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2018年8月31日金曜日

モロヘイヤとツナの冷製パスタ

農薬を使わない自然農法で日本みつばちも暮らせる町田のあした農場で、モロヘイヤを収穫していただいてきたので、オリジナルレシピに挑戦してみた。
モロヘイヤというとその粘り気から、納豆やオクラと合わせてねばねばヘルシーメニューにすることが多いけれど、今回はちょっと趣向を変えて。

【材料】二人分
・モロヘイヤ……ざっくりふたつかみほど(お好みの分量で)
・トマト……1個
・ツナ……1缶
・スパゲティ……160グラム(その他いろいろな麺でも代用可)
・にんにく……ひとかけ
・マヨネーズ、塩、コショウ、オリーブ油

モロヘイヤはお湯で1分弱くらいさっとゆでて、ざるに取り、さっと水を通して冷やしたら、食べやすい大きさに切る。
トマトは月形に切ってヘタを落としておく。

(あれば細めの)スパゲティをやや塩多めのお湯でゆであげる。
ざるに取り、冷水でしめる。
スパゲティでなくても、中華麺、そうめん、うどんなど、麺類ならいろいろ代用できると思う。

モロヘイヤ、ツナ、みじん切りにしたにんにくをボウルに入れ、塩、コショウ、マヨネーズ(ひとまわし)を加え、よく混ぜる。
冷水で冷やしたスパゲティ(麺)にオリーブ油(大さじ1)をかけて、全体になじませたものを器に盛り、その上にボウルの中身を盛る。

トマトをそえたら、完成。
バジルを飾ってもよい。
食べるときにお好みでパルメザンチーズをかけるのもよい。

おならを嘆く

小さな子どもならまだしも、いい大人がおならをすると、なぜか無性に腹が立ったり、恥ずかしいという反応が起こる。

同居人がなにげなくおならをする、介護している親がおならをする。
相手には悪気はないとわかっているし、たんなる生理現象だと頭では理解しているのに、身体には反応が生まれる。
むかっ腹が立つ。
ときには暴力的な言動に出そうな自分すらいる。
そのことにたいして連鎖反応的に、自分自身にたいして責める反応が生まれる。

反応の連続で身動きとれなくなってしまう。
そんなとき、どうすればいいのだろうか。

おならがたんなる生理現象であって、だれもが、ときには自分も、つい油断しておならをしてしまうことがある。
しかし、ひと前でおならをすることはとても失礼なこと、恥ずかしいことだということを、残念ながら子どものころから繰り返し教えこまれてきた私たちが、ここにいる。
私たちの身体には、おならにたいする嫌悪や羞恥がどうしようもなく染みついてしまっている。

だれかがおならをしたとき、あるいはうっかりと自分がしてしまったとき、嫌悪反応・羞恥反応がどうしようもなく生まれてしまう。
その反応が相手に向けられたり、自分自身に向けられるとき、暴力的な言動となってしまう。

もしそれが嫌で、どうにかしたいのなら、別の選択肢を身につけるしかない。
自分のなかにどうしようもなく生まれる反応は、積年の教育や経験によって植えつけられた「痛み」から来るものだ。
自分のなかにそのような痛みがあることに気づき、そして満たされないニーズを嘆く。

満たされないのは配慮や気遣い、生理的安全、平和といったところだろうか(人によって違うだろう)。

だれかがおならをする。
「やられたー! 自分の前でおならをされるのがほんとに嫌で、腹が立つんだ。ほんとにほんとにこれが嫌いで、居心地が悪いんだよ」
満たされないニーズを嘆く。
嘆ききる。
ひとりで。

自分がおならをしてしまったときもおなじ。
嘆ききることができれば、反応もすこしずつ変わってくるかもしれない。
おならのことだけではないよ。

9月7日:共感カフェ@世田谷野毛〈楽ちん堂CAFE〉
〈楽ちん堂CAFE〉のおいしいカレーやお茶をいただきながら、気軽な雰囲気のなかで共感的コミュニケーションを学んだり、お互いの話を深く聴きあう練習をする会です。
共感的コミュニケーションの基礎的な考え方から実践的な応用まで、初心者の方も一から学べます。

2018年8月30日木曜日

YouTube:朗読と音楽・夢野久作「縊死体」狩野亜矢子(朗読)

水城雄の朗読レッスンを受けたあと収録した、朗読と即興ピアノによるセッション作品です。
朗読の狩野亜矢子は先日の夏目漱石「蛇」につづいての収録チャレンジです。合わせてお楽しみください。

収録は国立の春野亭で、一発撮りでおこないました。

 「縊死体」
 作:夢野久作
 朗読:狩野亜矢子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

9月16日:朗読表現公開レッスン講座(音楽演奏付き)
長年、朗読演出と作品構成、ステージ共演にたずさわってきた水城雄がもっとも得意とする講座を、公開レッスン方式で開催します。個別に朗読演出をおこない、ピアノいっしょに練習したあと、最後にひとりずつピアノ共演で発表します。

エコアンダリアのスマホポシェット

昨日はひさしぶりにスマホポシェットを編んだ。
エコアンダリアの編み糸が中途半端に残っていたので、二本取りでざくざく編んでみた。

スマホポシェットは麻紐で編みはじめたのが最初で、ずいぶんたくさん作ったが、最近はしばらく編んでいなかった。
が、自分用のスマホポシェットが必要になったので、麻紐ではなくエコアンダリアで編んでみた(高級だ)。

以前は小さなポシェットひとつ編むのに苦労して、時間もかかっていたのに、今回はものの一時間もたたないうちに編めてしまった。
帽子はさすがに、仕事の合間を見ては2日か3日くらいかかるけれど、これだったらいくらでも編めるな。
それなりに上達したということなのだろう、ひさしぶりに昔とおなじものを編んでみると、自分の進展度合いがよくわかる。

9月24日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

朝活みつばち部の巣箱内検、あした農場のモロヘイヤ

朝から朝活ならぬみつばち部活動をしてきた。
あした農場に行って、日本みつばちの巣箱の内検。
部員のはるかさんとえみさんが同行してくれた。

春に分封したあたらしい巣箱はとっても元気で、もうすこし巣がのびたらいまの5段から6段に継箱して、冬越しに備えられるかな。
もう一個の逃去群を捕獲したあたらしい巣箱は、数が少ないので勢いはないんだけど、内検したら順調に巣をのばしているので、なんとか勢いをつけていってもらいたいものだ。
これから夏の花の少ない時期をすぎて秋の花のシーズンになってくるので、きっとみつばちたちも元気になるだろう、と期待している。

あした農場で作っているモロヘイヤと大葉をもらってきた。
ほかにも調理パパイヤの花が咲いていたり、オクラやゴーヤが実っていたりと、農場は秋の実りがたくさんで楽しい。

モロヘイヤでなに作ろうかな。
モロヘイヤがたくさんあるので、なにかレシピを工夫してみよう。
いいアイディアがある人いたら教えてください。

いちばん声の小さい人の声を聞く

共感強化練習会に参加してくれたある人から、こんな気がかりを聞いた。
若い人たちを指導する機会があるのだが、どうもみんな、お互いに気遣いをしすぎて、本音が出てこない。
つながりが薄く、表面的な意見であたりさわりなくやりすごしているような気がする。
とくに引っ込み思案の人はその人がなにをかんがえているのか、なにを求めているのか、いまどんな気持ちなのか、居心地がいいのか悪いのか、なかなか表現してくれず、こちらももどかしい思いになる、という。

そういう傾向はたしかにあるように私も感じる。
失敗や対立をおそれるあまり、自分の意見をひかえる、本音をいわない、みんなの顔色をいつもうかがっている、あたりさわりのないことしかいわない。
しかし、ずっと一生、そうやってすごしつもりなの?

