From editor
5日の午後、ふたりの青年がやってきてくれた際、朗読に反応してピアノを弾いた。奇跡。
そのあとは椅子から動けないまま、訪問看護あり。麻薬の量を95%にする。痛みよりクリアな時間を、という願いからだったが、かなわず。看護師のすすめで、夕方からおむつにする。その後はもう意識も朦朧としてきて、吐いたりしながらもなんとかその夜は眠った。
6日、のぞみさんが明け方5時頃帰宅した後、私ひとりだけの6時すぎに急変。早い呼吸で、動こうとして倒れる繰り返し。意識は飛んでいる。白目をむいて何か話すのだが聞き取れず。これはもうだめかと思い、身近でサポートしてくれる友人たちに「だれかきて」とメッセージを送る。
その後はあまりにも怒涛の時間で、もう記憶が飛んでます。
絶対にわたしがひとりにならないようにしてほしい、と友人たちにおねがいしたら、絶対にしない、と毎日誰かがつめてくれている(また、何人もが水城だけでなく私のケアにもきてくれる)。
水城は数時間おきに嘔吐して黒色の吐瀉物を出す。最初は数百mlほどの大量を日に2〜3回だったが、徐々に減っていき、色も黒から深緑になっていった。昨日の夜あたりからは、ついに液体ではなく粘度の高い痰になった。また洟水がつづいてもいる。なんとか液体が口に入れば、それだけの量がまた吐瀉物として出てくるのだが。
おむつ替えは3人がかり。本人まだ体力がある、痩せてはいるがそれなりに体も重い、しかも自分の意思(?)で多少は体を動かそうとする。これを御すのは慣れない女3人ではかなりきつい。
(たまに本人が立ち上がろうとするので、それにあわせてやると、しばらくワナワナしながらしがみついて立っていてくれ、その隙におむつをはずしたり尿取りパッドを取り替えたりシーツを替えたりその他もろもろカバー類をどどどと取り替えられる。こうした連携プレーは、手際とアイディアと経験をもつ女性たちがいてくれることで、大変な作業が「すごい!」「やった!」とバレーボールの試合で点数が決まった時に皆が喜び合うような光景が生まれて充実感もある)
人手があるので、昼夜を問わず洗濯機をまわし、夜でも干す。梅雨が明けたのはありがたい。
毎日本人の状態が変わるので、その都度対応も変わり、必要なアイディアも変わる。マインドフルでいなくてはとても無理だ。
今はなんとなく元気な気がする。意識はほとんど(今皆で共有していると思っている世界には)ないようだが、掛け声のような声が出たり、ベッドから足を下ろしたり、お尻をずらしたり、といった運動をおこなう。目に意識が戻り、しっかりとこちらの顔を見ることができる瞬間もある。意味のある文章が口から出ることもある。
もっとも、昼は比較的おだやかで安定していることが多い。
夜遅くから明け方にかけて不穏になりがちで、頻繁に嘔吐や汚れ騒ぎや大きな動きが起こっている。泊まり込みができる人は限られているが、私を含めて3人は必要だ。そんな状況ができるだけ続いてほしいというのだから、介護というのはやはり無理ゲーだ。でも、汚物の容器はいつのまにか消毒されて戻され、濡れタオルや汚れ拭きが必要なときにさっと差し出され、お腹が空いたら食べ物が出てくる。そんなふうに影に日向にはたらき助けてくれる人たちがいて、介護はさながらフェスになる。
水城見守りフェスには、休み時間はない。
水城が声を出したといえば、今はなんと言ったのだろうと皆が集中し、なにが必要だろう、いまどんなきもちだろうと寄ってたかって推測され、バカ話に水城が苦笑しているだのうるさがっているだの言っては数分間みんな静かになるが、すぐにひそひそ声が再開し、また笑い声がおこる。
ふだんなら絶対見せることのない股間も大公開で清拭されて。
無防備でありのままをさらしながら、いま、水城は生きている。
水城さんはなんてしあわせなんだろうね、と皆が言う。
本当に、なんてしあわせなんだろう。
と思っていたら、水城から
「すばらしい、すばらしい」
という声が出た。なにに対してかわからないけれど、「おお〜〜」とみんなからお祝いの声があがった。