2018年10月31日水曜日

すこしずつ長く走れるようになってきた

私が最近ランニングをはじめて、以前は走れなかったのにすこしずつ走れるようになってきたことについては、こちらの「走れる(喜)!」という記事にもくわしく書いたけれど、あいかわらず週に何回かは走りつづけている。
そして今日は、連続ランニング記録をまたすこし伸ばすことができた。

たかだか1,000mを数百メートル超えたくらいの距離なので、ふつうに走れる人から見たらなにをそんなに大げさにと思うかもしれないが、膝の故障で20年走っていなかった、そして一生走ることはないだろうと思っていた私にとっては、ちょっとした事件なのだ。

距離はすこしずつ、しかし確実に伸びていて、またこれは今後も伸ばしていくことができるだろうという体感がある。
やがて1,500メートル、2,000メートル、そして3キロ、4キロ、5キロは夢ではないかもしれない。
別にマラソンランナーをめざしているわけではなくて、ある程度負荷のかかる運動(心拍数が160を超えるような)がこの年齢になっても持続的にできるように持ちなおしていけるのだ、という一種の実験がおもしろいのだ。

この年齢、というのは61歳のことだけれど。

身体的にある程度持ちなおしていけるということは、あたまや精神の働きもある程度底あげしなおせるということでもあるかもしれない。
とはいえ、身体とあたまと精神を別々に切りわけてかんがえることはなくて、たとえば私の場合、ピアノの即興演奏をするのは、これらすべてを総動員する行為だといっていい。
身体だけ鍛えてもだめだし、あたまだけ、こころだけ鍛えてももちろんだめだ。

ピアノの即興演奏には身体的負荷のほか、集中力や創造性、感受性など、自分が持っている能力をフル動員するようなところがある。
ピアノ演奏だけでなく、小説を書くなどという行為もじつは全体性が必要だ。

人生の終盤といっていい年齢に差しかかってきたけれど、これまで身につけてきたさまざまな能力をもう一度結集させ、フル動員させ、さらに磨きあげていくことで、どこまで自分を最大限発揮できるのか、楽しい挑戦だと思ってわくわくしてたまらない。

2018年10月29日月曜日

映画:しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス

泣いた。
いい映画だった。

今年・2018年公開のカナダとアイルランドの合作映画。
監督はアシュリング・ウォルシュという人(知らない)。
10年以上前に「荊の城」という映画を作っているが、私は未見。

これは実在の画家モード・ルイスの半生をモデルにした映画らしい。
モード・ルイス役をサリー・ホーキンスを演じている。
どこかで見たな、しかも最近……と思ったら、「シェイプ・オブ・ウォーター」の主役で、この映画でアカデミー主演女優賞を取っている。
これも大変よかった(こちらのレビューは書きそびれているが)。

モード・ルイスは重度のリューマチを病んでいて、親戚からもうとましがられ、ひどい仕打ちを受けている。
ただひとつ、絵筆を持って好きな絵を描くことだけがささやかな幸せで、そのために自分の居場所と自立を求めて、家政婦の仕事に出る。
それが夫となるエベレット・ルイスの杣屋《そまや》であった。

本当に質素で、粗末な家なのだが、そこでささやかな自分の時間を見つけていくモード。
そしてある日、彼女の絵に価値を見出す女性があらわれ、モードは徐々に画家として知られるようになっていく。

一種の女性の自立の物語だと感じたのだが、その自立が特別な才能・才覚や人なみはずれた努力や運ではなく、ただありのまま、自分のささやかな幸せを大切にすることだけで成立していくという点が、ほかの成功・自立物語とは異なっているように思える。
そしてそのような人が実在したのだというところに、勇気をもらえるのだ。

夫のエベレット役のイーサン・ホークもよかった。
エベレットは実直な、しかし古い時代の暴力的な男性性を象徴するような存在なのだが、そのなかにもモードにたいする正直さと誠実さがあらわれている。

美しい(だけど荒涼とした)風景と、絶妙な音楽。
引きの画面と寄りの画面の巧妙な構成、静けさと抑制のきいた音楽の絶妙な組みあわせ。
ひさしぶりにサウンドトラックを聴きたいと思いながら、エンドロールでは涙が止まらなかった。

2018年10月28日日曜日

餃子とスイーツのダブルで食の充実日

昨日は食の充実日。
ひさしぶりに餃子を作ろうと思いたち、仕込む。
しいたけの代わりにしめじを使い、みじん切りにしたものを鶏がらスープに浸けこんでみる。
それを肉、にら、キャベツといっしょに混ぜこんで、皮に包んで焼く。

思惑通り、たっぷりとスープを含んで、まるで小籠包のような仕上がりになって、なかなかの出来上がり。
焼け具合もほどよくできて、満足。

そのあと小浜さんが打ち合わせに来て、これまた絶品のスイーツを差し入れてくれた。
生クリーマーの私としては最高の一品。
これ、なんていう名前のスイーツだっけ?

そのあと、野々宮が焼いたインデビジブルなんとかというもケーキも切って、ちょっと食べすぎ。
でもおいしかった(写真を撮り忘れたけど、まだ残ってるのでつぎは忘れないように撮る)。

その合間に InDesign に直接執筆するという荒技を試してみて、これがなかなか具合がよかった。
原稿の進み具合がそのまんま書籍の形になっていくのがよいな、これは。

ムイスケッチ、武術の自主稽古会、にぎやかで孤独な環境

年末にリリース予定の『共感的コミュニケーション2019』の表紙絵にするためのスケッチ。

金曜日は午前11時から韓氏意拳の自主稽古会。
数か月前からしつこく開催していたんだけど、これまで私以外の参加者はいなかった(つまりだれも来なかった)。
が、初めて参加者が三人来て、楽しく稽古。
韓氏意拳はひとり稽古が基本とはいえ、いっしょに稽古したり、いろいろ確認しあったりできるのは楽しいし、進展があるなあ。

午後はNVCの基礎づくりコース参加者のための「家開き」を野々宮とのぞみさんが上のリビンクでやるというので、私は下のスタディルームで仕事したり、編み物したり、映画を見たり。
上でなにやらにぎやかに集っているなか、ひとりのスペースが確保されていてそこで自分のことをやれるというのは、なかなか幸福な環境。
まったく静かな孤独な環境もいいけれど、こういう感じも独特の集注があっていい。
いま、主催のイベントやSNSでの交流など、いろいろなことを整理して、執筆・製作に集中できる環境を構築しつつある。

夜は私もリビングに呼んでもらって、みなさんといっしょにのぞみさんが作ってくれたおいしい晩ご飯をいただく。
のぞみさん、いつもありがとう、ごちそうさま。

10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。

2018年10月26日金曜日

コンテンツというアウトプットのための流れ(フロー)

春野亭の前の道の風景、昨日の午後。
こんな街なかであっても、空と光線の具合がいよいよ本格的な秋を感じさせる。

今日は午前中に韓氏意拳の自主稽古会。
参加者四人で、私以外は全員女性。
韓氏意拳は健康や美容にもいいんですよ(きっと)。

毎日たくさん、ブログやSNSに文章を書いているけれど(垂れ流しているともいう)、いよいよこのエネルギーをコンテンツというアウトプットに向けて集中・集約していきたいという気持ちが高まってきている。
つまり、本を書く、映像コンテンツを作る、音楽を作る、そういうものだ。
もともと私は作家なので。

