女は、共感、責任ある自主性、及び非暴力の理念に基づいて、幼稚園から中学までの学校を創設し、TEMBAスクールの扉を開いた。日々の課題に対処するために、彼女は机上の教育理論家よりも平和的仲裁の熟練者に、直接、アドバイスを求めた。ダライ・ラマ、ジャック・コーンフィールド、及びマーシャル・ローゼンバーグである。
11年間、年齢、人種、階級の垣根を本当の意味で取り払った学校運営を続けるうちに、TEMBAは地域の希望の導き手となった。親、生徒、そして及び教師が自らの可能性を花開かせる場所となったのだ。
TEMBAの卒業生は、高校や大学のリーダーとなり、野外教育プログラムを企画し、若者と警察の協力関係を作り上げ、仲間内の争いを解決した。いずれも、既存のシステム内で4.0の評定平均を取りながらである。
現在、キャサリンは、ジェシー・ワインスと共に、講演、ワークショップ、及び彼女の本”Peaceable Revolution Through Education” 「教育からの平和革命・未邦訳」を通して、より安全で喜びに溢れる平和な社会を作るための着想と実際的な知識を世界の人々の手にもたらそうとしている。詳しくはhttp://www.zenvc.org (英語)。
今回はキャサリンのパートナー、ジェシー・ヴィーンス氏も来日し、二人でワークショップをリードします。
■もっと知りたいあなたへ。本とサイトの紹介■
TEMBA Schoolについて:
”Peaceable Revolution Through Education” Catherine Cadden著 ア
マゾンで買えます!
NVCについて:
http://www.cnvc.org/(英語)
http://www.nvc-japan.com/modules/pico/(日本語)
お問い合わせは、こちらまで。
タイヨガと非暴力コミュニケーションワークショップ
いっしょに非暴力コミュニケーション(NVC)の勉強をしているレジーナさんからお知らせをいただいたので、ご紹介します。
私はまだ参加できるかどうかわからないんですが。
◎場所:神奈川地球市民プラザ
◎詳しい情報はこちら
「その時」いろいろな可能性がある。
その可能性を見つけるためのワークショップ。
自意識への結合、そして、共感を与える、または貴方の中で活動するものを表現しているかどうかを認識することについて、気楽に楽しんでいますか?
非暴力コミュニケーション(NVC)の命の木--Inbal Kashtan (BAY NVC)が創設した
命の木とマーシャル・ローゼンバーグの業績を基にしています。
NVCの命の木は、目に見える、運動的なツールであり、サポートとコーチを行うことにより、人々がNVC意識または注意に「踏み込む」ことを可能にします。
以下について、ロール・プレイ、小グループでの実践、コーチ及び仲間同士のサポートを利用します:
A) 私達の判断を「開放」する。
B) 判断に対して大きな声を与える
C) 他人の必要性(ニーズ)と意図を自分のものと結合する。そして、
D) ‘お願い’・‘要望’をする実験をする。
私はまだ参加できるかどうかわからないんですが。
◎場所:神奈川地球市民プラザ
◎詳しい情報はこちら
「その時」いろいろな可能性がある。
その可能性を見つけるためのワークショップ。
自意識への結合、そして、共感を与える、または貴方の中で活動するものを表現しているかどうかを認識することについて、気楽に楽しんでいますか?