私が提案したのは、もっとも弱気で声が小さい人をまずケアしてはどうか、ということだった。
といっても、その人に迫るのではなく、さりげなくよりそって共感する。
その人のニーズを推測し、なにか気になっていることがありそうなら訊ねてみたり、必要なことがありそうだったら確認してみる。

その態度はグループ全員が見てくれているだろう。
全員がもっとも声の小さい人の声を聞こうとするとき、全体に注意深さが生まれ、まとりが生まれる。

私が稽古している武術でも、もっとも実感のない部分に注目することで、身体全体のまとまりと働きが生まれる、と教えてくれる。
それと似ている。

かつて私が現代朗読の群読ステージを演出したとき、参加者が10名くらいいた。
とてもはきはきと読める人もいれば、大きな声を出せない人もいた。
積極的に堂々と舞台に立てる人もいれば、おずおずと自信なげになってしまう人もいた。
それを見て、私はもっとも声の小さい、自信なさげな人を、群読のリーダーに指名させてもらった。
本人はびっくりしたが、それで全体にまとまりが生まれた。
全員が注意深くその人の声を聞こうとし、協力的になり、お互いに思いやりを持ってひとつの表現を作ろうとした。

そのときのステージは本当にすばらしいものだと、いまでも私は思っている。
豊かな経験を私もさせてもらった。

豊かな経験をするためには、かそけき声に耳をすます必要がある。
注意深く、全身でなにかを受け取ろうとするとき、たくらみを超えたなにかが降りてくる。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月29日水曜日

YouTube:朗読と音楽のセッション「スタート」河原千里

レッスンで朗読演出を受けた河原千里さんが、生収録に挑戦しました。
現代朗読の基本である「変化しつづける自分自身」に注目し、即興音楽とコミュニケートする形でいきいきと表現することにチャレンジした作品です。

収録は国立の春野亭で、一発撮りでおこないました。
朗読と音楽の共演をお楽しみください。

 朗読:河原千里
 作/ピアノ:水城 雄

映像はこちら

9月16日:朗読表現公開レッスン講座(音楽演奏付き)
長年、朗読演出と作品構成、ステージ共演にたずさわってきた水城雄がもっとも得意とする講座を、公開レッスン方式で開催します。個別に朗読演出をおこない、ピアノいっしょに練習したあと、最後にひとりずつピアノ共演で発表します。

冷蔵庫に忘れて傷みかけたきゅうりを発見したときのニーズ

共感的コミュニケーションを学びはじめた人から、よく、
「ニーズのことばを知らないからうまく共感できません」
といわれることがある。
たしかにニーズリストにはたくさんのことばが並んでいる。

 尊重
 帰属意識
 一貫性
 相互依存
 親密さ
 本物さ
 秩序
 インスピレーション

いわれればたしかにそういうニーズはあるよな、と思うものの、普段あまり使わなかったり、自分の語彙にはない言葉だったりするものも多い。
知らないことばやなじみのないことばは、実際に使うことができないから、共感できない、と思ってしまうのも無理はない。

また、すこし学習が進んできた人からは、
「ニーズはことばじゃないですよね」
ということも聞くことがある。
それもたしかにそうだけど、ことばじゃないとしたらなにをもってニーズをつかめばいいのだ、ということになる。

共感的コミュニケーションを長らく学んだり、教えたりしている人は、多くが、
「ニーズはことばじゃないですよ。身体感覚ですよ」
といったりする。
はっきりいって、雲をつかむような話だ。

表題のような設定を思いついた。
サラダかなにかに使おうと思って買って、冷蔵庫にしまっておいたのに、なにかにまぎれてすっかり使い忘れていて、見たら傷みかけているきゅうりがあった。
「うわ、食べないともったいない!」
と思う。
その「もったいない」という感情のもとにあるニーズはなんだろう。

いろいろな議論や検証があったけれど、いまのところ、たくさん種類があるニーズリストやニーズカードのなかにたいていはいっている「命の祝福」ということばが一番しっくりくるんじゃないか、というところに落ちついている。
変なことばだな、と思う。
たしかにそんなニーズだけど、使いなれていないし、頭では理解できるけれど、身体に落ちる感じは(私には)あんまりない。

しかし、傷みかけたきゅうりを発見したとき、たしかに感情が生まれ、なんらかのニーズがいきいきとしている。
その証拠に、ほら、あなたはもう動きたくてしかたがなくなっている。
強いニーズに突き動かされて、きゅうりを冷蔵庫から救出し、調理しようとしている。
そのニーズに名前をつけるまでもなく、あなたはもう動きだしている。
動きたいという身体感覚がある。
それがニーズだろうと思う、たとえ言語化されていなくても。

よくよく見れば、冒頭に列挙した「尊重」だの「帰属意識」だの「一貫性」だのといったことばも、ことばに置きかえればそういうことになるけれど、じつは身体感覚なのだ。
その身体感覚があれば人は自然に動きたくなるし、またいきいきと、パワフルな行動が生まれる。

共感というのは、自分にせよ相手にせよニーズに「名前をつける」ことではなく(それも有効だが)、そのニーズのことばがあらわしている身体感覚に気づくことなのだ。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月28日火曜日

痛いいたいイボ治療(液体窒素で焼き切る)

薬でふやかして退治する治療法を何か月もやっていた右手の薬指と小指の先のイボだけど、一進一退でなかなか完治しないので、とうとう液体窒素で焼き切って根絶する治療をお願いした。

皮膚科医も私がピアノ弾きだと知ってなるべくピアノを弾くのに支障がない治療法をと配慮してくれていたみたいだが、かえって長引いて不都合なだけだった。
二、三日弾けなくもいいから、根絶してしまいたい、と医者にお願いして、
「痛いですよ」
と念も押されたけれど、それは承知の上。
これまで何度もこの治療をやってる。

いやー、それにしても、液体窒素の治療は痛い。
指先の神経が集まっているところだから、よけい痛い。
小指と薬指の同時治療だから、さらに痛い。

ウイルス性のイボは怪我からはいりこむらしいけど、ピアノ弾いたり料理したり編み物したり、指先を使うことばかりやってるからしかたない。

編み物をチャリティに出します(リレー・フォー・ライフ)

エコアンダリアとエコアンダリアクロッシエの色糸を二本取りで編んだ帽子が完成した。
目立たないが、クラウンの部分もベージュのエコアンダリアとグレーのクロッシェの二本が混じっている。
ブリムはベージュと、黒のクロッシェで。

頭囲を紐で調整できるようになっている。
この方式はどんな人の頭にも微調整してフィットできるので、いいね。

これのもらわれ先はすでに決まっているが、ゼミ生の雪子さんがつないでくれた「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2018東京上野」というがん患者とその家族を支援するチャリティに私も参加できることになって、帽子を提供することになった。
その案内サイトはこちら

イベントは10月13日と14日。
私はそれまでに帽子をいくつか編めたら、と思っている。
売り上げはすべて寄付されるということなので、イベントで買ってもらえるとうれしいな。

2018年8月27日月曜日

YouTube:朗読「蛇」照井数男

夏目漱石の小品集『永日商品』より「蛇」という短編を、何人かで読むシリーズ、というわけではありませんが、同作品を今回は照井数男に朗読してもらいました。
ピアノとの即興セッションです。

照井数男は元ゼミ生で、現在は大阪在住の朗読者です。
朗読と音楽の共演をお楽しみください。

 朗読 :照井数男
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

アボカドとむきエビのスパゲティ

ランチに作ったスパゲティの紹介。

【材料】二人分
・スパゲティ……160グラム
・アボカド……1個
・むきエビ……120グラム
・バジル……あれば3、4枚
・ニンニク……ひとかけ
・鷹の爪……1本
・オリーブ油、塩、コショウ

大きめの鍋にたっぷりのお湯をわかして、塩をいれ(お湯がしっかりと塩気を感じるくらい)、分量のスパゲティをゆでる。
そのあいだに、フライパンを弱火にかけ、オリーブ油(大さじ1)とニンニクのみじん切り、種を抜いた鷹の爪を加えて火を通す。

ニンニクが香り立ってきたら、むきエビとアボカド(食べやすい大きさに切ったもの)を投入し、火が通りすぎないうちに塩、コショウを振って、混ぜあわせたら火を止める。

スパゲティがゆであがったら、フライパンをふたたび火にかけ(やや強火)、スパゲティとゆで汁(80ccくらい)を投入して、すばやく混ぜあわせる。
そのとき、フライパンを前後に小刻みにゆするのがコツ(ゆで汁が乳化して麺にからみやすくなる)。
火を止め、皿に盛りつける。
最後にバジルを手でちぎって、適当に散らして、完成。

