唱歌以外の既成曲、とくに現代曲をカバーして演奏することはめったにないのだが、昨日はなんとなくジブリ映画「千と千尋の神隠し」の主題歌を弾いてみたくなった。
「千と千尋」はともかく、私自身はジブリ映画にちょってと思い入れがある。
1986年に商業小説家としてデビューしたとき、その出版社は徳間書店だったのだが、処女作出版の打ち合わせのために何度か新橋の古い社屋の徳間書店(この社屋は「ココリコ坂」に描かれている)を訪問したとき、入口をはいったところの廊下にやたらベタベタとポスターが張ってあった。
それは「天空の城ラピュタ」の公開を間近に控えたポスターだった。
宮崎駿のSFアニメであり、私のデビュー作も冒険SFの『疾れ風、哮えろ嵐』という作品だったので、なんとなく親近感を覚えていた。
舞台も天空に浮かぶ島と、私の作品も海に浮かぶ人工島だった。
その後、幼い息子といっしょにジブリ映画のビデオを何度も観たりして、久石譲の音楽にも親しんでいた。
「千と千尋」は、実はリアルタイムで映画館では観ていなかったのだが、その後DVDで観て、おもしろい作品だと思った。
音楽もよかった(一番いいと思うのは、いまでも「ナウシカ」だけど)。
「千と千尋」の主題は「いつも何度でも」という題で、久石譲の作品ではない。
しかし、なんとなくなじんでいて、おもしろい。
今回、ビデオを回しながら演奏していたら、演奏の最後のほうで羽根木の家の玄関チャイムがピンポンと鳴った。
よく見ると、最初から羽根木の家の庭で木々の緑が風に揺れている風景が背景に映っている。
そこで仕事している野々宮が、チャイムの音で立ちあがって、玄関に向かっていく。
やってきたのは、昼ゼミに参加するためにやってきたオーディオブックリーダー養成講座受講中のトモコさんで、私はかまわず演奏をつづけたが、最後はトモコさんが部屋にはいってきたので、アイコンタクトして笑ってしまったが、トモコさんは収録している雰囲気を感じて、邪魔をしてしまったのではないかと気にしていた。
全然大丈夫だったのだが。
羽根木の家の日常の風景。
私の大切な時間。
「千と千尋の神隠し~いつも何度でも」の演奏風景はこちら。
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2013年10月4日金曜日
2013年10月3日木曜日
千と千尋の神隠し〜いつも何度でも
2013年10月3日。
ジブリ映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」をピアノ演奏してみました。
中間部分は即興です。
もうちょっと自由にやってみようと思ったけど、曲の構成や印象が強くて崩せませんでした。
次回はもっと自由なアプローチでやれたら、と思います。
ジブリ映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」をピアノ演奏してみました。
中間部分は即興です。
もうちょっと自由にやってみようと思ったけど、曲の構成や印象が強くて崩せませんでした。
次回はもっと自由なアプローチでやれたら、と思います。
2013年10月1日火曜日
現代朗読基礎コース第1回の抜粋
2013年9月28日。
全10回で現代朗読の基礎をしっかり身につけていただくための基礎コースがスタートしました。
その初回の記録映像から抜粋してお送りします。
現代朗読がなにをめざしているのか、従来の朗読とはどうちがうのか、実際にどんなことをやるのかのほんの一端ではありますが、雰囲気くらいはわかっていただけるのではないかと思います。
今期の基礎コース、2回めからの参加も歓迎です。
参加したい方には初回の映像か全音声記録を差し上げます。
詳しくはこちらをどうぞ。
全10回で現代朗読の基礎をしっかり身につけていただくための基礎コースがスタートしました。
その初回の記録映像から抜粋してお送りします。
現代朗読がなにをめざしているのか、従来の朗読とはどうちがうのか、実際にどんなことをやるのかのほんの一端ではありますが、雰囲気くらいはわかっていただけるのではないかと思います。
今期の基礎コース、2回めからの参加も歓迎です。
参加したい方には初回の映像か全音声記録を差し上げます。
詳しくはこちらをどうぞ。
2013年9月30日月曜日
2級ボイスセラピスト講座、テレクラスどんどんやるよ
今日は朝から夕方まで、一日、2級ボイスセラピスト講座だった。
今日は奈良からはるばる来た朋美さんと、1級ボイスセラピスト仮取得の知子さん、そして音読療法士の野々宮卯妙。
少人数で楽しくやらせてもらった。
朋美さんは朗読活動もやっていて、私は行けなかったけれど先日の法然院の野々宮と琵琶の片山旭星さんのライブにも来てくれた。
その感想などあらためて聞かせてもらってうれしかった。
音読療法の柱は「呼吸法」「音読」「共感的コミュニケーション」のみっつなのだが、午後最初にやった共感的コミュニケーションは興味をひかれたとのこと。
終わってから、せっかく遠方から来たのだからと、現代朗読のエチュードもいくつかいっしょに体験してもらった。
体認のエチュードをやったり、ピアノの即興と朗読セッションをやったり。
エチュード本にあった「雨ニモ負ケズ」をたまたま読んだのだが、音楽にちゃんと反応してイキイキと読んでくれた。
おもしろかったので、音楽の雰囲気を変えて2度めのセッションに挑戦すると、またまったく違った表現が出てきて、楽しかった。
朋美さんも現代朗読の核の部分に触れて、びっくりしながらもおもしろがってもらえたようだった。
奈良、京都、大阪、神戸、滋賀といった関西でも現代朗読のワークショップやライブ・公演をやりたいね、という話になり、朋美さんにも協力してもらえるとありがたいなと思う。
もちろん音読療法の展開も。
このように、いま東京でしか学んだり触れる機会がない現代朗読も、ネットを通じて地方や自宅にいながらにして学べる方法がある。
テレクラスはゼミや講座も受けることができる。
もちろん隔靴掻痒の感はあるのだが、それを補完すべく現地でワークショップなどを実施してこちらから出張することも可能だ。
まずはテレクラスをおおいに利用してもらいたいと思う。
この利用が進めば、私のほうも東京不在のときも、全世界のどこからでもみなさんとつながることができる。
そのために、私もテレクラスの内容や、受けやすいような工夫をしていきたいと思っている。
現代朗読オンラインクラス(テレクラス)の詳細はこちら。
今日は奈良からはるばる来た朋美さんと、1級ボイスセラピスト仮取得の知子さん、そして音読療法士の野々宮卯妙。
少人数で楽しくやらせてもらった。
朋美さんは朗読活動もやっていて、私は行けなかったけれど先日の法然院の野々宮と琵琶の片山旭星さんのライブにも来てくれた。
その感想などあらためて聞かせてもらってうれしかった。
音読療法の柱は「呼吸法」「音読」「共感的コミュニケーション」のみっつなのだが、午後最初にやった共感的コミュニケーションは興味をひかれたとのこと。
終わってから、せっかく遠方から来たのだからと、現代朗読のエチュードもいくつかいっしょに体験してもらった。
体認のエチュードをやったり、ピアノの即興と朗読セッションをやったり。
エチュード本にあった「雨ニモ負ケズ」をたまたま読んだのだが、音楽にちゃんと反応してイキイキと読んでくれた。
おもしろかったので、音楽の雰囲気を変えて2度めのセッションに挑戦すると、またまったく違った表現が出てきて、楽しかった。
朋美さんも現代朗読の核の部分に触れて、びっくりしながらもおもしろがってもらえたようだった。
奈良、京都、大阪、神戸、滋賀といった関西でも現代朗読のワークショップやライブ・公演をやりたいね、という話になり、朋美さんにも協力してもらえるとありがたいなと思う。
