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2012年12月11日火曜日

他人に対して寛容になれない人々

photo credit: s_falkow via photopincc

「他罰性」ということばがある。なにか悪いことが起こると、それを他人のせいにして、他人を罰しようというふるまいのことだ。

少し前に話題になったが、漫画家のさかもと未明がJAL機のなかで、泣き止まない赤ん坊のことで「ブチ切れ」てしまい、搭乗員や母親にクレームをつけたあげく、着陸姿勢にはいっているにもかかわらずシートベルトをはずして席を立ち騒いだ、という事件があった。
これも寛容さを失ったことによる事件だろう。

赤ん坊は泣くもの、しかし泣く赤ん坊を抱えてお母さんもさぞかし困っているんだろう、みんなであやしてみようか、あるいは赤ん坊になにか問題がないか診れる人はいないか、せめて着陸するまで我慢しよう、というのが大人の態度であり、とくに寛容とというわけでもないと思うが、非寛容がもたらす問題が噴出している。

さかもと未明は「自分が耐えられないと思ったことを正直に表明して、問題提起をした」というような論調で書いている。
自分に正直になることと、どのようにふるまうかについては、まったく別の問題である。
自分に正直になることと、自分本意にふるまうことは別の話だ。

共感的コミュニケーションでは、まず自分がなにを大切にしているのか/必要としているのかに目を向ける。
この場合だと、快適なフライトが必要だったのだろう。
それを赤ん坊の鳴き声で阻害された。
では、泣く赤ん坊を泣き止めさせればいいのか、母親にどうにかしろ、乗務員にどうにかしろとクレームをつけるのか、あるいは自分が飛行機から飛びおりればいいのか。
それでは自分を大切にすることにならないことは、だれでも想像がつく。

自分を大切にするというのは、人間関係においてどの解決策が最善なのか、相手のことも尊重しながらともにかんがえて、お互いの必要を満たしていく方法を見つける、ということだ。
自分は自分を大切にするし、また他人からも大切にしてもらいたいのだから。

なにか悪いことが起こって人を罰したり、非難したりしても、さらに自分を傷つけるばかりで自分を大切にすることには全然ならない。
しかし、現代人は他罰性を多く身につけてしまっている。
それは別項でも書いたように「人の上に立ちたがる」習性が身についてしまっているからだ。

この習性を捨てること、共感的なふるまいを身につけること、これが人生を豊かで幸福なものにする一番の近道だ。

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