もうすっかり散ってしまったけれど、国立駅前の大学通りの桜並木のようすを見るためにキックボードに乗ってほんのちょっぴり散歩に出るほかほとんど家から一歩も出ない何日かを送っている。
新型コロナウイルスに対する非常事態宣言が出たということもあるが、そもそも感染リスクは私の場合、高い。
末期ガンによるかなり極端な免疫低下があって、もしいま感染したら重症化はまぬがれないだろう。
重症と診断されても空きベッドがないという状況が現実化しはじめていて、そのばあい、人工呼吸器が使えないことによる死が待っている可能性が少なくない。
日本の場合、罹患者がどのくらいいるのか、そもそも検査体勢が貧弱なので統計予測がまったくできていない。
先進国のなかでは極端にICUのベッド数が少ないという事実もあって、もし重症患者がいちどきにやってきても受け入れられない(それを医療崩壊という)現実がある。
すこし前なら私も重症化したとしてもICUで治療を受けられたかもしれないが、いまはどうなんだろう。
日々感染者数が増加しつづけているのを見ると、空きベッドがすべて埋まってしまっていて、現実に軽症患者(といっても人工呼吸が必要ないという程度の「軽症」)が自宅や国が借り上げたビジネスホテルにどんどん吐きだされているようだ。
政治的な思惑や立場を抜きにして、まちがいなく日本のコロナ対策は極端に後手に回っていることは明らかだ。
患者側の目から見ればそれは危機的な体感覚として迫っている。
つまり、いま感染するわけにはいかない。
出かけたときにちょっと注意深くしているとわかることだが、私たちはいろいろな場所やものに無意識に触りつづけている。
そしてその手でまた自分の身体や顔、口、目、鼻、耳などを頻繁に触る。
これを完全にシャットアウトするのは、ほぼ不可能といってもいいくらいだ。
きちんとトイレで手洗いをしたとしても、その手で蛇口に触る、ペーパーに触る、ドアノブに触る、カバンを持つ。
カバンはそもそも床や、他人が座ったり触ったりしている椅子や机に置いている。
ケータイ電話を置くのは、他人が触ったりケータイを置いたりしていたテーブルの上だ。
食事をしても、買物をしても、他人が触ったものを自分が触らないようにはできない。
宅急便が届けられたときも、その荷物、サインのペン、伝票、対面での至近距離の呼気交換、配達人が触ったドア、足跡、さまざまな感染リスクが一瞬にして生まれる。
完全に感染リスクをゼロにするのは不可能といっていいだろう。
せめてマスク、手洗いの励行、がんばって使い捨ての手袋、手指の消毒薬の携行をこころがけくらいだ。
それ以上に現実的な対策といえば、健康管理をしっかりとやって、免疫力の低下をまぬかない生活をこころがけるくらいだが、そもそも持病で免疫低下がデフォルトになっている私のような人間はどうすればいいんだろう。
対面での講座やレッスンはすべてオンラインに切りかえた。
インターネットがあってほんとによかったと思う。
いや、ほんとに。
逆に、オンラインでできることはなんだろうとかんがえてみると、まだまだいろいろなことができることもわかってきて、楽しい面がないわけではない。
試してみたいことがいくつか出てきた。
いくつか機材が必要になったが、それもネットで注文して、宅配便で玄関まで届けてもらえる。
流通にかかわるリスキーな仕事をしてくれているみなさんに、心から感謝する。
このようにずっと引きこもっているとはいえ、実際にはかなりアクティブな生活をしている。
現代朗読ゼミはオンラインに移行してこれまで以上に活発に開催している。
しばらく休止していた野々宮卯妙による「読解」ゼミも再開した。
文章講座であるひよめき塾はこれまでどおり開催している。
共感手帳術の講座も新規参加者もふくめて継続的に開催している。
これらに加えて、私が執筆した『マインドフル練習帳』を使ったマインドフルの練習会を週に3〜4回のペースでスタートした。
1回の時間が約30分と短いのだが、リピーターも新規参加者も熱心に参加してくれていて、とてもやりがいがあるし、楽しい。
このようにオンラインのミーティングシステムを使ったイベントや勉強会をとてもアクティブに継続していて、毎日けっこう忙しかったりする。
ところで、この文章はひさしぶりに近所の行きつけの喫茶店で書いている。
何日ぶりだろうか。
不特定多数の客が出入りする店は、感染リスクが高いことはいうまでもないが、店もできるだけの対策を打っているようだし、私もそれなりの対策をこころがけて来ている。
どういう案配なのか、ここに来て、いつもの席にすわって、ラップトップをひらいて文章を書きはじめると、集中がもどってきて、さくさくと書きすすむ。
ここ何日かの不安からものを書くことにもまったく集中できずにいたのだが、それがもどってきた。
ちょっとしたことで執筆への集中がもどってくる。
執筆に集中するにはなにが必要なんだろうと、いまいちど洗いなおしてみたい。
そしてやはり文筆家であるところの私自身の仕事を、きちんと系統立てて積みあげておきたいと思っている。
そのなかには小説もふくまれている。