全世界的にHMVなどのCDショップが次々と閉店になり、コンパクトディスクという媒体が臨終を迎えつつあるように見える。
最近生まれた人は知らないだろうが、CDの前にはLPやSP、EPといったレコード盤の時代があった。カセットテープやMDという媒体もあった。
レコードは歴史が古く、エジソンがその原理を発明したのが19世紀の終わり。20世紀の初頭に日本でも蓄音機という名前で普及していった。私が音楽を聴きはじめたころにはすでにLPレコードの時代になっていて、音源もモノラルではなくステレオだった。
レコードは100年くらい活躍して、その座をCDにゆずった。ソニーとフィリップス社が共同開発したCDは、1980年代なかごろから急速に普及していく。私が学生だった頃、レンタルレコード店の品揃えが、LP盤からどんどんCDに置きかえられていったのを覚えている。
私が音楽を聴きはじめたのも、レコードだった。
私の父も音楽が好きで、私が中学生のなる少し前にステレオセットというものを買ってきた。それまではレコードプレイヤーがあったが、ポータブルのちゃちなもので、もちろんモノラルだった。
ステレオセットは居間にやってきた。立派なスピーカーがふたつあって、ターンテーブルにもプラスチックの透明な蓋がついている。
父はクラシック好きだったので、ベートーベンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」が裏表になっているものや、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、ピアノ小品集などを買ってきた。定番のレコードばかりだったが、ステレオセットからは臨場感のある音が流れ、私も夢中になって聴いた。何度も何度も繰り返し聞いた。しまいには「運命」交響曲などスコアが読めるほどだった。
中学生のころは小遣いが少ないこともあって、もっぱら父親が買ってくるものを聴いていた。
高校生になると自分の好みの音楽もできてきた。とくにジャズ。
自分のお金で初めて買ったレコードは、山下洋輔トリオの「木喰」というアルバムだった。フリージャズだ。いまからかんがえてもとんがっている。
その後はウェザー・リポートのアルバムを何枚も買った。
よくいわれることだが、LPレコードは30センチ角くらいのジャケットにはいっているので、ジャケットそのものがアートでもある。高校生のときに買ったアルバムは、すべてジャケットの絵柄をくっきりと覚えている。その感触や、レコードに針を落とすときのドキドキも思いだせる。
時代が変わったのだから、あの頃はよかった、などというつもりはないが、「アルバムを買う」という行為にともなった、音だけではない物質感がいまはないことが、少しさびしい。
その物質感に代わるものとして、いまはどんなことが提供されているのだろうか。ネット映像だろうか。
CDの売り上げ減少につれてライブが盛んになっているというのも、そのあたりの「物質感」の欠如に原因があるのかもしれない。
それはともかく今年も私はひさしぶりに「アルバム」を作るつもりだ。どんな形になるのかはまだまったく決まっていない。