非暴力コミュニケーション(NVC)の命の木--Inbal Kashtan (BAY NVC)が創設した
命の木とマーシャル・ローゼンバーグの業績を基にしています。
NVCの命の木は、目に見える、運動的なツールであり、サポートとコーチを行うことにより、人々がNVC意識または注意に「踏み込む」ことを可能にします。
以下について、ロール・プレイ、小グループでの実践、コーチ及び仲間同士のサポートを利用します:
A) 私達の判断を「開放」する。
B) 判断に対して大きな声を与える
C) 他人の必要性(ニーズ)と意図を自分のものと結合する。そして、
D) ‘お願い’・‘要望’をする実験をする。
次世代オーディオブック・リーダー育成講座の一日
昨日。
朝からどしゃ降りの中、雨の合間を縫って歩いて羽根木の家へ。昨日は一日、次世代オーディオブック・リーダー育成講座でした。
朝方は蒸し暑くて、羽根木の家に着いたときには汗ばんでいたほどだったのに、急に冷えこんできて寒いほどに。最初は涼しくていい、なんてのんきなことを思っていたんだけど、涼しいどころではなくなってしまいました。
10時から始まった講座には、大阪からおふたりのの参加があったり、岩崎さとことふなっちが遊びに来てくれました。
いつものようにガンガン飛ばして、たぶん初めての方には受け取れないほどの内容を伝えていきます。げろきょのゼミとは違って、こちらは遠慮なし。おそらく、このような内容で濃くやっている講座は、ここだけのはず。
1時間の昼休みをはさんで、午後もアイ文庫独自のオリジナルな内容で、すぐれた朗読者を養成するためのプログラムを進めていきました。
長時間の講座にも関わらず、皆さん、最後までしっかりと食いついて熱心に参加してくれました。
最後は、参加者のリクエストで、岩崎さとこと私の朗読セッションを。さとこは夏目漱石の『夢十夜』の「第一夜」を読み、私はピアノ。
今回も全力疾走で終了。あとは、実力評価を兼ねた収録オーディションの日程を決め、解散。オーディオブックだけでなく、現代朗読にも興味を示してくれた人がいて、今後に期待がつながりました。
養成講座が終わって、雨の中、歩いて帰宅。
昨日はなぜか、講座中にたくさん足がつりました。歩いたからか、雨だからか、気温が急に下がったからか、それともその全部が原因なのか。
今日はさらに気温が下がるそうです。
朝からどしゃ降りの中、雨の合間を縫って歩いて羽根木の家へ。昨日は一日、次世代オーディオブック・リーダー育成講座でした。
朝方は蒸し暑くて、羽根木の家に着いたときには汗ばんでいたほどだったのに、急に冷えこんできて寒いほどに。最初は涼しくていい、なんてのんきなことを思っていたんだけど、涼しいどころではなくなってしまいました。
10時から始まった講座には、大阪からおふたりのの参加があったり、岩崎さとことふなっちが遊びに来てくれました。
いつものようにガンガン飛ばして、たぶん初めての方には受け取れないほどの内容を伝えていきます。げろきょのゼミとは違って、こちらは遠慮なし。おそらく、このような内容で濃くやっている講座は、ここだけのはず。
1時間の昼休みをはさんで、午後もアイ文庫独自のオリジナルな内容で、すぐれた朗読者を養成するためのプログラムを進めていきました。
長時間の講座にも関わらず、皆さん、最後までしっかりと食いついて熱心に参加してくれました。
最後は、参加者のリクエストで、岩崎さとこと私の朗読セッションを。さとこは夏目漱石の『夢十夜』の「第一夜」を読み、私はピアノ。
今回も全力疾走で終了。あとは、実力評価を兼ねた収録オーディションの日程を決め、解散。オーディオブックだけでなく、現代朗読にも興味を示してくれた人がいて、今後に期待がつながりました。
養成講座が終わって、雨の中、歩いて帰宅。
昨日はなぜか、講座中にたくさん足がつりました。歩いたからか、雨だからか、気温が急に下がったからか、それともその全部が原因なのか。
今日はさらに気温が下がるそうです。
2010年9月23日木曜日
朗読者の育成講座、平日の銀座が驚くほどにぎわっていたこと
曇。これから一日、雨になるとのこと。