そのための「環境」整備を今日からしようと思っている。
環境というのは、仕事場を確保するとか、掃除するとか、そういうことではない。
いまや私の仕事場はラップトップ・コンピューターなので、その環境整備をするということだ。
とくに執筆・書籍化のフローはしっかり確保したい。
毎日書き、それを書籍コンテンツにする流れとしては、どういうものが快適なのか。
このあと、試行と検証に取りかかる。

2018年10月25日木曜日

楽しみな国立〈アグレアグル・ミュゼ〉でのパフォーマンス公演

オーストラリアから一時帰国した矢澤実穂さんから、お土産のユーカリとオリーブオイルの石鹸をいただいた。
実穂さんとは11月3日(土/文化の日)の夜、国立〈アグレアブル・ミュゼ〉で彼女のダンスと野々宮の朗読と私のピアノとで、パフォーマンス公演をおこなうことが急きょ決まった。

この三人でおこなうパフォーマンスは「FLARE m3」と称していて、今回で(ごくみじかいセッションも勘定にいれれば)四回めとなる。
清里のNVCのIITという合宿で、国立のさくらホールで、渋谷の文化総合センターで、そして今回の国立アグレアブル・ミュゼで。
「m3」というのは、実穂さん、野々宮のNVCでのネーム・まり、そして私・水城の頭文字をあらわしている。

年に一度あるかないかの機会なので、ぜひともお立会いいただきたい。
私もとても楽しみにしているし、即興ピアニストとしての私のもっとも先っちょの部分を聴いていただくことができるので、ご来場大歓迎なのだ。

午後7時開演。
詳細と申し込みはこちらをご覧ください。

もうすぐ折り返し地点の腹巻帽子

あと数センチでようやく前半部分が編み終わる腹巻帽子。
あと半分は糸を変えて、リバーシブルの帽子兼ツートンの腹巻になる予定。
目を見てみると、編みはじめは目を飛ばしたり、抜かしたり、けっこうぼろぼろなんだけど、だんだんきれいに揃ってきて、きれいになってる。
この一本めは練習として、二本めからは人にあげられるようなものが作れるかな。
それにしても、時間がかかる。
糸が細いせいもある。
二本めはすこし太い、六本ヨリの糸でやってみよう。

エコアンダリアのどんぐり帽子を追加でまた作ってほしいと頼まれた。
うれしいな。
大人がみんなこれをかぶって歩いてたら平和だな。

今日も朝から走ってきた。
なんとなく重いので、無理せずいつもとおなじ距離。
ただしスピードをちょっとだけあげてみる。
そして心拍数がもとにもどる時間は確実に短縮されている。
こんな年齢でも身体能力をあげていくことは可能なんだということは、頭ではわかっていたけれど、実際にやってみるとどのくらいそうなのかがちゃんとわかるのがおもしろい。

今日と明日、個人セッションを受け付けられる時間がたくさんあるので、なにか解決したい問題やシビアな問題を抱えている人、悩みがある人など、歓迎です。

映画:教誨師

うちから一番近い映画館である立川の CINEMA CITY で観てきた。
監督(脚本も)は佐向大。
1971年生まれとまだ若いが、監督歴はずいぶん長いようで、作品もたくさんあるが、ほとんどがマイナーな作品で、私も名前を知らなかった。

しかし、この監督は注目株だと思う。

ふだん日本映画を観ることは少ない私だが、NVC関係の知り合いにクリスチャンが多いこともあって、この映画のことを知った。
「教誨師」とは、刑務所で希望する囚人にボランティアで話を聞いたり、宗教の話を説いたりするボランティアの牧師のことだ。

牧師とはプロテスタントの用語なので、神父とか、ほかにも仏教や他宗教の宗教家がいるのかもしれないが、この映画では牧師役を今年の2月に亡くなったばかりの大杉漣が演じている。
そう、この映画は大杉漣の遺作でもある。

全編をとおして、音楽はまったくない。
そしてほとんどのシーンが室内での教誨師と死刑囚との対話だ。
個性的な死刑囚が何人も出てくる。
それぞれが勝手なことをしゃべったり、沈黙を守ったり、苦しんだり、泣いたりわめいたり、さまざまな表情を見せる。
役者の見せ所ともいえる。

フィクションなのでぼかしてはあるけれど、実際に起こった事件とその容疑者を想定していることがうかがえる。
それぞれの役者がそれぞれの容疑者——その後死刑囚——を演じている。

私は知らなかったのだが、玉置玲央という若い役者が印象的だった。
障害者介護施設での連続殺人事件を想定する語りがつづく。
そこで彼がいう人の命、この現代社会の矛盾、そして死刑制度というものに対する問題提起は、なかなか衝撃的である。
いい役者だと思った。
東京の劇団「柿喰う客」のメンバーらしい。

ほかにも五頭岳夫、古舘寛治、光石研といった印象的な役者が出演しているが、なかでもびっくりしたのが烏丸せつこだった。
汚れ役を見事に演じていて、私はしばらく彼女だと認識できなかった。
そんなことも含めて、一見の価値はある映画だなと思った。

2018年10月24日水曜日

ローカライズ/パーソナライズに突き進んでみるよ

共感的コミュニケーション(NVC)を自然な日本語、日常的な自然言語と身体性で使えるようにしようという、ローカライズとパーソナライズに情熱を持っている私だが、このところその手がかりを多方面からつかみかけていて、ぜひみなさんとシェアしたり、研究したり、練習したいと思っている。

近日のイベントでもそこに焦点を絞った内容にしていきたいとかんがえているので、お付き合いいただける人がいたらありがたいかぎりである。

もうこれは「水城式共感術」でいいよな、といわば開きなおっているわけだが、アプローチはいくつかの面がある。

・音読(朗読)や身体表現に用いた「いまここ」の自分自身に気づき共感していくマインドフルネスのワーク(表現ワーク)。
・編み物など手仕事をしながら平和・安心な場でなんとなくつながりあい、聞き合うワーク(縁側ワーク)。
・文章を書くことで自分に深く気づいたり、相手の文章を共感的に読むことでテキストによるコミュニケーションを深めるワーク(テキストワーク)。

これらを組み合わせれば最強だと感じているし、どれかひとつのアプローチでも共感を身につける実践になると思う。
チャンスがあれば参加してみてほしい。

10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。

10月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

11月24日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
心身の健康向上・調整・未病・活力向上に力を発揮する音読療法(ボイスセラピー)と、人間関係や自分自身とのつながりの質を作ることに力を発揮する共感的コミュニケーションを組みあわせていいとこ取りをするカフェ形式の勉強会です。

秋は運動、人生の秋も運動は楽しいな

昨夜は韓氏意拳の駒井火曜クラス@昭島スポーツセンターだった。
ある程度の固定メンバーで体系的な稽古を進めていけるのは、ほんとにありがたい。
このような練習の機会を提供していただいている駒井先生には感謝(ご負担も多いだろうと思うのだが)。

メンバーがそろうまで、重さ2キロの麦入りバッグを投げ回したりして、ちょっとした遊びをかねたウォーミングアップ。
子どもにもどったみたいで、たのしー!

