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2013年7月1日月曜日

埼玉まで韓氏意拳の稽古に

このところ夢中になっている韓氏意拳の稽古に、埼玉の北与野まで行ってきた。
実技の稽古は始めたばかりで、先生について習うのも今回が2回めという超初心者だが、韓氏意拳には以前から関心があって、本もいくらか読んでいる。
たぶんいわゆる頭でっかち状態であろうと思う(笑)。
なので、実技の稽古のチャンスは貴重だ。
中野で毎週、鍛錬講習会がおこなわれているのだが、近いうちでタイミングが合わず、北与野でもやっているというのでわざわざ出かけることにした。

下北沢から新宿へ。
新宿からは埼京線一本で北与野へ。
思ったより近いのだが、北与野の駅からさらに15分くらい歩く。

行ってみたら、今回は参加者が4人。
なんて贅沢な。
濃密な時間をすごさせてもらう。
参加者が少ないので、質問もしやすい。
講師は内田秀樹先生。
私よりずっと若い。

実技だけでなく、術理についての講義もしっかりしてくれて、それはいまの私にはまだまったく理解のおよばない内容なのだけれど、非常に興味をそそられる内容だった。
たとえば、形体訓練、平歩站椿では身体の在り様を手身足に分かつ処から見るのではなく、内実と整体から求めるという点を大切にするという。
これは、身体を技法的にまとめたり、意識的に操作しなくても、運動の状態に入れば身体はそれにふさわしい形状と内実を有する、という信頼による。
と書いても、ほとんどの人はなんのこっちゃわからないだろう。
現代朗読や音読療法でマインドフルネスや身体表現のことをやりこんでいる私ですら、上記を実感するのはなかなか難しい。

ほかにも生命と本能の関係、形骸を避け神意にそうことの重要性などを学んだ。
神意といっても、宗教的な意味ではなく、自分の自然なありようのことをいうようだ。

韓氏意拳は非常に魅力的な武術であるけれど、そう簡単に一般的に普及するものではないのかもしれない。
それほど深い身体運用と術理、哲学に支えられている武術だ。
私にとってはますます魅力的ではある。
なぜなら、武術としての魅力だけでなく、この身体運用技法は私の音楽——つまりピアノ演奏や現代朗読にも深いところで密接に関係していると感じるからだ。