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2013年3月3日日曜日

呼吸法の心理的作用

photo credit: Andrea Castelletti via photopincc

 呼吸法をおこなうとき、音読療法士がこころがけるのは、クライアントがそのことに集中できるように気を配ることだ。
 呼吸に集中してもらう。気道を通って口や鼻を出入りする呼気、吸気をしっかりと観察してもらう。胸や腹がふくらんだりへこんだり、肩があがったりさがったりすることに注意を向けてもらう。自分の呼吸によって起こる空気や身体の動き、音などに集中し、そのほかのことをかんがえないようにする。
 実際、呼吸法をやってもらったあとで、
「いまなにをかんがえていましたか?」
 と質問すると、たいていの人からは、
「呼吸以外のことはなにもかんがえなかった」
 という答えが返ってくる。そのとき、呼吸法はうまくいっているとかんがえられる。なぜなら、呼吸法の目的のもうひとつが「いまここにある自分の身体、ありように集中すること」だからだ。「マインドフルネス」ともいう。
 人がなんとなく不安を感じたり、不機嫌な状態が持続する原因は、いまここにないことをあれこれかんがえてしまうことにある。たとえば、いまここではないどこか別のところにいる家族や友人のことをあれこれ心配してしまう。病気になってないだろうか、事故にあってないだろうか、勉強はちゃんとやってるだろうか、人間関係でなやんでないだろうか。いまここで思いなやんでもしかたのないことを、つい思いなやんでしまう。
 あるいは、まだ起こってもいないことを想像して、重苦しい気分になってしまう。地震が起こったらどうしよう。友だちとけんかしたらどうしよう。親が死んだらどうしよう。ガンにかかったらどうしよう。仕事をくびになったらどうしよう。それはまだ起こってもいないことなので、いまここで思いなやんでもしかたがないのだが、ついついあれこれわるいことを想像してしまう。
 逆に過去に起こったことをいつまでもくよくよと思いなやんでしまう。友だちと喧嘩した、仕事で失敗した、地震で怖い思いをした、だれかから悪口をいわれた、ギャンブルでお金をすってしまった。これらのこともすでに過ぎ去ってしまったことであり、いまここでくよくよとかんがえてもどうしようもないことだ。しかし、気がついたら思い返してしまっていて、いつまでもそのことばかりかんがえてしまう。
 そういった思考癖が私たちの身についてしまっている。これはやむをえない面がある。なぜなら、私たち人間は、他の動物とちがって大脳皮質を飛躍的に発達させた生き物だからだ。大脳皮質を発達させたことによって言語活動や論理思考や情報記憶ができるようになり、大勢の人とコミュニケーションをはかったり、文明社会を築き発展させてきた事実がある一方、その大脳皮質を発達させたことでいろいろ悪いことも起こる。そのひとつが、上記のような想像力や記憶力による思考の働きだ。
 このような思考の働きは人の心に不調を生じさせ、結果的に身体運用能力にも影響をあたえる。この思考からのがれられなくなると、うつにおちいったり、不安神経症になることもある。
 いまここにはないことをくりかえし思い出したり、かんがえつづけてしまうことを「反芻思考」と呼ぶ。いったん反芻思考がはじまると、なかなかそこから抜け出せなくなる。活発に活動していてほかのことをかんがえなければならなくなったり、目の前のことをすぐにやる必要がある場合は、簡単に反芻思考から抜けだすことができるが、ひとりでいるときや眠りにつく前など、反芻思考におちいってなかなか抜け出せなくなることがある。
 自分が反芻思考におちいっていることに気づけば「いかん、いかん」とほかのことに気を向けたり、べつのことをかんがえようとするのだが、それがまた別の反芻思考を引きおこしたり、ふたたび元の反芻思考に立ち戻っていったりすることが多い。そんな経験はだれにでもあることだろう。
 こころの病や心身の不調の原因となるこの反芻思考を断ち切るもっとも簡単で確実な方法が、呼吸法なのである。手順どおりに呼吸法をおこない、自分の呼吸に集中する。自分自身の「いまここ」に意識をむけることで、反芻思考を簡単に断ち切ることができる。反芻思考におちいりそうになったらすぐに呼吸法をやり、「いまここ」に立ちもどるスキルと習慣を身につけることで、もやもやした不安や不機嫌な状態から開放されていくだろう。
 呼吸法を入口とする「いまここ」の意識、マインドフルネスの意識は、なにより有効なこころの病の予防である。