2015年4月30日木曜日

マインドフル手帳術ワークショップ実施レポート

2015年4月29日、午前。
共感的コミュニケーションにおける「自己共感」の練習をするために、私はかねがね、勉強会に参加した方々に「手帳を使うといいですよ。書くのが一番の練習になりますよ」といってきた。
なかでも「TODOリスト」を使う方法がとても簡便で評判がよかったのだが、それをさらに発展させた形での、私が実際におこなっている手帳術をみなさんに伝授する機会を作ろうと思って、このワークショップを実施した。

告知したところ、反応がよくて、10人の定員がすぐにいっぱいになってしまった。
反応がいいというのは、ニーズがある、つまり手帳の使い方に悩んでいる人がたくさんいる、ということだろうと思う。

私は中学生のころから手帳を愛用していて、その使い方もさんざん悩んだり工夫してきた経験があるのが自慢だ。
かれこれ40年になる手帳歴だ。
使いつぶした手帳は数えきれない。
みなさんの手帳の使い方にいくらかでも寄与できるのではないかと思った。

世田谷の古民家〈羽根木の家〉で午前10時スタート。
当日にキャンセルが出て、参加者は8名だったが、内ひとりをのぞいて全員女性。
手帳というとなんとなくビジネスマン、というイメージがあるが、私のまわりでは多くの女性が手帳を愛用しているのを知っている。
驚くにはあたらない。

参加者は唯一の男性ビジネスマンのほかには、ビジネスウーマン、主婦、修行者、セミナー講師と、5歳の女の子がひとり。
もっとも、5歳児はお母さんといっしょに来ただけで、ワークショップに参加したわけではない(しかしいてくれたおかげでマインドフルネスについてたくさんの気づきを与えてくれた)。


ワークはいくつかのパートに分かれていて、まず最初のパートはNVCでいうところのフィーリングとして「気がかりなこと」をあつかう。
マインドフルになろうとしても、その集中をさまたげたり、自分のパフォーマンスを低下させる原因になっている、さまざまな日常生活の「気がかり」を、いろいろなレベルで採取してもらう。
これは人によって100以上出る人もいれば、10数個にとどまる人もいるが、いずれにしても人はさまざまな気がかりなこと、やらなければならないと思っていること、義務的に自分に強制していること、やりたいこと、展望、未解決なことをたくさん抱えている。

ふたつめのパートでは、NVCでいうところのニーズを、その「気がかり」として書きだした項目リストすべてについてあてはめる作業。
そしてニーズごとにリストを分類しなおし、分類ごとにプロジェクト化し、ネーミングする作業。

あとはプロジェクトごとに各項目について「いつ、どこで、どうするか」を書きだし、手帳のスケジュール欄に転写していく。
毎日、スケジュールを見るたびに、そこにはその日のいつ、なにをするのか、そしてそれは自分のどんなニーズにつながっているのかが一目でわかる、という仕組みで、日々の行動の質を向上させるのが目的の手帳術である。

終わってから感想をいただいたが、とても好評だったので、また6月の終わりくらいにやろうかなと思っている。
また、今回参加してくれた人を対象に、フォローの会をやってもいいかもしれない。

とにかく、私自身もとても楽しく、いきいきとやらせてもらうことができた。
参加してくれたみなさんに感謝する。

2015年4月26日日曜日

レディ・ジェーンでののみずが蜂谷真紀さんと初ライブ

2015年4月25日、土曜日夜。
昨夜。
下北沢の老舗ライブバー〈レディ・ジェーン〉で、私・水城ゆうと現代朗読の野々宮卯妙、そしてボーカリストの蜂谷真紀さんが、初顔合わせとなるライブをおこなった。

真紀さんのお名前は以前から知っていたが、共演してみたいと思いはじめたのは、去年から私が白楽の〈ビッチェズ・ブリュー〉に出るようになってからだった。
真紀さんもビッチェズ・ブリューによく出ておられて、聴く機会があった。
ほかにも、こちらも私が毎月演っている〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリー・スペースでパフォーマンスをされたりして、野々宮と三人でやらないかと声をかけさせていただいた。

レディ・ジェーンの大木さんにお願いしたら、三人でやらせてもらえることになった。
真紀さんはレディ・ジェーンもよく出ているということだった。

一度だけ羽根木の家で音出しをしてみたが、ほとんどなにも決めないまま、昨日を迎えた。
朗読テキストだけ決めた。
私が書いた『子どものころの七つの話』から、5話やることになった。

お客さんが少なくてちょっと寂しかったが、カルメン・マキさんが来てくれたのはうれしかったな。
マキさんとはひさしぶりにお会いできた。
ゼミ生の藤沢さんも、ママなのに遅い時間にもかかわらず来てくれて、ありがたかった。

ファーストステージの冒頭は私のピアノソロ。
2セットめは私と野々宮のデュオで『七つの話』から第二話。
3セットめは私と真紀さんの、朗読抜きのセッション。
でたらめ語みたいな音とも言葉ともつかぬ音声をあやつる真紀さん、そしてボイス、ボーカル、不思議な世界が広がっていく。
最後は三人でのセッション、『七つの話』から第三話。

休憩時間に来てくれた人たちと歓談。
ビールを飲みたくなるのをグッとがまんする。

セカンドステージの冒頭は真紀さんのソロパフォーマンスから。
2セットめは真紀さんと野々宮の、声のデュオセッションで、『七つの話』から第四話。
ここで長めのMCがはいって、虫やらミミズやらうんちの話やら、子ども時代の話で盛り上がる。
真紀さんも虫とかカエルとかが大好きな子どもだったらしい。
3セットめと最終セットは三人で、第5話と第六話を。

いやー、おもしろかったな。
来れなかった人は残念!

終わってからカルメン・マキさん、そしてオーナーの大木さんを交え、音楽話で盛りあがる。
大木さんからは私がまったく知らないミュージシャンの秘話をたくさん聞かせてもらって、おもしろかった。
結局、真紀さんの終電ギリギリの午前1時まで話しこんで、ようやく解散。
このメンバーでまたやりたいな。

羽根木の日本ミツバチ、大騒ぎ

一昨日、後藤さんちから分封したミツバチ群が羽根木の家にやってきて、昨日の朝も一見落ち着いているように見えたのだが、午前9時すぎになって異変が起きた。
急にブンブンと騒がしくなったと思ったら、巣箱のなかから次々とミツバチが出てきて、空中をものすごい羽音を立てて飛び回りはじめた。
巣箱のまわりも、最初にやってきたときのような蜂球みたいに密集して、しかもなかからどんどん出てきてしまう。

さては羽根木の巣箱が気にいらなくて捨てていってしまうのだろうか、とハラハラしながら見ていた。
しばらくすると静かになったが、どうやら出てきたミツバチ群はどこへやら飛び去ってしまったようだ。
何匹か残って巣箱を出入りしているが、あきらかになかはすっかり寂しくなっているようす。
羽音もまったく聞こえない。

後藤さんにメッセージを送って、ようすを知らせて相談してみたら、引っ越し先の巣箱が気にいらなくて出ていってしまうと、ほとんどもどってくることはないとのこと。
ちょうど午前中にミツバチの誘引剤が届いたばかりだったので、ひとつはすでに箱にくっつけてあるが、もうひとつ下のほうにくっつけてみることにした。
しかし、効果があるかどうかは不明。