今日は丸一日、次世代オーディオブック・リーダー育成講座を羽根木の家で開催します。
この講座も今回で第四期となります。講座を受けた方全員が読み手になっていくわけではありませんが、何人かは継続的に育ってくれていて、今後が楽しみです。
次回、第五期の育成講座は10月17日(日)の開催予定です。
昨日はそのオーディオブックがらみのミーティングで銀座まで出かけてきました。
クリアすべき難しい問題がまだまだ積まれていますが、なんとかよい方向に話が動きそうです。今後、よい報告ができるといいんですが。
銀座に出たついでに、リニューアルしたデパートにちょっと寄ってみました。
ものすごい人。不況というのは嘘ですね。マスコミや統計が作り出した嘘で、そうやって不況をあおることで得をするだれかがいるということでしょう。もちろん給与所得者ではない自営業者(含む私)は非常に苦しいのは相変わらずですが、これは不況のせいではなく、日本の経済的社会構造のせいです。
日本の給与所得者、とくに大企業と役人の所得レベルは世界最高水準です。この人たちがデパートで散財するだけでなく、なんらかの社会的責任を請け負うような行動をはじめたとき、日本は変わるかもしれませんね。
そうなるといいなあ、と思います。Twitterなどあたらしい情報ツールで人々の意識レベルが急速に変わりつつあるのを感じています。すでに動きはじめている人はいるかもしれませんね。
ただ、被虐待児童たちへのボランティア活動に参加しているのは、まだまだ生活が苦しい自営業者ばかりだという現状は、少なくとも私たちのところではあります。経済的に豊かな人たちがもっと積極的に参加してくれるといいですね。
今日は丸一日、次世代オーディオブック・リーダー育成講座を羽根木の家で開催します。
この講座も今回で第四期となります。講座を受けた方全員が読み手になっていくわけではありませんが、何人かは継続的に育ってくれていて、今後が楽しみです。
次回、第五期の育成講座は10月17日(日)の開催予定です。
昨日はそのオーディオブックがらみのミーティングで銀座まで出かけてきました。
クリアすべき難しい問題がまだまだ積まれていますが、なんとかよい方向に話が動きそうです。今後、よい報告ができるといいんですが。
銀座に出たついでに、リニューアルしたデパートにちょっと寄ってみました。
ものすごい人。不況というのは嘘ですね。マスコミや統計が作り出した嘘で、そうやって不況をあおることで得をするだれかがいるということでしょう。もちろん給与所得者ではない自営業者(含む私)は非常に苦しいのは相変わらずですが、これは不況のせいではなく、日本の経済的社会構造のせいです。
日本の給与所得者、とくに大企業と役人の所得レベルは世界最高水準です。この人たちがデパートで散財するだけでなく、なんらかの社会的責任を請け負うような行動をはじめたとき、日本は変わるかもしれませんね。
そうなるといいなあ、と思います。Twitterなどあたらしい情報ツールで人々の意識レベルが急速に変わりつつあるのを感じています。すでに動きはじめている人はいるかもしれませんね。
ただ、被虐待児童たちへのボランティア活動に参加しているのは、まだまだ生活が苦しい自営業者ばかりだという現状は、少なくとも私たちのところではあります。経済的に豊かな人たちがもっと積極的に参加してくれるといいですね。
2010年9月20日月曜日
明日の中野ピグノーズ「げろきょでないと」ですが……
明日は9月の第三火曜日なので、通常ならば恒例の中野ピグノーズ「げろきょでないと」ライブなんですが、店側のブッキングミスで別の方のライブが入ってしまったそうです。
本来ならば、
「なにぃ?」
と気色ばんでみせるところですが、そこはそれ、温厚なげろきょの私たちですし、ピグノーズのmizuhoさんにはいつもお世話になっていることですし、いつも好き勝手をやらせていただいていることに寛容なピグノーズに譲ることにして、明日の「げろきょでないと」は急遽お休みとなりました。
その代わり、といってはなんですが、私は普通に客で行って、隙あらば飛び入り参加しようと思ってます。野々宮もつきあってくれるそうです。ひょっとして照井くんも?
