この季節になると思いだすのは、雪原の風景だ。
私は北陸の片田舎、福井県勝山市という山間部の街に生まれた。九頭竜川の中流域にある街で、盆地だが、川が流れこみ、また流れでていく、両側に開かれた形状の盆地である。白山の麓にあり、全国有数の豪雪地域でもある。
越前の奥まった地域、奥越という名前がついている。全国積雪地図を見れば、新潟の一部と、この奥越だけが真っ赤になっている。積雪が2メートル、3メートルということも珍しくない地域だ。
なので、いまでも雪を見ると反射的に嫌悪感をおぼえるが、雪かき労働を強いられない子どものころは、雪も楽しかった。ものごころつく前からスキーに親しんでいたし、雪遊びもいろいろとやった。
雪の思い出としてもっとも心に刻まれているのは、雪原の光景だ。
私の家は田舎町のまちなかにあったが、学校は街はずれにあった。当時は国道がまちなかを通っており、私の家もそのすぐそばにあった。学校に行くにはその国道沿いをずっと南に1キロほど歩いていく。国道を渡らずにすむのだが、ときにわざと国道の向こう側を行くときもあった。
国道の向こう側はほとんどが田んぼで、家は当時、ほとんど建っていなかった。農家がぽつんぽつんとあるくらいで、あとは農作業小屋がいくつか建っていた。
雪が降り積もり、一面の雪原になったあと、天候が回復して日が照ったりすると、雪の表面が溶けて水っぽくなる。
そのように晴れた日の夜は、放射冷却現象で冷えこむことが多い。気温が氷点下になり、溶けた雪の表面は、翌朝、かちかちに凍りつく。
凍りついた真っ白な雪原の上を歩いていくのが大好きだった。田んぼの上はほとんど真っ平らで、学校までの1キロほどの距離が見渡せる。道も関係なく、ヨットのように蛇行しながらかけたり歩いたりして行くのが、たまらなく楽しかった。
寄り道して山裾のほうまで行くと、やはり凍りついたウサギや野ネズミの足跡が雪の上についているのを見つけることもできた。点々とかわいらしい足跡が山から出て山に戻っている。
よく凍りついた表面は大人が歩いてもびくともしないほど硬かったが、学校から帰るころになると、ややゆるんでくる。まだ表面は硬いのだが、ぴょんと跳ねたり、走ったりすると、ときに氷が割れるようにズボッと靴が雪のなかに埋まったりする。それがまた楽しいのだ。
積雪でほとんど埋もれたようになっている農作業小屋の屋根にあがり、そこから飛び降りてわざと雪に埋まったりする。長靴が抜けなくなって往生したこともあるが、楽しい遊びだった。友だちとおおぜいで遊んだり、ひとりでもそんなことをやりながら帰ったりした。
いまとなっては懐かしい思い出だが、今日のように冬型の気圧配置で、東京も北風が強く、「北陸は雪」という予報を聞くと、そんなことを思いだす。