水色文庫新作「クラリネット」登録しました

水色文庫の新作「クラリネット」を登録しました。

このテキストは2018年8月26日に開催した身体文章塾のお題「クラリネット」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。

2018年8月26日日曜日

朗読とピアノのセッション収録、共感音読カフェ特別版

午前中にちさとさんの朗読レッスンというか、収録。
ピアノといっしょに2話収録した。
音声録りのためにほんの何分かだけエアコンを止めるんだけど、それがまあきついのなんのって。
手を上にあげたら、リビングの上のほうの空間に熱気がたまってた。

今日の収録作品は近いうちに編集して、YouTubeやPodcastで配信する予定だ。
私の「スタート」と「ラジオを聴きながら」のふたつを読んでもらった。

午後は共感強化期間の特別版・共感音読カフェをオンラインで。
ご参加いただいたみなさん、お疲れさま。
ちょっと難しいグループ共感についての話ができてありがたかった。私の大きな学びにもなった。

明日も共感強化練習会を正午・12時から開催する予定。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

朗読はサーフィンに似ている(自分という変化する波に乗る)

ピアノの即興演奏を使った朗読レッスンをおこなっているのだが、先日、自分でもうまいと思った比喩を思いついたので、紹介したい。

かねてから朗読という表現は、いかにいまこの瞬間の自分自身とまわりのことに気づきつづけ、変化しつづける生命現象の発露をさまたげないことが重要か、ということを強調してきた。
これはなかなかひとりで読んでいてもトライが難しかったりする。
朗読という表現行為の枠組み——書かれているテキストを解釈したり説明的に読んだり上手に伝えようとしたり——にまずはどんな人もとらわれてしまいがちで、自分自身に目を向けるどころではないからだ。
しかし、それでは表現のいきいきさやダイナミックさは現れてこない。

朗読者にテキストを読んでもらうとき、私が横からピアノ演奏でいわば茶々をいれる。
つまり外的刺激を朗読者に与えるのだ。

予測しない外的刺激を受けた朗読者は、かならずなんらかの身体的変化が起こる。
普通に音楽を聴くときのことを想像してみればわかると思う。
音楽は人の身体やこころにある種の変化をもたらす。

即興演奏の場合、それは予測できない変化の連続として現れてくる。
変化しつづけている自分自身をさえぎらず、それに逆らわずに読めるかどうか、ということだ。

その際、重要になってくるのは、朗読者がちゃんと音楽を聴けているかどうか、ということだ。

演奏しているこちら側には、それがきちんと受け取られているのか、まったく無視されて勝手に読みつづけているのか、あるいは聴くまいと拒絶されているのかは、手に取るように(なぜか)わかる。

音をきちんと受け取り、その結果もたらされる自分の変化をさまたげないようにするには、読み手自身がある程度、集中している必要がある。
いわば、サーファーがさまざまに変化する波に乗り、逆らわずに自在に乗りこなすためには、それなりに応じられる身体的状態が必要であることとおなじだ。

朗読者もただ脱力した受け身で音楽を聴いているだけでは、自分の変化に応じることはできない。

リラックスしたり脱力することも必要な場合があるが、朗読という表現行為においてはそれなりに自分の全身が変化に応じられる状態にあることが必要だろう。
私が日々稽古している武術(韓氏意拳)のことばを借りて、身体にまとまりがある状態と説明している。

さまざまにストレスを受けたり緊張を強いられたりすることが多い現代社会生活においては、リラックスしたり脱力することが生活のなかで必要であるかもしれない。
それはそれとして、表現にかぎらずなにかをおこなうときに、力むのではなく自分がまとまって全身を総合的に発揮できる状態を稽古しておくことも重要だろうと思う。

朗読というなにかを読む、声を出すという行為に、ほどよく全身が参加しているときのクオリティについて体験してもらえるとうれしい。

9月8日:現代朗読ゼミ
朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、9月の開催は8(土)/15(土)/22(土)、それぞれ10時半から約2時間。

2018年8月25日土曜日

麻紐の手編みバッグで買い物

しばらく前に編んだ麻紐の買い物バッグが、ちょっとした買い物にちょうどいい感じ。
麻紐なので原材料は超安価。
鎖編みをざっくりした網目につないでいるので、ほどよく伸び縮みもして、使いやすい。

手提げ紐の部分が長すぎたかな、ちょっとだらんと長く下がりすぎるかな、地面につきそうだと当初は思っていたのだが、長いので肩にかけられる。
重いものをいれても楽ちん。

こういうの、いろいろな大きさ、形でいくつか作っておくと便利かも。

9月24日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

リビングで仕事するときの最近のスタイル(編み物もするけど)

MacBook Pro 13インチ。
iPad Pro 10インチ。
フランクリン手帳。
編み物と編み物道具。
コーヒー。

これだけあれば一日ここで仕事してられます。
ネットも必須だけど。

iPad にはNHKオンデマンド(世界猫歩き)かNetflixか、編み図か、読書中のKindle本を表示させてある。

今日はこのあと、お昼ご飯を作ってから、共感強化練習会の拡大版を。
これは明日の午後にもやります。

8月26日:共感音読カフェ(共感強化期間拡大版)
共感強化期間で拡大版共感音読カフェを開催します。ランチ付き、オンライン参加可。参加者のニーズに応えながら、水城のこれまでの全経験・知見とノウハウをシェアします。

贈りものとして書く文章

共感強化練習会に参加してくれた鹿児島の牧師の久保木聡さんと話していて、はっとさせられたことがある。
詳しい文脈の記憶はぼやけてしまったけれど、久保木さんがある雑誌に文章を連載していることについて、「贈りものとして書く」というような表現を使われたのだ。

そのことばだけがハイライトのように私の意識をとらえて、そうだった、私ももともと、自分がなにかを書くのはだれかにたいする贈りものとしてなのだった、と思い出してはっとなった。

文章にかぎらず、共感的コミュニケーションでは自分が人にたいしてなにかをおこなうとき、贈りものとしてそこに「置く」ようにする。
逆のこともいえる。
だれかになにかされたとき、いわれたとき、それがたとえ自分にとって都合が悪いようなことであっても、その人からの贈りものと見ることができるかどうか。

私が子どものころから文章を書くのが好きだったのは、もちろん自分が楽しいからということが一番にあることは確かだが、つぎにだれかに読んでもらえること、読んでくれた人が楽しんだりおもしろがってくれることがうれしいからだった。

だれかに贈りものをするときもそんな心持ちではないだろうか。
まずは自分が楽しいから贈りものについてかんがえたり、選んだり、買ったり作ったりする。
それを相手に差し出すとき、相手が喜んでくれたらうれしいけれど、相手にとって不要なこともあるかもしれない。
相手が受け取ってくれなかったときはちょっと悲しかったり残念だったりするけれど、そのときの相手の都合やニーズも尊重できるかどうか。

贈りものは相手が受け取りやすいように、あるいは無理に受け取らなくてもすむように、私と相手のあいだにそっと置かれるのが望ましい。
押し付けたり、勝手に送りつけたりするものであっては、相手を尊重することにはならないし、自分自身を大切にしていることにもならない。

私がなにか文章を書く。
このようなブログ記事でもいいし、小説でもいい。
まずは私が楽しくて書いているのだ。
つぎにそれを私とだれかのあいだにそっと差し出す。
だれかがそれを取ってくれるかもしれないし、取らないかもしれない。
ひょっとしたら、取ってそれを味わってくれるかもしれないし、フィードバックをくれるかもしれない。
贈り合いが生まれるかもしれない。
それはとてもうれしいことだが、強要であってはならない。

といろいろ書いてきたが、一番いいたいのは、私は好きでものを書いているのだし、またそれを贈りものとしてそっと目の前に置くことにわくわくを感じているのだ、ということに、久保木さんとの対話を通してあらためて思いださせてもらったということだ。
久保木さん、ありがとう。

〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月24日金曜日

関係修復のための共感セッション

うれしいことに、個人的に共感セッションを受けたいという人が増えてきている。
グループワークでは開示しにくいような、グループワークのような一定のプロセスではとらえにくいような、なんとなくもやもやした悩みだったりプライベートな問題だったり、あるいは長年にわたる深刻な問題を抱えているような人が、私の共感セッションを受けにくる。

その多くが、親しい間柄における関係性の問題だったりする。
夫婦や恋人など親密な関係、親子や兄弟などの肉親関係など。

当事者がふたりで受けてくれることもある。
また、ふたりで受けたいんだけどどうすればいいだろうと相談されることもある。
そんなとき、まず確認するのは、相手にもいっしょの場でセッションを受ける合意があるかどうか、ということだ。

合意がないのはもってのほかだが、ときには気乗りがしないけどこちらに気遣って、とか、強引に押し切られていやいや、というケースもあったりする。
そんな場合、ふたりの間にはいる私としてはかなり苦労することになる。

関係を修復するための方法として、NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)では「調停」というスキルがある。
かなりパワフルな方法で、きちんとしたプロセスがあり、正式にやるとなるとそれなりに準備が必要となる。

そこまできちんとしたものでなくても、共感の方法を用いればもうすこし気楽に関係修復のプロセスを踏むこともできる。
いずれも共感的コミュニケーションという体系が底流にある。

関係修復をはかりたいのに、相手がセッションの場に出ることに同意してくれないときはどうするか。
そんな場合、まずは本人と話をして、なにが必要なのか、どんなことを大切にしているのか、相手を尊重しつながるためにどんなことができるのか、まずは日常のなかで具体的にできることやかけられる具体的なことばをいっしょに探してみることをおすすめしている。
それだけでも関係が修復に向かうことがよくある。

相手だって関係を修復したいと思っているのだ。
たとえ関係を修復したくない、あんたの顔なんか二度と見たくない、といっていたとしても、そのことばの奥にあるニーズに耳をすますことができるかどうか。
本当は大切に思うあまり、どうしていいかわからなくなっているだけかもしれない。
その耳を作ることのお手伝いを、私はすこしできるかもしれない。

8月25,26日:共感音読カフェ(共感強化期間拡大版)
共感強化期間のうち2日間それぞれ、拡大版共感音読カフェを開催します。ランチ付き、オンライン参加可。参加者のニーズに応えながら、水城のこれまでの全経験・知見とノウハウをシェアします。

2018年8月23日木曜日

「正直であること」と「わがまま」の違い

共感的コミュニケーションでは自分のニーズにつながり、自分が本当に大切にしていること、必要としていることを満たすためになにができるか、といういきいきとした行動が重要だと説かれている。
『NVC』の著者であるマーシャル・ローゼンバーグは、著書のなかでも、また公開されているワークショップ映像のなかでも、
「自分がやりたいことだけやりなさい。やりたくない、気が向かないことは一切やらないほうがいい」
と説いている。

共感的コミュニケーションの学びが進んでくると、そのことが本当に有効であり、また大切なことなのだと理解できるけれど、学びがあさいうちはそのことがよく理解されなかった。
実際に勉強会で参加者から、
「そんなふうにふるまう人ばかりだと、世の中、混乱するんじゃないですか」
と訊かれることがある。

その心配も理解できるが、ここで重要なのは、表題にあるとおり、「わがまま」にふるまうことと自分のニーズに忠実で「正直である」ことは別のことである、ということをわかっておく必要がある。

わがままというのは、たとえば、子どもが親に連れられておもちゃ売り場に行き、どうしてもほしいおもちゃがあるのに買ってもらえないとわかったときに、床に寝ころがってじたばたし、買ってくれないとこの場を動かないといって親を困らせてしまうような行動のことだ。
だれもがそういう光景を見たことがあるだろう。

大人でもそういう行動を取ることがある。
なにかをやろうとして、「おれの方法のほうがいい」「いや、私のこの方法がベスト」などと主張しあって対立してしまう。
日常茶飯事だろう。

そんなとき、「わがまま」からさらに一歩踏みこんで、自分は、あるいは相手は、なにを必要としているからそんな方法を主張しているのだろうか、と見ていくのが、共感的コミュニケーションの方法だ。
つまり、ニーズを理解する。

蒸し暑くてエアコンの温度を下げたいと思っているのに、 同居人は温度を下げすぎるのは嫌だという。
これまでずっとその繰り返しで、お互いに腹が立ってうんざりする。
もうこのことには触れたくないのに、実際に蒸し暑くて不愉快だ。
さて、どうすればいい?
無理やり主張を通して、エアコンの温度を下げさせる?
それともずっと我慢しつづける?

わがままを通せば相手をないがしろにしてしまう。
かといって自分が我慢しつづけるのも、自分がかわいそうだ。

そんなとき、お互いにどんなニーズがあるのだろうか。
こちらは蒸し暑くて不快で、快適さを必要としている。
相手はなんだろう? 聞いてみてはどうだろうか。
ひょっとして健康を気遣っているのだろうか?

お互いのニーズを正直に伝えあうことはできる。
ここで「正直」ということばが出てくる。
自分のニーズを正直に相手に伝える。
相手のニーズも正直に伝えてもらう。
それがわかったとき、ではどうすればお互いのニーズをないがしろにせず、協力しあってやっていけるか、なにかいい方法がないものだろうかと、いっしょにかんがえはじめけることができる。

これが「わがまま」と「正直」の違いだ。
「正直であること」は自分と相手を大切にすることであって、決して「わがまま」にふるまうことで相手をないがしろにすることではない。

共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月22日水曜日

朗読会打ち合わせ、音読ケア、のぞみさんの夕ご飯、韓氏意拳

ひさしぶりに岩崎さとこから頼まれて、彼女の朗読会にピアノ演奏で参加することになった。
その打ち合わせに行ってきた。

明日・8月23日(木)の午前10時から、横浜の相鉄線三ツ境という場所にある〈長屋門〉という古民家で、お母さんと子どもたちに向けた朗読のミニコンサートをさとこがやることになって、私はピアノで助っ人として行く。
さとことはけっこう長い付き合いで、もう15年くらいにはなる。
現代朗読協会の旗揚げ公演にも参加してもらったし、オーディオブックもたくさん読んでもらった。
ここしばらく、ごぶさたしていたのが寂しかったのだが、ひさしぶりにやれることになってうれしい。

彼女の朗読について、私は信頼がある。
彼女の朗読には「身体」がある。
現代朗読の稽古の方法を私が確立する前から、さとこはもともと身体的表現ができる人で、とても珍しい。
いまは演劇の人になってしまったのだが、朗読者として専心すれば大成するはずなのに、と私は公言している(これは前にも書いたかもしれないが)。

打ち合わせ後、そのまま拉致して、毎月おこなっている高齢者介護施設でのボランティアの音読ワークに付き合ってもらった。
終了後はいっしょに焼き鳥を買いに寄ったりして、楽しかったな。

国立にもどってくると、のぞみさんと、カリフォルニアからロンとお嬢さんのノエミが来ていて、のぞみさんが夕ご飯を作ってくれた。
肉じゃがやら、親子丼やら、ナスなど野菜の煮びたしやら。

夜は昭島総合スポーツセンターに行って、駒井先生の火曜韓氏意拳講習会。
今夜は上下のまとまり、提携をしっかりと稽古した。
私は自分自身の課題がまた浮きぼりになって、ちょっと嫌になるほど情けなさを感じてしまったのだが、まあ稽古するしかない。

書籍『共感的コミュニケーション』は「2017」と「2018」のどちらから読むか

私の著書『共感的コミュニケーション2018』をひとりの人が2冊買ってくれた。
時々こういうことがあるのだが、自分用のはすでに持っていて、人にプレゼントするために買ってくれるのだ。
自分用のはKindleでいつもスマホに入れてあって、知り合いには紙の本を差し上げるという人もいる。
ありがたいかぎりだ。

このシリーズは『2017』と『2018』の二冊が出ている。
今年の末には『2019』も出る予定だ。
どちらから読んでもらってもいいし、どのページから開いてもらってもかまわないのだが、共感的コミュニケーション(NVC)にまだあまりなじみがないという人は『2017』のほうから順番に読んでもらったほうがわかりやすいかもしれない。

