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2019年1月23日水曜日

私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(21)

1985年の夏、私は地元と出張先の田舎で子どもたちにピアノを、福井市内で大人のためのポピュラーピアノ教室とラジオの仕事を、そしてもうひとつ、近所の小さな本屋で小中学生相手の学習塾の先生もすこしだけやっていた。

世間では豊田商事の会長が取材陣の目の前で刺殺されるという大事件が起こり、松田聖子と神田正輝が結婚していた。
その前の年の10月には息子が生まれたばかりで、仕事と育児で忙しくすごしていた。

その日は近所の本屋で子どもに勉強を教えていた。
そこへ家から連絡が来て、どこかの出版社から電話があって本がどうとかいってるんだけど、まったく要領を得ない、こちらからかけなおしてといわれたんだけど、と電話番号を書きとめてあるという。
本を注文したかなにかで、そのことじゃないの? といわれたが、たしかに私はけっこう本を買っていて、たまには出版社に直接在庫がないか問い合わせることもあったので、なにかそんなことだろうと思った。

家にもどり、メモにあった番号に電話をかけた。
東京の番号だった。
かけると徳間書店という出版社で、電話をかけてきた人の名前は今井さんといった。

今井さんが電話に出たので、私は名乗り、お電話をいただいたそうですが、と伝えると、向こうでなにやら絶句するような感じがあった。
「やっと見つけましたよ。いやあ、大変だった」

なにが大変だったのかといえば、私の電話番号を探しあてるのに苦労したのだという。
「小説の原稿を送っていただきましたよね。かれこれ1年半くらい前のことですが」
そういわれても、とっさになんのことかわからなかった。
それほどすっかり書いた小説のことを忘れてしまっていたのだ。

ようやく思いだした。
それにしてもずいぶん前の話で、まだ京都にいたときのことだ。
今井さんによれば、原稿を読んで連絡しようとしたはいいが、京都の電話番号はもう使われていないという。
きっと引っ越したのだろうと、あきらめかけたのだが、原稿の末尾に私の略歴が書いてあり、そこに出身地が記されていた。
だめもとで「104」に問い合わせたら、私の電話番号が判明したというわけだ。

今井さんがいうには、
「小説が大変おもしろかったので出版したいと考えています。つきましては一度東京までおいでいただけないでしょうか」
ということだった。