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2019年11月7日木曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(2))

■旺文社の文学文庫

中学生になったとき、私がよく本を読むようになったことを喜んだ両親が、大きなプレゼントをしてくれた。
旺文社の文庫本サイズの50冊セット文学全集だ。
文庫本といっても、表紙はすべてハードカバーで、デザインも薄緑色に統一されていて、揃っている感があった。
しかも50冊がちょうどおさまるミニ本棚もついていた。

これはあと50冊を加えて全100冊セットになっていて、後日、買いそろえてもらった記憶がある。

両親の本棚にある文学全集は旧仮名遣いが混じっていたり、文字が細かかったりと、中学生にはまだハードルが高かったので、この旺文社のシリーズはうれしかった。
このシリーズで日本も世界もいっしょくたに、代表的な文学作品をたいてい読んだ。
ルナールの『にんじん』とか好きだったし、ドストエフスキーとかスタンダールとか、夏目漱石の『坊っちゃん』や『猫』もこれで読んだ。

■SF小説にハマる

中学生のころはやたらと本ばかり読んでいた記憶がある。
学校の図書館にももちろんたくさん蔵書があって、なかでもジュニア向けの世界SF選集にハマった。
いまとなってはまったく思い出せない無名の作家のものもたくさんまじっていたが、有名どころもあった。
日本人作家では、当時ジュブナイルをたくさん書いていた眉村卓の作品などがあったように思う。

眉村氏はつい先日、お亡くなりになった。
ご冥福をお祈りする。

図書館のSF選集をきっかけに、SF小説のおもしろさにどっぷりとひたる日々がやってきた。
世間ではSF小説というとまだまだキワモノ扱いだったし、両親も私がSFを読むことはあまり歓迎しなかった。
しかし、おもしろいものはしかたがない。
『SFマガジン』という月刊の文芸雑誌が早川書房から出ているのを知って、近所の書店で定期購読を申しこんだ。

これが私にとって、「いま現在」動いている、最新の文芸の世界(SFという限られたジャンルではあったけれど)の情報に接する、最初の機会となった。
田舎の中学生にとっては画期的なことだった。

■北陸の山間部の田舎町

田舎といってもどのくらいの田舎なのか、説明しておかねばならない。
私が生まれ育ったのは福井県勝山市という町で、市とはいっても現在は人口が2万3千人をまもなく切ろうかというところだ。
県庁所在地の福井市から電車で小一時間、車でも3、40分、九頭竜川にそって山間部へとはいっていく。
九頭竜川中流域の河岸段丘によってできた盆地で、四方を山に囲まれている。
天気がいいと白山山系が見える。

さらに奥へと進めば、大野市、和泉村をすぎて、岐阜県の白鳥へと抜ける。
その先は飛驒や美濃地方へとつながる。
かつては交通の要所だったようだが、いまはさびれてしまって、高速道路も通っていない(長らく工事中ではある)。

そんな町でも、私が子どもの頃は何軒か本屋があった。
もちろんいまのように流通が発達してはいないので、ほしい本があれば本屋に注文する。
うまくすれば二、三週間でとどく。
通常は一か月くらい待たされる。
そのくらい、都市部との情報遅延や格差があったということだ。

そんな田舎のどん詰まりのような町で、私は毎月届けられる『SFマガジン』という現在進行形の文芸情報をむさぼるように読みあさっていた。