参加者のリクエストもあって、初級教程の頭から順次すすめていく。
形体訓練から站椿、そして試力へ。

そのあとは駒井先生が独自で工夫された対人接触をともなう稽古。
韓氏意拳では基本的に対人稽古はやらないのだが、ある程度武術や競技の心得がある人ならいざしらず、人との接触の経験がまったくない人が基本稽古だけやっていても、いざというときには「使えない」だろうという駒井先生の持論があって、その部分には私も同意できる。
というのも、実際に対人稽古をやってみて、そのあとにふたたびひとり稽古で基本の站椿などにもどってみると、自分の「穴」が明確になっていて稽古の要点がはっきりするからだ。

昨夜は受け手の肩口にこちらの肩を接触させて歩法で位を取る稽古と、相手の肘のあたりと首に手をそえて順式から逆式への転体で動く稽古。
とくに後者はおもしろかった。
こちらが充分に「腰をおろし」、状態にはいって転体したとき、相手はこちらの質量によっておもしろいようにゴロンと移動し、なおかつ自分自身も相手の重心移動にともなって前へと進む、という変化がある。
この変化を、もう一度基本の技撃椿にもどって順式、逆式とやってみると、その関係性がはっきりとわかる。

たぶん、ひとり稽古にもどって站椿をおこなったときにも、この対人稽古の感覚は重要になるのだろうと思う。

そんなわけで、今朝は足腰にかなりきていたのだが、がんばって走ってきた。
いつもとおなじくらい走り、ちょっとだけ(ほんの100メートルだが)がんばって距離をのばしてみた。
走りはじめて初めて心拍数が170を超えた。

10月29日:国立・韓氏意拳初級講習会
駒井雅和中級教練による国立での韓氏意拳初級講習会を10月29日(月)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催します。

10月29日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を10月29日(月)16時から約2時間の開催です。

YouTube:ピアノコンサート@福井県立病院 2018年秋の抜粋

2018年10月10日。
数か月に一度のペースでおこなっている福井県立病院エントランスホールでのボランティア・ピアノコンサートの記録映像の抜粋です。
「里の秋」「紅葉」「赤とんぼ」など、即興変奏で約10曲をお送りしました。

 ピアノ演奏:水城雄

映像はこちら

2018年10月23日火曜日

幸せな引きこもりの日々と水城式共感術について

先週からしばらく、韓氏意拳の稽古と買い物に出かける以外はほとんど国立の家に引きこもって、映像編集したり、あたらしいガジェットをいじったり、編み物したり、料理したり、映画を見たり、しんなりとひとりの楽しい時間をすごしていた。

いまは輪針で腹巻帽子を編んでいて、これはひどく時間がかかる。
いま編みはじめて4日めくらいだが、まだ15センチくらいしか編めていない。
全部で52センチ必要なのだ。

もちろん、ずっと編みつづけているわけでなく、なにかをする合間にちょこちょこと針を持つ。
それでも、しつこく編みつづけていると、だんだん上手になっていくのがわかる。

あまりにも進まないので、昨日は立川のユザワヤに行って、おなじオパール毛糸のすこし太めのものを買ってきた。
ふつうのオパール毛糸は4本ヨリだが、これは6本ヨリ。
こっちのほうがなんとなく暖かそうな感じがする。

いま編んでいる腹巻帽子を仕上げてから6本ヨリのものを編みはじめようか、それともすぐに編みはじめようか、迷っているところ。

引きこもってはいるが、振り返ってみると、土曜日にはゼミ生のゆきこさんと朗読収録をしたし、午後には共感音読カフェを開催した。
共感的コミュニケーション、すなわちNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を知ってまだ日が浅い方の参加が多かったのだが、みなさんと話していて確信したのは、こういうことだ。

私がこのところ情熱を持っているのは、NVCを教えることではなく、NVCを日本語や日本の社会風土や個々人にローカライズ/パーソナライズすることなんだ、ということ。
そしてそれもまた、私自身の固有の経験にもとづく、いわば「水城式共感術」とでもいうようなものであり、それを伝えたり、いっしょに練習したりしたいのだ、ということ。

おまえがやっているのはもはやNVCではないよ、といわれてもしかたがないかもしれないと思う。
しかし、NVCがめざす世界と私が大事にしていることが一致しているという体感はあるので、水城式でいいではないか、とここ何日か引きこもりながらかんがえていることである。

10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。

2018年10月22日月曜日

YouTube:菅原稔作「音が聴こえなかった愛犬ジュディ」朗読・勝木雪子

生まれつき音が聴こえない犬・ジュディとの、フリスビーでの遊びや競技会出場を通しての交流で気づいた多くのことを、みずからも病を得た菅原稔さんがフェイスブックに発表した文章を、現代朗読ゼミ生の勝木雪子が朗読作品にすることを希望し、収録しました。

 作:菅原稔
 朗読:勝木雪子
 ピアノ演奏/演出:水城雄

映像はこちら

2018年10月21日日曜日

書く人、読む人、編集する人、本を作る人、大募集

チャリティーバザールから返ってきたエコアンダリアの手編み帽子。
子ども用もしくは頭囲の小さな女性用、ほしい方おられれば差し上げます。

梅村マルティナさんの腹巻帽子を輪針で編んでいる。
糸が細いのでなかなかはかどらない。
が、棒針もだいぶ慣れてきた。
かぎ針に比べてけっこう雑に編んでも目がそろうことがわかってきた。
かぎ針より棒針のほうが入門向けというのが納得だが、なぜか私はかぎ針からはじめてなかなか棒針になじめずにいた。
やっと克服できるかな。

今日はそんなことをしながら、NPO法人関連の書類作りやら、揚げ物やらやりましょう。
外はいい天気なので、あとでちょっと散歩に出よう。

夜は身体文章塾。
なにか作品を書いていないと参加できないように思いこんでいる人がいるみたいだが、そんなことはない。
読むだけの人も歓迎。
読んでくれる人もいなければ作品を書いてもはりあいがない。
また身体文章塾では機関誌『HiYoMeKi』の編集を手伝ってくれる人も募集中。

10月21日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。10月の開催は21(日)/28(日)、いずれも19時から約1時間半程度です。

2018年10月20日土曜日

朗読の収録、共感入門者たちとの交流、課題山積の撃研

今日は濃い一日だった。
午前中、ゼミ生のゆきこさんが来て、ある事情から収録を急ぐことになった作品の朗読(と即興ピアノでの共演)を収録。
ゆきこさん、ものすごくがんばった。
明日には編集を仕上げてしまいたい。

ゆきこさんに預けてあった「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」のチャリティーイベント用の帽子の残ったやつが返ってきた。
いくつか売れたとのことで、微力ではあるけれど協力できたことがうれしい。

お花をいただいた。
かわいいブーケで、心使いがありがたい。

収録後、〈パスタ・ファクトリー〉でランチ。
この店は3回めだが、まだ試していなかったミートソースをいただいてみる。
なかなかおいしかった。

午後は共感音読カフェ。
今日はオンラインで参加したひろこさん以外、全員が共感的コミュニケーション(NVC)に接してまだ月日がみじかい入門者の人ばかり。
私の勉強会でこういうパターンは、最近ではめずらしい。
とはいえ、「教える」とか「解説する」とかはやりたくないので、みなさんの話を聞いたり、私の経験を伝えたり。

リクエストで「朗読してみたい」というのがあったので、会の終わりのほうでマーシャルの本に載っている詩の一部をみんなで音読してみる。
詩の意味ではなく、それを読んでいる自分自身を繊細にとらえることを試みてもらったのだが、短時間でうまく意図が伝わったかどうかは疑問。

参加してくれた皆さんには感謝だけれど、私ではいたらないNVCについての講義やプラクティスについては、ぜひともほかの講座やワークショップに行ってみてほしい。
とくに日本人トレーナーが何人も誕生しているので、その人たちのワークに参加してみることをおすすめする。
その上でまた私の(主流からはずれているかもしれない)場が必要だと感じた方がいたとしたら、うれしいことではある。