もちろん音読療法の展開も。
このように、いま東京でしか学んだり触れる機会がない現代朗読も、ネットを通じて地方や自宅にいながらにして学べる方法がある。
テレクラスはゼミや講座も受けることができる。
もちろん隔靴掻痒の感はあるのだが、それを補完すべく現地でワークショップなどを実施してこちらから出張することも可能だ。
まずはテレクラスをおおいに利用してもらいたいと思う。
この利用が進めば、私のほうも東京不在のときも、全世界のどこからでもみなさんとつながることができる。
そのために、私もテレクラスの内容や、受けやすいような工夫をしていきたいと思っている。
現代朗読オンラインクラス(テレクラス)の詳細はこちら。
朗読とはなにか
大上段な問いをあえて立ててみたい。
朗読とはなにか。
朗読という行為の目的はなにか。
朗読することによってなにが起こるのか。
このごろ現代朗読協会での講座やワークショップで私がよく話しているのは、朗読には大きくいってふたつの側面がある、ということだ。
ひとつは「伝達」の側面。
人が声を出してテキストを読みあげるとき、そのテキストに書かれている内容が伝わる。
物語であったり情報であったり、言葉であったり、イメージであったり。
もうひとつは「表現」の側面。
大きくいえばこれも伝達の一部なのかもしれないが、伝わるものはテキストの中身ではなく、朗読者そのものについての情報だ。
声音、息使い、緊張やリラックス、リズム、身体の使い方、雰囲気、におい、目配せ、その他さまざまな膨大な情報が聴き手に伝わっている。
これはまさに、朗読者が自分自身を聴き手に伝えている、つまり表現しているということになるだろう。
朗読という行為によってなにを伝えるのか。
テキストの内容なのか、作者の思いなのか、テーマなのか、自分がそのテキストから受け取った(と思いこんでいる)感動なのか。
それとも、いまこの瞬間の自分自身の存在そのものなのか。
現代朗読では、自分の外側にあるものを伝えることではなく、自分の内側と自分そのものを伝えることを大切にしている。
自分の外側にあるものを表現行為に利用はするが、それは取り替え可能である。
後生大事に「作者の思い」だの「テーマ」だのをかんがえすぎないようにする。
結局、朗読すればテキストは伝わるのだし、その解釈は聴き手が勝手にやるだろうし、また聴き手の解釈をこちらが操作することもむずかしい。
ならば、もっとも確かであること、つまり自分自身のいまここにある存在そのものを伝えることに注目し、集中したい、というのが現代朗読のかんがえかたである。
10月の現代朗読体験講座は10月5日(土)14:00から17:00の開催です。
詳細と申し込みはこちら。
朗読とはなにか。
朗読という行為の目的はなにか。
朗読することによってなにが起こるのか。
このごろ現代朗読協会での講座やワークショップで私がよく話しているのは、朗読には大きくいってふたつの側面がある、ということだ。
ひとつは「伝達」の側面。
人が声を出してテキストを読みあげるとき、そのテキストに書かれている内容が伝わる。
物語であったり情報であったり、言葉であったり、イメージであったり。
もうひとつは「表現」の側面。
大きくいえばこれも伝達の一部なのかもしれないが、伝わるものはテキストの中身ではなく、朗読者そのものについての情報だ。
声音、息使い、緊張やリラックス、リズム、身体の使い方、雰囲気、におい、目配せ、その他さまざまな膨大な情報が聴き手に伝わっている。
これはまさに、朗読者が自分自身を聴き手に伝えている、つまり表現しているということになるだろう。
朗読という行為によってなにを伝えるのか。
テキストの内容なのか、作者の思いなのか、テーマなのか、自分がそのテキストから受け取った(と思いこんでいる)感動なのか。
それとも、いまこの瞬間の自分自身の存在そのものなのか。
現代朗読では、自分の外側にあるものを伝えることではなく、自分の内側と自分そのものを伝えることを大切にしている。
自分の外側にあるものを表現行為に利用はするが、それは取り替え可能である。
後生大事に「作者の思い」だの「テーマ」だのをかんがえすぎないようにする。
結局、朗読すればテキストは伝わるのだし、その解釈は聴き手が勝手にやるだろうし、また聴き手の解釈をこちらが操作することもむずかしい。
ならば、もっとも確かであること、つまり自分自身のいまここにある存在そのものを伝えることに注目し、集中したい、というのが現代朗読のかんがえかたである。
10月の現代朗読体験講座は10月5日(土)14:00から17:00の開催です。
詳細と申し込みはこちら。
2013年9月29日日曜日
ソーラー女子の明るい電力自給生活
昨日の夜は羽根木の家で「ソーラー女子の明るい電力自給生活」というイベントが開催された。
主催はGQパワーという市民電力会社の設立をめざしてさまざまな活動をおこなっている団体だ。
トランジション世田谷・茶沢会ともつながっている。
ゲストスピーカーは国立市在住の染織作家の藤井智佳子さんで、公団住宅住まいながら、なんと去年から東京電力との契約を打ち切り、一切電気を買わない生活を送られているという方だ。
どのような経緯で東電との契約を打ち切ることになり、どのような工夫をして生活しているのか、もうおもしろいのなんのって。
まったく悲壮感がないところがいい。
ベランダにソーラーパネルを設置しているほか、節電の工夫のさまざまや自転車式の自力発電などの話をうかがった。
冷蔵庫がないので、食生活にも工夫がいる。
まず肉や魚はほとんど食べないそうだ。
野菜は冷蔵庫にいれなくても、冷暗所に置いて保存する工夫をしている。
また、素焼きの壷を利用した自然冷却装置も使っている。
夜は太陽電池を使った蓄電ランタンなど、室内は暗いが、夜なので暗いのは当然だし、そういう生活にすぐ慣れたという。
簡単な手作りのソーラークッカーでお湯や干し芋を作ったりもしていて、実際に作った干し芋を私もいただいた。
梅雨時は太陽光があまりなくて発電が充分でなかったので、洗濯機をまわすのに自転車式発電機をまわしたそうだ。
また、お仕事の染織で使うアイロンは、昔の人が使っていた炭式のアイロンを使っている。
ミシンは足踏み式。
こういった工夫をどれも楽しんでやっておられているのが愉快だった。
節電のキーワードは「楽しむ」だなと思った。
ほかに参加者として来ていた人のなかにもすごいことをやっている人たちがいて、びっくりするような話がいくつか聞けた。
原発事故におびえながら一見便利な電気をじゃんじゃん使う都市型生活を送るより、楽しみながら節電して東電になるべくお金を払わないですます生活のほうが、よほど楽しそうではないか。
節電によって自分の生活そのものを楽しむことすらできるようになりそうな予感がする。
主催はGQパワーという市民電力会社の設立をめざしてさまざまな活動をおこなっている団体だ。
トランジション世田谷・茶沢会ともつながっている。
ゲストスピーカーは国立市在住の染織作家の藤井智佳子さんで、公団住宅住まいながら、なんと去年から東京電力との契約を打ち切り、一切電気を買わない生活を送られているという方だ。
どのような経緯で東電との契約を打ち切ることになり、どのような工夫をして生活しているのか、もうおもしろいのなんのって。
まったく悲壮感がないところがいい。
ベランダにソーラーパネルを設置しているほか、節電の工夫のさまざまや自転車式の自力発電などの話をうかがった。
冷蔵庫がないので、食生活にも工夫がいる。
まず肉や魚はほとんど食べないそうだ。
野菜は冷蔵庫にいれなくても、冷暗所に置いて保存する工夫をしている。
また、素焼きの壷を利用した自然冷却装置も使っている。
夜は太陽電池を使った蓄電ランタンなど、室内は暗いが、夜なので暗いのは当然だし、そういう生活にすぐ慣れたという。
