2011年9月15日木曜日

次世代作家養成塾ではなぜ字数制限をするのか

塾生からご意見をいただきました。

「(1000字という制限の)中でキャラクターやその他の事を100%までとはいかなくても50%でも40%でも表現しようとすると、文字数が足りなくなり、どこを削るか、という悲しいが、仕方のない気持ちになってしまいます。文字数が増えると、先生の負担が増えますが、もし宜しければ、SSの範囲内でもう少し、拡張しても良いんじゃないでしょうか?」

このご意見は多くの方の気持ちを代表していると思います。
私はこれまでも小説道場的なサイトを運営したり、カルチャーセンターで小説講座をやったりしてきましたが、まだ未熟な書き手の多くが字数制限をされると、
「これじゃ書きたいことがなにも書けない」
といいます。だから、その気持ちはよくわかるのです。

なぜ字数制限をするのでしょう。かんがえてみましょう。
私が楽をしたいから? 字数制限がないと負担が増えるから?
たしかにそういう側面がないことはありませんが、字数制限をする理由はそれではありません。
この方の意見のなかで、注目したい箇所がいくつかあります。
「(1000字という制限の)中でキャラクターやその他の事を100%までとはいかなくても50%でも40%でも表現しようとすると」
キャラクターやその他のことを100パーセント表現する、というのはどういうことなんでしょうか。
テキスト表現において、なにかを100パーセント表現することは可能なのでしょうか。
テキスト表現という非常に限定されて、制限の多い表現方法において、なにかを100パーセント表現しきる、というのは不可能である、という認識からまずスタートしてほしいと思います。テキスト表現にかぎらず、すべての表現がそうなんですよ。
テキスト表現においては、限定された表現方法のなかでなにを選んで書くのか、あるいはなにを捨てるのか、そういった思いきった態度や手法を身につけていくことが必要です。その手法の「キレ」をみがくために、字数制限をするのです。
表現を切りつめる「キレ」のない文章は、だらだらとぬるいものです。音楽でいえば、リズムも悪い、ピッチもゆるい、音色も悪い、キレのないバイオリン演奏を聞いているようなものです。ダンスでいえば、贅肉の多い身体でキレの悪い動きを見ているようなものです。

たくさん書けば多くのひとが表現できる、というのは幻想です。
よい作品は、たった500字で世界を作ります。たった1000字で自分自身の存在と感触を表現します。
これができるようにならないと、3000字とか、100ページとか、長いものを書いても、よい作品にはなりません。
500字のよいものが書ければ、1000ページのよいものも書けるのです。その逆はありません。
大きな世界の一部をたった500字で切りとってみせること。うまくやれれば、読者はその500字を読んで、その作品が含まれている大きな世界も感じることができるでしょう。つまり、たった500字でも世界を書ける、ということなのです。
みなさんは500字で世界を書いてみたくありませんか?

(以下、略。本文全体は養成塾のメールマガジンで掲載しています)

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