2013年8月11日日曜日

「ちょい瞑想」のススメ

今日はいつも私がやっている「ちょい瞑想」を紹介しよう。
瞑想というと、静かな場所と時間を選んで、気持ちを落ちつけてすわり、半跏座がどうの、法界定印がどうの、骨盤がどうのと、準備と方法に縛られるような気がするが、簡単にやる方法もある。

もちろん本格的な瞑想法の勉強はひととおりした。
なかでも仏陀がおこなっていたとされるヴィパッサナー瞑想はすぐれもので、集中力と精神衛生を養生するのにとても役にたつ。
しかし、毎日決まった時間に本格的な瞑想の時間を取れる人はそう多くないだろう。
私もそうだ。
そこで、「ちょい瞑想」のススメとなる。

ちょい瞑想では静かな場所は必要ない。場所を選ばないのがちょい瞑想のいいところだ。満員電車でぎゅうぎゅうに人と押し合いながら。騒がしいカフェの一角で。食事の用意にキッチンに立っているときに。
パソコン仕事の合間に。
いつでもどこでもできる。
必要な時間も数分、まず三分あればできるし、そのままつづけられるようなら十分以上やってもいい。

ではやりかた。
どんな場所でも、どんな状況でもいい、とにかく数分自分のことに集中できる時間が取れそうだったら即座にやってみる。
眼を閉じる必要はない。
眼からはいってくる視覚情報、耳からはいってくる聴覚情報、その他においや皮膚からの情報、それらをシャットアウト「しない」ことがコツだ。
これができるようになれば、いつでもどこでもちょい瞑想ができるようになる。

自分の身体を「情報の通り道」とイメージしてみよう。
なかが空っぽの円柱、たとえばトイレットペーパーの芯のようなものだとイメージしてみる。
そこへはさまざまな情報がやってくるが、そのまま通りぬけていく。
自分はただそれをながめているだけだ。
その情報を意味づけしたり、判断したりしない。

たとえば、大声でしゃべっている女性の声を「うるさい」という言葉でレッテル張りをしない。
ただ彼女たちの大きな声が自分の身体を通りぬけていくのを見るのみ。
「うるさい」という判断が起こると、それを反射的に「遮断」しようとする。
耳をふさいだり、耳をふさがなくても聞こえないふりを自分に強いたり、別のことに注意を向けて忘れようとしたり、そういった反射反応を私たちは身につけてしまっている。
その反射反応が起こらないように、ただ「見る」。

聴覚だけでなく、見えているものにもいちいち反応しない。
ただ見る。
暑いとか寒いとか、痛いとか、涼しいとか、そういうこともただ見るだけで、反応しない。
それができるようになったら、いつでもどこでもちょい瞑想ができるようになる。

自分の外側からやってくるすべての情報をスルーする覚悟ができたら、さてちょい瞑想にはいる。
瞑想というとリラックスしてやる、というイメージがあるかもしれないが、ちょい瞑想ではリラックスではなく、逆にちょっと覚悟をして気構えを作ってからおこなう。
さあ瞑想するぞ、というこころと身体の構えをつくるのだ。

外部情報をスルーする準備ができたら、今度は視点を自分の内側に積極的に向けていく。
とくに見るのは呼吸だ。
空気が鼻の穴から鼻腔のなかへ、そして気道を通って肺をふくらませ、胸郭全体がふくらみ、横隔膜が下がることによって腹部もゆるやかにふくらむようすを、できるだけ微細に見る。

逆に、ふくらんだ胸がしぼんで空気が肺から気道へ押しだされ、暖まり湿度が加わった空気が鼻腔から鼻の穴を通って外へと流れ出ていくようすを、可能なかぎり繊細に見る。
そこに判断や意味づけはせずに、ただ見る。

瞑想の目的は大脳皮質、とくに前頭葉の言語思考を手放すことによって、身体と連動した超並列スーパーコンピューター以上の性能を持つ人の脳のポテンシャルを引きだすことだ。

言語思考は脳と身体のポテンシャルを疎外している。
前頭葉の言語思考、論理思考、イメージングなどは他の動物とは異なった人の特性であり、そのことが人を他の動物にたいする優位性を保証していると私たちは考えがちだが、逆にそのことによって本来そなわっている生き物としての身体処理能力や感受性をいちじるしくそこなっている。
私たちはかんがえる動物である以前に、優秀なポテンシャルを持った感受性と身体性を持った生き物であり、それを全発揮するためにはいったん言語思考に引っこんでいてもらう必要があるのだ。

日常的に自分のポテンシャルを最高にたもつために、瞑想による言語思考の遮断と、感受性と身体性をつかさどる脳の部位の活性化が必要になる。
時々これによって自分自身をリセットすることで、高性能なパフォーマンスを維持し、またこころと身体の健全さを養生することができる。

じっくりと瞑想する時間が取れないときは、自分の呼吸に注意を向け、ただそれを見る、感じる、という「ちょい瞑想」を試みるといい。
最初はさまざまな想念、雑念がわいて出て、瞑想を邪魔しようとするだろうが、そのたびに呼吸に注意を向け、ただそれを見る、呼吸を感じることに集中する。
ほんの数分これがうまくできたら、寝不足のときにほんの数分仮眠するだけで身体がすっきりするように、頭のなかもびっくりするくらいすっきりすることを実感できるだろう。

ちょい瞑想を試してみたい、私といっしょにやってみたい、という人は、まずは現代朗読協会の体験講座に参加したり、ゼミの見学に来てみてほしい。