簡単な手作りのソーラークッカーでお湯や干し芋を作ったりもしていて、実際に作った干し芋を私もいただいた。
梅雨時は太陽光があまりなくて発電が充分でなかったので、洗濯機をまわすのに自転車式発電機をまわしたそうだ。
また、お仕事の染織で使うアイロンは、昔の人が使っていた炭式のアイロンを使っている。
ミシンは足踏み式。
こういった工夫をどれも楽しんでやっておられているのが愉快だった。
節電のキーワードは「楽しむ」だなと思った。
ほかに参加者として来ていた人のなかにもすごいことをやっている人たちがいて、びっくりするような話がいくつか聞けた。
原発事故におびえながら一見便利な電気をじゃんじゃん使う都市型生活を送るより、楽しみながら節電して東電になるべくお金を払わないですます生活のほうが、よほど楽しそうではないか。
節電によって自分の生活そのものを楽しむことすらできるようになりそうな予感がする。
現代朗読基礎コースが始まった
全10回シリーズの現代朗読基礎コースが、昨日からスタートした。
土曜日の午前10時半から2時間、12月に最終となる約3か月で、現代朗読の基礎を網羅しようというプログラムだ。
初回の昨日は現代朗読と従来朗読の違い、日本における朗読の歴史、表現アートの歴史とコンテンポラリーアートの成立過程、コンテンポラリーアートと伝統的表現の違い、現代朗読がめざすものなどについて、系統的に解説をこころみた。
現代朗読は「放送技術」に辺倒せず、情報伝達ではなく、自分自身を表現し人に伝える手段として朗読行為をとらえている。
そのために表現の原理を朗読行為にあてはめてかんがえ、さらに各自のオリジナリティを保証する手段として身体性にたいする意識を緻密に高めていくことをする。
このために、いろいろなエチュードが用意されている。
エチュードをやりながら、自分の身体と呼吸と声を感受し、それらが連動して働く意識を持つ。
この目的は、表現を「あらかじめ準備され、たくらみや思いこみで作られた」ものではなく、「いまここ」の自分の身体とこころに正直に誠実に沿うことで、まっすぐにオーディエンスにとどきコミュニケートできるものにすることにある。
このことはまた、自分自身に深くアクセスすることでもあり、朗読の練習をする過程で普段の生活も大きく変わったり、日常の風景がちがって見えたりする。
昨日は最初のガイダンスやお互いの紹介、朗読表現の歴史や現代朗読の考え方の確認などに時間がかかったので、エチュードの時間は短めになった。
呼吸法、ハミング発声と身体の震動の確認、体認のエチュードをふたつだけ。
これらはどれも大切な基礎エチュードなので、毎回かならずやることになるだろうし、参加者には家でも毎日やってもらいたいとリクエストしておいた。
基礎コースは10回あり、定員にすこし余裕があるので、昨日の初回に参加できなかった人も2回め以降から参加可能です。
初回の記録音声や映像もありますので、どうぞ。
詳細と申し込みはこちら。
土曜日の午前10時半から2時間、12月に最終となる約3か月で、現代朗読の基礎を網羅しようというプログラムだ。
初回の昨日は現代朗読と従来朗読の違い、日本における朗読の歴史、表現アートの歴史とコンテンポラリーアートの成立過程、コンテンポラリーアートと伝統的表現の違い、現代朗読がめざすものなどについて、系統的に解説をこころみた。
現代朗読は「放送技術」に辺倒せず、情報伝達ではなく、自分自身を表現し人に伝える手段として朗読行為をとらえている。
そのために表現の原理を朗読行為にあてはめてかんがえ、さらに各自のオリジナリティを保証する手段として身体性にたいする意識を緻密に高めていくことをする。
このために、いろいろなエチュードが用意されている。
エチュードをやりながら、自分の身体と呼吸と声を感受し、それらが連動して働く意識を持つ。
この目的は、表現を「あらかじめ準備され、たくらみや思いこみで作られた」ものではなく、「いまここ」の自分の身体とこころに正直に誠実に沿うことで、まっすぐにオーディエンスにとどきコミュニケートできるものにすることにある。
このことはまた、自分自身に深くアクセスすることでもあり、朗読の練習をする過程で普段の生活も大きく変わったり、日常の風景がちがって見えたりする。
昨日は最初のガイダンスやお互いの紹介、朗読表現の歴史や現代朗読の考え方の確認などに時間がかかったので、エチュードの時間は短めになった。
呼吸法、ハミング発声と身体の震動の確認、体認のエチュードをふたつだけ。
これらはどれも大切な基礎エチュードなので、毎回かならずやることになるだろうし、参加者には家でも毎日やってもらいたいとリクエストしておいた。
基礎コースは10回あり、定員にすこし余裕があるので、昨日の初回に参加できなかった人も2回め以降から参加可能です。
初回の記録音声や映像もありますので、どうぞ。
詳細と申し込みはこちら。
2013年9月28日土曜日
沈黙の朗読「記憶が光速を超えるとき」抜粋映像
2013年9月23日、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉で上演された「沈黙の朗読」の2本立て公演のうちの1本「記憶が光速を超えるとき」の抜粋映像です。
朗読出演は榊原忠美と野々宮卯妙。
作・演出・演奏は水城ゆう。
照明、早川誠司(キッド・アイラック・アート・ホール)。
音楽はすべて即興。
朗読出演は榊原忠美と野々宮卯妙。
作・演出・演奏は水城ゆう。
照明、早川誠司(キッド・アイラック・アート・ホール)。
音楽はすべて即興。
2013年9月27日金曜日
表現のクオリティを左右するもの
明日から現代朗読基礎コースがスタートする。
現代朗読という表現方法へのアプローチがギュッと凝縮され、そして表現力を大きく飛躍させるための訓練カリキュラムがギュッとつまったプログラムを用意している。
朗読というと、日本語の発音発声のルールを練習したり、難解な文学作品の読解方法をたたきこまれたり、それにそった厳密なリズムや音程、間合い、呼吸などのコントロールをやらなければならなかったり、といった、とにかく「むずかしい」「とっつきにくい」というイメージを持ってしまっている人が多い。
本来、朗読表現というのは、そこに書いてある文字を読みあげるだけの、だれにでもできるものであるはずだ。
そして実際、現代朗読にはまったく初心者がやってきて、のびのびイキイキと表現を楽しんでいる。
アプローチがちがうのだ。
表現のクオリティを左右するのは、ルールや技術をおぼえることではない。
決まりきった型や、だれかうまい読み手の読み方をなぞることでもない。
自分自身のオリジナリティにもとづいて、いまこの瞬間の自分自身の生命力を最大限に発露することができるかどうかにかかっている。
そのためにもっとも重要なのは、思いこみを捨てて自分の身体に向き合う、ということだ。
朗読はとても敷居が低く、だれにでも取りくめる表現だ。
しかし、その奥行きはとても深い。
初心者は初心者なりにおもしろい表現が可能だし、経験者はさらなる奥行きをめざすことができる。
いずれにしても、向かい合うのは自分自身の身体。
身体というのは、精神や感受性もふくまれている。
現代人はなにかをするときに、自分の身体を意識するということがとても苦手になってしまっている。
朗読という行為は、自分の声と呼吸を用いるものだが、それが自分の身体からもたらされるということを忘れがちになる。
そのことをしっかりと思いだし、身体性を意識し、声と呼吸と全身のはたらきを密にしていくことで生命の輝きそのものを表現する、それが現代朗読のめざすところだ。
明日から基礎コースがスタートするが、定員に多少余裕があるので、明日は来れないという人も次回以降の合流参加も可能です。
