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2016年6月20日月曜日

身体がない現代人、今がない現代人

奇妙な表題と思う人がいるかもしれませんが、実際、私の場合、とくに自分が「今ここにいない」ことに気づいたのはここ十数年のことです。
きっかけはティク・ナット・ハンの本で「マインドフルネス」ということばを知ったことです。
以来そのことをかんがえたり、いろいろ試してみたり、他の文献をあたってみたり、人がやっているワークに参加して、自分なりに研究してきました。

マインドフルネスのとらえかたはいろいろあって、現代ではいささか混乱ぎみの様相をていしています。
もともとは古代インド語のひとつパーリ語では「サティ」、サンスクリット語では「スムリティ」といい、中国にはいったとき「念」と訳され、それが現代英語でマインドフルネスと表現されています。
ものごとをありのまま、思いこみやジャッジや社会的価値基準をあてはめることなく受け取っている状態のことをいい、自分自身の中立的なありようをいいます。

この状態のなかでは、人は過去でも未来でもなく、いまこの瞬間を生きています。
人は記憶力、想像力、判断力を持っているので、いまここにあっても我想として過去の記憶を反芻していたり、まだ起こってもいないことやここではないどこかのことを思いめぐらしていたり、ジャッジをくだしたり連想したり、といったことをたえず繰りかえしています。
それが「いまここ」の自分自身に気づくことをさまたげているのです。

私はピアニストというパフォーマーで、とくに即興演奏を専門とする人間なので、マインドフルネスは非常に重要なありようです。
世間にはさまざまなマインドフルネスの提唱があり、そのワークも提供されていますが、パフォーマーとしては相当クオリティのたかい純粋な「サティ」の状態が必要だと思ったので、自分なりに工夫したトレーニングでマインドフルネスの質を高めてきました。
おかげで世間一般の人より多少はマインドフルネスへの理解と実践ができるようになってきたのかな、と思います。

私の演奏会やライブ公演では、オーディエンスのみなさんとも「いまここ」のマインドフルネスを共有しようという試みがあります。
また、私の経験と知見をシェアするためのワークもおこなっています。

そしてもうひとつの問題、それが「身体がない現代人」という問題です。
「身体がない」というのはもちろん言葉のあやで、実際には物理的な身体はここにあるわけです。
ただ、「それがそこにある」ことの実感が非常に希薄になっているのではないかと思います。
全員がそうだといっているわけではなくて、すくなくとも私はそうだったと思います。

なぜそうだったと思うのかというと、マインドフルネスの練習や武術の稽古を通して自分の身体が見えてきたとき、はじめて「これまでの自分は自分の身体がまったく見えていなかったんだな」ということがわかったからです。
とくに武術の稽古は私の役に立っています。

マインドフルネスの練習で自分の呼吸や身体そのものにアクセスし、「いまここ」の感覚を磨くのですが、そのとき「こんな感じだよね」というイメージを脳内に作ってしまって、じつは「なんちゃってマインドフルネス」だったということがあったことに、武術の稽古をつうじて知りました。
武術では、命を取る・取られるという極めて切迫した状況下で、自分自身の身体能力を発揮することが求められます。
イメージではなく、身体の実体をつかみ、それを発揮する必要があるわけです。
まさに「なんちゃって」では「殺られる」わけです。

そのような緊迫感のある稽古のなかで、どれほど自分の身体が見えていなかったのか、あるいはこの瞬間も見えていないのか、見えない身体があるのか、どうすれば身体が見え、発生してくるのか、ということと文字通り格闘します。
これを経験した上であらためてマインドフルネスや瞑想のプラクティスをおこなうとき、まったくちがうものがそこに現れるのです。

私が稽古しているのは「韓氏意拳」という中国武術ですが、ここではよく「古《いにしえ》の身体」ということばが出てきます。
いわば「身体がある」時代の身体観のことで、かつて人々が身体を使って仕事し、生活し、移動していたとき、現代人のわれわれとはかなりちがった身体のベースを持っていたんじゃないか、なので武術の稽古をするにしても、まずはその身体観から見直していくべきではないか、というかんがえかたです。

たしかにそのとおりで、武術の稽古にかぎらず、日常生活においても本当に自分自身でありつづけるには、リアルで自然な自分の身体にアクセスできることが要件となります。
もっとも、すべての人に武術をすすめるわけにはいかないので、私なりの工夫でよりスムーズに、現代生活を送っている人にも容易に深いマインドフルネスを練習したり体験できるプログラムを作っています。

来週末におこなう「音楽瞑想ワークショップ」もそのひとつです。
興味のある方はどうぞ参加してみてください。

音楽瞑想ワークショップ@世田谷新代田(6.25)
ピアニスト・小説家の水城ゆうが長年かけて「音楽瞑想」として結実させたワーク。深く自分自身の身体とこころにつながる体験を、よりわかりやすく楽しめる形で提供します。6月25日(土)午後、会場は新代田駅近く。