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2020年6月26日金曜日

essay 20200626 必要

子供の頃は給食袋というのがあって、決まった日に親から現金をもらって学校に持っていった。
なんらかの事情でそれを払えない子どもがいた。

人生の最終盤になって直面するのも、結構お金の問題だったりする。
高額医療や差額ベッドの問題など。
自分にとって何が必要なんだろうか、ということに直面すると同時に、逆に自分はどのように必要とされているのだろうか、と言う問題が突きつけられるような気にもなる。

せめて朗らかにすごせたらいいと思う。
しかし、気詰まりなのは、痛み。
痛みと気詰まりなく過ごせたら良いのにと思うのだが、なかなかそうもいかない。
これはなかなかの至難の業。




From editor


毎日が奇跡の連続で、それでいて静かな生活が続く。
NVCがなかったら、どうやってこの難局を超えていけるのか想像もつかない。
ときどき休息が必要だなと思うし、朝起きられなかったりもするけれど、なんだかじわじわと体の内側からの変化が表面に出始めているような、そんな気もする。
明日はどんな日になるだろう。

(去年見た、サーフィンでPTSDを治療するという動画で、医師が「明日の波のことを考えるとき、もう死ぬことは考えてない」と言っていて、激しく首肯した。今ここに意識をもちながら明日のことを考える、人間はそんなすごいことだってできるのだ)