明日のライブホストは、ギタリストの加藤崇之さんだそうです。
本来ならば、
「なにぃ?」
と気色ばんでみせるところですが、そこはそれ、温厚なげろきょの私たちですし、ピグノーズのmizuhoさんにはいつもお世話になっていることですし、いつも好き勝手をやらせていただいていることに寛容なピグノーズに譲ることにして、明日の「げろきょでないと」は急遽お休みとなりました。
その代わり、といってはなんですが、私は普通に客で行って、隙あらば飛び入り参加しようと思ってます。野々宮もつきあってくれるそうです。ひょっとして照井くんも?
明日のライブホストは、ギタリストの加藤崇之さんだそうです。
名古屋のイベント「KIP」のお知らせ
名古屋ウェルバ・アクトゥスのミニライブを観に来てくれた方が、私のテキスト作品をイベントのなかで使いたいと連絡くれました。
ダンサーの伎芸さんという方が企画しています。
そのイベントを、彼女のブログから紹介します。いずれ東京でもやる予定だそうです。
詳細は直接伎芸さんのブログをご覧ください。
------------
公演名 KIP
(子供達に夢へのきっぷを。皆にもそういった子供達を身近に感じてもらい触れ合いを持てるようになる電車へのきっぷを)
日時 11月21日(日)
場所 南山学園講堂
14:00〜15:30 公演 第一部
(児童擁護学校の子供達も多く招待されて来てくれますので子供受けするもの中心で)
15:30〜
一個下の階にて 子供達と出演者との触れ合いタイム。 ミニゲームや ミニバザーなどを予定
実際に珍しい楽器や 道具など 子供達に触ってもらったり簡単なレッスンしたり を予定しています。 自由な感じで
(ある意味ここが一番重要だと考えております 直接に 大人も子供も出演者協力者が一つになって
こころをつなげる 直接触れ合い 身近なものと感じて頂く時間。)
19:00〜21:00? 公演 第二部
バンド・ダンス・パフォーマンス 一部より長めにしてより多くの方に楽しんで頂く内容に
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
出演者 協力
フラメンコダンス 加藤おりは
カタックダンス プロダンサー
アフリカンダンス&バンド
和太鼓 祭り一家
尾張デラSTARS バスケットパフォーマンス
KIRARA メジャーデビュー決定。東京から来て下さいます。
柴田 達司 神戸から来て下さいます。プロギタリスト
ベリーダンス プロダンサー
コンテンポラリーダンス
ミチコロンブス バンド 名古屋を中心に全国で活躍中
車椅子社交ダンス
歌 バンド名思案中だそうです
剣詩舞 全国 優勝・4位 の方によるパフォーマンス
サルサ ドミニカ共和国のプロダンサー
(その他調整中・確認中数組)
協力
作曲家・演出家 水城 ゆう
DREAM CUBE ライブハウス
愛笑む (KIPイメージ音楽)
YOU-G (作曲家)
協賛
色々な会社(来週から飛び込みで協賛とってくるゾ!!)
