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2019年11月6日水曜日

いまここにいるということ「身体・表現・現象」(末期ガンをサーフする2(1))

■やりたいことは全部やる

今日でステージⅣのガン告知を受けてから118日め、4か月となる。
抗ガン剤による標準的治療は受けないことにし、放射線照射による治療を選択し、その治療も先月終わった。
経過を見る検査はまだ終わっておらず、ガンやリンパ節への転移がどのようになったのかはわからない。

しかし、この間、私の活動はほぼ平常と変わりなく——というよりより濃密に、集中してやれている。
治療中の体調不良や、治療後も若干肺炎ぎみで発熱してたりするんだけど、寝たきりというわけでもない。
延命治療にあてていたらひょっとしてこの時間が失われた可能性もあるわけで、いまもこの瞬間を大切に、活力をもっていられるということが、なによりありがたく貴重なことだと感じている。

というわけで、執筆、朗読、動画編集、ライブパフォーマンス活動、講座やワークショップと、やりたいことは全部やっている。

あまり私のことを知らない人からは、よく、
「結局なにが本業なんですか?」
と訊かれることが多い。
これまでも小説や本を書き、ピアノを演奏したり音楽を作ったり、また現代朗読協会を立ちあげ朗読演出をやったり、音読療法協会を作って音読療法の啓蒙普及活動をおこなったりしてきた。
よく知らない人から見ればつかみどころがないのも無理はないかもしれない。

自分自身の整理もかねて、私がこれまでやってきたこと、その経過やいきさつについて、すこし振り返っておこうと思っている。
もちろん、大げさな自叙伝のようなものを書くつもりはまったくなくて、ざっくりした個人史——すこしくわしいプロフィール——のようなものを書きのこしておこうという意図だ。
お付き合いいただければ幸い。

■小説をたくさん読んだ子ども時代

職業小説家として商業出版社から長編小説が出版されたのは29歳のときだったが、小説はもっと前から書いていた。

私の父は高校教師で、田舎のインテリといってもいいかもしれなかったが、人物的にはインテリという感じではなく、むしろバンカラな人づきあいの多い人間だった。
教え子をはじめ、同僚や地域住民など、父を慕う人は多かった。
母のほうが知的好奇心が強かったかもしれない。
本棚にずらりとならんでいた世界文学全集や日本文学全集、夏目漱石全集、芥川龍之介全集、島崎藤村全集、伊藤整全集、ほかにもあったかもしれない揃いの文学書は、ものを書くための下地として大いに役立った。

もちろん子どものころはそんなものを読めるはずもなく、ただ本棚にならんでいるのをながめていただけだが、本に親しむ環境にあったことはたしかだ。
だから、小学5年生のときだったと思うが、大風邪をひいてしばらく学校を休んだときに、父が近所の貸本屋で子どもにも読めるような小説本をまとめて借りてきたことがきっかけで、それ以来小説に大はまりしてしまった。

父が借りてきたのは江戸川乱歩の少年探偵団のシリーズや、吉川英治の宮本武蔵だった。

もっと小さいころからもたくさん本を読むようになっていた。
とくに隣家に住んでいた私より3つくらいの年上の、耳の不自由なお兄さんが、子どものための読み物をたくさん持っていて、それをちょくちょく貸してもらっていた。
隣家も高校教師の家で、障害を持つ息子のためにたくさんの本を買いあたえていたのだと思う。
子ども向けの冒険ものとか、ファンタジーとか、童話が多かった。
イソップの童話やシンデレラや人魚姫、かぐや姫などの日本の昔話などは、隣家から借りてきてたくさん読んでいた。