詳細はこちら。
現代朗読という表現方法へのアプローチがギュッと凝縮され、そして表現力を大きく飛躍させるための訓練カリキュラムがギュッとつまったプログラムを用意している。
朗読というと、日本語の発音発声のルールを練習したり、難解な文学作品の読解方法をたたきこまれたり、それにそった厳密なリズムや音程、間合い、呼吸などのコントロールをやらなければならなかったり、といった、とにかく「むずかしい」「とっつきにくい」というイメージを持ってしまっている人が多い。
本来、朗読表現というのは、そこに書いてある文字を読みあげるだけの、だれにでもできるものであるはずだ。
そして実際、現代朗読にはまったく初心者がやってきて、のびのびイキイキと表現を楽しんでいる。
アプローチがちがうのだ。
表現のクオリティを左右するのは、ルールや技術をおぼえることではない。
決まりきった型や、だれかうまい読み手の読み方をなぞることでもない。
自分自身のオリジナリティにもとづいて、いまこの瞬間の自分自身の生命力を最大限に発露することができるかどうかにかかっている。
そのためにもっとも重要なのは、思いこみを捨てて自分の身体に向き合う、ということだ。
朗読はとても敷居が低く、だれにでも取りくめる表現だ。
しかし、その奥行きはとても深い。
初心者は初心者なりにおもしろい表現が可能だし、経験者はさらなる奥行きをめざすことができる。
いずれにしても、向かい合うのは自分自身の身体。
身体というのは、精神や感受性もふくまれている。
現代人はなにかをするときに、自分の身体を意識するということがとても苦手になってしまっている。
朗読という行為は、自分の声と呼吸を用いるものだが、それが自分の身体からもたらされるということを忘れがちになる。
そのことをしっかりと思いだし、身体性を意識し、声と呼吸と全身のはたらきを密にしていくことで生命の輝きそのものを表現する、それが現代朗読のめざすところだ。
明日から基礎コースがスタートするが、定員に多少余裕があるので、明日は来れないという人も次回以降の合流参加も可能です。
詳細はこちら。
ママカフェ、共感的コミュニケーションの勉強会
昨日の午前中はママカフェこと「お母さんのための音読カフェ」が羽根木の家で開催された。
私は横っちょで仕事しながら、耳だけ参加。
今回もKAT手作りのケーキをいただきながら(私もお相伴にあずかる)のお茶会もあって、なごやかで安心できる場になっていた。
終わってから、藤沢さんと、午後の共感的コミュニケーションの勉強会にも出ることになった尾間さんと、三人で東松原でランチ。
ママカフェからはもうひとり、午後の勉強会にも出てくれることになった。
共感的コミュニケーションの勉強会・昼の部を午後3時からやる。
遅刻された方が多く、そのことを共感的コミュニケーションでどのように扱うのか、実例として取りあげたりした。
また、本当は自分のやりたいことがあるのに、人と約束があったり人の目や評価や社会的なしきたり・ルールを気にして遠慮したり、自分を押し殺してしまう習性について、どう対処していけばいいのかもかんがえたりした。
夜の部は午後7時から。
Hangoutでドイツからボイスセラピストの遠藤さん、そして大阪からやはりボイズラピスとの玻瑠さんが参加。
最初に、共感的コミュニケーションを身につけると毎日が平穏無事になる、と思っているかもしれないが、そうではない、平穏無事をめざすのではなく、さまざまな出来事が次々と起こる人生をイキイキと自分らしく、自分と相手を尊重しながら生きていく方法を身につけるのが共感的コミュニケーションなのだ、ということを話す。
夜の部も具体例にもとづいた実践的な共感的コミュニケーションのプロセスを解説したり、実際にやってもらったり、精査したり。
また、人は自分の感情を無視したり、押さえこんだり、また感情に気づかないふりをすることを身につけてしまっていることがある、ということについてもいっしょにかんがえてみた。
共感的コミュニケーションの来月10月の勉強会は31日に開催します。
詳細はこちら。
私は横っちょで仕事しながら、耳だけ参加。
今回もKAT手作りのケーキをいただきながら(私もお相伴にあずかる)のお茶会もあって、なごやかで安心できる場になっていた。
終わってから、藤沢さんと、午後の共感的コミュニケーションの勉強会にも出ることになった尾間さんと、三人で東松原でランチ。
ママカフェからはもうひとり、午後の勉強会にも出てくれることになった。
共感的コミュニケーションの勉強会・昼の部を午後3時からやる。
遅刻された方が多く、そのことを共感的コミュニケーションでどのように扱うのか、実例として取りあげたりした。
また、本当は自分のやりたいことがあるのに、人と約束があったり人の目や評価や社会的なしきたり・ルールを気にして遠慮したり、自分を押し殺してしまう習性について、どう対処していけばいいのかもかんがえたりした。
夜の部は午後7時から。
Hangoutでドイツからボイスセラピストの遠藤さん、そして大阪からやはりボイズラピスとの玻瑠さんが参加。
最初に、共感的コミュニケーションを身につけると毎日が平穏無事になる、と思っているかもしれないが、そうではない、平穏無事をめざすのではなく、さまざまな出来事が次々と起こる人生をイキイキと自分らしく、自分と相手を尊重しながら生きていく方法を身につけるのが共感的コミュニケーションなのだ、ということを話す。
夜の部も具体例にもとづいた実践的な共感的コミュニケーションのプロセスを解説したり、実際にやってもらったり、精査したり。
また、人は自分の感情を無視したり、押さえこんだり、また感情に気づかないふりをすることを身につけてしまっていることがある、ということについてもいっしょにかんがえてみた。
共感的コミュニケーションの来月10月の勉強会は31日に開催します。
詳細はこちら。
2013年9月26日木曜日
オーディオブックリーダー個人セッション、韓氏意拳
昼すぎからオーディオブックリーダー養成講座の個人セッション。
今日来られた方はプロの声優とかナレーターではなく、それをめざして勉強中の方だったが、そのためにじつにさまざまな養成所や講座、個人レッスンを受けてこられたとのことだった。
個人セッションを受けに来る方にそういう人が多いが、アイ文庫では「表現作品としてのオーディオブック」の製作をおこなっている。
一方、養成所や講座などでおこなっているのは、「放送技術」としての日本語伝達技術がほとんどを占めている。
これが「表現」をいちじるしくさまたげるのだ。
技術はもちろん大切なのだが、技術偏重は個性=表現者のオリジナリティを大きく損なう。
その人がその人であるゆえんを見つづけ、オリジナリティを確固たるものにする身体性や絶え間ない自身の変化にいかに注目していけるか。
そのことをアイ文庫ではオーディオブックリーダーにお願いしている。
今日の方はその考え方を理解し、共感してくれたように思えた。
今後1か月くらい、現代朗読のゼミ生扱いとして朗読表現を学んでいただく過程で、どれだけ唯一無二の表現者としての道筋を確保していってもらえるか。
私も手抜きすることなく、全力で付き合っていくつもりだ。
私のおこなっている個人セッションに興味のある方は、こちらをご覧ください。
夜は中野まで行き、韓氏意拳の稽古。
下北沢から渋谷、新宿を経由して、中野へ。
たいした移動ではないが、夕方の退勤時間帯は人の流れがものすごく、かなり緊張する。
今日はいつもの形体訓練からスタートして、摩擦歩と技撃椿の一部を稽古した。
摩擦歩も技撃椿も私は初めてだった。
動作は違っていても、内容はおなじで、運動の条件が満ちる「状態」にはいっているか、身体がまとまる方向に向かっているか、全身が運動の状態に指先から足の裏まで通っているか、など、精査しながら稽古した。
