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2010年7月14日水曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.13

本と雑誌フォーラムには、当然のことながら、本好きの人たちが集まっていた。こちらでも、私が仕事で上京するたびにオフ会が開かれ、濃密なコミュニケーションが生まれた。小説家志望者もいた。私はフォーラム内に「小説工房」という小説修行のためのコーナーを開設した。

プロの小説家がやっているというので、たくさんの人が書きこみを始めた。その盛況ぶりはニフティサーブ内でも評判になるほどだった。私はこのコーナーを小説道場のような場にし、アマチュアの書き手たちに惜しげなく小説の書き方を手ほどきした。それがまた人気を呼んだ。

毎週のように小説コンテストのようなことを開催した。毎回何十人という書き手が腕によりをかけて、決められたテーマに沿った小説を投稿してきた。私はそのすべてに目を通し、コメントをつけ、そして書き方のアドバイスをしていった。会員はどんどんふくれあがっていった。

30代なかば、私の日常は、自分の小説執筆よりも、テレビ、ラジオ、パソコン通信、とくに小説工房の世話に明け暮れ、収入はどんどん不安定になっていった。それでも、小説工房の活動は内藤忍氏の出版社・青峰社から2冊の単行本として形のあるものとして残ることとなった。

青峰社は独立系の小さな出版社で、内藤氏との付き合いから『赤日の曠野』という、念願だった旧満州を舞台にした冒険小説を出すことができた。そのために内藤氏と中国東北部に取材旅行をしたりして、大変楽しい思いをさせてもらった。その分、逆に商業出版がつらくなった。

バブルに陰りが見えはじめたこの頃から、娯楽小説の売れ行きも急速に悪化しはじめた。とくにノベルスの分野が悪くなっていった。かろうじて仮想戦記ものが売れていたが、それも一部マニアのもので部数も少なかった。もちろん私はそんなものを書く気はまったく失せていた。

商業出版社からは、売れる小説を求められていた。書きたい小説でもなく、良質な小説でもなく、「売れる小説」しか求められないことに、私は大きな失望を感じはじめていた。一方で、ネットの世界ではインターネットとケータイが急速に普及しはじめていた。

商業活字出版の世界に嫌気が差した私は、お金にはならないけれど自由に書けて、より多くの読者を得る可能性があるネット配信の世界に、活動の場をシフトさせていった。まぐまぐというメールマガジン配信会社がスタートしていて、そのシステムを使ってみることにした。

小説をまぐまぐシステムで配信しはじめると、おもしろいことがわかった。私の小説は読者のコンピューターなり携帯電話なりに直接配信され、それに返信する形で読者の声は私に直接帰ってくるのだった。双方向のコミュニケーション実験だった小説工房と、ある種、似ていた。

自分の読者との直接交流はまったく苦痛ではない私にとって、これは違和感のないシステムだった。私は自分の小説を、だれの検閲を受けることもなく自由に配信でき、読者から直接リアクションを受け取れるというこのシステムが、とても気にいった。

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