ということを、いちおうおすすめしておく。

『共感的コミュニケーション2017』アマゾンKindle/500円
紙本

『共感的コミュニケーション2018』アマゾンKindle/500円
紙本

これらの本を読んで疑問がわいた人や、私に直接なにか訊いてみたいという人は、8月24日からはじまる(23日はすでに受付終了)共感強化期間のオンライン勉強会に出てみてほしい。

8月23日〜9月6日:共感強化練習会
共感強化期間として集中的な勉強会をオンラインで開催します。共感的コミュニケーション(NVC)、マインドフルネス、手帳術、文章術など、決まったカリキュラムはありませんが参加者のニーズに応えながらギュッと濃縮した内容で、毎回60分おこないます。

2018年8月21日火曜日

手編み帽子、朗読会打ち合わせ、高齢者介護施設での音読ケア

昨日の共感編み物カフェで編んだ、エコアンダリアとエコアンダリア クロッシェの二本取りの帽子。
韓氏意拳の高橋先生から依頼されたものなんだけど、ちょっと深さが足りないので、これは女性向けかな、だれかにもらっていただこう。
高橋先生のために、もう一個、これのもうすこしクラウンの深いタイプのものを編もう。

今日は明後日に横浜の相鉄線三ツ境という場所にある〈長屋門〉という古民家でおこなう岩崎さとこの朗読会のための打ち合わせ。
私はデジタルピアノを持ちこんで演奏する予定。

そのあと富士見台の高齢者介護施設で毎月恒例の音読ケアワークをやる予定。
今回は野々宮も、ほかの音読トレーナーも参加できず、私ひとりで行ってくる。

2018年8月20日月曜日

水色文庫新作「夏の思い出」登録しました

水色文庫の新作「 夏の思い出」を登録しました。

このテキストは2018年8月19日に開催した身体文章塾のお題「アルバイト」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。

2018年8月19日日曜日

編み物:ひと目ずつ編み糸を変えて編む帽子(大変)

編み糸エコアンダリアを使った帽子作りにだいぶ慣れてきたので、ちょっと難しいというか面倒そうなものに挑戦してみることにした。
エコアンダリア・クロッシェという通常の半分の太さの糸を二種類以上使って、ひと目ごとに糸を変えて編み込み模様を作りながら編んでいく帽子に取りかかっている。

これが面倒なのなんのって。

まだ編み方に慣れていないせいもあるのかもしれないが、やたら時間がかかる。
ひょっとして効率的なやり方があるのかもしれない。
だれか知っている人がいたら教えてほしい。
ちょっとYouTubeで調べてみたけど、出てこなかった。

完成したらきっと素敵なんだと思うけどね。

8月20日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

音楽を使った朗読レッスンはほかではあまりやっていない

午前中は朗読の個人レッスンだった。
そのようすをほんのすこしだけ抜粋して紹介する。

現代朗読ではテキストを「読み方」を教えたり、「やってはいけないこと」を指摘するようなことはなく、いまこの瞬間自分の身体がそのテキストをどのように表現しようとしているのかに注目は、それをさまたげない練習をする。
基本はまず、一瞬一瞬変化しつづけている自分に注目できるかどうか、その観察眼を持てるかどうか、という点になる。
そのときに役にたつのが音楽だ。
とくに先が予測できない即興演奏といっしょに読むのは、自分の変化に気づくよいチャンスになる。

私はピアノ弾きなので、ピアノを使った即興演奏で朗読者とおなじ時間軸を移動することになるのだが、おたがいの刺激がおたがいの変化をもたらし、またその変化に気づきやすくなる。
そうやって自分の生命現象がもたらす変化に注目し、それをさまたげずにのびのびと読めるようになっていったとき、朗読者はその人本来のフレッシュな表現の発露ができてくる。

たぶん、このようなレッスンができる場所はあまりないだろう。
朗読という声と身体の表現に興味があるかたは、個人レッスンや現代朗読ゼミ、公開レッスンなどに参加してみてほしい。

今日レッスンしたちさとさんとは、来週、本収録をおこなうことになっている。
どのような朗読作品が生まれるのか、私も楽しみだ。

8月24日:現代朗読ゼミ
朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、終了後は気楽なカフェタイムも。8月の開催は24(金)19時半から約2時間。

9月16日:朗読表現公開レッスン講座(音楽演奏付き)
長年、朗読演出と作品構成、ステージ共演にたずさわってきた水城雄がもっとも得意とする講座を、公開レッスン方式で開催します。個別に朗読演出をおこない、ピアノいっしょに練習したあと、最後にひとりずつピアノ共演で発表します。

編み物:エコアンダリア2本引きそろえで編む秋の帽子

Kindleで買ったエコアンダリアという編み糸で編むかぎ針の本を見ながら、帽子を編んでいる。

この夏、エコアンダリアという編み糸が気にいって、帽子を編みはじめ、これで何個めだろうか。
たぶん6個めとか7個め。
夏場は編み物に向かないと思っている人がいるかもしれないけど(私もそう思っていた)、素材によっては夏でも春でも、秋でも、ちゃんとふさわしい編み物がある。

ところで、そろそろ専用の帽子スタンドがほしくなってきた。
といっても、編んだ先から人にあげてしまうのだが。

今回は2本の編み糸を引きそろえて編む方式に挑戦してみた。
2本をまとめて編むので、半分の編み目、半分の手間でさくさく編めるんじゃないかと思っていたのだが、違った。
たしかに目はざっくりとするのだが、糸がたるむと1本だけ取りそこねたり、編み地が分厚くなったりと、手間は1本取りとそう変わらない。
むそろ編み始めは(私だけかもしれないが)窮屈になって苦労した。

エコアンダリアのブルー系のかすり染めという糸と、クロッシェという通常の半分の太さの糸の2本を引きそろえて編む。
ブリム(帽子のつばの部分)はテクノロートという細い形状記憶素材を編みくるんでいく。
編み上がったあとで形が整えやすいためだろうが、実際に編みあがったあとにその効果はよくわからない。
テクノロートを編みくるまなくても、2本取りで厚みがあるので、そう変わらないような気もするが、今度テクノロートなしでおなじものを編んでみて、その結果を検証してみよう。

編み図に指定してあるかぎ針の号数どおりにやると、どうもゆるく、仕上がりが大きくなってしまうような傾向があるようなので(ずっと逆にきつくなってしまうと思いこんでいた)、今回は指定の号数「7.5」より小さい「7」号のかぎ針で編んでいったら、途中、どうみても頭囲が小さくなりすぎて、子どもサイズみたいになってしまいそうだったので、編み目を増やしたりしてなんとか対応してみた。
そのせいか、仕上がりの形が編み図どおりにならなかった。
まあそこそこいい感じにはなったので、よしとするが、課題が残った。

てなことを、今日は個人セッションやら共感セッションの合間にこつこつと進めていた。
明日・20日(月)午後15時からは共感編み物カフェを開催するので、編み物をしたい人も、とくにしたくない人も(ほかのことをしてくれてもかまいません)、気楽にご参加ください。

8月20日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
編み物をしながら、お茶を飲みながら、ゆるく共感しあうまるで昭和の家の縁側のような安心できる居心地を提供しています。編み物のほか、なにかやりたいこと、手仕事など各自お持ちください。

2018年8月18日土曜日

YouTube:朗読「蛇」狩野亜矢子

夏目漱石の小品集『永日商品』より「蛇」という短編を、公開レッスン参加の狩野亜矢子が朗読しました。
ピアノとの即興セッションです。
朗読と音楽の共演をお楽しみください。

 朗読 :狩野亜矢子
 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

2018年8月16日木曜日

個人セッション・共感イベント強化月間

(写真は朗読レッスンに来てくれた亜矢子さんに新作の帽子をかぶってみてもらったところ)

7月・8月は夏休みのせいか、お盆のせいか、暑いせいか(あるいは私のイベントだけなのか)、いつもの講座や勉強会の集まりがあまりよろしくないのだが、ありがたいことに個人セッションのリクエストは多くなってきている。
また、月末に予定していた佐渡教会でのピースキャンプに参加しないことにしたので、スケジュールがだいぶゆったりになった。

