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2010年7月9日金曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.10

番組はそれなりにやっていたが、朗読とピアノでなにかやろう、という話になった。私はそのころ、自宅だけでなく、福井の松木屋という楽器店でも、大人相手にポピュラーピアノを教えるようになっていた。その松木屋の上にちょっとしたホールがあり、ライブができた。

ガルシア=マルケスの作品だったと思う。榊原が朗読し、私が即興でピアノを弾く。そんな朗読ライブを、福井の松木屋のイベントスペースでおこなうことが決まった。その私と榊原のライブスタイルは、実に現在にいたるまで延々と25年にわたってつづくことになるのだった。

FM福井で私と榊原と、ディレクターの杪谷というトリオで番組を作りながら、朗読と音楽の公演をちょくちょくやりはじめた。〈ウェスト〉というディスコで寺山修司を題材に、越前竹人形の遣い手と共演したりもした。そうやって前衛的な試みをどんどんやっていった。

子ども相手のピアノ教室、大人相手のポビュラーピアノ教師、FM番組の構成作家、朗読と即興音楽のパフォーマンス、そして近所の本屋での学習塾の教師。子どもが生まれたばかりの私は、経済的にさほどめぐまれてはいなかったが、楽しく充実した生活を送っていた。

こんな感じで田舎で腰を据えてのんびりと一生をすごすのも悪くはないと思いはじめていた。が、そんなところへ、仰天する出来事が起こったのだ。実をいうと、帰省してからは、京都時代にあれほど熱中していた小説書きはほとんどやっていなかった。ラジオ構成で満足していた。

京都を引きあげて福井に帰ると決めたとき、私はひとつだけ決めていたことがあった。習作ばかりでいっこうに完成しなかった小説を、せめて一本だけでも書きあげよう、ということ。目標は長編のSF小説だった。そのためのアイディアはあった。

書店に並ぶような長編小説は、400字詰め原稿用紙にすれば、だいたい350枚から500枚程度で1冊になる。もちろん、当時は原稿用紙に手で書いていたので、私もそれが目標だった。が、なんとか一本書きあげてみたものの、それは200枚くらいにしかならなかった。

しかし、ともあれ、一本の小説をついに最後まで書きあげたのだ。たしか、タイトルは『アヤヌス・水の惑星』といったと思う。大いに『デューン・砂の惑星』の影響を受けていた。私はそれを当時『SFアドベンチャー』というSF雑誌を刊行していた徳間書店に送りつけた。

もちろん、返事はなく、私はその小説のことをすっかり忘れたまま、福井に引っ越してしまった。ある日、私はたしか、近所の本屋の学習塾で子どもたちに教えていたときのことだ。妻から「なんか徳間書店とかいうところから電話がかかってきたんだけど、本でも注文した?」

心あたりがなかったが、家に帰るとまた電話がかかってきた。「あなたの書いた小説をおもしろく読ませてもらった。出版したいので、一度来てもらえないだろうか」私はすっかり送りつけた小説のことを忘れていたので、ストーリーすら思いだせないありさまだった。

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