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2013年7月1日月曜日

自分自身を丁寧に生きるということ

このところ、現代朗読のゼミにあたらしくはいってきた人や、共感的コミュニケーションに初めて接する人たちと話をする機会が多かった。
そのときに感じたことだが、自分が感じたり引っかかったりしたことを無視したり流したりしている人がとても多い。
そのことはかつての私自身にもいえることで、実感がある。

ゼミ生に「自分自身を丁寧に生きてね」とお願いしたら、「自分自身を丁寧に生きるってどういうことですか?」という質問が返ってきたので、ちょっと書いておく。

忙しい毎日を送っていると、なにかむかついたり、悲しかったり、うれしかったり、ちょっとした感情の動きがあっても、いちいちそれに引っかかっていられないという気分があって、さっと流してしまうことが多い。
あるいは、怒りが生まれるような事態に遭遇しても「いかんいかん、怒っちゃいけない」と自分を抑えてしまったり、悲しくて泣きたくなってもがまんしたり、といったことを、私たちはしょっちゅうしている。
私たちが社会性を身につけ、「場」の空気や調和、効率性などを乱してはいけないというふるまいのせいで自分を抑制することをしているわけだが、そのとき自分自身は押し殺していることになる。
つまり、自分自身を大切にできていない。
そのことはときに自分自身や相手に「しっぺ返し」として返ってくることがある。
だから、自分自身を押し殺すことなく、またその場の流れを乱すこともなく、丁寧に自分の感情や価値を扱えるスキルを身につけられるといい。

微細に、瞬間瞬間、私たちはたえず感情が揺れうごき、身体の状態も変化しつづけている。
マインドフルネスの技術を身につけることでそれらに気づきつづけ、その感情や状態が指し示す自分の価値につながりつづけることができるようになる。
最初はあまりものごとが連続的におこなわれていない、ゆったりした状況で自分を観察することから始めてみるといいだろう。
呼吸を観察する。
自分の身体を感じる。
感情を受け入れる。
それらが自分のどのような価値から生まれてきたのかをゆっくりと調べてみる。

最初はじっくりと時間をかけてやるほうがいいし、そうやって自分を扱う質を深めていくのがいいだろう。
ゆっくりと自分を丁寧に扱えるようになれば、それは忙しくものごとが推移している状況のなかでもすばやく自分を丁寧に見、決して粗雑に扱うことのないようなスキルを身につけていくことができるはずだ。