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2019年12月24日火曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(19))

東京紙器の山田俊哉さんが国立までわざわざ会いに来てくれた。
山田さんとは20年以上の付き合いになる。
といっても、ここしばらくはごぶさただった。
私の人生にとって、最重要人物のひとりだ。

というのも、ニフティサーブなどのパソコン通信時代からケータイ公式サイトが爆発的に普及する時期にかけて、私をネットから拾いあげてくれて、いっしょにアイ文庫という会社を作り、私が東京に出てくるきっかけを作った人だからだ。
経営者ではあるが、まったく社長然としたところはなく、知的好奇心やチャレンジ精神が旺盛で、最初から信頼できる人だった。

最近は仕事の接点がなくなり、会うこともなくなっていたのだが、アイ文庫でNVCの共感トランプを作ることになり、その製作を東京紙器に依頼したことから、ふたたび連絡がついた。
アイ文庫は現在、西東万里が代表取締役で、彼女はNVCジャパンネットワークの事務局でもある。
共感トランプの企画からデザイン、入稿まで、仲間のサポートを得ながら、実質的にはほとんどひとりでやっている。

私に会うことを躊躇していた山田さんを誘ってくれたのは彼女だ。
山田さんは私に会うことをなぜ躊躇していたのか。
会って話してみてわかった。

最後に山田さんに会ったのは何年前だったのか、さだかではないが、7年以上前のことにはちがいない。
そのころの私はまだ杖をついていた。
20年以上前にやらかした膝の骨折とそのリハビリの失敗で、杖なしには長く歩けない状態が5年前くらいまでつづいていたのだ。
つまり20年近く杖にたよる生活をしていた。

山田さんはそのころの私の姿しか知らない。
それに加えて、末期ガンを患っているという情報だ。
山田さんは私のことを、ガン治療でやつれはて、ガリガリになって杖にすがって歩く、死期を目前にした無残な姿を想像していたらしい。
なるほど、そんな姿の人間には、私も気楽に会うのを躊躇してしまう。

しかし実際には私は前以上に元気で、しかも杖すらついていない。
かつては杖なしに歩けなかったのに、いまは数キロならジョギングすらできる。
7年前からはじめた韓氏意拳という武術と、その教練である山形の高橋透先生の頭蓋仙骨治療のおかげだ。

元気な私の姿を見て、山田さんは心からほっとしたようだった。
それを聞いて、私は気づいた。
私を知っている多くの人が山田さんのような危惧をいだいて私に会いたくても会うことを躊躇するような心境になっているのではないか。
それを越えて私に会いに来てくれた人たちは、大きな心理的ハードルを乗りこえてくれたのかもしれない。
会いに来てくれた人も、会うのをためらっている人も、ありがたいと思う。

会いに来てくれた山田さんとは、何年ものブランクを感じることなく、かつての仕事仲間というより同僚、旧友のような気持ちで話をすることができた。
ひさしぶりなのに、過去の思い出話にふけることなく(すこしは話したけれど)、いま現在のお互いの状況や心境と、これからのことについて、心を開いて話しができたし、また聞いてもらうことができた。
ほんとうに楽しい時間だった。

たとえ頻繁に会わなくても、いつでも心を開いて話ができる友人がいるということが、これほど豊かなことなのだということを、私はガンという病を得て心底実感するようになってきた。
人生の最終盤がこのような豊かさのなかにあることを、本当にうれしく思っている。

(写真は私がアイスクリーム好きであることをブログを読んで知った山田さんからいただいたアイスクリームのギフト券。うれしい)