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2014年7月30日水曜日

私にプロデューサーが必要な理由

だれしも自分を表現したいという欲求を多かれ少なかれ抱えているものだが、その手段にはさまざまある。
私の場合はこうやってテキストを書いてそれをブログに載せたり、本にして出版したり、というテキスト表現の欲求もあれば、ひと前でピアノを弾いて聴いてもらいたい、という演奏の欲求もある。
また、自分の経験や知識を人につたえたいという欲求もある。

私のように、自分自身がなにかおこなうことで自分の表現欲求を満たそうという者は多いが、なかには自分自身が直接的に表現するのではなく、だれかが表現する場を作りその場を成立させることで、間接的に自分の表現欲求を満たそうという者もいる。
それがたとえばプロデューサーという仕事だ。

例をあげれば、スタジオジブリという映画会社があって、そこでは宮崎駿や高畑勲といった映画監督が仕事をしている。
それをささえている鈴木敏夫というプロデューサーがいることは、NHKなどにも何度も取りあげられ、知っている人も多いだろう。
鈴木敏夫は自分自身は直接なにかを表現せず、宮崎や高畑に理想的な仕事環境を用意し、アイディアを練ることを手伝い、雑音をシャットアウトして世間から守り、同時に完成した映画を世に売りだしていくという、複雑かつ骨の折れる重要な仕事をしている。
いくら宮崎や高畑が天才的ですばらしい作品を作れる人間だとしても、鈴木敏夫がいなければ現在のスタジオジブリの隆盛はありえなかっただろう。

成功をおさめている表現者は、その表現が社会にみとめられ、受け入れられるための過程・階段をのぼるプロセスを経ている。
たまたまいきなり作品がヒットする人もいるだろうし、仕掛けられたプロセスのなかで成功をおさめるべくしておさめる人もいる。
自分で自分の表現作品を売りこむことが上手な人もいれば、まったく寡黙で自分を売りこむことが苦手な人もいる。

私は自分自身を饒舌に表現できる人間だと思っていたし、いまでもまだすこし、こうやって文章を書きながら思っているのだが、人からいわせるとどうもそうではないらしい。
表現することはするが、自分を売りこむことはものすごく下手だというのだ。
たしかにそういわれるとそうかもしれないと思う。

これすごいでしょ? いいでしょ?
こんなおもしろいもの作ったんで、買ってくれませんか?
みんなに知ってもらいたいのであの人に紹介してくれない?

そういうことがうまくいえない。
表現はできるけれど、自分のことの説明はうまくできない。
自分の本質は自分ではわからない。
他人の作品とか表現だったらいくらでも説明できる。
音楽仲間やげろきょの朗読者のすごさ、おもしろさは、いくらでもアピールできるし、売り込める。
しかし、自分のこととなると腰が引けて口がこわばってしまう。
そもそも、客観的に見て自分のなにがよいのか、おもしろいのか、うまく把握できないのだ。
だから、魅力を客観的にとらえて、それがどうやったら効果的に伝わるのかかんがえたり、アドバイスしてくれる人間が必要なのだ。

しばらく前に現代朗読の仲間にくわわってくれた山浦くんという人がいる。
この人は「自分は自分がやるよりも人にやらせたり、そういう場を準備したり、人と人をつないだりするのが自分の表現だと思っている」とはっきりといっている。
まさにプロデューサーなのである。
それをきいて私はとてもうれしくなったと同時に、非常にほっとした。
安堵したといってもいい。
これで自分の説明を自分でする必要がなくなる、この人に任せればいいと思ったのだ。

山浦くんがプロデューサーとしての仕事の腕を発揮できるように、私は全面的に協力するだろう。
自分を売りこむのは苦手だが、「こうしてください」と指示されればなんでもやれる。
それはまた山浦くんのニーズに貢献することでもあり、おたがいに尊重しあって貢献のニーズを満たしあう関係があるというのは、本当にわくわくできることだと感じている。

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