ずっとようすをうかがっていたら、お昼すぎになって、なんとなく巣にはいっていくミツバチの数が増えているような気がした。
それでもポツリポツリなので、飛び去ってしまった巨群はとてももどってきたように思えない。

そのしばらくあと、縁側で仕事をしていた私の耳に、最初のときに聞こえたものすごいブンブンする音が突然聞こえてきた。
見ると、朝のときとおなじようにすごい数のミツバチがブンブンと飛びまわっている。
巣箱の入口にはギュウギュウと密集して、よく見ればどんどんなかへとはいっていくではないか。
これはまちがいなく、飛び去った巨群がそっくりそのままもどってきたのだ。
よかった。

今日、後藤さんが、専門の養蜂業者に訊いてくれた話によれば、引っ越ししたあと、その周辺の環境や地形などを調べるためにみんなで出かけていって、それからまた帰ってくる、というような行動があるらしい。
昨日のはそれだったのかもしれない、ということだった。
いずれにしても、もどってきてくれてうれしい。

そして、入口を出入りするミツバチをよく見てみたら、後ろ足に黄色い花粉ダンゴをくっつけて帰ってくる者が何匹かいるではないか。
これがより頻繁にもどってくるようになったら、もう心配はないとのことだった。
たぶんそうなるだろうと思っている(希望)。
それにしても、かなりあわてさせられた一日だった。
生き物を相手にしているわけだから、人間の都合のいい思惑どおりにいかないのは当然だろうとは思うけれど。

2015年4月25日土曜日

ミツバチ、収録、共感カフェ

一昨日やってきたニホンミツバチたちは、どうやら羽根木の家を気にいってくれたようで、昨日一日、活発に出入りしていたが、今朝はだいぶ落ち着いた感じで巣箱を出入りしている。
私が近づいてもあまり興奮しなくなった。
ミツバチを見ているのが楽しくて、一日に何回も庭に出てようすをうかがってしまう。

昨日は午前中から夕方まで、みっちりとオーディオブックの収録。
ライトノベルの委託収録。
いつものことながら、技術と表現のせめぎあいの世界。
リップノイズや滑舌ばかりうるさくチェックすれば表現が生きず、表現を生かそうとすればノイズや滑舌があまくなる。
両方ともすばらしければいうことはないのだが、なかなかそううまくはいかない。
そんな読み手はめったに、いや、まったくいない。

夜は共感・声カフェ。
事前申し込みをしていた参加者がひとりだったので、個人セッション的になるかなあと思っていたのだが、水曜日の献ちゃんのワークに出た人が昨夜も来てくれた。
おじさんふたりと始めていたのだが、遅れてNさんがやってきて、きゅうに華やかになった。

前半は日常のなかで簡単に、気軽に、そして継続的にできる共感スキルの練習方法をふたつ、解説しながら伝授。
おもしろがってもらえたようだった。
後半は共感スキルの上級問題「嘘をついている人にどうつながるか」をみんなでかんがえてみる。
これはなかなかの難題で、私も最初は手こずったおぼえがある。
しかし、このスキルはかなり役に立つ。
「スキル」といっても、結局は共感的コミュニケーションの原理からはみ出たものではなく、「自分と相手のニーズにつながりつづける」という、ただそれだけのことなのだが。
私たちが日常的に、習慣的におこなってしまっているさまざまな判断や分析が、相手や自分につながることをいかに曇らせているか、あらためて確認した。



次回、来月の羽根木の家での共感・声カフェは、5月28日(木)の午後と夜の2回を予定している。

2015年4月24日金曜日

ニホンミツバチが羽根木の家にやってきた!

昨日の朝、今日もオーディオブックの収録があってハードワークな一日だよなー、とかんがえながら、明日配信する分の「音楽瞑想」の編集をやろうとしていたら、フェイスブックでミツバチ部のご指導をいただいている後藤純子さんからメッセージが来ていることに気づいた。

「今朝、我が家のみつばちが分封しました。大きな群です。今ダンボールに入れて日陰に置いてあるのです。これを羽根木に譲りたいと思います」

このタイミングを逃すことはできないので、すぐにカーシェアリングで車を借りて、すぐに車で30分ほどの後藤さん宅に向かった。

後藤さん宅のミツバチたちを見せてもらったあと、分けてもらうミツバチがはいった段ボールその他を車に積みこみ、出発。
途中でホームセンターに寄り、養蜂箱の上に乗せる波板や遮熱の発泡スチロール、不織布の作業着などを買いこんで、正午すぎに羽根木の家に到着。

後藤さんがすでに持ってきてあった養蜂箱のなかに、巣枠や巣素をセットしてくれて、ミツバチたちができるだけ気にいって居着いてくれるように蜂蜜を塗ったり、誘引剤を設置したりしたあと、いよいよミツバチたちの引っ越し作業。
いやー、これがすごかった。

ミツバチがはいっている段ボールの蓋を少しあけると、いやいや出るわ出るわ、どんどん蜂たちが外に出てきた。
どのくらいいるんだろう、万単位はまちがいない。
後藤さんが箱のなかに素手をつっこんで、蜂たちのかたまりをつかみだし、それを養蜂箱の出入り口のスリットのところに持っていく。
初めて見たが、かなりびっくりな光景・作業だった。
素手って……
かなりの力ワザであり、丁寧にやるので時間もかかり、相当な集中と根気を要する大変な作業に見えた。
後藤さんに感謝。

この模様はしっかりと動画に撮った。
いずれビデオクリップにまとめて、公開できればと思っている。

ミツバチ群が引っ越し先に定着してくれるかどうかはかなりの賭けなのだが、羽根木の家の環境はミツバチにとって安心できると見えて、午後のうちに巨大な蜂球はすっかり箱のなかにおさまり、落ち着いてくれたようだった。
そして今朝見たら、出入り口から盛んにミツバチが出入りして、活発に活動しているようすがうかがえた。
うれしくて一日のうちに何度もようすを見にいってしまった。

雑草がどんどん生えてくるただのやっかいな庭が、まずトランジション世田谷 茶沢会のガーデン部で畑として生きかえり、さらにミツバチが来てくれたことで、すべての植物や生き物がつながったような気持ちがする。
庭のすべての植物と生き物に意味があって、なにひとつとしておろそかにはできないものであり、ものすごく長い、ヒトには想像もできないほどの時のいとなみのなかでこの貴重な世界が存在しているのだという、有機的で立体的な実感というか啓示を受けて、昨日から感動しっぱなしなのだ。

2015年4月22日水曜日

共感的コミュニーション(NVC)をマインドフル手帳で練習する

共感的コミュニケーション(NVC)はとてもシンプルな原理のコミュニケーション・スキルで、だれでもすぐに理解できるが、実際に使えるようになるには日々の練習が欠かせない。
というようなことは、私もつねづねいっているし、多くのトレーナーや講師もそう強調している。
しかし、実際にはなかなか練習を日常のなかで取りいれられている人はすくない。

そこで、私が提案しているのは、手帳を使う方法だ。
手帳でなくても、スマホでもいいのだ。
とにかく、毎日持ちあるき、しょっちゅう見たり開いたりするもので、スケジュール管理をしているものを使って練習する。

たとえば、ひとつご紹介すると。
多くの人が「TODOリスト」という、いわゆる「やらなきゃならないリスト」というものを作っていると思う。
わざわざ書きだしていなくても、頭のなかにそういうものがあって、いつも気になっているという人もいるだろう。
このリストが、私たちのパフォーマンスをいちじるしく低下させてしまう。
「やらなきゃ」と気にかかっていることがあると、目の前の仕事に集中できず、時間もかかると質も低下してしまう。

