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2016年6月19日日曜日

映画:夢と狂気の王国

2013年公開の日本映画。
映画というより、テレビのドキュメンタリー番組を観るような感覚でなにげなく見はじめたんです、最初は。

それというのも、これはジブリ映画の製作過程と宮崎駿というアニメーション監督を追ったドキュメンタリーで、この手のものをジブリはこれまでにいくつか、NHKの番組として作ってきているからです。
「もののけ姫はこうして生まれた」をはじめ、「ハウルの動く城」や「ポニョ」のメイキング番組がたくさん生まれていました。
いずれもNHKのテレビ番組として撮影された素材をもとにしています。

この映画も「風立ちぬ」のメイキングだということがすぐにわかったので、これまでのドキュメンタリー番組を観るような感覚で観はじめたのです。

が、見はじめてすぐに、なんとなくちがうぞ、という声が聞こえはじめました。
それもかなり激しく。

ひとつひとつのカットが「絵」になっている。
なんだろうこれは、カメラマンのセンスが違うのかな。
そしてひとつひとつの「絵」にすみずみまで神経が行きとどいている。
たとえば、監督のエプロンのクマの模様のアップにまで、絵作りのこまやかさが現れている。
またインサート映像に使われる風景の、これはここで使われるしかないでしょう、というメッセージ性。

ようやく気づいてクレジットを確認してみたら、監督は砂田麻美でした。
砂田麻美といえば「エンディングノート」です。
ガン告知を受けた自分の父親の最後に寄りそって映画を撮り、一躍有名になった人です。
私はそれを観ていないんですが、この「夢と狂気」を観れば砂田麻美という人の映画性、作家性が明らかではありませんか。
テレビ番組とは全然ちがう。
いや、テレビ番組を悪くいっているのではなく、アプローチが違うんです。
たとえていえば、おなじストーリーを語っても、小説家が書くのとプロのライターが書くのと詩人が書くのとでは、まったくちがうものになるというような感じでしょうか。

とにかく、たんなるドキュメンタリーにとどまらない映像の美しさ、そして対象への肉薄、メッセージ性、どれをとっても「映画」なんですね。

たとえば、一度観れば目に焼きついて離れないシーンに、こういうものがありました。
映画の終盤のところで、宮崎駿がアシスタントの女性と仕事場から出てきて、なにやら談笑しながらこちらに向かって歩いてくる。
映画ではその前に「風立ちぬ」が完成し、無事に公開され、大入り盛況であり、宮崎監督の引退宣言などもすでに映しだされている。
頭も髭も真っ白な宮崎監督が歩いてくる、そのずっと向こうに、保母さんに連れられた幼稚園児たちがお互いに手をつないで楽しげに散歩している。
これはもう、世代の交代とか、命のつながりとか、人の文明の変遷とか、一瞬にして表現している秀逸で美しいシーンなのでした。

そのようなハッとするシーンが随所にあります。
音の使い方もすばらしいです。
シンプルで美しいピアノの音、そしてそれをあえて無音にすることで映像を際立たせ、いわば観ているこちらにメッセージをねじこんでくるかのような力強い表現。

この砂田麻美という人は、たぶんまだ若い人だろうと思いますが、これからどんな仕事をされるのか、目を離せないように思いました。
というか、すでに彼女の仕事はいくつか世に出ているので、まずそれをチェックしてみなきゃね。

最後に、ズバリ、これはジブリの斜陽を描いた映画です。
ファンとしてはちょっと寂しいけど、それが世の常です、理です。
すべての人はいずれここからいなくなるんですよ、私も。

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