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2010年8月8日日曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.35

現代朗読協会が中学生のために作った朗読プログラムは「Kenji」というタイトルだ。これを作るにあたってまずかんがえたのは、中学生たちになにを伝えるか、ということだ。作品のストーリーを伝える? 宮澤賢治がどういう人なのかわかってもらう? どちらも違うと思った。

ストーリーを伝えるだけなら、きれいに読めるアナウンサーかナレーターにやってもらえばいい。そもそもそれなら本を読むのが一番だ。宮澤賢治という作者の人となりを伝えるとしても、私は宮澤賢治という人に会ったこともなければ、そもそもすでにこの世にいない人である。

たしかに作品は残っているが、そもそも彼がなにをかんがえてその作品を書いたのかなど、だれにもわかりはしない。もし「わかる」という人がいたら、とてつもなく傲慢な人だろうと思う。作者ですら自分がその作品をなぜ書いたのか、わかりはしないというのが真実なのだ。

宮澤賢治はおそらく深い潜在意識を持っており、暗闇にうごめく衝動に突きうごかされるようにして仕事をした人間なのだろう。そのことは残されている言葉をつぶさに読めばだれでもわかる。そしてただひとつ確かなことは、いま我々の手の中に賢治の言葉があるということだ。

その賢治の言葉をただ中学生たちに伝えたい。ストーリーを伝えるのではなく、言葉そのものを、しかもいまこの時代に生きている我々と彼らという生身の肉体同士の交流電源として言葉を伝え交換したい。そう考えた。そして「Kenji」を賢治の言葉によるコラージュにした。

もうひとつ、賢治コラージュを作るにあたって私なりにひとつのアイディアがあった。それは音楽だ。賢治は音楽が好きで、自身も音楽家になりたくて何度も挑戦していた。チェロやオルガンを習い、作曲にも挑戦していた。しかし適性がなかったらしく、そのたびに挫折していた。

「セロ弾きのゴーシュ」にせよ「ポラーノの広場」にせよ、音楽が主題になった小説だ。「ポラーノの広場」では、賢治自身の作曲ではないにせよ、楽譜が使われている。賢治自身の作った「星めぐりのうた」という曲もある。音楽的にはけっして優れた曲ではない。

しかし、不思議な魅力のある曲なのだ。私はこの曲を「Kenji」のなかで使おうと思った。そのために、出演者に歌手をひとり加えた。ほかは私がピアノ演奏、そして4名の朗読者というメンバーで上演するためのプログラムとなった。朗読者には当時75歳の網野隆さんがいらした。

世田谷区立東深沢中学校での初演は、9月のまだ残暑が厳しい日だった。2年生の2クラスが音楽教室に集められ、私たちはその前で「Kenji」を上演した。生徒たちとの距離が近かったせいもあったが、最初から食いいるように見てくれて、反応もよく、手応え十分だった。

中学生たちは朗読公演といっても、なんの先入観もなく見てくれていたのだと思う。どちらかというと、「朗読? うざいけど、まあ授業だし、見なきゃしょうがないよね」くらいの気持ちで音楽教室に集まってくれたのだろう。そこでなにが行なわれるのかまったく知らずに。

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