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2019年2月2日土曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(29)

iTunes Music Store のオーディオブックコンテンツは、当時、オーディブルインクの日本支部が管理していた。
この部署ははっきりいって、非常に連絡がつきにくく、動きのにぶい部門だった(当時の私の印象)。

こちらにコネクションを持っている会社があって、その会社とはiTunesがやってくる前から取引があった。
ある電子機器メーカーで、独自にオーディオブックの展開をしていたのだ。
そこがアイ文庫コンテンツを買ってくれていた。

そのメーカーから独立した人がオーディオブック専門の会社を立ちあげ、オーディブルインクとの橋渡し役を引きうけてくれた。
ことのは出版という会社で、いまもがんばっている。
オーディブルインクはその後、アマゾンに吸収され、現在はアマゾンのオーディオブック部門となって、多くのコンテンツを配信している。

ことのは出版はアイ文庫のコンテンツをiTunesに渡してくれたり、共同製作として資金を提供してくれた。

コンテンツの収録・製作は、前に書いたように、豪徳寺のワンルームマンションでちまちまとスタートしたのだが、その後梅丘の一軒家を借り、さらに豪徳寺の酒屋の地下室を借りてスタジオとした。

地下室は収録には最高の環境で、とにかく静かだった。
ただ湿気がひどく、常時除湿機をフル稼働させておく必要があった。
完全暗転にもできる環境で、かなりの広さもあったので、ライブ会場にもできた。

スタートしていた朗読研究会が朗読講座、朗読ワークショップと発展し、そこでつちかわれた表現を発表するためのライブもおこなうようになった。
私がシナリオを書き、群読パフォーマンスを作りあげた。
私もピアノやシンセサイザーなど、音楽演奏で参加して、ライブパフォーマンスを作った。

朗読公演としてはなかなか斬新な内容で、いつしか「コンテンポラリー朗読」あるいは「現代朗読」という名称が生まれた。
なんとなくドイツのコンテンポラリーダンスの舞踊団であるピナ・バウシュの「タンツ・テアター」を連想していた。
ダンスでピナがおこなっているようなことを、朗読でやっているような気がしていた。

この地下スタジオからは、コンテンツもライブパフォーマンスもたくさんの作品が生まれた。
音楽や小説の仕事も、この地下スタジオの時期は私にとって重要な時間でもあった。
年齢的には40代後半から50にさしかかろうというときだった。