後援
名古屋市教育委員会(申請済 認可待ち)
(その他いろいろ調整中)
------------
ダンサーの伎芸さんという方が企画しています。
そのイベントを、彼女のブログから紹介します。いずれ東京でもやる予定だそうです。
詳細は直接伎芸さんのブログをご覧ください。
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公演名 KIP
(子供達に夢へのきっぷを。皆にもそういった子供達を身近に感じてもらい触れ合いを持てるようになる電車へのきっぷを)
日時 11月21日(日)
場所 南山学園講堂
14:00〜15:30 公演 第一部
(児童擁護学校の子供達も多く招待されて来てくれますので子供受けするもの中心で)
15:30〜
一個下の階にて 子供達と出演者との触れ合いタイム。 ミニゲームや ミニバザーなどを予定
実際に珍しい楽器や 道具など 子供達に触ってもらったり簡単なレッスンしたり を予定しています。 自由な感じで
(ある意味ここが一番重要だと考えております 直接に 大人も子供も出演者協力者が一つになって
こころをつなげる 直接触れ合い 身近なものと感じて頂く時間。)
19:00〜21:00? 公演 第二部
バンド・ダンス・パフォーマンス 一部より長めにしてより多くの方に楽しんで頂く内容に
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
出演者 協力
フラメンコダンス 加藤おりは
カタックダンス プロダンサー
アフリカンダンス&バンド
和太鼓 祭り一家
尾張デラSTARS バスケットパフォーマンス
KIRARA メジャーデビュー決定。東京から来て下さいます。
柴田 達司 神戸から来て下さいます。プロギタリスト
ベリーダンス プロダンサー
コンテンポラリーダンス
ミチコロンブス バンド 名古屋を中心に全国で活躍中
車椅子社交ダンス
歌 バンド名思案中だそうです
剣詩舞 全国 優勝・4位 の方によるパフォーマンス
サルサ ドミニカ共和国のプロダンサー
(その他調整中・確認中数組)
協力
作曲家・演出家 水城 ゆう
DREAM CUBE ライブハウス
愛笑む (KIPイメージ音楽)
YOU-G (作曲家)
協賛
色々な会社(来週から飛び込みで協賛とってくるゾ!!)
後援
名古屋市教育委員会(申請済 認可待ち)
(その他いろいろ調整中)
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2010年9月19日日曜日
仮想敵
なにかをがんばっておこなったり、だれかになにごとかを説明するとき、「仮想敵」を作ることがよくある。
スポーツのトレーニングをするとき、自分より強い敵を想定して、それを超える/やっつけようとイメージしてがんばる、という方法だ。たしかにそれは勝ち負けの世界では有効だ。
また「数字が出る」世界でも有効だ。
たとえば学校の試験、売り上げ、観客動員といった世界。これらは現在の自分の状況について数値化できるので、より上の数値を設定した仮想敵を作ることで、より大きな数字をあげる努力のためのモチベーションを持てる。が、数値化できない世界では?
表現の世界は数値化できない。観客動員や知名度や売り上げや収入を尺度にして表現者を評価しようとする向きがあるが、それは尺度をすり替えただけのことで、表現という行為を数値化することは、本質的にはできない。
表現の評価基準は世間や自分の外側にはない。自己の内部にある。
しかし私たちはなにかを数値化して評価し、自分の評価基準を世間や自分の外側に求めることをずっと教育されつづけてきたので、その考え方から抜けだすことはとても難しい。もちろん私もそのとおりで、自覚はしていた。が、文章の書き方にまでそれが現れているとは考えていなかった。
このところブログやツイッターで書く自分の文章に違和感を覚えることが多かった。また、私の文章に反発したり、嫌悪を表明する人がいた。そのことがずっと気になっていた。
原因が「仮想敵」であることに思いいたったのは、つい最近のことだ。そのことについて考えつづけている。
