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2010年8月9日月曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.36

私もそうだが、朗読を聴きに行くというと、どこか構えた気持ちになっていることがある。つまり、演者にある「評価」をくだそうという構えが、知らず知らず私のなかに生まれている。それは教育によって作られてしまったほとんど無意識の習慣のように思える。

ところが中学生たちにはそのような習慣はまだ身についていない。それどころか、大変受け身な態度でやってくる。実はそれが芸術表現を素直に受け入れるのに最適な姿勢なのだ。私たちは無防備な彼らに「意味」ではなく私たちの存在と「表現」をダイレクトに投げかける。

最初は拒否反応を示す生徒もいる。顔をそむけたり、ヤジを飛ばしたり。が、そのうちに目がらんらんと輝いてくる。こちらが自分をさらけだして、大人によくある作りこまれ用意されたものではなく、彼らとおなじ時間と空間を共有しようとする姿勢が、彼らにも伝わっていく。

その結果、私たちと彼らの間にはなにか「仲間意識」に似たようなものが生まれ、ある種の共感が共有される。私たちはその後も何度も小中学校でこのプログラムを上演しているが、そのたびに似たような手応えを感じてきた。なにより終わったあとの彼らの反応がうれしかった。

ものおじしない生徒の何人かは、終わってから私たちの控え室にやってきて、積極的に感想をいったり質問を浴びせたりしてくれた。また、帰るために玄関から出ようとしたとき、私たちにまとわりついて離れない生徒たちもいた。また、あとで生徒たちの感想文が送られてきた。

感想文はいい加減に手抜きして書かれているものもあったが、丁寧に、熱心に書いてあるものも少なくなかった。それらを読んで、彼らが実に本質的に私たちの表現をとらえ、共感してくれているのを感じることができた。これは本当にうれしく、宝物のような経験であった。

宝物のような経験といえば、最近またあらたにそういう経験を持つことができた。今年になってからのことだが、東松原の〈スピリット・ブラザーズ〉というレストランでのイベントに参加するようになった。この店は、昨年、一度ライブに使わせてもらったことがあった。

そのときは「メイド(冥土)ライブ」という、出演者全員(女性)がメイド服を着用して、冥土話を語るという、ちょっとふざけたイベントのために使わせてもらったのだが、それが縁でオーナーの人見さんとつながりができるようになった。彼はかねてからやりたいことがあった。

めぐまれない子どもたちを集めて、レストランでの自由な飲食とライブイベントをプレゼントしたいと考えていたのだ。そのために、何人かに声をかけ、現代朗読協会もイベントに参加することになった。親から虐待されている児童を保護している施設のためのイベントである。

このような児童養護施設は都内だけでも59、全国では560もある。多くの子どもたちがここで暮らしているのだが、いずれの施設も予算にはめぐまれておらず、子どもたちも習い事やレクリエーションが自由にできないことが多い。それをボランティアで支えている実情がある。

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