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2010年7月26日月曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.24

マーシャル・ローゼンバーグは心理学者だが、彼は世界の偉人たち、とくに非暴力で歴史的な業績を残して人々について調べた。マハトマ・ガンジー、ルーサー・キング、マザー・テレサといった人物が、難局にあっても冷静さを失わず、非暴力でことにあたっていたその心理。

これらをつぶさに調べたところ、ある共通の原理があることをつきとめたのだ。そのことを NVC として体系化し、提唱しているのが、マーシャル・ローゼンバーグである。世界中に共鳴者がいて、日本にも少しずつだが紹介されはじめている。安納ケンはその勉強もしていた。

あるときを期に、アレクサンダー講座の後の時間を利用して NVC の私的勉強会が、安納ケンのリードで始まった。私はその考え方に共感し、また朗読という表現行為そのものはまさに NVC そのものではないかと思いいたるようになった。協会の運営方法にも取りいれた。

ディープリスニング、アレクサンダー・テクニーク、NVC、そしてコンテンポラリーアートや現代思想の勉強。こういったものによって現代朗読協会はずいぶんと体質が変わった。来る人もどんどん変わっていった。その顕著なきっかけは体験ワークショップのスタートだった。

アイ文庫時代の朗読研究会や、スタート時の現代朗読協会の朗読ワークショップには、朗読を勉強したいという「プロ」の方がたくさん来ていた。つまり、声優、アナウンサー、ナレーター、またはそれらの卵といった、いわゆる「声のお仕事」の方たちである。

彼ら/彼女らは当然のことながら、自分の仕事に役立てようとして朗読を学びに来る。日本語の発音・発声、アナウンスやナレーション技術を教える学校はたくさんあるが、朗読を教えるところはあまりない。おおぜいが表現力をつけるために朗読を勉強しにやってきた。

彼ら/彼女らからは実に多くのことを学んだし、気づいたことも多かった。しかし、彼らが求めているのは間違いなく、支払った一定の対価に見合っただけの「技術」なり仕事に役に立つものを持ち帰ることだった。それは当然のことで、そのことを非難しているわけではない。

しかし、そういった「等価交換」を求める場から、現代朗読協会は徐々に変容していったのだ。体験ワークショップは「声のお仕事」の方ではなく、むしろ朗読などやったこともない一般の人を対象にしていた。あるいは、従来型の朗読に飽き足らない人に向けて開催された。

体験にやってきた人はほとんどが、私たちのやり方に驚く。自己表現について「こんな考え方があったのか」と。あるいは朗読経験者は「朗読がこんなに自由で楽しいものだったのか」と。私たちは他の朗読講座や教室でやっていることとはまったく違うアプローチを使っている。

たいていの講座や教室は、まず朗読者の「間違い」を正すところからスタートする。イントネーションの間違い、鼻濁音やら無声化といった日本語発音技術の間違い、そして読み方の間違い。これらの根拠がどこから来ているのかと考えてみた。それははっきりしていた。

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