TODOリストにはたいてい「優先順位」を書きこむ欄があって、そこに「A」とか「B」とか優先度を決めて書いておくのだが、そのとおりうまく片付いたためしはない(すくなくとも私は)。
優先順位を決めるかわりに、そこの欄に「ニーズ」を書いておくのだ。

「火曜朝、ゴミ出し」という項目があったら、そのニーズとして「清潔」とか「整頓」とか「快適さ」などと書いておく。
ただ「火曜日の朝だからゴミ出ししなきゃ」とかんがえていやいややるのと、「快適さのニーズがあるからゴミを出そう」と思ってやるのとでは、まるで行動の質がちがう。
ゴミ出しひとつ取ってもこういう具合だから、あらゆる行動についてニーズを明確にすることで、生活や仕事の質はまるで変わってくる。

このように、ニーズレベルで自分自身とつながる自己共感のスキルは、共感的コミュニケーションにおいて重要なのだが、それを手帳術として明示化し、私たちの人生をクリアにしてみよう、というのが「マインドフル手帳術」だ。

この実践的ワークショップを来週の水曜日・29日(昭和の日)に羽根木の家で開催する。
興味のある方はどうぞ。
定員の残りがあと4名ほどになっているので、お早めにどうぞ。
詳細と申し込みはこちらから。

2015年4月21日火曜日

丸一日ずっとオーディオブックの収録(とディレクター問題)

昨日は午前中から午後にかけて、押さえたスケジュールは7時間のオーディオブックの収録と、夜も3時間の収録、合計10時間にわたる収録作業だった。
いずれも委託収録。

午前中はナレーターでゼミ生の森沢幸が助っ人で来てくれたので、だいぶ楽ができた。
みずからも読み手である人が、他人の読みの収録オペレーションをやってみるのは、いろいろ気づきがあって役に立つことが多いのではないかと思う。

日中の読み手は先日から何回か来てくれている声優の大森ゆきさん。
昼休みは森沢・大森・私の3人で新代田駅横の〈香家〉に行って、担々麺を食べた。
声優の人は食べ物に気を使う人が多くて、とくに辛いものなど刺激物を収録前に摂取するのを避ける人が多いのだが、大森ゆきさんはまったくこだわりなく、辛いものもコーヒーもオーケー。
実際、収録に影響はない。

昼休み後に森沢幸が帰ってしまったので、午後はサシで収録。
予定より短時間で終わり、めでたく解散。
午後5時にことのは出版の野村さんが様子見にやって来たが、すでにもぬけのから。

午後6時から別の収録、別の声優。
こちらも順調に進んで、9時前には終了。

日本ではオーディオブックコンテンツのマーケットは未成熟だが、今後はかならず欧米のように普及していくと思われる。
そのときに問題になるのが、「読み手の育成」と「ディレクターの育成」だ。
声優やナレーターなど、日本語表現を仕事にしている人はとてもたくさんいるが、オーディオブック(朗読本)を読める人となるとかなり少ない。
ほとんどいないといってもいいほどだ。
なぜなら、オーディオブックの収録には、

 技術力
 表現力
 持続力
 オリジナリティ

こういったものが必要で、それは声優学校やナレーター&アナウンサースクールではほとんど教えられていないものだからだ。
ディレクターも同様で、オーディオブックの収録ディレクターには、

 読解力
 耳のよさ(ノイズチェックなど)
 日本語発音発声についての知識
 コミュニケーション能力

など、独特の能力が必要とされる。
読み手もディレクターも、その育成が急務であることはまちがいないが、じゃあだれがそれを引き受けるのだというとまったく心もとない状況ではある。
しかし、今日を含めてこれまで少しずつ森沢幸のような人に伝授してきたように、あるいはこれまでとまったく発想の異なった養成スクールを立ちあげることができれで、未来はあるかもしれないと思っている。

読み手にしてもディレクターにしても、これを仕事にしていきたいと思った人がいたら、惜しむことなくすべてを伝える準備がこちらにはあるので、ぜひコンタクトしてほしいと思う。
とりあえず本気度が高い人は、5月スタートのオーディオブック収録製作コースに参加してみるいただきたい。
その詳細はこちら

2015年4月20日月曜日

4月17日の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」来場者の声

先日おこなわれたキッド・アイラック・アート・ホールでの「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演にご来場いただいた方から感想をいただいたので、抜粋して紹介します。
あらためて、ご来場ありがとうございました。

なお、次回5月の同公演は20日(水)夜となります。
詳細はこちら

◎朗読、音楽、素晴らしかったです。暗やみの中に自分の空間がふわっとひろがっていき、自分自身を見つめ、感じとることが出来たように思います。言葉でうまく表現出来ませんが、幸せな心で満たされています。明日からの日々に、元気を頂きました。今日は参加出来て良かったです。

◎からだが自然にゆれはじめ、言葉と言葉の間、音と音の間のふとした空間が、ただただ心地よい時間でした。

◎ピアノのしらべ、大きく小さくうねる声、自分の呼吸のかすかな音、どこかで椅子のきしむ音、天井なのか地底なのか、ここはどこにいるのか、感覚はとぎすまされ、またふくれあがり、潮のように引いていき、にぶくなっていく。まゆの中に入って行くように、自分自身が小さく小さくなっていき、細胞の核となり、点となった。むくむく、ぶつぶつ、分裂して行き、うまれかわった。新しい生命となった自由な魂。らせんとなってぐるぐるまわった。

◎前回は、身体を固定する意識で聴いたけど、今回は身体を自由に解し、椅子の背もたれに預けていた身体を起こしたり、筋肉の強張りを感じた部分を解す様に自由に身体を動かしながら聴いてみた。途中、やはり気が散って関係ない事を考えたりしてしまった。なるべく、言葉や意識を手放して聞くのを頑張って心掛けた。その内、音楽や朗読が身体の中で響くように感じられたが、残念ながら長続きはしなかった。ただ、これが成功すると、とても気持ち良かった。真っ暗になった後、目の回りで白い花弁がチラチラ散って見えたのが不思議だった。その内、その花弁が蝶の様にヒラヒラ舞う様に見えたのも不思議だった。

◎先月からずっと楽しみにしていました。前回は、自分の内に内に入ろうとして、奥まで辿り着けなかったけど、すごく自分の中の組織が正されていく感じでした。来月はまた違った気持ちでのぞみたいと思います。

◎朗読に対する体の反応は2重構造なんだと思った。「声、音に対するもの」「言葉の意味に対するもの」しばらく言葉の意味にはフォーカスしない聴き方をしていましたが、今日はどうしても言葉に対して反応したので、あえて止めませんでした。2重構造の反応というのも、なかなか楽しかった。ずっと何気に踊ってましたが、あまり感じたことのない反応があった。どんな反応だったか今はよーわかりません。まっくらになってから、安心して動きを大きくしましたが、もちょっと踊りたかったです。