今日参加してくれた方のひとりがクロモジの枝を持ってきて、それでお茶をいれてくれた。
初めて飲んだが、おいしかった。
山の仕事のおこぼれをいただくことができた。ありがとう。

夜は韓氏意拳の駒井先生による「技撃研究会」に参加するため、昭島スポーツセンターに行く。
韓氏意拳の稽古体系にはない対人稽古をおこなう。
毎度のことだが、自分の課題が山のように噴出して、いやになってしまうことを通りこして笑ってしまう。
しかも、以前からわかっている課題がまったく克服できていない自分がいて、落ちこむ。
が、いやになること、落ちこんでしまうことは、自分自身になにが必要なのかを教えてくれているはずと思いなおし、そのための自主稽古を自分なりに組みたててやってみるしかない。
女性も参加していて、ちょっと痛い思いをさせてしまったのも、ほんと申し訳ない。

映画「ジェーン・ドウの解剖」

2017年公開のイギリス映画。
監督はアンドレ・ウーブレダル。
知らない。

いやー、びっくりした。
なんか息抜きに観るおもしろそうな映画がないかなと思って、NETFLIXで、全部観るつもりじゃなくて出だしのところだけブラウジング的にちょいちょいとつまみ見していたところ、これに出くわした。
つまみ見が上手になってくると、出だしの数分を見ればそれが自分にとってよい映画なのかどうか、すぐにわかる。
これは最初の1分で「あたり」だと思った。

一家が殺戮された凄惨な殺人現場の地下室から見つかった、まったく損傷のないきれいな遺体。
主役の親子は、その遺体を扱うことになった検死官で、そこはなぜか遺体安置所と火葬場にもなっている(イギリスではそういうシステムなのか?)。

「名無しの権兵衛」を女性にして英語でいうと「ジェーン・ドウ」になるらしいが、身元不明のその遺体をふたりが解剖していく。
非常にリアルで、血とか内臓とか皮膚を切り裂くシーンとか、その手のものが苦手な人はまず見ないほうがいい。
あと、これは声を大にしていっておこう。

気の弱い人はけっしてひとりで見ないでください。

私はうっかりひとりで見はじめてしまって、途中で目を離せなくなって、そしてひさしぶりに、

「肝を冷やした」

たいていのホラーとかサスペンスとかスプラッタなものも含めてたくさん観てきたけれど、この「ジェーン・ドウ」はひさしぶりに心底こわかった。
はじめて「エクソシスト」を観たときのこわさにちょっと似ているけれど、あれをもっと知的に、リアルに、そしてオカルト色を慎重に抑えて丁寧にした感じで、その分心理的な恐怖が増幅される。

いっておくけれど、前半はとくに、遺体を解剖するだけの映画なのだ。
ところが、不可解な事実がつぎつぎと明るみになっていって、気がついたら怖ろしい仕掛けに観客は巻きこまれる。

難をいえば、後半がややサービス過剰でわかりやすく作ってあり、興行的にはそれが必要なのかもしれないが、押さえた筆致の前半とのバランスがやや悪いように感じられる。

「大変気持ち悪い映画だが、私の好きな映画の一本に入れてもいいな」

という気分になっている。
前半を観て、ひとりで観るのはとても怖ろしくて中断してしまったのだが、結局気になって、あとで最後まで観てしまった。
今夜はきっと、夢をみる。

2018年10月19日金曜日

高橋透先生の治療会で自分の全体性を実感する

山形の韓氏意拳教練・高橋透先生が昭島K-Studio(駒井先生宅)で隔月におこなっている治療会に行ってきた。

実は高橋先生の知り合いからどんぐり帽子を頼まれて、それが編みあがったのでお届けがてらだったが、うまいぐあいに時間があいていたので、治療の予約もいれたのだ。

私は約20年前の膝の骨折、そのリハビリの失敗から、つい数年前まで杖を離せない生活だった。
ここしばらく、どんどん回復してきていて、まだ膝を完全に折り曲げることはできないまでも、日常生活にはほとんど支障がないほどになっている。
が、その影響は知らないあいだに身体の別の場所にあらわれていて、たとえば肘が痛い。
とくに左肘。
もう2年くらい故障がつづいている。

前回も指摘されたのだが、肘の具合が悪いというのは、肘が悪いのではなく、身体の他の部分からの影響が多分にある。
他の「部分」というより、全体のバランスといったほうがいいだろうか。

高橋先生の治療を受け、実際に説明をされながらあちこち動かしてみると、たとえば肘だけでなく腕全体が、そして肋骨や肩甲骨や背骨、骨盤の動きがおかしかったりする。
当然、膝も影響している。

膝の違和感のせいで左右の脚のバランスがおかしくなっていたり、足首が片方だけ硬かったりする。
それが影響して、横隔膜の左右の動きがちがっていたり、肩が硬かったり、肘に故障となって出たりしている。
実際に説明してもらいながら動かしてもらうと、そういう全体の関係性がよくわかる。
西洋医学的、整形外科的局所治療がいかに不自然かということが、自分の身体を通して実感される。

帽子のお礼にと、山形銘菓をおみやげにいただいた。
材料費もいただいたのに、お心遣いがうれしい。

水城雄がおこなっている個人セッションについて

このところ、個人セッションの申し込みが増えています。
対面でもオンラインでも、気軽にご利用ください。
ひとコマ30分単位(5,000円)ですが、延長や金額については直接ご相談ください。

セッション受付可能な日時は、こちらから確認できます(申し込みも)。

対面の場合は国立までおいでいただくか、ご指定の場所まで出向します(相応の移動経費をお願いすることがあります)。
オンラインはzoomというネットミーティングシステムを利用しますが、PC以外にもスマホやタブレットにも対応しています。

水城雄の個人セッションは以下のような内容に対応しています。

・共感的コミュニケーション
 共感を必要とする人間関係のトラブルの解決の糸口をともに見つけたり、個人的な悩みを共感的にお聞きします。また、共感的コミュニケーション(NVC)そのものの深い学びのお手伝いもします。

・ボイスコーチング
 自分の声に自信がない、嫌いだ、ひと前で話すときに緊張する、怖れがある、声が小さかったり話し方が不明瞭でよく聞き返される、など、声や話し方の悩みについて、身体の使い方も含めた全体性を見る独自の方法でコーチします。

・表現レッスン
 長年の朗読表現や身体表現とのコラボ、音読レッスンなどでつちかってきた独自の「その人本来のオリジナリティやポテンシャルを引き出す」表現レッスンをおこなっています。こうしなさい、こうしてはいけない、ではなく、どうしたいのかをいっしょに発見する共感的レッスンです。

くわしくはこちらをご覧ください。

2018年10月18日木曜日

ダンスと朗読との臨時公演、サヤ佳ちゃん知立市の新人賞受賞が決まる

急きょ決まったイベントのお知らせリーク。
オーストラリア在住の矢澤実穂さんが一時帰国するタイミングで、実穂さんのダンス、野々宮卯妙の朗読、私のピアノという、いまやなじみの組み合わせともなった3人で、1回きりの臨時の公演をおこなう。
11月3日の午後か夜。
会場はたぶん、国立のどこか。
詳細は追ってお知らせします。

語人・サヤ佳ちゃんのお母さんから電話があった。
何年か前から、いっしょに年末の知立演劇フェスティバルに出演していたが、その縁で知立市の文化協議会から「新人賞」をサヤ佳ちゃんがいただくことが決まったらしい。
詳細については不明だが、とにかくおめでとう!
いっしょに活動してきた私もうれしいよ。