この機会に書籍などのテキストコンテンツや映像コンテンツ、その他雑用を集中的に片付けてしまうべく、今月・8月いっぱいと9月上旬は国立・春野亭のスタディルームに立てこもることにした(涼しいしね)。

それ以外には毎月定期的に開催している勉強会は予定どおりおこなうし、また個人セッションも歓迎したい。
とくにオンラインでのセッションは気楽にリクエストいただきたい。

個人セッションとしては、

・共感セッションによる個人的な問題、人間関係の問題の相談
・朗読やオーディオブック収録、声の問題についての個人レッスン

などを受け付けている。
個人セッションを受けることが可能な詳細日時は、こちらからご覧いただきたい。

共感的コミュニケーション関係の勉強会は、

8月18日:共感音読カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
8月20日:共感編み物カフェ@国立春野亭(オンライン参加可)
9月5日〜:共感手帳術講座@オンライン
9月7日:共感カフェ@世田谷野毛〈楽ちん堂CAFE〉

朗読関係の勉強会は、

8月18日:現代朗読ゼミ
9月8日:現代朗読ゼミ

テキスト表現関係の勉強会は、

8月19日:身体文章塾
9月2日:身体文章塾

音読療法関係のイベントは、

8月23日:おとなの音読カフェ@池尻大橋アカシデカフェ
9月8日:ボイスセラピー講座@国立

といったものがあります。
興味・関心をひかれるものがあれば、気楽にご参加ください。

2018年8月15日水曜日

朝からみつばちで大忙し

今日は朝から日本みつばちの世話と突発的できごとで大忙しだった。

夏にはいってから調子が悪くなっていた旧群が、かなり働き蜂の数が減り、貯蜜や育児もはかばかしくなくなってきていたので、給餌をしてみようかということになった。
やるとなるとちょくちょくようすを見て、補給をしてやりたいので、車で30分かけて私が頻繁に行くより、近くに住んでいるみつばち部員にお願いできればありがたい。
そこで部員のはるかさんに頼んで、給餌のやりかたも教えるべく、今朝、いっしょにあした農場に行った。

給餌のしかたを教えて、私はいったん国立の家にもどった。
しばらくしたら、あした農場の渡辺さんから電話がかかってきた。
「どうも分封してるみたいです」
この時期に?

聞くと、蜂がたくさん飛びまわって、分封のときとそっくりの動きを見せているという。
時間的にも時騒ぎとは違いそうだ。

蜂たちの動きが落ちついて、蜂球が確認できるようなことがあれば、もう一度連絡してください、といって、いったん電話を切った。
すぐにまたかかってきて、蜂球が近所の林のなかにできている、という。
しかも今回は低い場所だという。
春の分封のときは、えらく高い場所に蜂球ができて、大変苦労したのだ。

すぐに駆けつけることにした。
ついでにはるかさんに連絡したら、同行できるという。
取りこみに人手が必要なので、ありがたい。

行ってみたら、あした農場ではなく、農場の上のほうの道路脇の雑木林のなかのクヌギの幹に、蜂球ができていた。
かなり大きい。
いったいどこから来た群なのか。
ひょっとしたらみつばち部の旧群の逃去群かもしれないが、どこかよそから分封してやってきたものかもしれない。

とにかく、取りこむことにした。
すでに渡辺さんがハシゴを立てかけてくれていたので、そこにのぼって、網と段ボール箱を使って捕獲開始。
大きな群だったので、3回に分けて捕獲し、用意してあった巣箱に移した。

見ているとどうやら落ち着きそうだ。
取りこぼした働き蜂も巣箱にはいっていくようすがある。
このまま落ち着いてくれるといいのだが。

そのあとで確認すると、農場の旧群の巣箱のなかはほとんど蜂がいなくなっていた。
この逃去群なのかもしれない。
が、そうだったとしても、調子が悪くなっていたところだったので、やりなおしができてよかったかも。

今日は午前7時から30度を超える気温で、暑いなかでの作業だった。
おつかれさまでした。
私も朝からふた仕事くらいした気分になった。

【追記】
渡辺さんからいましがた連絡があり、捕獲した群は結局、全部逃去してしまったとのこと。
残念!
むずかしいなあ。

水色文庫新作「ファラオの墓の秘密の間」登録しました

水色文庫の新作「ファラオの墓の秘密の間」を登録しました。

このテキストは2018年7月29日に開催した身体文章塾のお題「麦わら帽子」にそって書いた作品です。
身体文章塾の詳細についてはこちらをご覧ください。

2018年8月14日火曜日

日本みつばち:夏場の蜜現不足と働き蜂不足で弱体化している

朝からあした農場に行って、日本みつばちの巣箱の内検をしてきた。
昨日から春野亭に滞在していた照井数男くんもいっしょに、ほかに江美さんとはるかさんもお手伝いで同行。

去年から置いてある古いほうの群の勢いがなくて、巣にも蜜がたまっておらずすかすかに。
たぶん、夏場の蜜不足と、働き蜂不足の両方だろう。
幸い、スムシにはやられていないようす。
幼虫とサナギが少ないながらいるので、女王蜂は健在と思われる。

もう一方の今年分封したばかりの新群は元気で勢いがあるが、巣は思ったほど伸びていない。
やはり夏場の蜜不足がたたっているのだろうか。

YouTube:ボランティア・ピアノコンサート抜粋@福井県立病院

2018年8月7日。
数か月おきにおこなっている福井県立病院のエントランスホールでの「夏のピアノコンサート」の記録映像から、一部を抜粋してご紹介します。

 ピアノ:水城 雄

映像はこちら

2018年8月13日月曜日

ゴーヤとなすとピーマンと甘唐辛子の天ぷら

先日作った野菜の天ぷら。
揚げ物は好きだけど、なぜか天ぷらは苦手意識があった。
が、今回はすこしだけ克服した感があった。
また練習がてら作ってみよう。

ゴーヤの天ぷらは期待していたほどではなかった。
ナスとピーマンの天ぷらはおいしかった。
甘唐辛子は激辛の当たりつづきだった。天候のせいかもしれない。

一昨日の韓氏意拳・撃研と昨日の自主稽古で、階段の上り下りに支障をきたすほど、ケツと太ももの後ろ側が筋肉痛。
明日の夜も昭島で講習会。
今週金曜日は国立春野亭で、駒井先生をお招きしての初級と養生功の講習会ふたコマ。こちらは体験参加可能で、どなたも歓迎。

8月17日:国立・韓氏意拳初級講習会

8月17日:韓氏意拳養生功講習会@国立

山梨北杜市の山荘での共感朗読カフェ、2回め終了

先月、テスト的に開催してみた北杜市の桂さんの山荘での共感朗読カフェを受けて、今回2回めをおこなった。
スペースのつごうで定員8名と決めてあって(講師と主催者含む)、今回は定員いっぱいの開催となった。

なぜか最近、北杜市近隣に仕事で引っ越した人や、隣の長野県原村に住んでいるかたが引きよせられるように来られて、すこし前までほとんど縁を感じなかった土地なのにと、不思議な感じがした。
また、以前からの知り合いで奈良に引っ越して住んでいるゆきえさんが、遠来はるばる参加してくれたのもうれしかった。

東京組は私と野々宮、ゼミ生の勝木雪子が参加した。
お盆休みの渋滞を予測して国立を午前9時すぎに車で出発した。
案の定、八王子から上野原のあたりまで、のろのろ運転の渋滞だったのだが、それは予想どおりで、双葉のサービスエリアで昼食をとったり、北杜市のインノという最近評判のパン屋に寄る時間もあって、開始時間の13時前にはちゃんと到着できた。

なにしろ遭難しそうなほど難解な道順なので、遅刻する人が出たりしたが、まずは欠員なく無事に開催できた。

表現とはなにか、表現行為としての朗読とはなにか、自分自身を表現するとはどういうことなのか、変化しつづける現象としての自分に注目するとはどういうことなのか、自分の本来性と社会性を切りわける必要性とはなんなのか、集中するとはどういうことなのか、自分の全体が発声・朗読という身体運動に参加するときどんな感じがするのか。
そんなことを検証するワークを順次おこなっていく。