2015年4月19日日曜日

井の頭線でのできごと

たしかに私も電車に乗りながらスマホを見たりするけれど、なるべくやりたくないのは、まわりのことが見えなくなるからだ。
20代のころは、逆にまわりをシャットアウトしたくて、当時はカセットテープ式のウォークマンのヘッドホンで両耳をふさいで音楽の世界に没入していたが、いまは両耳をふさぎたくない。
武術をならいはじめてからはとくに「周辺のことに気をくばる」「身を守る」ということに注意が向くようになってきた。
身を守るのは、自分の身ばかりではない。
いっしょにいる知り合いの身のときもあるし、まったく知らない人のこともあるかもしれない。
とにかく、安全を確保するために、生命を生かしきるために「武」はある。

先日、下北沢駅から井の頭線に乗ろうとホームにいたら、かなりご高齢の女性(80歳はとうに越えているようにお見受けした)がカートにつかまって乗車マークのところにやってきた。
乗車のとき、カートをいっしょに乗せるのになにか差し障りがあったらすぐにサポートしようと思って、私は彼女のすぐ後ろについた。
ベビーカーを押したお母さんがいるときも、私はそのようにする。
スマホを見ていると、そういうことに気づきにくくなるからいやなのだ。

電車がやってきて、ドアが開いたとき、別の中年の女性が右側からやってきて、おばあさんのカートを「お持ちしましょう」といって持ち、いっしょに電車に乗りこんだ。
私の出番はなかった。
しかし、私はうれしくなった。
私も高齢になり、身体が思うように使えなくなっても、この女性のような人がたくさんいてくれると思ったら、自立した外出も安心だろうと思うからだ。
実際私は膝に故障をかかえていて、遠出をするときはステッキを持っていることがあるが、さっと気持ちよく席をゆずってくれる人もいれば、後ろ暗そうに気づかないふりをしている人もいる。

どういう社会に住みたいかとリアリティをもって想像したとき、自分自身のふるまいも変わっていく。

2015年4月18日土曜日

5月の「白楽ないと」ライブ@横浜白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉(5.26)

横浜・白楽のジャズスポット〈ビッチェズ・ブリュー〉で、水城ゆうがさまざまなパフォーマーとコラボレートしておこなう即興ライブセッションのお知らせです。
2015年5月の開催は5月26日(火)となります。

魅力的なゲストプレーヤーも参加予定です(調整中)。
どなたも気楽にお越しください。

◎日時 2015年5月26日(火)19:30開場/20:00開演
◎場所 横浜・白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉
  横浜市神奈川区西神奈川3-152-1 プリーメニシャン・オータ101
  東急東横線・白楽駅下車 徒歩5分
◎ミュージックチャージ 2,000円(1ドリンク付)

予約先:ビッチェズ・ブリュー 電話:090-8343-5621 (杉田直通)
または現代朗読協会お問い合わせ・予約フォームからお問い合わせ内容を「公演・ライブご予約」を選び、メッセージ欄に「ビッチェズ・ブリュー」と明記してください。

繊細さと図太さがせめぎあう世界

いま、受託仕事(アルバイトともいう)でけっこう大量のオーディオブックの収録をおこなっている。
私は本来、文芸朗読を得意としているが、今回は文芸というよりライトな読み物の収録だ。
いろいろなタイプの読み手がやってくる。
それをディレクションしながら、収録のオペレートをおこなう。

収録は当然、長時間にわたることがほとんどで、たとえば書籍1冊300ページくらいだと、仕上がり時間が7、8時間にもなる。
1時間収録するのに、まったくまちがえずに読み、オペレーションミスもない、ということはありえず、だいたい3時間くらいのスケジュールを押さえておくことになる。
書籍一冊だと、20時間以上のスタジオワークとなる。
そして、どれだけ持久力のある読み手であっても、一日のうち6時間以上スタジオにこもりきりになって読みつづけるのは無理なので、ひとりの読み手が1日に収録できる仕上がり時間は2時間程度、ということになる。
1冊あげるのに最低3日から4日はかかる。
その間、こちらもずっとつきっきりである。

読み手の技量や持久力もさまざまで、滑舌もよく、アクセントも完璧で、リップノイズもなく、ほとんど読み間違えることなく、しかも何時間読んでもへこたれることがない、という人がいるかと思えば、滑舌はゆるいし、アクセントはまちがえるし、リップノイズは乗りまくりだし、しょっちゅう読み間違えるし、すぐに疲れてしまう、という人もいる。
さて、あなたならどちらの読み手を使いたいでしょうか?

この質問を「なにをばかなことを訊いてるんだ」と思った人は、現場のことをわかっていない人だ。
オーディオブックというのは、本になにが書かれているか、どういうストーリーなのか、というテキスト情報を伝える、という側面があると同時に、読み手が魅力的か、表現がいきいきしているか、といった表現作品の側面もある。

極端な設定だが、

 1. 非常にうまくて使い勝手はいいけれど表現がつまらない読み手
 2. 技術に問題があり使いづらいけれど表現が魅力的な読み手

というふたりがいたとき、どちらを使いたいか、という選択に迫られることがある。

経済的なことをいえば、スタジオ使用料は高いし、オペレーターもディレクターも人件費が必要なので、前者の読み手を使いたくなるのは当然だろう。
表現を犠牲にして使い勝手のよい読み手にどんどん仕事をまわしていく。
かくして魅力にとぼしいオーディオブックが大量生産されることになる。

とても繊細なのでまわりのことが気になってしまい、ディレクターにどう思われるのか、あるいはダメだしされたりしかられたりすると萎縮してしまい、本来の魅力を出しきれない読み手がある。
コミュニケーションも下手だ。
逆に、図太く、なにをいわれてもさっと対応し、そつなく仕事をこなす読み手もいる。
コミュニケーションもうまく、現場を明るい雰囲気にする。
当然のことながら、後者のほうにたくさん仕事がまわってくる。
しかし、繊細さゆえに魅力的な表現を秘めている者もいれば、図太さ(を身につけてしまった)のせいでその人本来の魅力が見えてこない者もいる。

私は、本来人というのは、すべからく繊細で傷つきやすく、優しい存在なのではないかと思っている。
図太く見える人は、自分を守るために戦略的にそのようにふるまうことを身につけてきた人なのだ。
そういう人の本来の魅力を引きだすにはどうしたらいいのだろう。

アイ文庫では当初から表現重視でやってきた。
オーディオブックはそのテキストを書いた作者のものではあるけれど、それ以上に読み手の表現作品であるととらえている。
今回は受託仕事なので、アイ文庫の方針をつらぬくことはないけれど、それでも可能なかぎり読み手の魅力を引きだそうという姿勢で収録現場にのぞんでいる。
当然、効率は悪くなる。
しかし、いいものを作りたいのだ。
ただその一点、そこから私はどうしても離れることはできない。

4月17日「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演覚書

昨夜は明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉で2回めとなる「沈黙[朗読X音楽]瞑想」の公演をおこなった。
少人数ながら知り合いを中心にアットホームな雰囲気のなかで、現代朗読の野々宮卯妙とパフォーマンスをおこなうことができた。

パートがはっきりと分かれているわけではないが、前半は「沈黙の朗読」、後半は「音楽瞑想」という流れになっている。
前半では夏目漱石の『夢十夜』から「第一夜」を、しだいに間合い(沈黙)が深くなっていく進行で。
後半は照明を完全に落として真っ暗ななかで、私の即興ピアノ演奏による音楽瞑想。

音楽瞑想では人によってさまざまな反応があらわれることがあって、昨夜は終わったら何人かの方が涙を流しておられた。
音がエモーショナルな部分に触れることもある。
うまく瞑想に誘導できれば、頭と身体が再起動したようにリフレッシュされ、すっきりすることもある。
うまく誘導にはいれないと、ごちゃごちゃと雑然とした言語思考が湧いて出て、止まらなくなってしまうこともある。
こちらとしてはなるべくそうならないように、静かに、慎重に音で誘導していくのだが、まあなかなか責任は持てない(笑)。