写真は昨日の国立散歩で、道端に咲いていた秋の花。
ホトトギスとナンテンハギ。
秋は紫の花が多いな。
そういえば、日本みつばちも紫色の花粉を巣箱に運びこんでいた。

国立での定期開催現代朗読ゼミ、終了します

2006年3月にNPO法人として許認可された現代朗読協会だが、その活動の中心は「ゼミ」という形で継続してきた。
多いときには週に5、6回くらいのペースで盛んに開催し、またそのゼミでおこなっている現代朗読のエチュードがそのままステージになって、ライブや公演を頻繁におこなった時期もあった。

世田谷の豪徳寺で生まれた現代朗読協会は、羽根木の古民家に拠点を移し、その時期がもっとも活動が活発だった。
古民家の定期借家契約が終了し、拠点が国立市に移って以来、従来のメンバーは参加しにくくなり、また新天地での参加者もあまり増えないまま、細々と活動を継続してきたというのが実情だ。

まだまだやりたいこともあるし、またその形も私のなかでは具体的なものがあるので、現代朗読そのものがなくなるわけではないが、団体主宰としての私の役目はそろそろ収束に向かってもいいかなという思いがこのところ強まってきていた。
ゼミをなんとか継続できないかとかんがえていたが、私も時間的・経済的リソースに余裕がなくなり、心残りではあるが、定期開催のゼミはここで終わることにした。

現代朗読という思想とノウハウは消えてしまうわけではなく、今後もライブを含め活動は継続していくつもりだ。
現代朗読について学びたい、演出を受けたい、私と共演したいという人がいたら、もちろん大歓迎だ。
ゼミはなくなるが、レッスンは引きつづき受けつけているので、いつでもいらしていただきたい。

ゼミを通してこれまでお世話になった多くの方々に、心から感謝を申しあげたい。
ありがとう。

2018年10月17日水曜日

外食、敵は脂質ではなく糖質、連続走行距離更新

なんとなくこのところ外食の機会が多くあって、気がつけば体脂肪率がもとに戻ろうとしている。
油断もすきもあったもんじゃない。
体脂肪率は運動の多寡にかかわらず、糖質の摂取量がてきめんに反映される。
糖質とはつまり、ご飯、パン、麺類。

私の場合、脂質はそれほど体脂肪率に影響ないように感じている。
体質なのかもしれないが、脂質のすくない食生活がつづくと、とたんにうんちが硬くなる。
切れ痔になりそうで、心配だ。
脂質を充分に摂取していると、うんちはなめらかで、お尻は平和だ。
そして体脂肪率も脂質にはあまり影響されないような気がする。

たぶん、脂質は私の身体に吸収されにくいのだろう。
もともと揚げ物とかバターとかクリームとかマヨネーズは大好きなので、気にせず好きなだけ食べている。
ただし、糖質はやばい。

そんなわけで、体脂肪率を落とすべく、せっせと走っている。
走るといっても、連続して何キロも走れないので(なにしろ何十年ぶりに走りはじめてまだ数か月)、数百メートル走っては歩き、また走っては歩き、の繰り返しだ。
ところが。

先週のことだ。
走りはじめてしばらくしたとき、「あれ? これイケるんじゃね?」という感覚があって、いつも300か400メートル走ったらぜーぜーと息つきながら歩きに変えるのを、もうすこし走ってみようと思った。
すると、するすると700メートルくらい連続で走れたのだ。
たいした距離ではないけれど、私にとっては二十年ぶり以上に走る連続距離だ。
びっくりしつつ、うれしかった。
なんとなくブレークポイントを超えたような感じがあった。

今日も楽に700メートルは連続で走って、さらにペースをあげて300メートル走った。
合間の速歩をいれてもたかだか2キロくらいの距離だが、私にとっては大きな進歩だ。
明日からまたさらにすこしずつ、連続走行距離をのばしていけたらと思っている。
べつにフルマラソンをやりたいわけではないけれど。

懲りずに再挑戦、棒針編み

昨夜は韓氏意拳の駒井火曜クラスに昭島スポーツセンターまで行ってきた。
今月の最初のクラスは親族の葬儀があって参加できなかった。
二週めは駒井先生がシュワイジャオの世界大会に中国に出かけたので休みだった。
三週めの昨日が、私には今月最初の火曜クラスだった。

駒井先生の中国話がおもしろかった。
中国は想像以上に動いていて、さまざまなことが劇的に変化している。
日本にいるとまったくのほほんとしているが、たぶんものすごい勢いで追いつかれ、追いこされているんだろう。
経済発展という点に限っていえば。
中国に限らず。
ネットなどでいろいろ情報が伝わってきてはいるが、私もリアルにその空気を感じてみたくなった。

それはともかく、昨日の稽古もまずはしっかり身体を動かしてから、参加者それぞれの希望に応じた内容をおこなった。
私は技撃椿の捧抱式と托宝式について練習させてもらった。

今日も朝からジムでしっかり汗を流し、午後は国立・一橋大学周辺を歩きまわった。
ほんとはiPhoneを修理に出したかったのだが、ショップが定休日だったのだ。
明日あらためて行こう。

二日ほど前から性懲りもなく、棒針編みに再挑戦している。
どうしても梅村マルティナさんのオパール毛糸を使った編み物をやってみたくて、ちょっと大物だけど腹巻帽子を編みはじめてみたのだ。
前とちがってYouTubeに解説映像がいくつか出ていたので、それを参考にしながらやってみている。
昨日、遊びにきた理子ちゃんが、最初のほうをちょっと手伝ってくれたりしてはかどったので、あとはこつこつと練習あるのみ。
さくさく編めるようになるといいなあ。

10月31日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

2018年10月16日火曜日

日本みつばちの冬越しは万全、かな?

あした農場まで日本みつばちの巣箱の内検に行ってきた。
無事だったほうの巣箱は、半月前に継箱もして余裕もあるし、活動も活発で、この分だと無事に冬越しできそうだ。
この季節、全国各地の日本みつばち愛好家からは、スズメバチ襲来のニュースがぞくぞくと届いていて、なかには逃去したり全滅した群もあるようだが、羽根木みつばち部の巣箱は無事のようだ。
前回は何匹かキイロスズメバチを撃退したのだが、今日は一匹も見かけなかった。

巣口からは働き蜂が盛んに出入りしていて、この季節特有の紫色の花粉を運んできたりもしている。
紫だけでなく、さまざまな色の花粉を運んできているのが、いまの時期の特徴のようだ。

佐々木先生の『蜂からみた花の世界』で調べてみたところ、紫色はツルボの花粉ではないか、という推測だ。
今日はとくに巣箱の内側の撮影のほかには作業はなかったけれど、そんなふうに本を見たり蜜源植物の観察をしたりして、楽しんできた。

みつばち部の参加者ははるかさんとえみさん。
天候不順がつづいていて、ようやく晴れ間の出た今日、すかさず出かけたのだが、おふたりが付き合ってくれて楽しかった。
お疲れさま、ありがとう。

巣箱のそばでは、美しい女郎蜘蛛がハエかなにかでお食事中だった。

YouTube:野々宮卯妙の朗読パフォーマンス「Bird Song」

2018年10月12日午後に西国分寺キリスト教会で開催された「オカリナと朗読のアフタヌーンコンサート」の最後に、野々宮卯妙がおこなった「Bird Song」の
朗読パフォーマンスを全編、お送りします。

 朗読:野々宮卯妙
 オカリナ:久保木聡
 テキスト/ピアノ:水城雄

映像はこちら

どんぐり帽子、みつばち部活動

人から頼まれたエコアンダリアのどんぐり帽子が完成。
女性用なのにちょっと大きく仕上がってしまったので、調整紐をつけてみた。大丈夫かな?

