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2018年1月15日月曜日

現代朗読で「読む」のは本ではなく自分自身

昨日の午前中は今年2018年初の現代朗読ゼミを開催した。
参加者は、ゼミ生が1人と、単発参加の人が2人だった。
単発参加のうちの1人は常連といってもよく、もう何度目かのリピーターであるが、毎月必ず参加できるとは限らないので、まだゼミ生にはなっていない。
しかし、気持ちはゼミ生であるとのこと。

もう1人は完全な初体験の人で、朗読自体もこれまで習ったことはないとのことだった。
現代朗読や音読療法、そして共感的コミュニケーションに興味を持ってこちらにやってきたそうだ。

初参加の方がおられたので、現代朗読が何をやっているか、何をめざしているか、どんなことをやるのかを簡単に説明をする。

現代朗読の最大の特徴は、本やテキストを伝達のために読み上げるのではなく、自分自身を表現するために朗読という表現行為を使うところにある。
伝達のための朗読行為は、朗読者を取り替え可能であるが(取り替えても目的は達せられる)、表現のための朗読行為は表現者を取り替えることができない。
逆に本やテキストは取り替え可能となる。
表現者としての朗読者が確立していれば、何を読んでもその朗読者の表現となるわけだ。

そういう立ち位置の朗読をするために何が必要かということを、現代朗読協会常に考えている。
朗読者は自分の朗読表現を見つけるために、自分自身のオリジナリティーに鋭く接近する必要がある。
つまり、自分自身を知り、自分自身を観察することが必要なのだ。
また、自分自身とは、自分自身に起こっていることや自分自身の身体性に気づき続けることに他ならない。

現代朗読では「本を読む」のではなく本を読んでいる「自分自身を読む」ことを心がける。
本を読んでいる自分自身がどのように変化し何が起こっているのかを観察し続けるわけだ。
また、身体性に注意深く注目し続けるという意味で、朗読者はダンサーと何ら変わりはない。
朗読するという表現行為は、ダンスするという表現行為と限りなく近いと言える。

このような考え方から、現代朗読協会練習方法に様々なアプローチを取り入れている。
それははっきりいって、どの朗読教室や朗読講座とも異なる、かなり異質なものだといえる。
朗読の目的には様々あるし、表現者にもいろいろなニーズがあるから、すべての人に現代朗読の方法が当てはまるとは思わないが、朗読の方法で自分自身にアプローチすることを楽しいと感じる人が増えてくれるといいなと望んでいる。
気になる方は、まずは体験しに来てみてほしい。

朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、1月の開催は20(土)/27(土)、いずれも10時半から約2時間。