最終的には自分自身の変化や生命現象に目を向け、そこから発生してくるものを邪魔しないでありのままに表現できるか、お互いにそれを受け取りあうことができるか、そしてみんなでつながりをもったままグループ表現をできるかどうか。

私も朗読に参加したし、最後にはピアノ演奏(北斗の山荘にはピアノがある)で参加したりもした。
このままステージにあげて発表したいような作品になったように思った。

途中、大量のスイカをいただいたり、お茶を飲んだり、桂さんの心使いで楽しくすごさせていただいたり、終了後は個別に武術的な稽古の確認をしたり、共感的に話を聞いたりもできた。

個人山荘のなかで、とても不思議な空間と個性豊かな人たちの集まりが実現している。またお互いに共感的に受け取りあい、攻撃されたり評価されたり、受け入れられいということがない場所にもなっている。
個人的な悩みやプライベートの問題がある人は遠慮せず話すことができるし、それにたいして分析や評価、アドバイスを受けるとはない。

このイベント、来月も開催することが決まっていて、日程は9月17日(月/敬老の日)にほぼ決定。
定員少数なので、興味がある方は早めにお申込みください。

9月17日:共感朗読カフェ(Verba Actus)@山梨県北杜市
Verba Actus とは、共感的コミュニケーションをベースに表現行為を自分自身のなかで統合し、全体性を探求する場です。稽古は朗読する、声を発する、声と身体のつながりを見る、などが中心となります。

2018年8月11日土曜日

共感手帳術第3期のスタート講座、終了

今日は午前11時からついいましがたまで、共感手帳術講座ベーシック編をやっていた。
少人数でじっくりと、つながりを大切にしながら。

共感的コミュニケーション——NVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)を実践的に身につける方法として、手帳を使うこのやりかたはもっとも有効なもののひとつだということを、今日も確信した。
ごちゃごちゃした日々のルーティンやスケジュールの整理もできるしね。

参加者にワークをしてもらっている間、大人用のどんぐり帽を編みあげた。
これは山形の韓氏意拳の教練である高橋先生から、釣り用にとリクエストされたもので、今夜これから参加する昭島のスポーツセンターでの撃研の稽古で駒井先生に託そうと編んでいたもので、間に合ってよかった。

写真は手帳術講座の参加者に仮にかぶってもらったもの。
女性にはちょっと大きすぎる。

というわけで、これから急いで昭島に向かう。

2018年8月9日木曜日

福井県立病院で音読療法のケアワークを

2012年の秋からほぼ3か月に1度のペースで、福井県立病院のエントランスホールでのボランティアピアノコンサートを開催している。
丸6年になろうとしている。
20回近く、おこなってきたことになる。

毎回60分程度のソロピアノ演奏で、どなたも自由に無料で聴くことができる。
だれもがよく知る童謡や季節の唱歌、外国の民謡やポップス、映画音楽、そしてときにはオリジナル曲なども演奏するのだが、毎回即興アレンジで気のおもむくままに展開するので、自分でもどのようになるのか、はじまってみないとわからないという楽しさがある。

今回も夏の曲などほぼ10曲くらいを演奏してきたのだが、用意していただいた席がほぼ満席になるほど盛況で、ありがたいかぎりだった。

そんな長い付き合いになる福井県立病院なのだが、私が音読療法協会のファウンダーであり、音読療法の普及活動もおこなっているというのを知った事務局のかたから、なにか高齢者向けのケアプログラムをとかんがえている看護部のかたたちと、今回お引き合わせいただいた。

私だけでなくボランティアコンサートを頻繁に開催していることからもわかるように、福井県立病院では地域とのつながりを大切にしていたり、また今回うかがった話では、医療行為だけでなくご高齢のかたたちにも優しいケアが病院独自に提供できないかとかんがえておられるということで、音読療法で協力できることになったのはとてもうれしいことだ。

まずは看護部のみなさんに体験していただく予定だ。
そのあと、音読ケアワークを高齢のかたたちにやらせていただき、できれば看護部のかたに音読ワークの進めかたを体得もらって定期的に開催されることがベストだと思っている。
そのためのサポートはできるかぎりおこないたい。

ともあれ、音読療法が公立の病院(病床数1,000)で利用してもらえるようになるのは、とてもうれしいことだし、ほかにもこのような貢献ができる病院がたくさんあるのではないかと想像していて、気軽にお声がけいただければと願っている。

2018年8月7日火曜日

8月の天白朗読と共感のコラボWS、終了

2018年8月5日、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉にて、水野生惠さんが世話人をやってくれて、午前は現代朗読のワークショップを、午後は共感的コミュニケーションの勉強会をおこなった。
参加者はいつもよりすくなめだったが、その分じっくりと取り組めたように思う。

共感的コミュニケーションは座学になることが多いが(私の場合はね)、なるべく「ニーズにつながる」「自分自身に気づく」「いまこの瞬間に居つづける」ことを体感してもらいたくて、できるだけ身体ワークと組み合わせたいと思っている。
とくに最近はそれを強く思うようになってきていて、いっそのこと共感的コミュニケーションの勉強会というより、朗読のワークを共感ベースで、とか、音読ワークを共感ベースで、といったふうに身体ワークを中心軸にしたほうがより私らしく伝えられるんじゃないかとかんがえている。

最近のアロマファンでも、私から提案するまでもなく、朗読や音読をやりたい、という共感仲間が増えてきていて、自然に朗読のワークショップをやるようになった。
アロマファン以外にも、定期的にやることになった山梨・北杜市の山荘でのワークショップや、岐阜・各務原での集まりでも、朗読を筆頭に身体的ワークをおこなうことになっている。

こころと身体は別々のものではない。
あたまと身体はバラバラではなく、一致していたほうがいい。
あたまで「こうすべき」と思っていても、身体が思うように動かないというのはだれもが経験することだろう。
本当は自分がどうしたいのか、なにを大切にしているのか、どんなニーズがあるのか、それはあたまとか身体の問題ではなく、自分という全体性の問題なのだ。
自分にはなにが必要なのか。

その先には、すべての人にもおなじことがいえる、またすべての人がひとしく(自分自身がそうであるように)尊重されることが望ましい、という風景が自然に見えるだろう。
これが共感的コミュニケーションの進みたい世界だと思う。

アロマファンではそんな世界を体感し、みなさんといっしょに体現して、とても豊かでしあわせな気分に(今回も)なった。
ありがたいことだ。
大切なつながりの場所のひとつだ。

9月もこちらで朗読と共感のワークを開催することになった。
都合のつくかたは、午前でも午後でも、あるいは都合がつくなら通してご参加いただけるとうれしい。
お会いできるのを楽しみにしている。

9月9日:朗読と共感のコラボWS@名古屋天白アロマファン
朗読と共感的コミュニケーションを両方体験し、実践を深めることができるワークショップを、午前と午後にそれぞれ、名古屋市天白区の古民家スペース〈アロマファン〉で開催します。

2018年8月6日月曜日

楽器を弾こう!

