2012年7月8日日曜日

うれしいこといくつか

ちょっとした力仕事の必要があって、ひとりだときついので若い知り合いのMくんに頼んだら、快く引きうけてくれた。
それだけでもありがたかったのだが、今日、Mくんの奥さんから、
「Mは前から水城さんの手伝いをしたがっていて、その機会ができたと喜んでたよ」
と聞いた。
ちょっとびっくりしつつ、うれしかった。
喜んで私を手伝ってくれる人がいることほど、しあわせなことはない。

げろきょのゼミ生たちもそうで、私のオーバーワークをみかねて自主的にいろいろな仕事を引き受けてくれている。
ゼミ生のひとりのMさんから「返信不要」とタイトルについているとても思いやりの深いメールをいただいた。
私の疲れについて心配してくれながら、そんな私のニーズについて推察をしてくれている。
つまり、共感的メッセージをいただいた。

私が必要としていることは休息であったり、自分の時間とスペースの確保であったり、健康維持のための規則正しい生活や食事であったりするのだが、そのことについて私が自覚している以上に思ってくれていて、私も自分のニーズをあらためて確認できた。
そして実際に、そのニーズを満たすためにどんなことができるだろうかと、自分自身でかんがえはじめていたところだったので、メールはありがたかった。

こうやって私を大切にしてもらえると、私もまたその人たちを大切にしたいと自然に思えるようになる。
私を大切にしてくれる人を大切にしたい。
そうすればまた私を大切にしてくれるだろうし、だれかから大切にされることは私が大事にしていることのひとつなのだから。

しかし、多くの人と関わっていると、そのすべての人をひとしく大切にしてあげることは難しくなることがある。
そんなときはどうすればいいのだろうか、というのが、目下の私の課題だ。