イソップ童話に題材を得た作品。この話を知らない人はいないでしょう。
この「ありときりぎりす」という話は、ありの勤勉さを「良」とし、きりぎりすの放蕩・その場限りの生き方を「悪」とした教訓物語ですが、その構造からいっててっきり、産業革命以降の近代資本主義社会が生み出したストーリーなのかと思っていました。
起源は意外に古かったんですね。
つまり、この手の教訓話は、人類が農耕を始めたころからある、とかんがえてもいいのかもしれません。
子どものころ、これを読んだ私は、かすかな違和感を覚えながらも、蟻が正しくてキリギリスがバカだというふうに刷りこまれていました。これは社会システムが個人に対しておこなう一種のパワーオーバーです。私たちは無数のこのような思い込み、刷り込みを身にまとって生きています。
それらの「システム」を破壊してみせるのが、芸術の重要な役割のひとつといってもいいでしょう。
船渡川広匡のこの作品を読んだとき、私たちはこの典型的なストーリーの裏側を見ます。そして自分の刷り込みに気づくのです。
意図的に蟻に「軍靴」をはかせ、軍隊という社会システムの極地の立場に置かせたことで、イソップをひっくり返してみせたわけです。
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