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2011年11月4日金曜日

げろきょ祭り「年齢は関係ない現代朗読ってなに」

休憩時間にはお客さんと朗読出演者がにぎやかに交流。
 げろきょの特徴として、参加者もお客さんもとても若い、というのがあります。いや、若いというのは正確ではないかもしれません。年齢層にとても幅があるのです。たいていの朗読サークルや公演は年輩の方が多いので、それと比べると断然若い印象があるんですが、実際には幅広い年齢層といったほうがいいでしょう。
 現代朗読をするにはあまり年齢は関係ないのです。年齢ではなく、「その人自身のいま」という精神性・身体性を、飾らず偽りなく提示していくのが現代朗読なのです。年齢は、背が高い/低いとか、髪が長い/短いといったことと同様、あくまでその人の属性のひとつにすぎません。

 で、この場を借りて、今回のげろきょ祭りをいろいろな方に告知するにあたって私が書いた「現代朗読ってなに?」というテキストを紹介しておきます。

◎現代朗読ってなに?
 美術、音楽、ダンスなど、あらゆる表現の分野に「コンテンポラリー」があるように、朗読にもコンテンポラリーがあってもいいじゃないか、ということでスタートしたのが現代朗読です。
 いま、この時代の私たちが、ありのままにおこなう表現。伝統や決まりごとや既成の枠にとらわれない表現。
 私たちがおこなっている朗読では、まず「話者」が最初にあります。そこが伝統朗読との決定的な違いといっていいでしょう。
 たとえば、だれかが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読む。話者は、なんのために、なにを伝えようとして「蜘蛛の糸」というストーリーを読むのでしょうか。私たちはまず、その根源的な問いからスタートします。
 だれかが「蜘蛛の糸」を読もうとするとき、「蜘蛛の糸」を読むことでなにを伝えたいのか、という意識を持つこと。これが現代朗読だと私たちは考えています。
 音楽に言葉がかき消されるときがあるかもしれません。しかし、リスナーに言葉の一部が伝わらなかったとか、ストーリーが理解できなかったということは、もはや最重要問題ではないのです。重要なのは、話者の存在がどのように伝わったのか、ということなのです。
 現代朗読における主役は、テキストやストーリーではなく、話者の存在そのものです。

(つづく)