ひとりで稽古していてもわからないことが、先生に軽く手をそえてもらうだけで自分がそれらの状態ができている、できていないというのがたちどころに明確化する。
私は音楽にしても小説にしても、ずっと独学でやってきたが、独学では進めないこともあるのだということを、いま実感している。
そして自分を導いてくれる人がいるということがどれだけありがたいことか、生まれて初めてといっていいほどいまさら実感している。
私がことあるごとに韓氏意拳のおもしろさをみんなに話しているので、羽根木の家で体験会をやれたらいいのではという流れになり、内田秀樹先生にお願いしてみたら、こころよく引きうけてくれた。
11月と12月に私の知り合いを中心に羽根木の家での体験講習会を開催してもらえることになった。
体験だけでなく、本格的な支部講習会が羽根木でできるようにしたいというのが、もっかの私の野望だ(笑)。
今日来られた方はプロの声優とかナレーターではなく、それをめざして勉強中の方だったが、そのためにじつにさまざまな養成所や講座、個人レッスンを受けてこられたとのことだった。
個人セッションを受けに来る方にそういう人が多いが、アイ文庫では「表現作品としてのオーディオブック」の製作をおこなっている。
一方、養成所や講座などでおこなっているのは、「放送技術」としての日本語伝達技術がほとんどを占めている。
これが「表現」をいちじるしくさまたげるのだ。
技術はもちろん大切なのだが、技術偏重は個性=表現者のオリジナリティを大きく損なう。
その人がその人であるゆえんを見つづけ、オリジナリティを確固たるものにする身体性や絶え間ない自身の変化にいかに注目していけるか。
そのことをアイ文庫ではオーディオブックリーダーにお願いしている。
今日の方はその考え方を理解し、共感してくれたように思えた。
今後1か月くらい、現代朗読のゼミ生扱いとして朗読表現を学んでいただく過程で、どれだけ唯一無二の表現者としての道筋を確保していってもらえるか。
私も手抜きすることなく、全力で付き合っていくつもりだ。
私のおこなっている個人セッションに興味のある方は、こちらをご覧ください。
夜は中野まで行き、韓氏意拳の稽古。
下北沢から渋谷、新宿を経由して、中野へ。
たいした移動ではないが、夕方の退勤時間帯は人の流れがものすごく、かなり緊張する。
今日はいつもの形体訓練からスタートして、摩擦歩と技撃椿の一部を稽古した。
摩擦歩も技撃椿も私は初めてだった。
動作は違っていても、内容はおなじで、運動の条件が満ちる「状態」にはいっているか、身体がまとまる方向に向かっているか、全身が運動の状態に指先から足の裏まで通っているか、など、精査しながら稽古した。
ひとりで稽古していてもわからないことが、先生に軽く手をそえてもらうだけで自分がそれらの状態ができている、できていないというのがたちどころに明確化する。
私は音楽にしても小説にしても、ずっと独学でやってきたが、独学では進めないこともあるのだということを、いま実感している。
そして自分を導いてくれる人がいるということがどれだけありがたいことか、生まれて初めてといっていいほどいまさら実感している。
私がことあるごとに韓氏意拳のおもしろさをみんなに話しているので、羽根木の家で体験会をやれたらいいのではという流れになり、内田秀樹先生にお願いしてみたら、こころよく引きうけてくれた。
11月と12月に私の知り合いを中心に羽根木の家での体験講習会を開催してもらえることになった。
体験だけでなく、本格的な支部講習会が羽根木でできるようにしたいというのが、もっかの私の野望だ(笑)。
2013年9月25日水曜日
特別なことをやっているつもりはないが、現代朗読は
このところ体験講座や個人セッションなどでやってきた何人かから立て続けに、
「朗読ってむずかしい」
という固定観念を持ってしまっているという話を聞いた。
なぜむずかしいという思いこみを持ってしまったのか、よく聞いてみると、
「こう読まなければならない、こう読んではいけない、アクセント、滑舌、日本語の正しい発音などおぼえなきゃならないことが多い」
といった理由で、むずかしいと思いこんでいるようだった。
その方たちは養成所や朗読教室で朗読を習ったことがあるのだが、なにか読むたびに、
「そうではなくて、こう」
「それはだめ」
「こう読まねば」
といった指導をこまかく受けて、朗読はむずかしくて面倒なものだ、という印象を持ってしまったという。
なかには朗読をしようとすると緊張のあまり身体がこわばってしまう、という人までいた。
悲しいことだ。
現代朗読においては、「こうしなければならない」とか「こうしてはならない」というものは一切ない。
自分のやりたいようにやることが求められる。
これはしかし、好き放題やることとは違う。
自分がどうしたがっているのか、自分の身体がどう動きたがっているのか、いまこの瞬間自分はどのように読みたがっているのか、身体の声に耳をすまし、自分自身の深い部分から出てくるものにたいして誠実に、正直に、そして緻密に反応していく。
これはそう簡単なことではない。
しかし、むずかしい、という言葉とはちがう。
私たちは普段、たえず自分自身の身体の声を聞いているのだが、無意識にそれを押さえつけ、ねじまげる癖を身につけてしまっている。
そのことに気がつき、ただやめるだけだ。
自分自身を疎外している意図的な企みを捨てる。
そのように自分に正直になっていけたとき、そこには大きな自由と喜びがある。
朗読ってこんなに楽しい! と気づいてとたんに活気づいてくる。
こういうことは朗読にかぎらず、人の生きることのすべての基本であり、特別なことではないと私は思っているのだが、ちがうだろうか。
現代朗読以外の、従来の朗読のほうが、よほど特殊なことを強いているような気がしてならない。
現代朗読を気軽に体験できる体験講座の次回開催は10月5日(土)午後。
詳細と申し込みはこちら。
「朗読ってむずかしい」
という固定観念を持ってしまっているという話を聞いた。
なぜむずかしいという思いこみを持ってしまったのか、よく聞いてみると、
「こう読まなければならない、こう読んではいけない、アクセント、滑舌、日本語の正しい発音などおぼえなきゃならないことが多い」
といった理由で、むずかしいと思いこんでいるようだった。
その方たちは養成所や朗読教室で朗読を習ったことがあるのだが、なにか読むたびに、
「そうではなくて、こう」
「それはだめ」
「こう読まねば」
といった指導をこまかく受けて、朗読はむずかしくて面倒なものだ、という印象を持ってしまったという。
なかには朗読をしようとすると緊張のあまり身体がこわばってしまう、という人までいた。
悲しいことだ。
現代朗読においては、「こうしなければならない」とか「こうしてはならない」というものは一切ない。
自分のやりたいようにやることが求められる。
これはしかし、好き放題やることとは違う。
自分がどうしたがっているのか、自分の身体がどう動きたがっているのか、いまこの瞬間自分はどのように読みたがっているのか、身体の声に耳をすまし、自分自身の深い部分から出てくるものにたいして誠実に、正直に、そして緻密に反応していく。
これはそう簡単なことではない。
しかし、むずかしい、という言葉とはちがう。
私たちは普段、たえず自分自身の身体の声を聞いているのだが、無意識にそれを押さえつけ、ねじまげる癖を身につけてしまっている。
そのことに気がつき、ただやめるだけだ。
自分自身を疎外している意図的な企みを捨てる。
そのように自分に正直になっていけたとき、そこには大きな自由と喜びがある。
朗読ってこんなに楽しい! と気づいてとたんに活気づいてくる。
こういうことは朗読にかぎらず、人の生きることのすべての基本であり、特別なことではないと私は思っているのだが、ちがうだろうか。
