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2015年7月21日火曜日

沈黙という時間が必要

先月の「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演の当日パンフレットに書いた文言です。
今月の公演は7月27日(月)、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースにて、午後8時開演です。
詳細と参加申し込みはこちらから。
http://www.roudoku.org/play/1507_silentmm

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 最近はとんとごぶさただけれど、子どものころから釣りに行くのが好きで、もちろん魚が釣れるとうれしいけれど、釣れても釣れなくてもとにかく水面に波紋を広げる浮きをながめながら何時間もすごす、その時間の質そのものが大事だったように思う。
 そのことは、つい先日リリースしたばかりの長編小説『ストリーム』のなかにも書いた。
 私が好きだったのフナ釣りだった。というより、子どもの私にアプローチできる釣りはフナ釣りが唯一といってよかった。渓流釣りや鮎釣りは子どもにはハードルが高かったし、海釣りは家が山間部だったので気軽におもむけるわけではなかった。大人のあいだでは鯉釣りが話題になっていたが、餌も仕掛けも竿も、扱いが子どもにはむずかしかった。もちろんあこがれではあった。
 しかし、魚はどうでもよかったのだ。
 フナだって、釣って持って帰っても食べるわけでもなく、いっときは池に泳がせておくが、やがて錦鯉に虫がつくとかいって父に捨てられるのがオチだった。
 あたりが来るか来ないかわからない浮きを見つめて、ただ沈黙のうちに時をすごす。それが思春期にさしかかろうとしていた子どもの私にとって必要な時間だったのかもしれない。
 あれから50年。いま、初老にさしかかっている私にとっても、沈黙の時間が必要だと感じている。私のように沈黙を必要としている人はどのくらいいるのだろうか。
 みなさんはいかがですか?