私は「現代朗読」というものを提唱し、従来の放送技術偏重型の朗読を変えようと努力している。朗読が「表現行為」であるという認識から、コンテンポラリーアートやコミュニケーション、身体運用、現代思想などを取りいれ、できるかぎり自由でなにものにもとらわれない朗読を考えてきた。それはまだ始まったばかりで、研究の余地はまだまだあるが、出発点としてはおもしろく、いまのところうまくいっているように見える。
この方法を多くの人に知ってもらいたくて、私はたくさんの記述をおこなってきた。そのとき、つい「仮想敵」を想定した書き方をしてしまっていたのだ。
私が無意識に想定していた仮想敵は「従来朗読」とでもいうべきものだった。つまり、これまでアナウンサー、ナレーター、声優、役者といった人たちが「放送技術」を中心におこなったり教えたりしてきた、そしていまもおこなったり教えたりしている朗読行為。これを無意識に想定していた。そのせいで、まじめに朗読の勉強をやっている多くの人を、文章のなかで暗に攻撃し、けなし、その価値を下げようとするかのように書いてしまっていたと思う。多くの人に不快な思いをさせてしまった。あらためておわびしたい。と同時に、私のこれまでの書き方は誤っていたと思う。
現代朗読は他のどの表現分野とも比較できるものではない。これまで日本ではまったくといっていいほどおこなわれてこなかった「言語音声表現」の、自由でコンテンポラリーな、すぐれた方法、それが現代朗読だ。それを従来の朗読と比較して論じること自体、まちがっていた。無意識に比較対象とすることで、従来からある朗読を「仮想敵」にしていた自分がいることに気づいた。今後、私は、仮想敵を想定することなく、ただ純粋に論じてみたい。これまで朗読について書いたものについても、すべて見直し、あらたに書きなおしてみようと思っている。
おそらく表現の世界に限らず、自分のなかで仮想敵を設定することほどつまらないことはない。それはものごとの見方を狭くし、自分自身を狭小で貧相な世界に閉じこめてしまうことになる。そのことを常に自戒しながら進んでいきたい。
スポーツのトレーニングをするとき、自分より強い敵を想定して、それを超える/やっつけようとイメージしてがんばる、という方法だ。たしかにそれは勝ち負けの世界では有効だ。
また「数字が出る」世界でも有効だ。
たとえば学校の試験、売り上げ、観客動員といった世界。これらは現在の自分の状況について数値化できるので、より上の数値を設定した仮想敵を作ることで、より大きな数字をあげる努力のためのモチベーションを持てる。が、数値化できない世界では?
表現の世界は数値化できない。観客動員や知名度や売り上げや収入を尺度にして表現者を評価しようとする向きがあるが、それは尺度をすり替えただけのことで、表現という行為を数値化することは、本質的にはできない。
表現の評価基準は世間や自分の外側にはない。自己の内部にある。
しかし私たちはなにかを数値化して評価し、自分の評価基準を世間や自分の外側に求めることをずっと教育されつづけてきたので、その考え方から抜けだすことはとても難しい。もちろん私もそのとおりで、自覚はしていた。が、文章の書き方にまでそれが現れているとは考えていなかった。
このところブログやツイッターで書く自分の文章に違和感を覚えることが多かった。また、私の文章に反発したり、嫌悪を表明する人がいた。そのことがずっと気になっていた。
原因が「仮想敵」であることに思いいたったのは、つい最近のことだ。そのことについて考えつづけている。
私は「現代朗読」というものを提唱し、従来の放送技術偏重型の朗読を変えようと努力している。朗読が「表現行為」であるという認識から、コンテンポラリーアートやコミュニケーション、身体運用、現代思想などを取りいれ、できるかぎり自由でなにものにもとらわれない朗読を考えてきた。それはまだ始まったばかりで、研究の余地はまだまだあるが、出発点としてはおもしろく、いまのところうまくいっているように見える。
この方法を多くの人に知ってもらいたくて、私はたくさんの記述をおこなってきた。そのとき、つい「仮想敵」を想定した書き方をしてしまっていたのだ。
