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2019年11月9日土曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(4))

■長引く肺炎のなか朗読レッスン

昨日は朗読の個人レッスンをおこなった。
このところ、軽度の肺炎にかかっていて、それが長引いている。

肺炎というのは、かかったことがある人にはよくわかると思うが、けっこうやっかいだ。
最初は空咳が出たり微熱があったりして、風邪をひきかけているのかと思った。
が、風邪のように気管支の炎症ではなく、咳はもっと奥のほうから痰《たん》も痛みもなく起こる。
息苦しさがあって、大きく息を吸いこむと、むせかえるように咳が出る。
だから大きく息を吸えない。

運動するとすぐに息切れする。
ゆっくり歩く分にはいいのだが、急ぎ足で歩いたりすると息切れして苦しくなる。
階段の上り下りもゆっくりしかできない。
ましてや駆けたり、筋トレしたりなんてことはできない。

そんな状態が十日近くつづいていて、なるべく安静にして回復をはかっているのだが、なかなかよくならず、長引いている。
出かけることを控えているが、個人レッスンなら人が来てくれるので負担も少ない。
そして不思議なことに、朗読のことをやっているときは、グループワークでも個人演出でもあまり疲れを感じないのだ。

私は社会的には職業を問われれば、小説家であり、ピアニストといえるが、これほどまで朗読が好きになり、朗読と関わるようになったのには、ちゃんと理由がある。
私自身は朗読はやらないというのにだ。
つまり、私が自分で本を読み、表現行為としてひと前ではおこなわない。
私が朗読に関してやるのは、朗読のためのテキストを書き、朗読者のトレーニング指導を行ない、朗読演出をし、時には採集的なライブやステージで同じ共演者という立場でピアノやキーボードなどの楽器を演奏することはある。
私がそんな風に朗読とかかわっているというと時々おどろかれることがあるのだが、ここにいたったその筋道をいま書いているのだ。

■ブラスバンド部にはいる

中学校に入ってピアノのレッスンに行くのはやめてしまったけれど、音楽が嫌いになったわけではない。
とはいえ、中学生になったばかりの男の子の音楽知識や経験なんてたかが知れている。いまのようにネットに音楽が溢れかえっていて、どこでも自由に好きな曲を聴ける時代ではなかった。

私の音楽体験と知識は、まずはピアノレッスンで自分が練習していた初歩のクラシック音楽——とくにピアノ曲。
それからテレビやラジオから流れてくる流行歌やポップスなど、ランダムで雑多な音楽。
学校の音楽の時間に歌ったり、レコード鑑賞で聴いたクラシック音楽やフォーク音楽。
そういったところだった。

ほかには小学校でも中学校でも、学校では定期的に放送で流れる音楽がいくつかあって、繰り返し強制的に聞かされるために耳にこびりついてしまった。
運動会に流れるマーチなどの勇ましい音楽もそうだ。

私はマーチ(行進曲)がけっこう好きで、中学校にはいるとブラスバンド部がそれを練習して演奏するということを知った。
それまで集団で音楽をやることがなかった私は、そのことも興味がひかれたのかもしれない。
ピアノレッスンはやめたけれど、音楽に興味をうしなったわけではなかった私は、中学生になるとブラスバンド部に入部した。
パートは花形のトランペットの端くれだった。

まずは毎日、マウスピースをくわえて音出しの練習をした。
入部したての1年生だけが体育館の外にならばされてマウスピースをくわえ、ブーブー音出しの練習をえんえんとやらされるのには閉口したけれど、音が鳴らないことにははじまらない。
どんな楽器でもそうだが、入門のときにはかならずある程度の(ばかみたいな)反復練習が必要になる。
ピアノの練習でそれには慣れていた。

ある程度音が出るようになると、パート練習にはいる。
ブラスバンドのなかでもトランペットはメロディラインを高らかに演奏する花形パートだったが、全員がメロディを吹くわけではない。
トランペットパートもさらに3パートくらいに分かれていて、その一番底部のメロディとはかけはなれた部分を受け持つ第3パートを、1年生はまずやらされる。
第3パートの音は、メロディ的には変な感じだが、3パート全員が合わさるとちゃんとハーモニーを作るようにできている。
自分が吹く音がハーモニーの一部になっていて、全体のハーモニーができあがるのは、なかなか楽しい経験だった。

私は楽譜が読めたので、音が出るようになるとすぐにパート譜を演奏できるようになった。
同期の1年生がほかにも数人いたが、みんな楽譜を読むのが苦手だったので、彼らに教えてやったりもした。
私はブラスバンド部のなかに(一瞬だけ)自分の居場所を感じて、しばらくは楽しく部活動にいそしんでいた。

ところがそれも1年を待たずして終わりを告げることになる。