現代朗読以外の、従来の朗読のほうが、よほど特殊なことを強いているような気がしてならない。
現代朗読を気軽に体験できる体験講座の次回開催は10月5日(土)午後。
詳細と申し込みはこちら。
水城ゆう音楽塾、10月の開催のお知らせ
しばらくお休みをいただいていた水城ゆうの音楽塾ですが、10月から再開いたします。
初めての方もリピーターも参加しやすい内容になるよう、工夫をしたいと思っています。
どなたも気楽にご参加ください。
音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大で習う音楽でもなく、ジャズスクールで習う即興でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。
同時に、特別な訓練を受けていない人も音楽を楽しんだり、オリジナルな即興演奏をできるようにする道筋を示します。
◎日時 2013年10月27日(日) 18:00〜20:00
◎場所 現代朗読協会「羽根木の家」
世田谷区羽根木1-20-17
◎定員 10名
◎参加費 2,000円(現代朗読ゼミ生は無料)
◎お申し込みはこちら
こんな方におすすめです。
・従来の反復練習をせずに自分なりに音楽演奏を楽しみたい。
・耳覚えのある好きな曲をすぐに弾けるようになりたい。
・歌の伴奏をその場でつけられるようになりたい。
・朗読と即興セッションをやりたい。
・アンサンブルを楽しみたい。
・知っている曲を自分なりにアレンジしてみたい。
・オリジナル曲を作ってみたい。
・音楽について理解を深めたい。
初めての方もリピーターも参加しやすい内容になるよう、工夫をしたいと思っています。
どなたも気楽にご参加ください。
音楽塾では学校で習う音楽でもなく、音大で習う音楽でもなく、ジャズスクールで習う即興でもなく、私なりにこれまでの音楽研究と活動を通じて独自に獲得してきた知見をもとに、音楽の本質そのものにズバリと切りこんでいきます。
同時に、特別な訓練を受けていない人も音楽を楽しんだり、オリジナルな即興演奏をできるようにする道筋を示します。
◎日時 2013年10月27日(日) 18:00〜20:00
◎場所 現代朗読協会「羽根木の家」
世田谷区羽根木1-20-17
◎定員 10名
◎参加費 2,000円(現代朗読ゼミ生は無料)
◎お申し込みはこちら
こんな方におすすめです。
・従来の反復練習をせずに自分なりに音楽演奏を楽しみたい。
・耳覚えのある好きな曲をすぐに弾けるようになりたい。
・歌の伴奏をその場でつけられるようになりたい。
・朗読と即興セッションをやりたい。
・アンサンブルを楽しみたい。
・知っている曲を自分なりにアレンジしてみたい。
・オリジナル曲を作ってみたい。
・音楽について理解を深めたい。
沈黙の朗読「特殊相対性の女」抜粋映像
2013年9月23日、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉で上演された「沈黙の朗読」の2本立て公演のうちの1本「特殊相対性の女」の抜粋映像です。
出演は野々宮卯妙の朗読と、群読が唐ひづる、KAT、山田みぞれ、高崎梓、町村千絵。
作・演出・演奏は水城ゆう。
音楽はすべて即興。
出演は野々宮卯妙の朗読と、群読が唐ひづる、KAT、山田みぞれ、高崎梓、町村千絵。
作・演出・演奏は水城ゆう。
音楽はすべて即興。
2013年9月24日火曜日
バラさん帰名、収録実習、沈黙映像編集
昨日、「沈黙の朗読」公演の2本立てが終わって、今朝はなんとなく目覚める。
羽根木に泊まっているバラさんのために早めに羽根木に行って、コーヒーをゴリゴリひいて淹れ、ゆっくりいただく。
いろいろな反応があったけれど、あらためて私としては大きな挑戦だったと思うし、つぎのステップへと進む重要なイベントだったと感じる。
そのことについて静かに祝福しよう。
お昼には名古屋で仕事がはいっているバラさんを送り出す。
午前11時すぎ、オーディオブックリーダー養成講座を受講中の矢野さんの最終収録実習。
矢野さんは岐阜在住だが、昨日から上京されて、「沈黙の朗読」もご覧いただいた。
感謝。
収録実習では夏目漱石の「火事」という短編を使ったのだが、収録しながら聴いていて、私が提示した練習方法にとても真摯に取り組んでおられたことがわかった。
大変表現力を大きくのばしてこられて、ちょっとびっくりした。
なかなかこういう人はいない。
が、それはそれとして、スキルアップのために微細な欠点やテクニックについてのアドバイスをさせていただいた。
新幹線まで時間があるというので、野々宮もいっしょに下北沢まで歩いてランチに。
お店でも食事しながら、ゆっくり話ができた。
オーディオブックに限らず、朗読のライブ表現や、共感スキルのことなど、興味を持ってもらえてありがたかった。
羽根木にもどり、昨日の「沈黙の朗読」記録映像の、まずは「特殊相対性の女」から編集作業をする。
今回はカメラが3台、音声レコーダーが1台だったので、4トラックで作業をすすめた。
通常、数日かかる作業を、だいぶ慣れてきたのと、カメラ数が3台と少なかったのとで、がんばってなんとか夕方にはほぼ終了。
現在、レンダリング中(これが時間がかかる)。
これをさらに抜粋して、YouTubeにUPする予定。
明日にはやれるかな。
明日は昼にふたたびオーディオブックリーダーの個人セッション(初めての方)と、夜には韓氏意拳の稽古がある。
羽根木に泊まっているバラさんのために早めに羽根木に行って、コーヒーをゴリゴリひいて淹れ、ゆっくりいただく。
いろいろな反応があったけれど、あらためて私としては大きな挑戦だったと思うし、つぎのステップへと進む重要なイベントだったと感じる。
そのことについて静かに祝福しよう。
お昼には名古屋で仕事がはいっているバラさんを送り出す。
午前11時すぎ、オーディオブックリーダー養成講座を受講中の矢野さんの最終収録実習。
矢野さんは岐阜在住だが、昨日から上京されて、「沈黙の朗読」もご覧いただいた。
感謝。
収録実習では夏目漱石の「火事」という短編を使ったのだが、収録しながら聴いていて、私が提示した練習方法にとても真摯に取り組んでおられたことがわかった。
大変表現力を大きくのばしてこられて、ちょっとびっくりした。
なかなかこういう人はいない。
が、それはそれとして、スキルアップのために微細な欠点やテクニックについてのアドバイスをさせていただいた。
新幹線まで時間があるというので、野々宮もいっしょに下北沢まで歩いてランチに。
お店でも食事しながら、ゆっくり話ができた。
オーディオブックに限らず、朗読のライブ表現や、共感スキルのことなど、興味を持ってもらえてありがたかった。
羽根木にもどり、昨日の「沈黙の朗読」記録映像の、まずは「特殊相対性の女」から編集作業をする。
今回はカメラが3台、音声レコーダーが1台だったので、4トラックで作業をすすめた。
通常、数日かかる作業を、だいぶ慣れてきたのと、カメラ数が3台と少なかったのとで、がんばってなんとか夕方にはほぼ終了。
現在、レンダリング中(これが時間がかかる)。
これをさらに抜粋して、YouTubeにUPする予定。
明日にはやれるかな。
明日は昼にふたたびオーディオブックリーダーの個人セッション(初めての方)と、夜には韓氏意拳の稽古がある。
うひょーこりゃ便利「iPhoneの辞書機能」
みんなは知っているのだろうか、私は知らなかった。
iPhoneの辞書機能にこんなのがあった。
入力した特定の文字を範囲指定すると、メニューのなかに「辞書」という項目があらわれ、選ぶと英和/和英辞典や大辞林が立ちあがって、訳や意味を教えてくれる。
ひょっとして iOS 7 からの新機能?