演奏しているほうは完全にマインドフルネス、瞑想状態、言語思考はどこかに行ってしまって頭のなか真っ白、ジャッジのないあるがままの自己肯定感、完全な感覚体になりきったフロー状態。
もうしわけないけれど、もっともシャープでディープな瞑想体験をしていたのは、おそらく私。

終演後はこちらで用意したワインとつまみでささやかながら歓談タイム。
とてもなごやかで、これも楽しかったな。
ご来場のみなさんの声をいただいているので、別項で紹介したい。

昨日来ていただいたみなさんにはまたリピートしていただきたいのと、まだ体験していない方にはぜひとも体験していただきたいなと思っている。
次回は5月20日(水)夜の開催です。
詳細はこちら

2015年4月16日木曜日

草加、横浜、三軒茶屋、共感カフェみっつ

先週から今週にかけて、共感的コミュニケーションの勉強会である「共感・声カフェ」を3か所でおこなった。

先週10日(金)夜は、草加の天然石ブレスレットの店〈Jugem〉で。
ここは昨年の秋から毎月開催してくれていて、主催者の実雪さんの娘の満里菜は現代朗読協会のゼミ生でもある。
このふたりが先月の四茶オープンマイクに参加して紙芝居を披露してくれたのは、とても楽しかった。
今月のオープンマイクにも参加してくれるらしい。

それはともかく、カフェは涙あり、笑いありのなごやかなものになり、私も受け入れてもらっている暖かなつながりを感じられて幸せだった。
来月のJugem共感カフェは5月19日(火)夜の開催予定。

今週13日(月)夜は、横浜の神奈川県民センターでの共感・声カフェ。
昨年1月から毎月開催しているもので、主催者が今回は山本ライパチくんだった。
このところだんだん参加人数が増えてきていて、今回は定員オーバー。
しかし、県民センターの利用システムが変わったらしく、利用フロアの雰囲気がこれまでより静かだったのでたすかった。

初めて共感的コミュニケーションに接する人がいたので、基本的なかんがえかたを解説したあと、実際の事例にそってプロセスをやってみる。
立場のちがう人たちが一堂に会していたので、私も即興的に応じたりして、楽しかった。
来月の横浜共感カフェは5月8日(金)夜の開催予定。

翌14日(火)夜は、三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーションのワークショップ。
初参加の人が多く、ひとりをのぞいてほかは全員、初めて共感的コミュニケーションに接する人だった。
なので、基本的な原理やかんがえかたを解説し、そのあとはひとりの方の職場での問題を全員でかんがえながら、プロセスをシェアしてみた。

最後に恒例のミニライブとして、野々宮卯妙に夏目漱石の「夢十夜 第二夜」を朗読してもらって、私は鍵盤ハーモニカを吹いた。
みなさんから好意的な声をいただいて、手応えを感じた夜だった。
次回のオハナ共感カフェは6月9日(火)の開催予定。

ちなみに、本拠地の羽根木の家での共感・声カフェは、来週24日(金)夜の開催。
詳細と申し込みはこちら

そして、共感的コミュニケーションを実践する上で重要なマインドフルネスと、それを補完するための「瞑想」体験を提供する公演「沈黙[朗読X音楽]瞑想」を、明日夜、明大前にておこないます。
終演後のワイン歓談もお楽しみください。
詳細と申し込みはこちら

蜂谷真紀さんとリハーサル、というか遊びました

来週25日(土)夜、下北沢の〈レディ・ジェーン〉でいつもの野々宮卯妙と私に、蜂谷真紀さんをゲストに迎えてのライブパフォーマンスをおこなう。

お名前だけは以前からうかがっていたのだが、昨年のなかごろから横浜白楽の〈ビッチェズ・ブリュー〉にちょくちょく行くようになって、そこにかなり頻繁に出ておられることを知った。
店主の杉田さんもかなり入れこんでおられるらしく、1週間全部蜂谷さんのライブという「セブンデーズ」というシリーズをやったりしていた。
そのとき私はうかがえなかったのだが、いつかライブに行ってみたいと思っていた。

そしたら、近所の明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリー・スペースでダンスの木村由さんらとパフォーマンスをするという告知が目にはいってきて、たまたまその日あいていたので、飛びこみで行ってみた。
大変オリジナリティが高く、おもしろいパフォーマンスだったので、かなりインパクトがあった。

たまたまその翌日、ビッチェズ・ブリューでライブをされるということで、それもまたスケジュールがあいていたのでつづけて行ってみた。
ひとりのライブパフォーマンスはまたちがった感じで、しかも圧倒されるような密度の濃さで、いつかご一緒させていただきたい、とこちらからお願いした。
快諾してくれ、機会をうかがっていたところ、レディ・ジェーンのスケジュールが取れたので、今回ご一緒できることになった。

昨日はそのリハーサルというか打ち合わせのために、わざわざ羽根木の家までおいでいただくことができた。
鳥が大好きで、たくさん飼っていたこともあるし、いまも飼っている、そして野鳥も大好きという話やら、羽根木の家を気にいっていただけたことやらで、なごやかに話がはずみ、音出しもやってみた。

野々宮が朔太郎の「猫町」を読み、私がピアノを弾き、蜂谷さんが私の書いた「子どものころの七つの話」を読んだり声を出したりちいさな楽器を鳴らしたりと、即興でいろいろ遊んで楽しかった。
まさに音・ことば遊びというようなミーティングで、レディ・ジェーンでの本番当日もきっと、おもちゃ箱をひっくり返したようなセッションになるだろうと思われる。
きっと楽しくなるので、みなさん、ぜひいらしてください。
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そして、明日夜は明大前で「沈黙[朗読X音楽]瞑想」です。
終演後のワイン歓談もお楽しみください。
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養蜂箱が羽根木にやってきた&蜂蜜テイスティング

トランジション世田谷 茶沢会の仲間とやっているミツバチ部で、講師をやっていただいている後藤純子さんのお宅のミツバチを拝見しにいこうという計画だったのだが、あいにくの天候やら風邪でダウンしたメンバーがいたりして、急きょ羽根木の家に集まることに変更になった。
後藤さんがいろいろと準備してきてくれて、大変ありがたく、楽しかった。

大荷物だったろうに、養蜂箱を2種類、運んできてくださった。
すでにミツバチが使ったことのある箱で、そのほうがミツバチを誘いやすいらしい。
また、キンリョウヘンという東洋蘭の一種の花のにおいが、ミツバチの誘引や定着によく効くということで、それもひと鉢いただいた。

箱の構造や使い方の説明をしてもらったあと、羽根木の家の縁側と物置の角になっているひさしの下のところにふた箱設置。
これで日本ミツバチがやってくるかどうかはわからないが、楽しみに待ってみることにする。

そのあと、後藤さんが作ってきてくれた蜂蜜を使ったスイーツをいただきながら、お茶会。
そして、いろいろな蜂蜜のテイスティング会。
西洋ミツバチは一種類の花を集中的にあつめる習性があるので、純度が比較的高くなる確率がある。
いろいろな花の蜜をすこしずついただいてみたが、それぞれ全部ちがう風味があって、びっくりするくらいだった。