帰省中。
北陸も暑いけれど、東京や名古屋ほどじゃない。

今朝は井戸水をくみあげるポンプを動かして、池に水を張った。
するとボウフラが湧くので、あとでホームセンターに行ってメダカを買ってこよう。

音読トレーナーのみっちーこと山縣理人くんがFacebookで興味深い記事をシェアしていた。

「楽器を弾くとき、脳で何が起こっているのか? 「演奏する」ことの驚くべきメリット」

なるほどねー。
たしかに楽器を演奏するというのは、運動でもあるし、聴覚や視覚も総動員する。
脳のいろいろな部分が活性化するだけでなく、連動するだろう。
音楽家は長生きするとか、長生きするだけでなく健康寿命が長いとか、痴呆症が少ない、などともいわれるが、たしかにそれはあるかもしれない。

私もピアノを弾くけれど、とても集中してトレーニングするときもあれば、気楽に演奏を楽しむときもある。
ひと前で緊張しながらライブ演奏することもあれば、朗読者と即興的に共演を楽しむこともある。
コンサートも緊張ばかりしているわけではなく、リラックスしたり、聴衆とコミュニケーションを楽しむこともある。

明日も福井県立病院で3か月に1度の恒例となっているピアノコンサートを開催する。
よかったら聴きにきてください。
そして演奏する仲間が増えるとうれしいし、しかも即興的な交流を楽しんだり、おなじ曲を合奏しても自由に楽しめるようなつながりが生まれるともっと楽しいだろう。

8月7日:福井県立病院・初夏のピアノコンサート
2018年8月7日(火)午後1時半から、水城ゆうのピアノコンサートが福井県立病院で開催されます。冬の童謡・唱歌などの懐かしいメロディーやオリジナル曲を自由なアレンジでお送りします。無料。

2018年8月4日土曜日

朗読の公開レッスン講座でおこなっていること

長年、朗読やナレーションなど声の表現者とかかわってきた。
すると、その人の読み方や話し方、発声——つまり声が、その人のこころと身体の状態をあからさまに現していることに気づく。
声はいくらとりつくろっても、その人のこころや身体の状態をあますところなく、如実に、正直に現してしまう。
隠しようがない。

聞いている側もそれを受け取り、無意識に相手の状態を知るのだが、社会生活のなかではそこには目を向けることなく、相手が話している内容や情報に目を向けたり、話す技術に気をそらされたりしている。
また、話し方や朗読表現も、話や文章の内容をどれだけ正確に、流暢に、美しく伝えるか、また発音・発声をどのようにコントロールするか、場合によっては自分ではない何者かになって演技したりキャラクター表現することを練習したりする。

現代朗読ではそれをやらない。
技術的なものを付け加えたり、自分をコントロールするようなことは一切せずに、ただただ正直に自分自身のこころと身体の状態に注目し、そこから発生してくるものを「妨げない」ようにする。

演出家としての私も、朗読者と対峙するとき、ただただその人のありのままの生命現象をさぐり、もしそれを妨げるようなことを本人がしているとしたら、そのことに気づいてもらったり、なにか提案してやり方を変えてもらったりすることで、よりその人らしいいきいきとした存在が表出することをいっしょに試みる。

先月からおこなっている朗読表現の公開レッスン講座でも、その方法を用いている。
あともうひとつ、私には有効な手段がひとつあって、それはピアノの即興演奏で朗読者にリアルタイムによりそうことができる、ということだ。
音楽ということばの「意味」ではない音声そのものの交流によって、朗読者は自分が発していることばという「音声」に気づいたり、そのことで私と交流することを楽しんだりする。
これはとても豊かな時間なのだ(やってみればわかります)。

朗読という音声表現の可能性、そしてそこに音楽が加わることにさらに広がる交流(コミュニケーション)表現の世界、そんなことを気軽に楽しんでいただければと思っている。

8月16日:朗読表現公開レッスン講座(音楽演奏付き)
長年、朗読演出と作品構成、ステージ共演にたずさわってきた水城雄がもっとも得意とする講座を、公開レッスン方式で開催します。個別に朗読演出をおこない、ピアノいっしょに練習したあと、最後にひとりずつピアノ共演で発表します。

2018年8月3日金曜日

ごきげんなQ2nを紹介

けっこう前から(すくなくとも10年以上)Zoomという音響機器メーカーの製品を重宝している。
最初は音楽やスピーチを録音するためのハンディレコーダーを買ったのだと思う。
安い割にクオリティが高く、また機能も私の使用目的に合うものだった。

レコーダーといえば会議やボイスメモを録るためのICレコーダーがたくさん出ているけれど、これらはマイク性能が低くて私の目的には合わなかった。
Zoom製品はマイク性能がよく、また特徴があって、おもしろいものをたくさん出している。
いまでも音録りには、だいぶ前に買ったH4nというものを愛用している。

これはマイク用のキャノンというコネクタを装備していて、プロ用音響マイクを直接ぶっ刺すことができる。
ファントム電源も提供しているので、コンデンサマイクも使える。
と書いても、一般的にはなんのことやらさっぱりわからないだろうと思うが。

そのうちZoomはビデオカメラも装備した製品を出すようになった。
最初は解像度は低く、カメラはおまけで付いている音響レコーダーという感じだったが、最近はカメラ性能もだんだんあがってきている。

いま使っているのはQ2nという、超広角のフルハイビジョンカメラ付きレコーダーだ。
あくまで音響レコーダーだと思っているのは、マイク性能にこだわりを持ちつづけている製品だからだ。
しかも、安い!
1万5千円くらいで買える。

1年くらい前から愛用していたこれが壊れたので(かなりヘビーな使い方をしていたからね)、修理に出すことにした。
が、修理に出しているあいだ、ないのは困るので、つなぎで新品を購入した。
修理からもどってきたら、2台持ちになってもいいし、だれかにゆずってもいい。

ビデオカメラなんだけど、音質がすばらしい。
XYステレオマイクを搭載し、最高24bit/96kHzのハイレゾ音質をカバーしている。
録音モードも、ライブ演奏、スピーチ、会議、自然環境音など、いくつか設定できる。
録画モードもいくつか切り替えることができる。

ほかにコンピューターにつなげばUSBカメラとしてネットミーティングなどでも広角で使えるとか、カードリーダーにもできるとか、いろいろある。
専用バッテリーではなく、単三電池やリチウムイオンが使えるのもいい。
そしてとにかく小さくて、どこにでも置ける。
カメラシューにマウントできるので、三脚なども使える。

とにかくごきげんな機械で、毎日愛用して、使わない日はないといってもいいくらいだ。

2018年8月2日木曜日

お祝い日記をつける(共感手帳)

共感的コミュニケーション(NVC)を身につけるためにとにかくおすすめしたいのが、書くことだ。
書くといってもごく簡単なメモ程度のものをささっと書きつける習慣を持ってほしい、という程度のものだ。

手帳、ノート、スマホ、なんでもいいのだが、自分がもっとも気軽にメモできるもの、いつも持っているものにさっと書きつける習慣を、まず身につけたい。
なにを書きつけるのか、が肝要だ。

なにかできごとが起こり、気持ちが動いたことがあれば、簡単にそれを書きとめてみる。
だれがいつなにをいったのか、いわれたのか、どんなことがあったのか、ごく簡単に、自分にだけわかればいいのでできるだけ簡潔に書きとめてみる。
つらいことも悲しいことも、腹が立ったことも、うれしいことも、わくわくしたことも、気持ちが動いたことはチャッと書きつけておく。

そうしておいて、もし余裕があれば、そのとき動いた感情も、その下に書きつけておく。
いらいらする、窮屈な、悲しい、うれしい、どきどきする、むかつく、そんなことを、思いつくままにメモしておく。

さらに余裕があれば、その感情はいったいどんなニーズから生まれてきているのか、ちょっと注目してくる。
理解が必要だったのか、尊重が必要だったのか、配慮が必要だったのか、あるいは学びや遊びのニーズが満たされたのか、安心できたのか。
そのときに余裕がなければ、あとでゆっくりメモをながめてかんがえてみればいい。

この自分のニーズを確認し、それにつながることを、自己共感という。
共感的コミュニケーションはすべて、自己共感をホームポジションとしてスタートする。

とくに私がおすすめしたいのは、満たされたニーズに注目するためのページを作っておくことだ。
一日の終わりでもいいし、ちょっとしたタイミングでもいい。
なにかニーズが満たされたことがあったら、そのことをとくに強調してメモしておく。
満たされたニーズを大きく書きだしてみる。

満たされたニーズを味わうことを「お祝いする」という。
このお祝いをしっかりしておくことこそ、自分で自分を認める、自分が自分自身のままでいいという自己承認、自信を持ち自分の立脚点を明確にすることにとても役立つ。
他人から承認されないと落ち着かないのではなく、自分が自分を認めることでいつも落ち着いていられること、これが現代日本人にもっとも必要で大切なことかもしれない。


8月11日〜:共感手帳術講座@国立春野亭(またはオンライン)
もやもやのない「いまここ」に集中できる自分であるための「エンパシーノート」の活用法を学び、自分に共感する習慣を身につける練習をします。ベーシック編、アドバンス編、それぞれ2日間の計4回講座です。