今日はこれから町田のあした農場まで日本みつばちの巣箱の内検に行ってくる。
今日は参加できるみつばち部員がひとりしかいないけれど、作業はないので大丈夫。
このところぐずぐずした天気がつづいているので、今日行っておかないとね。

これからの季節、みつばちの野外活動は減ってくるけど、勉強会とか交流会とかやるので、みつばちに興味がある方、羽根木みつばち部に参加してみてね。

YouTube:オカリナと朗読のアフタヌーンコンサート@西国分寺教会

2018年10月12日午後に西国分寺キリスト教会で開催された「オカリナと朗読のアフタヌーンコンサート」の模様を、記録映像から一部抜粋してお送りします。

 オカリナ:久保木聡
 朗読:野々宮卯妙
 ピアノ:水城雄

映像はこちら

2018年10月15日月曜日

あたたかなつながりを感じられたオカリナコンサート(祝)

2018年10月12日午後、西国分寺キリスト教会で「オカリナと朗読のアフタヌーンコンサート」がおこなわれ、私もピアノ演奏で出演してきた。

オカリナ演奏は鹿児島在住の久保木聡牧師。
このところオカリナ牧師として有名になってきていて、地元鹿児島でも出張先でも、オカリナ演奏とお話をまじえたコンサートはいつも大人気となっている。

私と久保木さんはNVCを通じて知り合った仲間で、佐渡教会の三村牧師など共通の友人が多い。
もっとも、私はクリスチャンでもなんでもない。

その久保木さんが教会の用事で東京に来て、国立春野亭に宿泊できるというので、それならついでにといってはなんだけど、どこかでコンサートをやらない? という話になったのだ。
会場をいくつかあたって、やはり牧師のNVC仲間である西国分寺教会の北原葉子さんが場所を提供してくれるというので、甘えることになった。

北原さんには会場のお世話になっただけでなく、告知やら当日のサポートやら、なにからなにまでお世話になって、大変感謝している。
あらためてありがとう。

コンサートの曲目はあらかじめ候補が決められ、事前に楽譜を交換していたが、実際に音を合わせたのは当日の午前中のみだった。

コンサート当日、春野亭に泊まっていた久保木さんと朝食をいっしょにとったあと、迎えに来てくれた北原さんの車で10時すぎに教会入り。
会場の確認、デジタルピアノや収録機材のセッティングをしたあと、曲のリハーサル。
全10曲くらいをざっと通して合わせ、進行をざっくりと決める。
とても細部を詰める時間はなかったので、あとはその場の成り行きや即興で対応することにした。

教会の二階で昼食をいただき、午後1時からコンサートがスタート。
教会の関係者や北原さんの知り合い、私の知り合いも何人か来てくれて、30人くらいはいる会場はほぼいっぱいになった。

季節の唱歌や賛美歌など、曲目は10曲くらい、朗読は2作品、そのあいだに久保木さんのトーク、朗読の野々宮卯妙もまじえての三人トークなどをはさみ、約1時間半のコンサートを、ご高齢の方もいらっしゃるなか最後まで和気あいあいとした雰囲気のなかで終えることができた。
私も心からピアノ演奏を楽しむことができた。

音楽だけでなく、野々宮がおこなった文語体の聖書の朗読や、私の「Bird Song」という作品の朗読など、みなさんにも楽しんでいただけたようでうれしく感じた。

このもようは記録映像の抜粋を作ったので、よければこちら をご覧いただきたい。

久保木さんと野々宮、北原さん、お手伝いいただいた教会の関係者、おいでいただいた方々、すべてのかたにありがとう。
またこのような形でコンサートができるといいなと、終わったいまもじんわりしみじみした気持ちで思っている。

2018年10月14日日曜日

たのまれたどんぐり帽子と身体文章塾、こつこつと進めていくこと

今日はボイスセラピー講座のあと、夜の身体文章塾まですこし時間があったので、たのまれたどんぐり帽子を編んだ。
予定よりサイズがやや大きめのなってしまいそうなので、最終的に頭囲を調整するための飾り紐をつけて仕上げようかと思う。

夜は19時から身体文章塾。
興味をもってくれる人が時々参加するのだが、なかなか長続きしない。
一方、ずっとつづいている人がいて、メンバーが固定化している面もある。
固定メンバーしかいないときにはそれなりのことをやるけれど、もちろん新規参加も歓迎だ。
そういうときは新鮮な空気がはいってきて、固定メンバーにとっても刺激になる。

それにしても、なにごとかをしぶとくつづけるというのは大変なことだし、そんな大変なことをこつこつとやりつづけている人たちには尊敬の念をいだく(私もだが)。
そしてほとんど目に見えない小さな進歩が積み重なっていって、大きな成長になるのを目撃するのは、主宰者としてもこの上ない喜びだ。

10月21日:身体文章塾
テキストで自分自身を伝えるために、自身の身体性とむすびついたことばや文体についてのさまざまな試みをおこなっています。10月の開催は21(日)/28(日)、いずれも19時から約1時間半程度です。

10月のボイスセラピー講座、終了

ボイスセラピー講座、終了。
今日は大阪からの参加者があった。
遠路はるばる、お疲れさまでした。これから音読療法の活動をご一緒できるのを楽しみにしています。

来月・11月のボイスセラピーは18日(日)10時スタート。
詳細はこちら

にぎやかな家で個人的空間にこもる快適さ

金曜日に西国分寺教会でおこなわれたオカリナコンサートは、大変楽しい時間だった。
これについてはあらためてレポートしたいのだが、昨日はその記録映像の編集に丸一日かかりきりだった。

私の作業部屋は春野亭の一階にあるのだが、昨日は二階のリビングのほうで安納献、栗山のぞみ、野々宮卯妙がリードするNVCの基礎づくり講座が開催されていて、参加者も多く、にぎやかだった。
上がにぎやかで、しかし下では個人的スペースが確保されていて作業できる、という状態は、なかなか心地よいものだった。

映像編集をしながら、合間にはかぎ針編みで帽子を作っていた。
エコアンダリアという糸を使って編むどんぐり帽子の注文がはいったからだ。
趣味の編み物ではあるけれど、人からたのまれるというのはうれしいものだね。

今日はこれから個人セッションを1件おこなってから、夕方までボイスセラピー講座を開催する予定。
夜は身体文章塾もある。
今日は私が二階のリビングを講座で使わせてもらう。

そんなわけで、今日の個人セッションを受けられる時間は、夕方のすこしだけとなる。
急ぎのかたはご注意いただきたい。
明日はほぼ丸一日、受けられる予定。

水城ゆうの個人セッション
対面でもオンラインでも、レッスンや個人セッション(ボイスコーチング/共感セッション)をおこなっています。詳細はこちら

2018年10月9日火曜日

連載小説『水の戯れ』の現場写真、明日は移動日

写真は私の個人メールマガジンで連載中の小説『水の戯れ』の現場写真。
主人公の同級生のカミくんが住んでいる船の家が係留してあるあたりの川の風景。
いよいよここから河口へと冒険がはじまる。

明日はまた移動日になる。
午後に福井県立病院のエントランスホールでピアノコンサートをおこない、そのあと看護部のみなさんに音読療法の紹介をして、体験もしていただく。

夕方、岐阜各務原に向かい、夜は白狼澪さんち〈花寧香くらぶ〉で水城ゼミを開催する。
いまのところ参加者は3名なので、まだまだ参加者募集中。
お近くのかたはぜひ!