しかし、やはり日本ミツバチの蜂蜜は特別だった。
日本ミツバチはどの花からも広く集めてくる習性があるので、いろいろ混じっている。
そして微妙に醗酵している。
酸味があって、味わいが複雑だ。
その味は、ミツバチがいる周辺の自然環境をそっくりそのまま写し取ってきた味そのものだといえる。

今回訪問できなかった後藤さんの家のミツバチだが、ちょうど今朝、分封がおこってうまく養蜂箱に誘引成功、というニュースがとどいた。

次の土日、18日と19日に代々木公園でおこなわれるアースデイ2015のなかで、アースデイ大学の特別公開講座が開催される。
その4コマめに、後藤純子さんと私が「東京都心の蜜源植物」というテーマでお話をさせていただくことになっている。
どうぞ遊びにいらしてください。
来れない方のためにネットラジオ「ソラトニワ」でも中継するそうです。
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2015年4月14日火曜日

【YouTube】3月におこなった「沈黙[朗読X音楽]瞑想」抜粋映像

2015年3月20日。
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉の3階ギャラリースペースにておこなわれたライブイベント「沈黙[朗読X音楽]瞑想」のもようから、ごくかいつまんで抜粋映像にしました。

朗読は野々宮卯妙、ピアノ演奏は水城ゆう。
テキストは水城ゆう作「夜と朝をこえて」です。

映像はこちら(画像をクリックしてください)。

次回の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」は4月17日(金)夜に、おなじ場所で開催します。
詳細と申し込みはこちら

2015年4月11日土曜日

音楽瞑想、毎日連続配信100回になりました!

YouTubeでの音楽瞑想の映像&音楽配信が今日で100回めとなった。
今年の1月1日から配信をスタートして、1日1映像、欠かさず毎日、今日まで配信してきた。

この音楽瞑想コンテンツには、現在の私のさまざまなものが詰めこまれている。
すべて即興でピアノを演奏していた音楽ファイルを、まずその演奏動画に貼りつけ、さらに街や出先などさまざまなところで撮影した動画を貼りつける。
動画の音もところどころ生かして、音楽演奏とかぶらせたりする。
シンプルな要素でできていながら、できるだけ複雑で、ラベリングしにくいコンテンツに仕上げようと思って、最終編集をほどこす。
見る人がさまざまな印象を持ってくれたり、さまざまな受け取り方をしてくれればいいと思う。
好いてくれる人も、嫌う人もいていいと思う。

二度と聴いてくれない人も、当然いるだろう。
ずって聴きつづけていた人が、ある日、自分の好みではない音に出くわして、翌日から聴いてくれなくなってしまうようなことも起こるかもしれない。
そんなことを全部ふくめて、私は自分のなかの多様なものをさぐりつづけていきたい。

ピアノの前にすわり、コンピューターの録音ボタンを押し、ビデオカメラの録画ボタンを押し、鍵盤に指を乗せる。
すこしだけ力をいれると、最初の音が聞こえる。
その音は、次にどんな音を求めているんだろう。
音と身体の要求に応じて、私はただ頭のなかを真っ白にし、無になって演奏という名の瞑想状態にはいっていく。

人生すっきり!「マインドフル手帳術」ワークショップ@羽根木の家

新年度がはじまってあたらしい手帳を使いはじめた方も多いんじゃないでしょうか。
あるいは1月から使っている手帳がいまいちしっくりこなくて困っているとか、新年度で職場や学校や住まいが変わったり、なにかあたらしいことに挑戦しようとしていたり。

手帳歴45年を超え、手帳(情報活用術)の本も書いたことがある水城ゆうが、最近さらに使いこなしのレベルを上げている「マインドフル手帳術」のワークショップを開催します。

・参考文献『情報活用術』ブックマン社

◎日時 2015年4月29日(水/昭和の日)10:00〜13:00
◎会場 現代朗読協会「羽根木の家」(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
◎参加費 2,000円

◎定員 10人
◎講師 水城ゆう

ご自分がふだん使っている手帳をお持ちください。
手帳ではなくタブレットやスマホでスケジュール管理をしているという方は、それをお持ちください。

ワークで使うので、ご自分の部屋の写真をお持ちください(スマホやデジカメの写真でかまいません)。人に見せるものではなく、プライバシーは守られます。ご自分だけワークのときに参照するものです。

※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらのフォームから「お問い合わせ内容」で「その他」を選び、メッセージ本文に「マインドフル手帳」とご記入ください。

【こんなことをやります】
最初に自分の内外の「気がかりなこと」すべてを書きだし、いったん頭のなかをからっぽにします(GTDの手法に似ています)。
そのための準備段階として、マインドフルネス瞑想をおこないます。
実際のワークは詳細なプロセスにしたがって、お互いにシェアしながら進めていきます。ここでは共感的コミュニケーション(NVC)の手法を用います。

参加者全員にマインドフルネス手帳の運用方法を身につけてお帰りいただきます。
あとは毎日の手順にしたがって自分の人生をクリアにし、いきいきとすごす段階へと乗り出していってください。

2015年4月9日木曜日

今日は午前中に現代朗読の「雑学ゼミ

今日は午前中に「雑学ゼミ」を開催。
雑学、といいつつ、結局は現代朗読の基礎トレーニングをしっかりやりました。
あたらしい企画として、「ラジオドラマ部」というのが発足しました。
動き出せば、げろきょから次々とおもしろいラジオドラマが発信されていくだろうと思われます。
ご期待ください。
自分も参加したい、という人はもちろん大歓迎です。

午後は某超大手がからんでいるオーディオブックの委託収録。
若手声優さんを使っての文芸作品の収録でしたが、これはもう長年つちかったディレクションスキルがものをいう世界で、このような収録のディレクターを育てるには相当な工夫が必要だろうなと思われます。
そしてそれは切実に必要とされていくだろうことが、確実に想像されるわけです。
私としては自分の能力を生かすことができる仕事なので、依頼ものとはいえ楽しくやらせていただきました。

夜は「オーディオブック収録製作コース」。
基礎トレーニングと、半七捕物帳の読みあわせなど。

こういったスケジュールの合間に、時間を盗むようにして、なんとかラジオドラマのシナリオを完成させて局の担当者に送りました。
私の作った音楽も使ってもらっていて、そのやりとりもあったり、シナリオの尺の調整もあったり、配役についての調整もあり、ただ書いて渡せば終わりということではありません。

ほかにもやりたいことがあって、しかし時間はどんどんすぎていくので、ちょっと気があせってしまいます。
こういうときはマインドフルネスの実践が役に立ちますが、それもまだまだ修行中。

明日・金曜日は日中、依頼収録がみっちり6時間あったあと、夜は草加に行って毎月恒例の〈Jugem〉での共感・声カフェ

日曜日の日中は羽根木の家での韓氏意拳の講習会
体験参加歓迎。

その夜は「次世代作家養成コース」がはじまります。

いまは書ききれませんが、ラジオドラマ部と連動した楽しい企画もすすめていく予定です。

スタートしている「オーディオブック収録製作コース」5月スタートも参加可

アイ文庫主催/現代朗読協会協力のオーディオブック(朗読本)を収録したり製作するための本格的なコースが、先週からスタートしています。
今回参加できなかった方で参加してみたいと思っている方は、5月7日(木)夜にスタートする5月スタートコースに参加可能です。