私が無意識に想定していた仮想敵は「従来朗読」とでもいうべきものだった。つまり、これまでアナウンサー、ナレーター、声優、役者といった人たちが「放送技術」を中心におこなったり教えたりしてきた、そしていまもおこなったり教えたりしている朗読行為。これを無意識に想定していた。そのせいで、まじめに朗読の勉強をやっている多くの人を、文章のなかで暗に攻撃し、けなし、その価値を下げようとするかのように書いてしまっていたと思う。多くの人に不快な思いをさせてしまった。あらためておわびしたい。と同時に、私のこれまでの書き方は誤っていたと思う。
現代朗読は他のどの表現分野とも比較できるものではない。これまで日本ではまったくといっていいほどおこなわれてこなかった「言語音声表現」の、自由でコンテンポラリーな、すぐれた方法、それが現代朗読だ。それを従来の朗読と比較して論じること自体、まちがっていた。無意識に比較対象とすることで、従来からある朗読を「仮想敵」にしていた自分がいることに気づいた。今後、私は、仮想敵を想定することなく、ただ純粋に論じてみたい。これまで朗読について書いたものについても、すべて見直し、あらたに書きなおしてみようと思っている。
おそらく表現の世界に限らず、自分のなかで仮想敵を設定することほどつまらないことはない。それはものごとの見方を狭くし、自分自身を狭小で貧相な世界に閉じこめてしまうことになる。そのことを常に自戒しながら進んでいきたい。
2010年9月18日土曜日
「読み聞かせ」についての考察(朗読も同じだけど)
現代朗読のゼミ生に「子どもたちに読み聞かせをしている」という人がいて、実際に絵本を持ってきてみんなに聞かせてくれた。大変楽しい絵本で(干支と早口言葉を組み合わせた絵本)、大人が聞いても楽しいものだった。その人もとても楽しそうに読んでくれた。
さて、そこから検証が始まるのが現代朗読のゼミである。
まず、子どもたちに絵本を読み聞かせるとき、なにが一番大切なのかをみんなにかんがえてもらった。
「抑揚をつける」「リズムを大切にする」「はきはきと話す」いろいろな意見が出た。どれも的を射ているように思える。
「まず読み手である自分が楽しんでいることが大事」という意見も出た。これはゼミでいつも確認している「読み手の心や身体の状態はそのまま聴き手にも伝わる」という原理を踏まえたものだろう。
さて、それだけでいいのだろうか。
ここで私はいつも意地悪な提案をする。
「子ども相手ではなく、いまここで、私たち相手にその本を朗読するとしたら、どんなふうに読む?」
彼女は少し考えてから、ふたたび読みはじめる。それは、大げさな抑揚やリズムの強調のない、彼女のふつうの大人相手の朗読である。が、彼女が楽しんでいることには変わりない。
あとで確認したのだが、彼女はその本がとても好きで、彼女自身、その本を朗読するのがとても楽しいのだという。
私はつづけた。
「なぜいま我々に読んだくれたように、子どもたちには読まないの?」
彼女はそこでハタとかんがえる。かんがえあぐねる。いろいろとかんがえをめぐらせる。
この「かんがえる」ということが表現する者にとってはもっとも大切なことなのだ。
なにかを表現しようとしたとき、けっして思考停止に陥らないこと。これが大事だ。
しばらくかんがえてから、彼女は答える。
「たぶん、子どもにもわかるように読まなければと思ったんでしょうね」
この「子どもにもわかるように読む」ということについて、我々は(誰からなのかはわからないが)ある一定のルールというかやり方を刷りこまれている。抑揚やリズムを大きく、いかにも楽しく、言葉ははっきりと明瞭に、声は明るく大きく。
子どもは誰もそんなことを頼んでいない。
そう思いこんでいることで、一種の「思考停止」に陥っているといってもいいだろう。「こういうふうに読む」という型を(無意識にせよ)持っていることで、表現はとても楽になる。なにもかんがえずにその「型」に表現を流しこめばいいのだから。
しかし、ここで原点に戻ってみたい。
一切の型をはずし、いま、ここで、自分が自分らしく読むこと。
この場合、「いまここで、私たち相手にその本を朗読してみて」と頼まれたときの彼女の朗読がそれにあたる。
それに気づいた彼女に、私はもう一度お願いしてみた。
「もう一度いまの読み方で、子どもたち相手に読んでみて」
当然のことながら彼女の読み方はガラッと変わる。