とりあえず、英文を読んだり、英文のメールを書いたりするときに、かなり重宝しそう。
iPhoneの辞書機能にこんなのがあった。
入力した特定の文字を範囲指定すると、メニューのなかに「辞書」という項目があらわれ、選ぶと英和/和英辞典や大辞林が立ちあがって、訳や意味を教えてくれる。
ひょっとして iOS 7 からの新機能?
とりあえず、英文を読んだり、英文のメールを書いたりするときに、かなり重宝しそう。
沈黙の朗読公演2本立て、終了
2013年9月23日、月曜日、秋分の日。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて「沈黙の朗読」の2本立て公演が終わった。
午後3時から「記憶が光速を超えるとき」を、午後6時から「特殊相対性の女」を上演した。
「記憶が……」に出演の榊原忠美氏は名古屋から22日夜、東京入りして羽根木に宿泊。
23日の朝、世田谷代田の〈らくだ珈琲〉でいっしょにコーヒーを飲んでから、午前10時、会場入り。
「特殊……」に出演する野々宮やゼミ生、スタッフのてんちゃんも集合して、会場準備。
平台を積んでステージをセッティングしたり、客席をならべたり。
会場の早川くんがセッティングと照明をやってくれる(助かる!)。
すこしだけリハーサルをやってから、昼はそれぞれのんびり待機。
午後2時半、「記憶が……」の部、開場。
今回、三連休の最終日ということがあったのかなかったのか、集客に大変苦労したのだが、それでも初めての方を含むお客さん大勢においでいただいて感謝。
午後3時、開演。
「記憶が……」は榊原氏に野々宮卯妙がすこしからむ構成になったが、その段取りは当日になっておこなわれた。
榊原氏の朗読・演技はもちろん期待どおり、期待以上のものだったが、からみの部分もおもしろい化学変化を起こしていた。
私はステージと正対する位置にキーボードを置いて演奏。
一番楽しんでいたのは、たぶん私。
午後5時半、「特殊……」の部、開場。
2公演を通しで観ていただいた方が何人もいらして、感謝。
沈黙シリーズとはいえ、まったく内容のちがう演目をそれぞれ味わっていただいてたらよかったと思う。
この演目は最後に生卵を落下させるという段取りがあったのだが、それをどこに落とすかということが問題になった。
ホールの床にそのまま落とすわけにはいかず、平台の上にも落とせない。
そこで床にリノのシートを敷き、その上に落とすことになった。
午後6時、開演。
野々宮の朗読に現代朗読のゼミ生5人——唐ひづる、KAT、山田みぞれ、高崎梓、町村千絵が群読でからむ構成。
こういう形でやるのは私も初めてだった。
実験的な試みだったが、観てくれた方、そしてゼミ生たちの反応もさまざまで、おもしろかった。
私としてもいろいろ感じるところがあったが、いずれにしても私も出演者のひとりとして演奏するのをしっかりと楽しませてもらった。
ちなみに、いつもそうなのだが、演奏はすべて即興だというと驚かれる。
プロの音楽家もいらしていたのだが、やはり驚かれたようで、おもしろかった。
私にしてはめずらしく譜面立てを立てて演奏していたのたが、そこに置いてあるのは朗読台本なのだった。
楽譜は一切使っていない。
これら2公演は映像記録があるので、近いうちに編集してある程度様子がわかるようになんらかの形で公開したいと思う。
みなさんからいただいた、あるいはこれからいただくかもしれないさまざまな声、反応は、すべて私たちの糧としてさらなる研鑽を積んでいきたいと思う。
ご来場いただいた方、来れなかったけれど気にかけていただいた皆さん、どうもありがとうございました。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて「沈黙の朗読」の2本立て公演が終わった。
午後3時から「記憶が光速を超えるとき」を、午後6時から「特殊相対性の女」を上演した。
「記憶が……」に出演の榊原忠美氏は名古屋から22日夜、東京入りして羽根木に宿泊。
23日の朝、世田谷代田の〈らくだ珈琲〉でいっしょにコーヒーを飲んでから、午前10時、会場入り。
「特殊……」に出演する野々宮やゼミ生、スタッフのてんちゃんも集合して、会場準備。
平台を積んでステージをセッティングしたり、客席をならべたり。
会場の早川くんがセッティングと照明をやってくれる(助かる!)。
すこしだけリハーサルをやってから、昼はそれぞれのんびり待機。
午後2時半、「記憶が……」の部、開場。
今回、三連休の最終日ということがあったのかなかったのか、集客に大変苦労したのだが、それでも初めての方を含むお客さん大勢においでいただいて感謝。
午後3時、開演。
「記憶が……」は榊原氏に野々宮卯妙がすこしからむ構成になったが、その段取りは当日になっておこなわれた。
榊原氏の朗読・演技はもちろん期待どおり、期待以上のものだったが、からみの部分もおもしろい化学変化を起こしていた。
私はステージと正対する位置にキーボードを置いて演奏。
一番楽しんでいたのは、たぶん私。
午後5時半、「特殊……」の部、開場。
2公演を通しで観ていただいた方が何人もいらして、感謝。
沈黙シリーズとはいえ、まったく内容のちがう演目をそれぞれ味わっていただいてたらよかったと思う。
この演目は最後に生卵を落下させるという段取りがあったのだが、それをどこに落とすかということが問題になった。
ホールの床にそのまま落とすわけにはいかず、平台の上にも落とせない。
そこで床にリノのシートを敷き、その上に落とすことになった。
午後6時、開演。
野々宮の朗読に現代朗読のゼミ生5人——唐ひづる、KAT、山田みぞれ、高崎梓、町村千絵が群読でからむ構成。
こういう形でやるのは私も初めてだった。
実験的な試みだったが、観てくれた方、そしてゼミ生たちの反応もさまざまで、おもしろかった。
私としてもいろいろ感じるところがあったが、いずれにしても私も出演者のひとりとして演奏するのをしっかりと楽しませてもらった。
ちなみに、いつもそうなのだが、演奏はすべて即興だというと驚かれる。
プロの音楽家もいらしていたのだが、やはり驚かれたようで、おもしろかった。
私にしてはめずらしく譜面立てを立てて演奏していたのたが、そこに置いてあるのは朗読台本なのだった。
楽譜は一切使っていない。
これら2公演は映像記録があるので、近いうちに編集してある程度様子がわかるようになんらかの形で公開したいと思う。
みなさんからいただいた、あるいはこれからいただくかもしれないさまざまな声、反応は、すべて私たちの糧としてさらなる研鑽を積んでいきたいと思う。
ご来場いただいた方、来れなかったけれど気にかけていただいた皆さん、どうもありがとうございました。
2013年9月23日月曜日
読むとき噛んでしまうことについて(2)
以下、「噛まない名人」の野々宮卯妙(たまには噛むけど)に確認しながら、噛まないための訓練についてまとめてみた。
「噛む」あるいは「読み間違える」ということが起こるとき、たいてい読み手は文章や言葉の「意味」にとらわれ、思いこみをしている。
「走ってる」と書かれているのに「走っている」と書いてあると思いこんでいて、その読もうとして、読む瞬間に読みまちがいに気づくのだが、訂正が間に合わず、噛んでしまう、というようなことが起こる。
あるいは間違っていることにすら気づかず、思いこみのまま読みすすめてしまう、ということもある。
人は「意味の動物」なので、文字面だけを正確に読みとろうとしても、意味にとらわれてまちがえてしまう。
読み間違えない訓練方法としては、意味にとらわれず文字面を正確に読みとる練習をすればいい。