午後9時終了予定だが、そのあと参加者のひとりを名古屋まで送り、私はそれから東京国立にもどる。
深夜というか、未明着だろうね、きっと。

そんなわけで、明日は個人セッションはなし。
明後日・木曜日は国立にもどっているはずだが、午前中は休息が必要だろうと思うのと、午後は富士見台の高齢者介護施設で音読ケアワークをおこなうので、夕方なら個人セッションを受けられる。
セッション可能な日時は二週間後までこちらで確認できるようになっているので、ご利用いただきたい。

◎水城雄の個人メールマガジン
ほぼ毎日、水城が考察するさまざまな記事や連載小説、エッセイ、お知らせなどが、お手元のメールボックスに届きます。
登録はこちらから。無料です。

「緊急のメッセージ」という詐欺メール

こういう詐欺メールがひさしぶりに届いたので、貼っておく。
みなさんもご注意を。

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こんにちは!

おそらくあなたが推測したように、あなたのアカウント*****@******.comは、私があなたからそれをあなたに伝えたように、ハッキングされました。

私は国際的なハッカーグループの一員です。
2018年7月23日から2018年9月17日まで、あなたが訪問した成人のウェブサイトを通じて、作成したウイルスに感染しました。
これまでのところ、あなたのメッセージ、ソーシャルメディアアカウント、メッセンジャーにアクセスできます。
さらに、これらのデータを完全に減衰させました。

私たちはあなたの小さな秘密を知っています...ええ、あなたはそれらを持っています。 私たちはあなたの行為を見て、ポルノのウェブサイトに記録しました。 あなたの味はとても変わっています。

しかし、重要なことは、時にはあなたのウェブカメラであなたを録画し、あなたが見たものと録画を同期させることです!
私はあなたの友人、親戚、あなたの親密な人にこのビデオを表示することに興味がないと思う...

Bitcoinウォレットに$550を転送する: 19fbzcVjCXSwoCjCfKtjRVHaVrghY7ZmDX
私はそれ以降、あなたの "データ"をすべて消去することを保証します:D

このメッセージを読むとタイマーが始まります。 あなたは上記の金額を支払うのに48時間を要します。

送金が完了すると、データは消去されます。
そうでない場合は、感染した瞬間に、録画されたすべてのメッセージとビデオが自動的にあなたのデバイス上にあるすべての連絡先に送信されます。

常にあなたのセキュリティについて考えるべきです。 このケースでは秘密を守るように教えてくれることを願っています。
自分を大事にして下さい。

ジーパンが脱げなくなってマイクロシフト効果を実感する

マイクロシフトというのは、仕事のスキルや人生のありようそのものを大きくシフトする(ビッグシフト)ためには、毎日のすこしずつの積み重ね(マイクロシフト)が有効であるというかんがえかたのことで、私はけっこう気にいっている。

人生も終盤に差しかかっている私であるが、息を引きとる瞬間まで成長しつづけたいという気持ちがあって、それはたとえほんの1ミリであっても今日より明日の自分が前に進んでいたいというニーズなのだ。

みんなそんなニーズがあると当然のように思っていたが、そうでもないらしいということに割と最近気づいた。
世の中には死ぬまで貪欲に成長を望んでいる人ばかりではなさそうだ。
それはそれでべつの生きかたなんだろうと思うし、私がそれについてとやかくいうつもりはないが、いま書いているこの項はそのような人にはあまり興味を引かないだろうと思うので、スキップしてください。

マイクロシフトについてはあらためて別の項でくわしく書くことにする。
今回はマイクロシフトを毎日心がけていた結果、起こったこと(ビッグシフトというほど大げさなことではないけれど)について書いてみたい。

先日の台風のとき、なにげなく外のようすを見ようとベランダのガラス戸をあけたところ、排水口が葉っぱかなにかで詰まってしまっていたらしく、ベランダに雨水がいっぱいたまってプールみたいになっていた。
水が変なところに浸入したり漏れたりするとまずいので、いそいで排水口の掃除をすることにした。

いざ靴下を脱ぎ、はいているジーンズの裾を膝までめくりあげようとしたとき……

あれ?
ジーパンがあがらない。

いままでも風呂の掃除をするときとか、浅瀬で遊ぶときとか、ジーパンをめくりあげていたのだが、なぜかジーパンの裾の口径が小さくなってしまったようなのだ。
いや、ちがった。
裾がせまくなったのではなく、私の脚が太くなったのだった。

見てみると、なるほどたしかに私のふくらはぎの筋肉が肥大して、太くなっている。
思いあたるのはひとつ、最近心がけて、みじかい距離ではあるがちょくちょく走るようにしていることだ。
そのためにふくらはぎが太くなっていたのだ。

これにはびっくりした。
毎日すこしずつの変化にはまったく気づいていなかったが、数か月たってみるとその変化が如実にあらわれていたのだ。

大きな変化をいきなり起こすのはむずかしいが、小さな変化を毎日心がけているといつかは大きな変化となってあらわれるという、うれしい気づきであった。
なにか自分が変わりたい、よりよくなりたいということがあれば、とりあえずほんのすこしだけいつもより努力してみる、マイクロシフトを心がけてみるといいのだ。

年頭に大それた目標を掲げたとしても、毎日こつこつとシフトを心がけていれば、ひょっとしていつのまにか成就できるかもしれない。

2018年10月7日日曜日

オンラインとリアル参加でおこなっている共感文章講座

共感的コミュニケーション(NVC)をテキストベースで練習したり応用したりすることには、ふたつの狙いがある。
ひとつは、リアルタイムでは難しい面がある共感の表現やコミュニケーションについて、自分のペースでじっくりと取り組むことができるテキスト表現の世界で練習し、確実に身につけること。

そしてもうひとつは、メールやSNSなど、テキストを用いたコミュニケーションが増大しているネット社会において、トラブルが多発したり、自分自身を怖れなくのびのびと伝えたり表現したりするときに、共感的コミュニケーションの思想がそのまま応用できるということ。

共感的コミュニケーションの勉強会や講座は数多くあれど、テキスト表現に絞りこんだものはあまりない(と思う)。
共感的文章というと、「読み手に共感してもらうための文章」というイメージがあるかもしれないが、そうではない。
文章を書くことで自分自身に共感すること、また相手の文章を共感的に読み受け取ること、その上でお互いに思いやりをもったテキストベースのコミュニケーションを持続し、つながりを育てること。

こういったことを練習するための題材がいくつかあって、それらを実際にやってみるのがこの共感文章講座だ。
毎回、参加のみなさんと共通の題材について書いたり、考察したりしている。

テキストなので、オンライン参加でも問題はないし、もちろんリアルに現場に来ていただければ講座内容を超えて必要な共感を向けることもできる。

自分のペースでじっくり共感的コミュニケーションを学んだり、練習したり、身につけてみたいと思っている人は、参加してみることをおすすめする。
もちろん、テキストコミュニケーションで問題を抱え、その解決を求めている人も歓迎である。

10月28日:共感文章講座@国立春野亭(もしくはオンライン)
メールやLINE、SNSでのテキストコミュニケーションにおいて、共感的コミュニケーション(NVC)の方法をもちいてお互いに尊重をもってつながりあう文章表現を練習するための講座です。

2018年10月6日土曜日

水城ゼミ・朗読ゼミ・朗読カフェ(Verba Actus)