私は問う。
「その読み方ではだめなの? その読み方だと子どもたちは聞いてくれないと思う?」
そんなことはない、と彼女は答えるし、私たちもそんなことはないだろうともうわかっている。子どもたちは裸の、鋭い感性を持っている。
子どもたちには大人の私たちがなにをどうしようとしているのか、理屈ではなく感触ですべて伝わってしまっている。楽しんでいるかいないか、子どものための型にはめこんで楽をしているかいないか、子どもだと思ってレベルを落とした表現をしているかいないか。
子どもたち相手だろうが、大人相手だろうが、お年寄り相手だろうが、ひとりだろうが千人だろうが、私はたちはただ誠実に「型」を取りはらい、自分のあるがままの表現を真剣に手探りしながら読んでいきたい。
さて、そこから検証が始まるのが現代朗読のゼミである。
まず、子どもたちに絵本を読み聞かせるとき、なにが一番大切なのかをみんなにかんがえてもらった。
「抑揚をつける」「リズムを大切にする」「はきはきと話す」いろいろな意見が出た。どれも的を射ているように思える。
「まず読み手である自分が楽しんでいることが大事」という意見も出た。これはゼミでいつも確認している「読み手の心や身体の状態はそのまま聴き手にも伝わる」という原理を踏まえたものだろう。
さて、それだけでいいのだろうか。
ここで私はいつも意地悪な提案をする。
「子ども相手ではなく、いまここで、私たち相手にその本を朗読するとしたら、どんなふうに読む?」
彼女は少し考えてから、ふたたび読みはじめる。それは、大げさな抑揚やリズムの強調のない、彼女のふつうの大人相手の朗読である。が、彼女が楽しんでいることには変わりない。
あとで確認したのだが、彼女はその本がとても好きで、彼女自身、その本を朗読するのがとても楽しいのだという。
私はつづけた。
「なぜいま我々に読んだくれたように、子どもたちには読まないの?」
彼女はそこでハタとかんがえる。かんがえあぐねる。いろいろとかんがえをめぐらせる。
この「かんがえる」ということが表現する者にとってはもっとも大切なことなのだ。
なにかを表現しようとしたとき、けっして思考停止に陥らないこと。これが大事だ。
しばらくかんがえてから、彼女は答える。
「たぶん、子どもにもわかるように読まなければと思ったんでしょうね」
この「子どもにもわかるように読む」ということについて、我々は(誰からなのかはわからないが)ある一定のルールというかやり方を刷りこまれている。抑揚やリズムを大きく、いかにも楽しく、言葉ははっきりと明瞭に、声は明るく大きく。
子どもは誰もそんなことを頼んでいない。
そう思いこんでいることで、一種の「思考停止」に陥っているといってもいいだろう。「こういうふうに読む」という型を(無意識にせよ)持っていることで、表現はとても楽になる。なにもかんがえずにその「型」に表現を流しこめばいいのだから。
しかし、ここで原点に戻ってみたい。
一切の型をはずし、いま、ここで、自分が自分らしく読むこと。
この場合、「いまここで、私たち相手にその本を朗読してみて」と頼まれたときの彼女の朗読がそれにあたる。
それに気づいた彼女に、私はもう一度お願いしてみた。
「もう一度いまの読み方で、子どもたち相手に読んでみて」
当然のことながら彼女の読み方はガラッと変わる。
私は問う。
「その読み方ではだめなの? その読み方だと子どもたちは聞いてくれないと思う?」
そんなことはない、と彼女は答えるし、私たちもそんなことはないだろうともうわかっている。子どもたちは裸の、鋭い感性を持っている。
子どもたちには大人の私たちがなにをどうしようとしているのか、理屈ではなく感触ですべて伝わってしまっている。楽しんでいるかいないか、子どものための型にはめこんで楽をしているかいないか、子どもだと思ってレベルを落とした表現をしているかいないか。
子どもたち相手だろうが、大人相手だろうが、お年寄り相手だろうが、ひとりだろうが千人だろうが、私はたちはただ誠実に「型」を取りはらい、自分のあるがままの表現を真剣に手探りしながら読んでいきたい。
2010年9月16日木曜日
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