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2016年6月3日金曜日

ジャッジやエネミーイメージを手放したくないとき

だれかの悪口をいったり、あなたはこうだよねと決めつけたり、あの人は苦手とかあの人から嫌われてるとかいうジャッジは、ときに快感であることがあります。
他人の批判を口にするのは気持ちいいのです。
たぶんそれは、自分の正当性を確保できるような気がするからでしょう。

なので、人はだれもが自分は正しい、他人はまちがっている、ということを確認したいものです。
自分がまちがっているかもしれない、ということを認めたくありません。
自分がまちがっていることを認めるのは、自分の安全・安心をおびやかされるような気がします。

人を攻撃したり、決めつけたりするのは、自分の安全・安心のニーズから生じる行為であり、それをおこなうことでちょっと安心したり、気持ちよかったりします。
しかし、それは偽の安心だし、ほんの一時的な快感にすぎません。
でも、そこにも自分のニーズがあることを受けいれ、否定する必要はありません。
ただし、それを相手に直接ぶつけると、対立を生むことになります。

自分のなかや、信頼できる仲間と、ジャッジやエネミーイメージを共有して、存分に毒を吐いてみること。
それを楽しんでみること。

存分に楽しんだら、共感の世界に移行しましょう。
自分のニーズにつながり、そして相手のニーズを推測してみます。
ジャッジを手放し、相手にたいするエネミーイメージを払拭してみましょう。

共感の世界に移行できない人は、いつまでもジャッジとエネミーシメージのほの暗い快感にすがりつくことになって、対立と暴力の窮屈で苦しい世界に沈み、閉じこめられてしまうことがあります。
人と人が共感的につながる、やわらかくあたたかな、広々として心もちのする世界へと、すべての人が移行できることを、共感的コミュニケーションはめざしています。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(6.14)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を6月14日(火)夜におこないます。