このコースは業界トップのクオリティで15年間走りつづけてきたアイ文庫が、そのノウハウのすべてを伝授する勢いで力を入れて進めているものです。
読み手に必要な要件、技術、そして製作に必要な機材、技術、配信方法、販売方法、コンテンツマーケットの現状など、ここでしか学べないものがてんこ盛りです。

近年、機材やソフトウェアが劇的に安価になり、アマチュアでも簡単にオーディオブックを作れるようになりましたが、クオリティの高いコンテンツを作るにはやはりプロフェッショナルな知識や技術も必要になってきます。
とくに、音声コンテンツの最終仕上げの段階である「マスタリング」については、音楽コンテンツのノウハウはネットや書籍で多少知ることはできますが、オーディオブックという特殊なコンテンツのマスタリングはアイ文庫の独壇場といってもいいでしょう。

一方、朗読者やナレーター、声優といった職業の人やそれをめざす人のなかには、音声・音を扱う仕事であるにもかかわらず音響知識が皆無の方もたくさん見受けられます。
最低限の音響知識を身につけることで、音響収録の現場で自分の特性を活かすことに役立てることができます。
当コースでは人の声をデジタル処理することをはじめとする音響の知識について、広くまなぶこともできます。

これらの知識・技術をあますところなく伝授し、また自分で読みたい人にはその基礎的なトレーニング法を毎回みっちり確認しながら進めていきます。
水城が書いた書籍『オーディオブックの真実』も参考にしてみてください。

自分の読んだものが、あるいは自分の作ったものが、ネットで広く配信されたり、流通できる時代です。
オリジナルなコンテンツを発信し、伝えていく楽しみと喜びを、みなさんにも味わっていただければと思っていますし、私自身としてはそのような人が増えてくれることで大好きなオーディオブックをともに作ったり楽しんだりする仲間とつながれることがよろこびなのです。

5月スタートのオーディオブック収録製作コース(5.7)
ハイクオリティのオーディオブック(朗読本)を収録・製作・配信するためのノウハウを学び、トレーニングできる全10回のコースが5月7日(木)夜にスタートします。

2015年4月7日火曜日

次世代作家養成コースではシナリオライティングも(ラジオ番組連動)

4月12日(日)夜にスタートする全10回シリーズの次世代作家養成コースでは、さまざまなテキストを扱う予定です。
「作家養成」と題していますが、その「作家」の意味するところはかなり広範囲なのです。

私はつねづね、すべての人が「表現者」になればいい、と表明していて、それは文章書きについてもおなじことです。
小説、詩、エッセイなどの文芸作品はもとより、ブログ記事、SNSのメッセージ、メール、LINEなどのショートメッセージも「表現」であり、自分自身を人に伝える手段という側面があります。
そのことについていろいろな角度から検証し、参加者にテキスト表現のクオリティをあげると同時に、オリジナリティをさぐることで自分自身を知るためのきっかけのひとつにもできるんじゃないかとかんがえています。

さいわいなことにインターネットが普及し、すべての人が気軽にテキスト表現をおこなえる環境がととのってきています。
逆にいえば、多くの人がテキスト(文字/ことば/文章)を使って自分を伝えなければならない機会が増えている、ということでもあります。
文章を書くことに苦手意識を持っているととてもつらいことになるかもしれませんね。

なので、次世代作家養成コースには、べつに(旧来の意味の)作家になりたいと思っていない人でも、気軽に参加してもらいたいのです。

さて、今日私は北陸の実家に帰省中なんですが、仕事を持ちかえっています。
某ラジオ局から依頼されたラジオドラマのシナリオ書きの仕事なんですが、どこにいてもラップトップさえあれば仕事できるのが、もの書きのいいところですね。
旅行しながらなにかを書きつづけて、それをネットにアップして読者と交流しつつ移動していく、なんてこともやってみたいですね。

このラジオドラマの仕事なんですが、じつは次世代作家養成コースへの参加者にももし興味があれば参加してもらおうと計画しています。
15分くらいのみじかいものですが、採用されれば声優さんたちが声をあてて、効果音もはいり、ラジオ番組になるかもしれません。
自分の書いたものがたくさんの人の手によって音声作品になるというのは、うれしいものです。
だから私はこの30年というもの、ずっとラジオ制作にかかわりつづけてきたといっていいでしょう。

シナリオライティングに興味があって、次世代作家養成コースに参加してくれれば、ラジオ局名(地方局ですが)や番組のテーマをお伝えします。
オンエアの同録も聴いていただきます。
そしてもちろん、書き方の指導・アドバイスもさせていただきます。
みなさんのご参加をお待ちしてます。

4月スタートの次世代作家養成コース
テキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための全10回コースが、あらたに4月12日(日)夜からスタートします。

2015年4月6日月曜日

楽しい「修行」としての現代朗読

「修行」といっても宗教的なものではありません。
生活の質を向上させたいと思うとき、私たちはさまざまな練習をしたり、稽古に通ったり、訓練したりします。
これらを総称して「修行」といっておくことにします。

私はいま、自分の「修行」のひとつとして、韓氏意拳という武術を稽古しています。
けっこうマニアックで、あまり知られておらず、習う人もまだまだ少ない武術ですが、自分の必要で毎月何度か稽古に通っていますし、自宅でも自主的に稽古しています。
また古民家の「羽根木の家」という活動拠点があるので、指導者を招いてそこでも毎月一日、講習会を開いています。

私のようなピアニスト・文筆家にとって、武術になんの必要性があるのか、と思われるかもしれませんが、いまや韓氏意拳の稽古をしないと「困る」というほど私にとって重要性を持っています。

一般的な武術は、中国拳法にしても空手にしても、剣道にしてもボクシングにしても、「型」や「所作」「やり方」「パターン」などを身につけると同時に、それらに必要な筋力やスピードを鍛える、という方法をとります。
しかし、韓氏意拳はそういう方法をとりません(まったくとらないわけではありませんが)。
韓氏意拳でもっとも重要なことは、自然本有の自分の身体の声に耳をかたむけるということで、たとえばある危機が迫ったときに自分の身体がそれにたいしてどのような「現れ方」をするのか、ということを見ます。
部分的に力を使ったり、型ややり方を用いたり、ということはしません。

ひとことで説明するのは難しいんですが、ようするに稽古でおこなうのは、徹頭徹尾、集注して自分の身体の声に耳を傾け、自分の体層の深くへと進入していく、ということです。
極度に集注したマインドフルネスの状態であり、言語思考を手放すという意味において一種の瞑想といってもいいかもしれません。

この稽古が、ピアノ演奏や朗読演出、そして文章書きにとても大きな(よい)影響をあたえてくれるのです。
仕事だけでなく、日常生活でも、料理したり掃除したり、歩いたり電車に乗ったり、といった場面でもよい影響があります。
おそらく、健康面でもよい影響があるでしょう。
韓氏意拳には「養生功」というものもありますし、中国では太極拳でわかるように、拳法を健康法のひとつとして用いるという流れがもともとありますね。

私の場合、自分の仕事や生活に影響をあたえる「修行」として韓氏意拳を用いているわけですが、韓氏意拳でなくてもいいと思います。
人はそれぞれ自分にあった修行法を見つければいいのです。
ピアノを弾くことが修行法だという人もいるでしょう。
あるいは読書だったり、呼吸法だったり、スケッチだったり、散歩だったり、ラジオ体操だったり、ヨガだったり、自転車だったり、テニスや水泳だったり、修行だとは思わなくても多くの人が自分の生活の質を向上させるためにいろいろなことに取りくんでいると思います。
「現代朗読」もそのようなことのひとつとしてありうるな、と最近思っています。


