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2019年11月15日金曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(10))

■肺炎はつらい

いまから思えば放射線照射による免疫低下を油断していたのだ。
先月の終わりに「ちょっと風邪ぎみかな」と感じるような咳とかるい体調不良があった。
そのときに気づけばよかったのに、ひどい熱も出ず、咳もひどくならないようすに安心して、名古屋でのイベントなど詰めこんだスケジュールをそのままこなしていた。

肺炎は10年ちょっと前に一度やっている。
そのときはマイコプラズマ肺炎という感染症で、今回は感染症ではないかもしれないが、思いかえせばそっくりの症状だ。
階段の上り下りなどちょっと動くと息切れする、常時微熱がある、空咳が止まらない。
完治するのにたっぷり1か月以上かかった記憶がある。

今回もすでに半月以上たっているが、完治にはまだしばらくかかるだろう。
熱はほとんどないが、まだ咳が出て、身体を動かすとすぐに息切れする。
なるべく安静にしているしかない。
気になるのは、そのあいだまったく運動ができないので、体力・筋力がどんどん低下していってるだろうということだ。
肺炎が完治したら体力回復につとめたいが、いつからそれができるのか、どれくらいの強度でやれるのか、以前のような体調にもどれるのか、わからない。

ともかく、免疫力が落ちているのはまちがいないので、肺炎だけでなく、これからの季節は風邪やインフルエンザなどの感染に充分に気をつけよう。
月末には渋谷での公演「ラストステージ」、大塚での「ピンクリボン・コンサート」、12月にはいると名古屋での公演「ラストステージ」2回、公開レッスン講座などが控えている。

■バンドマン生活にはいるも……

バーテンダーのアルバイトは足かけ3年ぐらいやっていた。
私はこの店のカウンターの内側で多くのことを学んだ。
酒の知識や作り方だけでなく、仕事にたいする合理的な考え方、さまざまな人々とのコミュニケーションや音楽のこと、夜の世界のこと……

お客との付き合いも、アルバイトなので気楽で、カウンター越しだけでなくプライベートなものができた。
とくにバンドマンたちとは、いわゆる外タレのコンサートにいっしょに行ったり、草野球をやったり、交流が深まった。

バンドマンは「ハコ」と呼ばれる、毎日決まった店で演奏する仕事のほかに、宴会や結婚式、記念パーティーや行事など臨時で演奏に出かける仕事があった。
金銭的に率がよく、バンドマンにとっては歓迎なのだが、ハコの仕事とかちあうことがしばしばあった。
そういうときはハコの仕事に「トラ(エキストラ)」と呼ばれる代理のバンドマンを頼み、自分はお金のいい仕事のほうに行く。

代理を頼まれるバンドマンは、まだ駆け出しの、ハコの仕事を持っていないペーペーの者だった。
私も最初はそうやって、トラの仕事のをちょくちょく頼まれるようになった。

バーテンダーの仕事で酔客とのコミュニケーションにも慣れていた私は、トラで行った店でもかわいがられ、やがて自分のハコを持つことになった。
それを機にバーテンダーのアルバイトはやめ(時々頼まれてカウンターにはいることはあった)、本格的にバンドマン生活をスタートさせた。

22歳から23歳にかけてくらいのときで、西暦でいうと1980年前後。
なぜこんなことを書くかというと、そのころにちょうど水商売の世界をあるテクノロジーが急速に席巻しはじめたからだ。
それはカラオケマシーンといった。