野々宮がやっているのは、文章を逆から読む、というものだ。
「我が輩は猫である」を逆から読むと「るあで猫は輩が我」となる。
まったく意味をなさなくなる。
意味をなさない文章を、それでも正確に読みあげる練習をする。
意味ではなく、文字記号としての注意深さを養うのだ。
噛んだり読み間違えたりするのは、結局のところ集中力に欠如や不注意から起こる。
意味にとらわれてこう書かれているはずだ、と注意をおこたって読んでしまうのは、ようするに自分が読むという行為に効率を持ちこみ、楽をしようとしているからだ。
私たちは資本主義社会・効率主義社会で教育を受け、育ち、生活しているために、骨の髄までものごとを効率よく処理して自分は楽をしよう、という態度がしみついている。
そのことを朗読という表現行為に持ちこまないようにしたい。
表現が効率で支配されることほど貧しいことはない。
自分がなにをしようとしてしまっているのかに気づき、襟をただし、高度な集中と注意を向けて目の前のテキストに対峙する。
その姿勢を持つだけで、噛んだり読み間違えたりすることは格段に少なくなるだろう。
「噛む」あるいは「読み間違える」ということが起こるとき、たいてい読み手は文章や言葉の「意味」にとらわれ、思いこみをしている。
「走ってる」と書かれているのに「走っている」と書いてあると思いこんでいて、その読もうとして、読む瞬間に読みまちがいに気づくのだが、訂正が間に合わず、噛んでしまう、というようなことが起こる。
あるいは間違っていることにすら気づかず、思いこみのまま読みすすめてしまう、ということもある。
人は「意味の動物」なので、文字面だけを正確に読みとろうとしても、意味にとらわれてまちがえてしまう。
読み間違えない訓練方法としては、意味にとらわれず文字面を正確に読みとる練習をすればいい。
野々宮がやっているのは、文章を逆から読む、というものだ。
「我が輩は猫である」を逆から読むと「るあで猫は輩が我」となる。
まったく意味をなさなくなる。
意味をなさない文章を、それでも正確に読みあげる練習をする。
意味ではなく、文字記号としての注意深さを養うのだ。
噛んだり読み間違えたりするのは、結局のところ集中力に欠如や不注意から起こる。
意味にとらわれてこう書かれているはずだ、と注意をおこたって読んでしまうのは、ようするに自分が読むという行為に効率を持ちこみ、楽をしようとしているからだ。
私たちは資本主義社会・効率主義社会で教育を受け、育ち、生活しているために、骨の髄までものごとを効率よく処理して自分は楽をしよう、という態度がしみついている。
そのことを朗読という表現行為に持ちこまないようにしたい。
表現が効率で支配されることほど貧しいことはない。
自分がなにをしようとしてしまっているのかに気づき、襟をただし、高度な集中と注意を向けて目の前のテキストに対峙する。
その姿勢を持つだけで、噛んだり読み間違えたりすることは格段に少なくなるだろう。
梅ヶ丘THE生エンタから沈黙の朗読へ
昨日は街の音楽祭〈梅ヶ丘THE生エンタ〉に出演してきた。
梅ヶ丘北口にあるレストラン〈GILLIA〉が会場。
去年オープンしたという新しい店で、私が梅丘に住んでいたころにはなかった。
こじんまりしたアットホームな店で、近いうちにイベントとは関係なしに行ってみよう。
午後2時すぎにげろきょメンバーと梅ヶ丘駅で待ち合わせて店に行くと、生エンタ主催者の真藤さんとスタッフの人たちが音響のセッティングをされていた。
かなり古いKORGの電子ピアノが持ちこまれている。
あまり弾き良いとはいえないが、自分で楽器をかつぎこまなくてすむのは助かる。
午後3時からファーストステージだが、お客さんが来ない。
ピアノを弾きながら朗読と遊んでいると、お客さんが来たので、そのまま野々宮とセッションをはじめる。
そしてそのままファーストステージ。
今回のセットリストはつぎのとおり。
1. 宮本菜穂子。夢野久作「田舎の事件」
2. 福豆々子。国木田独歩「武蔵野」から
3. 植森ケイ。吉田兼好「徒然草」から
4. 山田みぞれ。中谷宇吉郎「イグアノドン」
5. てんトコロ。中島敦「かめれおん日記」から
6. 野々宮卯妙。「日本国憲法」前文〜水城ゆう「鳥の歌」
7. 憲法九条〜全員参加「祈る人」
まあみんな自由すぎる(笑)。
私もびっくりするほど自由奔放だったり、しっとりだったり、深みがあったりと、お客さんが少なかったけれど、げろきょゼミ生の実力を存分に味わうことができた。
これからどのように深化していくのか、楽しみだ。
そして今日は「沈黙の朗読」の2本立て。
連休の最終日のせいか、これもまたお客さんが少ない。
赤字はやむをえないが、名古屋から昨夜上京している榊原忠美の「記憶が光速を超えるとき」と、野々宮卯妙とげろきょゼミ生による「特殊相対性の女」のどちらも、非常にスリリングな、現代朗読の、いや朗読表現の最高峰といえるパフォーマンスになること間違いないものを、多くの人にご覧いただけないのはちょっと残念。
ご都合のつく方はぜひ目撃しに来てください。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて午後3時からと午後6時から、それぞれの演目が上演される。
詳細はこちら。
梅ヶ丘北口にあるレストラン〈GILLIA〉が会場。
去年オープンしたという新しい店で、私が梅丘に住んでいたころにはなかった。
こじんまりしたアットホームな店で、近いうちにイベントとは関係なしに行ってみよう。
午後2時すぎにげろきょメンバーと梅ヶ丘駅で待ち合わせて店に行くと、生エンタ主催者の真藤さんとスタッフの人たちが音響のセッティングをされていた。
かなり古いKORGの電子ピアノが持ちこまれている。
あまり弾き良いとはいえないが、自分で楽器をかつぎこまなくてすむのは助かる。
午後3時からファーストステージだが、お客さんが来ない。
ピアノを弾きながら朗読と遊んでいると、お客さんが来たので、そのまま野々宮とセッションをはじめる。
そしてそのままファーストステージ。
今回のセットリストはつぎのとおり。
1. 宮本菜穂子。夢野久作「田舎の事件」
2. 福豆々子。国木田独歩「武蔵野」から
3. 植森ケイ。吉田兼好「徒然草」から
4. 山田みぞれ。中谷宇吉郎「イグアノドン」
5. てんトコロ。中島敦「かめれおん日記」から
6. 野々宮卯妙。「日本国憲法」前文〜水城ゆう「鳥の歌」
7. 憲法九条〜全員参加「祈る人」
まあみんな自由すぎる(笑)。
私もびっくりするほど自由奔放だったり、しっとりだったり、深みがあったりと、お客さんが少なかったけれど、げろきょゼミ生の実力を存分に味わうことができた。
これからどのように深化していくのか、楽しみだ。
そして今日は「沈黙の朗読」の2本立て。
連休の最終日のせいか、これもまたお客さんが少ない。
赤字はやむをえないが、名古屋から昨夜上京している榊原忠美の「記憶が光速を超えるとき」と、野々宮卯妙とげろきょゼミ生による「特殊相対性の女」のどちらも、非常にスリリングな、現代朗読の、いや朗読表現の最高峰といえるパフォーマンスになること間違いないものを、多くの人にご覧いただけないのはちょっと残念。
ご都合のつく方はぜひ目撃しに来てください。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉にて午後3時からと午後6時から、それぞれの演目が上演される。
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