人はことばで高度なコミュニケーションをおこなう唯一の生き物です。
人にとってことばや声というのはとても重要かつ特別なものです。
赤ちゃんを見ていると、おかあさんがなにか話しかけたとき、そのことばの意味はわからないのに、懸命にその声に耳を傾けようとします。
自分のおかあさんの声を聞き、味わい、識別し、そこにふくまれる情報を受け取る練習をしているんですね。

そのように絶え間ない訓練を経て成長した我々は、人の声にたいして繊細な感受性を持っています。
だれかがなにかを話したとき、そのことばがしめす情報のみならず、声にふくまれる情報をも受け取り、無意識に分析しています。
だれかから「おはよう」と挨拶されたとき、その相手が機嫌がいいのか悪いのか、身体の調子がいいのか悪いのか、友好的なのか敵対的なのか、さまざまな情報を受け取って判断しています。

ある人がなにかを読みあげるとき(朗読するときといってもいいです)、その人の注意がただ文章の内容に向けられ、その内容を伝えようと口先だけ動かしているのと、自分の呼吸や姿勢や全体的ありようや、あるいは周囲のようすまで把握して読んでいるのとでは、伝わるものの質がまるでちがいます。
たとえば、自分の呼吸に目を向けてそれを把握しながらだれかと話してみてください。
そこに現れるコミュニケーションの質の違いに気づいてびっくりするかもしれません。

いきいきとしたコミュニケーションや表現行為では、過去を持ちこむこともまたいきいきさを阻害することになります。
練習したとおりに読もう、準備してきたとおりにやろう、あらかじめこういおうと用意してきたことを話す、といったことです。

朗読についていえば、読み方、間の取りかた、トーンの上げ下げ、リズムの変化にいたるまでびっしりとテキストに書きこみをして練習し、本番でもそれをそのとおりに再現しようとする人がいます。
そこにいきいきさはあるでしょうか。

人はたえず変化する動物です。
練習したことをなぞったり、あらかじめ決めたようにおこなおうとするのは、過去を現在に無理やり持ちこむ行為です。
過去の自分といまこの瞬間の自分とはちがいます。
流動的な変化のなかでもなおかつ自分自身の能力を発揮できるように稽古しておきたいのです。

現代朗読では、朗読という行為をとおして自分自身の身体性や感覚の変化を見ていきます。
韓氏意拳で、ある型やおこないをとおして本来の自分の身体を深く見ていくようなものです。
とくに朗読することが目的でない人でも、たとえば朝起きて、なにか読むものを手にとり、現代朗読のトレーニング法をもちいて自分自身の今日の感じ、ありよう、変化を緻密に感受することからスタートしたら、その日の生活の質はちょっとちがったものになるかもしれません。
また、だれかと話すとき、あるいはひと前で話す必要があるとき、現代朗読のトレーニングでつちかった体認やマインドフルネスをこころがけることができたら、コミュニケーションや表現の質はかなり変わってくるかもしれません。

すくなくとも私は、ピアノを演奏したり、ひと前で話したり、だれかと交流したり、といったときに韓氏意拳や現代朗読のトレーニングでつちかった体認・マインドフルネスというスキルが大変役に立っていることを感じるし、さらにそこを深めていきたいと思っています。

座禅やヨガは挫折したけれど、朗読トレーニングならとっつきやすくてつづけられるかもしれない、という人がたくさんいそうですね。

4月の現代朗読体験講座
朗読をはじめてみようと思っている方、すでにやっているけれど物足りなさや壁を感じている方、その他表現に興味のある方、まずは進化しつづける現代朗読を体験してみませんか。

2015年4月4日土曜日

朗読ライブ出演コース、はじまった

今日の午後は「朗読ライブ出演コース」の1回めを開催した。
午後2時半から5時までの2時間半。

現代朗読のライブは、あらかじめ仕組まれたこと、準備されたこと、予定されたことを可能なかぎり手放して、「いまこの瞬間」の自分自身のいきいきとしたありようを表現することをめざす。
他人が書いたテキストを用いるけれど、それを表現の根拠とするのではなく、それに触発された自分自身の生々しい存在を表現する。
表現の主体はテキストではなく、あくまで朗読者自身だ。

今日はまず、朗読表現にあたってまずは把握しておきたい3つの要素「Body」「Brain」「Sensor」について解説した(ひさしぶり)。
それを押さえた上で、現代朗読の基礎トレーニングを緻密に、丁寧におこなった。

呼吸、身体、発声、体認。
これらのことがエチュードの形で手順化されている。
緻密にやったおかげで、さまざまな気づきが参加者から出てきて興味深かった。

自分の身体の声や、自分が受け取っている情報に気づきながら朗読をおこなって表現者と、それらをシャットアウトして朗読している者との表現の質の違いは、容易に想像できるだけでなく、実際にも明らかだ。
現代朗読のエチュードは、朗読者だけでなく、いろいろな表現者にとっても気づきの多いものではないかと思う。
たとえば音楽家、舞踏家、小説家、美術家といった人たちにも。

5月スタートの朗読表現基礎コース
従来の朗読とはまったく異なったアプローチで驚きを呼んでいる「現代朗読」の考え方と方法を、全10回で基礎からじっくりと学ぶためのコースが、5月2日(土)からスタートします。

ごちゃごちゃブログ対策?

当ブログ「水の反映」はごらんのとおり、さまざまな種類の記事が入り乱れてごちゃごちゃしている。
読者に親切なブログ、人気のあるブログは、どれを取ってもテーマがはっきりしていて、そのテーマについて知りたい人にとっては有用な情報がまとまっている。
私のこのブログはさまざまな話題が混在していて、こちらは関心があるけれどそっちはどうでもいいという話が同列にならんでいて、まったく親切ではない。

いっとき、複数のブログを立ちあげ、テーマごとに書き分けようとしたこともあるけれど、面倒だったのと、結局はどれもこれも自分のことなんだからと、外側に向かって親切心を発揮するのはやめにした(というよりあきらめた)。
ここには私の日記的な記述のほかに、現代朗読、音読療法、マインドフルネス、瞑想、音楽、韓氏意拳、料理、コンピューターなど、雑多な記事が混在している。
それにしても雑然としすぎているので、せめてそのなかからほかのブログに転送したほうがいいと思われるものについてはピックアップしようと思って、今日は助っ人を呼んでその作業をお願いすることにした。

1年ちょっと前から現代朗読協会のゼミ生である大学生の満里菜にお願いしたら、こころよく引き受けてくれた。
私のブログを時々チェックして、これは現代朗読協会のブログに、これは音読療法協会のブログに、それぞれ転載しといたほうがいいと思われるものについて、判断してその作業をやってもらう。
私がやればいいのだが、そして実際にこれまでは時々私も忘れなければやっていたのだが、頻繁に忘れてしまうし、手間もたび重なれば負担になる。
満里菜がやってくれると思ったら肩の荷が軽くなった。
これからは分類とか転載とか気にすることなく、ごちゃごちゃと好きなように書くことができる。
これもそう。

今日の昼はその打ち合わせをかねて、お昼ご飯をいっしょに。
春なので、アサリと菜花(とシメジ)のスパゲティを作る。
玉ねぎとじゃがいもの生姜スープも。