10月10日(水)夜は岐阜各務原の白狼澪さんち〈花寧香くらぶ〉で水城ゼミを、13日(土)午前は国立春野亭で現代朗読ゼミを、17日(水)午後は山梨北杜の桂さんの山荘〈あめのとりふね〉で共感朗読カフェ(Verba Actus)をそれぞれ開催する。
これ、それぞれどういう内容なの、なにがどう違うの、という質問を受けることがあるので、明らかにしておきたいと思う。

大きくいって、内容はほとんど変わりない。
基本的にすべて、朗読や音読を用いて表現について学んだり試みたりする場で、それを通じて自分自身のいきいきさやニーズにつながったり、マインドフルネスの体験を深めたりすることができる。

朗読・音読はだれもがすぐにやってみることができる表現行為のひとつだ。
日常的に日本語を話したり読んだりしている人なら、だれでもすぐにやってみることができる。
ただし、私のこれらの「ゼミ」では、それを意識的にやること、とくに「読んだり声を発している自分自身に注意を向け観察すること」を目的としている。

朗読にかぎらず、すべての表現のクオリティは、自分自身を把握すること、微細な変化に目を向けること、自分という存在に注目すること、そのクオリティに左右されると私はかんがえている。
だから、とても敷居の低い表現行為である朗読で、まずそれを体験してもらう。

やってみるとわかるが、これがなかなか難しい。
こうすればできる、という一般的な方法を、参加するすべての人にあてはめることができない。
参加者は「自分はどうなっているのか」というオリジナルな自分自身の身体や、自分というたえず変化しつづける存在現象をつかまえなければならず、それは個々人がちがっているので、こうすればいいという一般化できる方法はない。
私はただ、多くの経験をもとに、その人はどうなのか観察し、提案するだけだ。

このようなことをこれらのゼミでは共通してやっている。
水城ゼミではゼミ生という制度があって、定期的に参加することで表現のクオリティやマインドフルネスの深さを日常的に練習してもらう。
単発のゼミや朗読カフェでは、何人かで声を合わせたり動いたりしてみることで、自分自身のユニークさに気づいてもらったり、自分の行きたい方向性を見極めてもらったりする。

ベースには共感的コミュニケーションがあり、「こうしなければならな」とか「こうしてはならない」ということは一切ない。
だれもがその存在を受け入れられ、自分がやりたいことをやりたいようにやってみる自由と安心が保証されている。
とはいえ、そのクオリティを高める方向性を共有しているということでは、場の目的ははっきりしているが。

もし興味があれば、気軽に参加してみてほしい。
おそらく他のどこでもやっていない体験と、自分自身の未知の可能性に気づくことができるだろうと思う。

ピアノコンサートと音読療法体験会@福井県立病院

10月10日(水)午後1時半から、3か月に1回のペースでおこなっている福井県立病院でのピアノコンサートがある。
3か月ごとと書いたけれど、前回は8月だったので、今回にかぎって2か月ぶりとなっている。

ちょうど秋まっただなかといっていい季節なので、秋の曲を中心に童謡、唱歌、スタンダードナンバー、そしてオリジナル曲なども交えて、変奏アレンジ演奏をお送りする予定だ。

実家の古いピアノで練習しておこうと思っているのだが、このピアノが珍しいものだ。
たぶん、私の妹のためにいまは亡き両親が50年以上前に購入したアップライトなのだが、メーカー名は「KEISER」となっている。
おそらく昭和30年代の製造。
中身はYAMAHAなのだが、製造マークに「KAWAIGAKKI  HAMAMATSU」とある。

あの河合楽器? と思ってしまうのだが、あの河合楽器は「河合楽器製作所」という名前。
このピアノは「河合楽器株式会社」という別会社が販売していたらしく、こちらはYAMAHAの創業者である山葉寅楠とともに日本の国産オルガンの製造販売を手がけた河合喜三郎(KAWAIの創業者)の親戚である河合小市氏の長女の夫(ややこしい)の会社だったようだ。

ピアノコンサートのあと、看護部のみなさんに音読療法を紹介し、体験していただくことになっていて、今後院内での高齢者やリハビリ入院の方、子どもたちにも活用していただけるといいなと思っている。
私が大切にしてきた音読療法がいよいよ医療の現場で利用されるかもしれないということに、とてもありがたくわくわくしている。

10月10日:福井県立病院・秋のピアノコンサート
2018年10月10日(水)午後1時半から、水城ゆうのピアノコンサートが福井県立病院で開催されます。秋の童謡・唱歌などの懐かしいメロディーやオリジナル曲を自由なアレンジでお送りします。無料。

2018年10月5日金曜日

いまいるこの場所でだれかの役に立てるということ(たとえいつもの場所から遠く離れていたとしても)

親戚の葬儀が終わった。
親しい人、ひさしぶりの人、まったく知らない人、たくさんの人がそれぞれの思惑で出入りしたり、動きまわったり、話したり、泣いたり笑ったり。
亡くなったのは私が若いころから親しくしていて、世話になったこともある人だった。
今年の春くらいに末期ガンであることがわかって、闘病生活を送っていたのだが、その若さゆえか進行が思いのほか早く、半年足らずで亡くなってしまった。
67歳。

葬儀ではマインドフルネスを心がける。
その場にいつづけること、自分と他者に気づきつづけること、亡くなった人はもうそこにはいないけれど、亡骸を通じて彼の存在を感じつづけること。
自分のなかの悲しみと忍耐、残された人たちへの慈しみを感じつづけること。
走りまわる子どもたちの存在を感じつづけること。

葬儀が終わり、一夜明け、落ちついたところで、望まれていた個人セッションをオンラインで応じる。
ここでもマインドフルネスを心がける。

自分と相手の息づかいを感じつづける。
いきいきさを感じつづけ、相手の役に立ちたがりすぎる自分のはやる気持ちを落ち着かせるために深く息を吐く。

いつも場所を遠くはなれていても、いまいるこの場所でだれかとつながり、役に立てるというのは、本当にうれしいことだと思う。

いつでも個人セッションを受け付けています
対面でもオンラインでも、レッスンや個人セッション(ボイスコーチング/共感セッション)をおこなっています。詳細はこちら

城崎(郡)にて

ごく近い親族の葬儀のために、水曜日の夕方に国立を出発し、名古屋で息子をピックアップして運転を交代しながら、兵庫県の日本海側の城崎郡に来た。
走行距離は1,000kmを軽く超えた。
仮眠しか取っていない。

臨済宗の葬儀はミュージカルというか、能・狂言、あるいは歌舞伎のようだった(私の音楽耳にはそう聴こえた)。

折り返し東京に戻るつもりだったが、もともと今週末から北陸の実家に帰省予定で、音読カフェやら、福井県立病院で定期的におこなっているピアノコンサートやら、さらには看護部のみなさんに音読療法を体験してもらう大事に用事がはいっていたので、そのまま滞在することにしようかと考慮中。

台風25号が週末にかけて日本海を通過していきそうだ。

2018年10月3日水曜日

しばらく留守にします

ごく親しい縁者の葬儀のため、しばらく東京を離れる。
恒常的に更新していたSNSやメルマガ、ブログの更新がしばらく滞る予定なので、ご承知いただきたい。

写真1。
先日の昼に作ったコンビーフとキャベツのショートパスタ。

写真2。
かつぞうくんのために作った麻紐のスマホポーチ。

写真3。
羽根木みつばち部の部活後にランチに行った近所のパスタ・ファクトリーの生洲パスタ。
鶏肉と梅肉のソース。